こんばんは、いもみ🍠です。
…と言いたいところですが、いもみが風邪で寝込んでしまったため、本日は私Aちゃんが代筆してお送りさせて頂きます。
ちなみに私は「アキ」というので、これを機に「Aちゃん」を改め『いもみの日記』では今後「アキ」で行きたいと思います。
そもそも、運転から始まって、古文書などの翻訳、由来や雑学もアクセスも私が調べることが多いので、むしろ『65%くらいアキの日記』でいいんじゃないかな?…
そう思