いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

茨城県龍ヶ崎の女化稲荷神社に行ってきました🦊🌾

おはようございます、いもみ🍠です。


この前「焼肉キング」に行って、アキちゃんの誕生日お祝いをしました🎶🎂
アキちゃんは焼肉が大好きで、中でもハラミとタンが好きです。
ハラミやタンを他のお店で単品で頼むと高くなるので、キングでお得にお腹一杯🍚にさせようという私の企みでした(  ̄▽ ̄)
本人もご満悦で良かったなぁと思いました。
その後、いもみは体調不良でダウンします…笑


さて本日は茨城県龍ヶ崎市の『女化(おなばけ)稲荷神社』のご紹介をしたいと思います🦊
女が化ける(・・?とても意味深な、、興味が湧く名前ですよね。
これは後述の「狐の恩返し」の女に化けたキツネに由来しています。
神社周辺は牛久市の女化町という地名ですが、女化神社は龍ケ崎市にあり、飛び地になっているそうですよ。

↓地図はこちらです↓

第2鳥居近くの駐車場は広くて台数もかなり停められると思います。
看板も出ていたのでわかりやすいです。
トイレは探したのですが、ちょっと分かりませんでした。
【追記】
トイレは拝殿を正面に見て、左手にありました。一見住宅の庭みたいですが、社務所の近くです。(鳥居でいうと第三鳥居あたりです)。

ちなみに、女化神社のすぐ近くには全国にある「ラーメンショップ」の中でも最強と噂される「ラーメンショップ牛久結束店」があって、お客さんが長蛇の列を作っていました。
tabelog.com

~創建~

1509年(永正6年)←こちらは社伝による
但し、諸説あって1190~1198年説もあります。
これは後述しますが、「狐の恩返し」の伝承が関わってくるからの様です。

~御祭神~

保食命(うけもちのかみ)を祀っています。
名前から連想されるように「食物」の神様が祀られています。
...保食命(うけもちのかみ)?なんか聞きおぼえが無い神様だったのでアキちゃんに聞いてみました。

~保食命・食物起源の神話について~

いもみ
「誰?」

アキちゃん
「不躾だね、しかし!不敬だし単刀直入だし!!( ゚Д゚)」

アキちゃん
「保食命は食物起源の神話に出てくる神様だよ。保食命に聞き覚えが無いのはいもみが好きな『古事記』には出てこないからじゃないかな?『日本書記』に登場するよ。食物起源の神話は『古事記』『日本書記』にそれぞれあるんだけど、登場する神様とか設定が違うんだよね。でも結果としてお米とか麦とかの五穀の種が出来る所は同じだよ('ω')ノ」

いもみ
「どういう話なの?(∩´∀`)∩ワクワク」

アキちゃん
「えっとね、『汚らわしい』って理由で惨殺された神様の死体から種が出来た話、かな('ω')ノ」

いもみ
「…えっ?( ゚Д゚)ジケン...ナノ?」

アキちゃん
「①『日本書紀』だと、天照大神の命令で、月読命(つきよみ)保食命の所に様子を見に行くの。月読命をもてなそうと保食命は、口からご飯とか魚とかを出すんだけど、月読命は『汚らわしい』と怒って保食命を惨殺するの。その後、保食神の死体の頭→牛馬、額→粟、眉→蚕、目→稗、腹→稲、陰部→麦・大豆・小豆が生まれたから天照大神はこれらを持ち帰らせて食物の種とした...という話なの('ω')ノ」

「②『古事記』だと、高天原を追放された須佐之男命(すさのお)がお腹を空かして、大気都比売神(おおげつひめのかみ)に食べ物を求めるんだけど、大気都比売神は鼻・口・お尻から食材を出し料理して須佐之男命にあげたら、『食物を汚した』と怒って大気都比売を殺してしまうの。その後、大気都比売の頭→蚕、目→稲、耳→粟、鼻→小豆、陰部→麦、尻→大豆が生まれて、神産巣日神(かみむすび)が五穀の種とした...という話なの('ω')ノ」

いもみ
「確かに口からとか、お尻から食べ物を出されたら...。でもだからって殺す??…まぁスサノオの名前が出てきた時点でフラグたった気はしたけど( ゚Д゚)」

アキちゃん
「『日本書記』にはこれに関係した話の続きがあって、天照大神が様子を見てきてと頼んだだけなのに、月読命が保食命を殺しちゃったから、天照大神は怒って、もう月読命とは会いたくないと言ったので『太陽(天照大神)と月(月読命)は昼と夜とに別れて出るようになった』んだって」

いもみ
「仲の悪い姉弟だな~(´・ω・`)ナカヨクシテ」

アキちゃん
「ちなみにそれぞれ殺されちゃった保食命と大気都比売神は、『陰部』という記述があるから女神だと考えられているんだよ('ω')ノ」

日本神話はホンットオカシイ面白いですよね!!

~ご利益~

五穀豊穣のご利益があります。
五穀豊穣の神様である保食神を祀る神社ですもんね(´ω`*)

🦊🌾🌾🌾🦊🌾🌾🌾🦊 狐の恩返しについて🦊🌾🌾🌾🦊🌾🌾🌾🦊

昔、根本の忠五郎という人物が、商売の帰りに女化原を通りかかったところ、猟師が眠っているキツネを見つけ射ようとしていました。忠五郎はキツネを哀れに思い、咳払いでキツネを起こして逃してあげました。そのキツネが助けられた恩に報いるため、女性に変身して忠五郎の妻となり、3人の子供をなしました。
しかし、ある日うたた寝をした女性(狐)は迂闊にも尻尾を出してしまい、これを子供たちに見られて正体を知られてしまいました。それを恥じた女性(狐)は「みどり子の母はと問わば女化の原に泣く泣く伏すと答えよ」と書置きを残して女化原に消え、二度と戻ることはなかったそうです。


なんとも切ない物語です…私が狐なら、正体を明かして「今度ペットとして飼ってはくれませぬか?( ´∀` )」とか言ってしまいそうです
なお、この伝承は色んな説があって、それぞれ読んでみたのですが「男がキツネを助け、キツネが女に化け男に嫁いで子をなし、正体がバレて姿を消す」という大筋は同じです。
ただ、この伝承の説によっては神社の創建年代が異なっていたり、正体がバレたキツネが残す言葉が違かったりします('ω')ノ
創建年に諸説あるのは、このためなんですね。

~奥の院の「お穴」~

⇒ちなみに女化稲荷神社から約300メートルほど離れた所に、女化稲荷神社奥の院があります。
先ほどご紹介した「キツネの恩返し」で正体がばれてしまったキツネが姿を隠したとされる「お穴」はこの奥の院の森にあります
私たちも行って見たのですが、こちらは駐車場が無く、どうやら女化稲荷神社から徒歩で行かなければならないようです。
残念だったのですが、こちらの訪問は諦めました(´・ω・`)


それでは境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ

稲荷神社の特徴でもある沢山の鳥居⛩️が並んでいました。
歩いてみたら想像以上の長い参道でした🚶‍♀️🚶‍♀️100メートル以上あったかもしれません。
鳥居を囲むように桜の木🌸が植えてありました。
春になったらきっと、綺麗な写真が撮れそうです📸


境内に入ったすぐ左側に社務所がありました。
年始は混雑するため御朱印を受け付けていないようでした。
御朱印を頂きに再度訪れてみたいと思います👍

側にはカッコいい✨龍🐉の灯籠がありました!

狛犬ならぬ!親子狐🦊の石像です。
「狐の恩返し」伝説をモチーフにして作られたものだそうです。
よく見てみると、親狐にぴったり寄り添っている子狐が愛らしいですよね(ノ≧▽≦)ノ
この子狐も「狐の恩返し」伝説をモチーフにしているそうですよ('ω')ノ

こちらが拝殿になります。
扁額が横書きになっていました。

拝殿に掛けられていた額絵が気になりました。

白装束を纏った女性から、光が放たれている画ですが、もしかして天照大御神かしら…(・・?

参拝後は周辺の散策をしました。


女化稲荷神社は、名前からして興味が湧く神社でした。
「狐の恩返し」という物語も初めて知りましたし、御祭神の保食命(うけもちのかみ)も初耳で戸惑いましたが、調べてみると面白い内容で、時間があっという間に過ぎてしまいました💦
心残りが御朱印を頂くことができなかったので、桜が咲くころに再び訪れてみようと思いました。


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本日のオマケ
ここで質問です。
「なぜ稲荷神社は鳥居が沢山あるのでしょうか?」

江戸時代から明治時代にかけて「鳥居を献ずることによって願いが通る(叶う)」という言われから、参拝者の奉納により建てられたそうです。
願いが通るたび、鳥居が増えていったみたいですよ!

今週のお題「手帳」

こんばんは、いもみ🍠です。


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今週のお題「手帳」についてですが、


私は手帳を使っていませんっ(∩´∀`)∩


お薬手帳ならありますが...笑


学生時代も予定を入れるときはスマホでした。


社会人になった今でもスケジュールはいつもスマホです。


スマホと家にあるカレンダーに予定を書いているので、この二つによって99.9パーセント管理ができています。


勿論手帳を持っていた時もありますが、無くてもいいと思った理由があるからです。


それは…


手帳を持たない理由


①荷物が増えるのがイヤだから。
→財布、スマホ、定期、ミニタオル、アルコール除菌、リップクリームが私のいつもの所持品です。休日はこれに御朱印帳が追加されます。


②手帳自体小さいのに、枠の中に小さい文字を書くことが苦手だから。
→目が悪いし、字も下手なので(´-ω-`)


③手帳を持っている自分に酔っているだけで、実際に使うことがなかったから。
→鞄から取り出す瞬間がカッコよく見えるだけで、あとは手帳の内容も自分も薄っぺらい存在だったので笑


③がほぼ占めていると思います(-ω-)/


スマホならスケジュールもアラームで教えてくれるし、字を間違えたとしても消す作業がめんどくさくないので、これからもスマホに頼る人生を送り続けると思います。


時代の流れに身を任せっぱなしのいもみでした。


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今週のお題「わたしの実家」

今週のお題「わたしの実家」
こんにちは、いもみ🍠です。


今週のお題「わたしの実家」...ちょっと前のテーマなのですが、アキちゃんにも聞いてみました。
アキちゃんはお正月に実家に帰省したので丁度いいかな~、と思って(´ω`*)


いもみ「アキちゃん、お正月のご実家はどうだった?(´ω`*)」


アキちゃん「ありがた苦しい(´・ω・`)」


いもみ「えっ?ありがた...苦しい?ありがた迷惑じゃなくて??」


アキちゃん「弟が一人いるんだけど…」


いもみ「うんうん」


アキちゃん「『あれ?実はもう一人弟いた?』『子供何人いたっけ??』って感じで、それはそれは大量のご飯が出てくるの( ゚Д゚)ナニコレ」


いもみ「それは…アキちゃんが帰ってきてご両親嬉しいんだよ~(´ω`*)」


アキちゃん「気持ちは分かるし嬉しいんだけど…食べ過ぎちゃって...だからありがた苦しい(´・ω・`)オナカガ...」


いもみ「大丈夫だよ!一緒にダイエット頑張ろう?(´ω`*)」


アキちゃん「アンタも食べ過ぎかいッ!( ゚Д゚)」


おしまい<(_ _)>


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茨城県龍ヶ崎市の【しだれ桜🌸】が有名な般若院に行ってきました!

おはようございます、いもみ🍠です。


昨日で記事の投稿が100になりました(*´▽`*)
ブログを始めてから、約3か月。
「御朱印集めが趣味」から始めたこのブログがきっかけで、古事記・神話・神社の由来や昔の偉人などこれまで知らなかった歴史について学ぶ楽しさを覚えることが出来ました!
私にとって大きな一歩になったと思います。


アキちゃんの協力や、なにより読者の皆さんの応援のお陰でここまで来れました!!
これからも分かりやすくて面白いブログを目指していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします(*- -)(*_ _)ペコリ


さて本日は茨城県龍ヶ崎市の【しだれ桜】が有名な『般若院』に行ってきたので、ご紹介したいと思います。

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昨日ご紹介した龍ヶ崎の八坂神社から近いので、満開シーズンに合わせて一緒に行ってみたいですよね(=゚ω゚)ノ

↓場所はコチラです↓

駐車所は般若院の境内に入った所にあります。
10数台は停められるスペースがあったと思います。
桜シーズンになるとすぐ車が埋まっちゃうと思うので、事前に他の駐車場を調べたほうがいいかもしれません💦
調べたところ、般若院まで徒歩10分程の距離に龍ヶ崎市役所があるのですが、こちらを臨時駐車場として利用出来るようです。

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矢印の看板で案内をしているので、分かりやすかったです。
側にはお手洗い🚽もあって便利でした。
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駐車場から桜を見に行く途中に御本堂がありました。
とても大きくて、立派な御本堂でした!
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しだれ桜は御本堂の裏手にあり、花が咲いていないにも関わらず圧倒的な存在感がありました!
雪が積もっている感じもなかなかいいですね(´ω`*)
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こちらの桜は「龍ヶ崎のしだれ桜」とも呼ばれ、樹齢は400年だそうです。
枝は東西15メートル、南北22メートルと圧巻のスケールでした( ゚Д゚)デカイ...!
さすが茨城県天然記念物に指定されている関東屈指のしだれ桜ですね!
この桜はエドヒガン(江戸彼岸)という品種だそうで、ソメイヨシノより1週間ほど開花が早く例年3月下旬頃に見頃を迎えるそうです。
別ショット📸
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公共機関で来る方は、門から正面本堂の左横を歩くと裏手にしだれ桜がありますよ。
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~創建~

978年(天元元年)に道珍法師によって創建されたとされています。
1000年以上の歴史があるんですね(´ω`*)

【追記】
御朱印を頂いてきました(´▽`*)

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春が季節の中で一番好きな私は、毎年桜が咲くのが楽しみです(*´ω`*)
般若院のしだれ桜を見ましたが、やっぱり満開に咲いた桜を見てみたい!とそう思わせるほどの迫力がありました。
夜にはライトアップもされるみたいですので、しだれ桜を見に般若院を訪れてみてはいかがでしょうか?

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本日のオマケ
部屋の壁を見たら、虹🌈が映っていました。
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関東三奇祭「撞舞」で有名な龍ヶ崎市の八坂神社に行ってきました❗

おはようございます、いもみ🍠です。


1月12日は「スキーの日」です。1911年1月12日、新潟県上越市高田でオーストリア人の少佐が日本人に始めてスキーを指導したことから出来た記念日です。
ちなみに私はスキーをやったことが無くて、いつかは挑戦しに行きたいなと思っています。運動神経は良くありませんが(`・ω・´)!!
また初心者が始めるならスキーがいいのか、またはスノボーがいいのかおススメを教えて頂ければ嬉しいです。
冗談は滑りっぱなしのいもみでした( ̄▽ ̄)
↑↑アキちゃん「おぉ...初スベりだ…(・∀・)メデタイ」


さて本日は茨城県龍ヶ崎市🐉の『八坂神社』についてご紹介したいと思います。

↓場所はコチラです↓

駐車場は通りに面した神社の正面にあります。
しかし、こちらは4台しか停められません…(´・ω・`)

でもご安心ください!臨時駐車場があります!!(´ω`*)ヨカッタ...
境内脇の細い道を進むとスグでした。入り口にも看板が出ていたのですぐわかると思いますよ?

ざっと数えた感じだと20台位は停められそうでした。
【追記】
こちらの臨時駐車場はお正月やお祭りの時しか解放されていないようです。
後日コチラに再訪した時は、臨時駐車場として使用できませんでした。
境内前の4台分の駐車スペースは大丈夫でしたよ<(_ _)>

~創建~

1186年、下河辺政義(しもこうべまさよし)が干拓事業を行った際、龍ヶ崎市貝原塚の鎮守神社である八坂大神の分御霊を祀ったのが始まりと言われています。
永享の乱(1438年)で下河辺氏は滅亡し、その後この地を治めた土岐氏も干拓を行い、この時に現在の上町に八坂神社を遷しました(1577年)


ここで登場した下河辺政義ですが、調べると面白いことが分かりましたのでちょっと脱線してご紹介しますね。
まずはどのような人物なのかですが、「源頼朝の近臣であり、合戦に長け忠勤であったことから頼朝の覚えが大変めでたかった人物」と伝わっています('ω')ノ
頼朝に初めから付き従っており、平氏討伐では九州にまで遠征しています。
この為頼朝は恩賞で常陸国の南部(茨城県龍ヶ崎市付近なのでしょうね)を与え、さらに雑税の免除をしています('ω')ノ
しかしこの後源義経の謀反が起きると、政義の舅に連座し領地を没収されています(但しその後御家人として復帰した記録あり)。


面白いのはこの下河辺政義の子孫は長谷川氏として続き、なんと池波正太郎の『鬼平犯科帳』で有名な火付盗賊改役・長谷川宣以(平蔵)を輩出しているんだそうです!凄いですねッ!!(゚Д゚)キャアァァ...←興奮する鬼平ファンのアキちゃん
ちなみに現在NHKの大河ドラマの『鎌倉殿の13人』の13人のうちに下河辺政義は入っていないのですが、どこかで登場するかもしれません。
楽しみですね!(´ω`*)

~御祭神~

建速須佐鳴神(たけはやすさのをのかみ)奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)を祀っています。


①建速須佐鳴神とはスサノオのことです。
スサノオは歴史書によって漢字の表記が違います
建速須佐鳴神は『古事記』の名前で、神仏習合では牛頭天王(ごずてんのう)などと表記しているんですよ('ω')ノ


何故「神仏習合では牛頭天王(ごずてんのう)などと表記」に触れたかと言うと、以下の点をご紹介したかったからです。


元々八坂神社は神仏分離令(神仏習合の慣習をやめ、神と仏の区別をハッキリさせること。1868年)により改名されていて、これ以前は「祇園神社」「祇園社」などと呼ばれていました('ω')ノ
「祇園神社」の時は牛頭天王が祇園精舎の守護神であり、同時に御祭神でした。
牛頭天王はスサノオと同神と見なされています。


②奇稲田姫神はスサノオの妻になる女神です。
ヤマタノオロチの生贄にされるところを、スサノオが結婚を条件にヤマタノオロチ退治を申し出て、退治の間は櫛になってました。
ちなみに奇稲田姫神は童女と表記されており、現在で言う所の少女です。この点からもスサノオはロリコンだったのか、と考えられます。

~ご利益~

無病息災のご利益があります。
八坂神社の御祭神の須佐之男命は疫病退散の御神徳があるのだそうですよ(^-^)


では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
鳥居です。


手水舎です。可愛いらしい龍さんの口から水が出ていました。

左が雌の狛犬で右が雄の狛犬です。
顔に特徴がありますね。

1780年(安永9年)に奉納された珍しい夫婦狛犬です。
写真の看板によると、その特徴とは...
①阿形と吽形 ②雌雄一対 ③人面のような顔
②、③は全国的にも珍しいようです。
狛犬の雌雄に分けたのは、八坂神社のご祭神が夫婦であるからだと考えられます。
雄側には冠、体には男性器が付いていて、雌側には右前足のつま先を立たせることで女性らしさを表現しているという説があるそうです。
呼吸まで合わせるように共に行動できる「阿吽の呼吸」なので、夫婦円満を象徴した狛犬です。
こちらが拝殿です。

拝殿をもっと近くで見てみると、上部には龍🐉が渦巻いていました!ヤマタノオロチを表しているのでしょうか?

本殿は老朽化のため柵がされてありましたが、柵の隙間から見てみると、緻密で繊細な彫刻が施されていました。

さまざまなストーリーが彫刻されていました。



本殿を拝見後、御朱印帳を頂きに仮設の社務所に行きました。
↓頂いた御朱印帳はコチラです↓ 初穂料2000円でした。墨書の御朱印付きでした(^-^)♪

imomiquest.com

八坂神社の御朱印は種類が豊富で迷ってしまいました!

↓こちらが頂いた御朱印です↓
赤い紙に金色の墨で書かれた「八坂神社」の文字には、見るからにパワーを頂けそうな予感が!
赤い紙は太陽を表しているそうです。初穂料300円でした。


墨書御朱印です。御朱印帳を頂いたときに付いていた御朱印です。

特別に頂いた御朱印です。初穂料500円でした。

龍ヶ崎八坂神社の「撞舞」は関東三奇祭の一つで、国の選択無形民俗文化財に指定されています。
毎年7月の下旬に3日間にわたり行われます。


市内の根町撞舞通りで行われ、最終日に蛙に扮した全身緑色の「雨がえる」と呼ばれる舞男が、高さ14メートルの柱の先でアクロバティックな舞を披露するそうです。豊作祈願、雨乞い、疫病除けの意味があると言われています。
去年の撞舞は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止だったそうですが、再び感染者も増え今年の開催が行われるかは、まだ未定のようですね。
八坂神社の疫病除けのご利益で、いち早くコロナが終息してくれることを願いたいですね。

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登場人物はすべて女性です👩

日本一早い豆まきで有名な下妻市の宗任神社に行ってきました❗

おはようございます、いもみ🍠です。


昨日は体調が悪く寝込んでしまったため、Aちゃんに頼みブログを仕上げてもらいました。
腹痛から始まり鼻の通りも悪く、風邪でもひいたかもしれません。
ちなみに熱は無いです。
早く体調が良くなって大好きなコーヒーとチョコレートが食べたい、いもみでした(ヽ''ω`)


さて本日は茨城県下妻市にある『宗任神社』のご紹介をしたいと思います!
読み方は「むねとう」神社です。


以前つくば市内にある『吉沼八幡神社』について調べていたところ、宗任神社にも「関連あり」ということが分かったので、早速行ってきました🚐

↓吉沼八幡神社の記事はこちらです↓

imomiquest.com


↓地図はこちらです↓


宗任神社は県道357号線沿いにあって、大きな看板のおかげですぐにわかりました。
駐車場は道路を挟んだ反対側にあります。入り口が少しわかりずらく、歩道橋側の信号を曲がる感じでした。
それぞれ10台ほど停められるスペースが2か所ありました。

~創建~

1109年(天仁2年)です。
宗任が亡くなる(1108年)と、家臣の松本秀則が宗任を祀る神社を創建したと伝わっています。
宗任神社を創建する際、地名を「宗道」と改めており、宗任神社のすぐ近くに宗道神社もありましたよ(^-^)

~御祭神~

安倍宗任、安倍貞任を祀っています。
この二人は兄弟(宗任が弟)です。


ここからはアキちゃんに説明してもらいます(´ω`*)

安倍宗任・貞任の兄弟は岩手県(陸奥国)を本拠地にしていた有力な豪族でしたが、朝廷への貢租を怠ったり軍を動かしたりしたことから懲罰の対象になります。
安倍氏は陸奥守の藤原登任を打ち破り(藤原登任は更迭)ますが、後任の陸奥守となった源頼義と戦い徐々に劣勢となり敗れています(前九年の役・1051~1062年)


この前九年の役の戦いのさなか、二人の父である頼時は戦死・兄の貞任も捕えられた後死亡します。
一人残った宗任は降服し、都へ連行された後、四国の伊予国(愛媛県)に流刑となります。
1067年には九州の筑前国(福岡県 )に再び流刑されました。
※前九年の役で勝者となった源頼義に由緒がある神社が、近くにある吉沼八幡神社(上の過去記事参考)なんです。


さて...実はこの安倍宗任には面白いお話が2つあります。
元首相の安倍晋三さんは、安倍宗任を祖とし44代目の末裔であるとしているそうなんです!(゚Д゚)マジカ!
いや~ビックリですね。岩手県にいた安倍宗任が、愛媛県・福岡県に流されなかったら...日本の歴史も変わっていたのでしょうか??
この情報の真贋を確かめるべく、私たちは宗任神社に訪れた際、神主さんに質問しています(そのやり取りは記事の最後にありますよ)。


②もう一つは『平家物語』から。
前九年の役に敗れ、都に連行された安倍宗任は都の貴族に「奥州の蝦夷は花の名など知らぬだろう」と、梅の花を見せられて「この花は何と言うか知っているか」と嘲笑されてしまいます。
この時宗任は「わが国の 梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ」(アキちゃん訳:私の国でいう梅の花だとは思いますが、都の人はこれをどういうのでしょうか)と歌で答えて都人を驚かせたという逸話が残っています。


元首相の安倍晋三さんは「桜」でモメていましたが、ご先祖様の「梅」の話のようにはいかなかったのでしょうか…(´・ω・`)

~日本一早い豆まき~

茨城県下妻市の宗任神社では、悪疫退散を祈る追儺(ついな)祭として毎年1日11日(午後5時~)に『日本一早い豆まき』が行われています
メディアの取材も毎年来るそうで、かなり有名です!
もしかして、今日のニュースで放送するかもしれませんね(´ω`*)
↓今年の詳細はコチラ↓

では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
鳥居です。まっすぐな参道の先には拝殿が見えました。


狛犬たちです。子どもがいたり、玉を前足で踏んでいました。

境内に入ると、右側に子授けのご利益があるとされる『子宝神社』がありました。
左右にシンボル的な…。

左側には、天皇陛下にまつわる石碑が建ち並んでいました。

参道脇に休憩する場所も設けてありました。
両脇の像が気になりますね。もしかして神主さんコレクターだったりするのかしら(・・?

他にも『霊神社』や『交通神社』などがあります。
こちらが霊神社です。

そして交通神社です。

日本国歌にも読まれる『さざれ石』がありました。
境内は奥行きがあり、しかもかなり立派な造りになっています。

こちらが拝殿です。

そして本殿です。

宗任を祀る神社を創建した松本秀則の像がありました。

頂いた御朱印はこちらです。

御朱印を書いてもらう間、神主さんと少しだけお話しすることができました。


アキちゃん「こちらの宗任神社さんは元首相の安倍さんと所縁があると聞いたのですが、いらっしゃったのでしょうか?」


神主さん「いや、安倍晋三さんの使いの人だね」


神主さん「安倍晋三さんの奥さんが行きたいと言ってたらしくてね、でも騒ぎが起こるからやめたみたいだよ」


アキちゃん「そうなんですね!
あとこちらの神社さんは、日本一豆まき👹をするのが早いと聞いたのですが…?」


神主さん「そうだよ、毎年1月11日にやるんだよ。5時からだよ、もう準備してるよ(⌒‐⌒)」

とお話してくださいました。
曜日は関係なく、毎年1月11日だそうです。
神主さん貴重なお話を、本当にありがとうございましたm(_ _)m

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本日のオマケ
他にも、拝殿横には木彫りの馬がいました。
人参🥕が献上されていました。

古墳の上に建つ珍しい水戸市の『愛宕神社』に行ってきました!

こんばんは、いもみ🍠です。


…と言いたいところですが、いもみが風邪で寝込んでしまったため、本日は私Aちゃんが代筆してお送りさせて頂きます。
ちなみに私は「アキ」というので、これを機に「Aちゃん」を改め『いもみの日記』では今後「アキ」で行きたいと思います。
そもそも、運転から始まって、古文書などの翻訳、由来や雑学もアクセスも私が調べることが多いので、むしろ『65%くらいアキの日記』でいいんじゃないかな?…
そう思います。
大体、いもみは…(以下、愚痴が延々と続く)。
...と言うことで、え~…


本日は、茨城県水戸市にあります『愛宕神社』のご紹介をしたいなと思います。
私は水戸市の出身なので、この機会に是非水戸市の魅力を知ってもらいたいです。
こちらの神社は、なんと愛宕山古墳という古墳の上に神社があるんですよ(^-^)


↓↓場所はこちらです。
住宅地の中にあるため道が細いのが難点です💦

駐車場は社務所の脇にあります。
大きな看板が出ているので、すぐに分ると思います。
駐車スペースはそうですね…10数台ってところかな??

駐車場からも神社に行けますが、私は下の写真の「P」から「現在地」の方に向かって進みました。
理由は昔父が案内してくれたのがコチラの道だったからですね。

入り口はこんな感じです。

階段を上がりますと、木陰の中の道を歩きます。

ちなみに駐車場の隣から境内に行く場合はこちらからあがります。
こちらは境内まで近く、こちらから行かれる方が多いと思います。


この続きはまた後ほど...
まず愛宕神社の説明をしたいな、と思います。

~創建~

938年に常陸大掾・平国香(たいらのくにか)が、山城国(京都)の愛宕神社から分霊を頂いて、常陸国府中(茨城県石岡市)に修めたのが始まりです。
 

現在地に至るまでの流れを資料を基に調べてみたので、簡単に見ていきましょう('ω')ノ
・938年  平国香が分霊を頂き、府中(茨城県石岡市)に修める
・1019年 平国香の子である貞盛が旧水戸城内に安置する
・1570頃 江戸道勝が水戸城外三の丸に遷座、一般の崇敬参拝が許される
・1580年 佐竹義宣が現在地に移す


こうして見ますと、とても古い歴史を持つ神社なのが分かりますね。
また冒頭でも触れましたが、この愛宕神社は古墳の上に建っています。
古墳の造営は600年の頃と考えられているのですが、誰のお墓か名前などは分かっていないそうです。
この古墳に眠る誰かも、1000年後に神社が建てられ、さらに1400年後にアキがこの地を訪れるなど想像も付かなかったことでしょう。

~常陸大掾と平国香・貞盛親子について~

⇒上記の「(常陸)大掾」という言葉は聞きなれませんよね?…と言うより私は初めて聞きました。
平国香・貞盛親子のことはご存じの方もいるかも…と思いますけど、より理解を深められるのでいもみより優しい私が簡単に触れてみようかな、と思います。


大掾(だいじょう)とは
⇒一言で言いますと、律令制での国司の官名です。
律令制では国司に「守・介・掾・目(「さかん」と読みます)」の四等官があり、「掾」は3番目のクラス、と言うことになります('ω')ノ


なお国司の制度は、国の規模や国力に応じて異なっていました。
高い位置づけの大国(上・中の国)には大掾・少掾が設置されましたが、低い位置付けの下国には掾が置かれませんでした。
常陸大掾という言葉で、常陸の国(茨城県)は高い位置づけにあった国だと分かりますね('ω')ノ


また大掾という職名は、家名にもなりました
承平天慶の乱で平将門を討ち取った平貞盛は、褒美に常陸国に大きな所領を得ています。その貞盛の甥・維幹は常陸大掾職に任命され、彼の子孫は代々大掾職を世襲したため、「大掾氏」と呼ばれるようになったとされています('ω')ノ


平国香・貞盛親子と維幹
⇒平将門の(承平天慶の)乱と関連しています。
時系列が分かりやすいかな?

①平国香
→平姓を賜与され臣籍降下し、坂東に下向します。常陸大掾の地位となり坂東平氏の勢力を拡大しますが、935年に甥の平将門に居館を焼かれて死亡。承平天慶の乱の発端となっていきます('ω')ノ
②平貞盛
→国香の子。将門は従兄弟。父の死後、常陸大掾に任官されます。将門に敗れ追い回されますが、藤原秀郷の応援を得て940年に平将門を討ち取り、常陸国に大きな所領を得ています('ω')ノ
③平維幹
→貞盛の甥(弟の子)。常陸大掾職に任命され、子孫は代々大掾職を世襲したため、「大掾氏」と呼ばれるようになりました('ω')ノ


...どうでしょうか?
ちょっと長くなりましたが、創建から将門の乱後までの繋がりでした。
※ここで気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、おかしい点がありますよね??


それは…
938年に平国香が分霊を頂き修めたのが(創建の)始まり」なのに対し、「935年平国香は甥の平将門に居館を焼かれて死亡」している点です。3年前に死んでる人間が、神社を建てたことになってしまいます。
さらに...
1019年に平国香の子である貞盛が旧水戸城内に安置する」とあったのですが、「平貞盛の没年は989年らしい」という点もよくわかりません(´・ω・`)?

色々調べてみたのですが、このタイムラグの矛盾は分かりませんでした…いもみが知ってるわけ無いし…(´・ω・`)
どなたか知っている方がいたら、是非教えて頂けると嬉しいです<(_ _)>


アキ的には、いずれかが史実・いずれかが伝説の類なのかな…?という認識です。

~御祭神~

火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を祀っています。


迦具土(かぐつち)は火の神様のことです('ω')ノ
イザナギとイザナミの神産みで生まれた火の神でしたが、出産時の火傷が原因でイザナミは死んでしまいます。
怒ったイザナギに十拳剣で首を切られて殺されてしまいます( ゚Д゚)!!ヒドイ!


この後イザナギが黄泉比良坂(よもつひらさか)を通って、黄泉の国にイザナギを迎えに行く話に繋がるのですが…これはまた別の機会に('ω')ノ

~ご利益~

商売繁盛・家内安全、火防守護にご利益があるとされています。


火の神様ですので、火難除けのご利益がある他、商売繁盛のご利益でも有名です(^-^)
これは「多くの商売は今でも火がないと成り立たない」からです。


​では、ここから境内のご紹介です。

こちらが拝殿です。
「いもみがいたら夢中で写真撮るんだろうな…」と思いつつパシャリ📸

「いもみは夢中でお餅食べて、寝正月なんだろうな…」と思いつつ、こちらもパシャリ📸

拝殿の隣に仮設(なのかも?)の社務所があって、御朱印はこちらから頂きました(=゚ω゚)ノ

社務所は駐車場の隣にありましたので、普段はこちらから頂くのかも。

頂いた御朱印はこちらです。

御朱印を頂いた後、境内を散策してみました。
広くはありませんが、掃き清められていてとても清々しいです(´ω`*)
まずこちらが本殿ですね('ω')ノ

「いもみも運転してくれないかな…」と思いつつ反対側からもパシャリ📸
獅子舞?狛犬?みたいな可愛いものが…

境内には天満宮がありました。

拝殿・本殿を中心に石畳がグルリ。歩きやすかったです(^-^)♪


以上『愛宕神社』のご紹介でした!
今回はいもみが風邪で寝込んでしまったのですが、「どうしても(ブログ更新に)穴を空けたくない」というので、私アキが代筆してみました('ω')ノ
次回からは『いもみの日記』でなく『アキの日記』として皆様に有益な情報をお届けする予定です、どうぞお楽しみに!
駄文失礼しました、分かりづらかったらごめんなさい<(_ _)>

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ
愛宕神社のすぐ近くに『曝井(さらしい)』があります。
曝井とは「清らかな泉が湧き出て、夏になると付近の乙女たちが集まり、布を洗い、陽に曝す乾かした」所です。

こんな雰囲気です。竹林に囲まれとても静かで落ち着きます。

ちなみにいもみは「夏になると涼しい場所でお腹を曝して昼寝」しています。
これを『曝寝(さらしね)』と命名しようと思います。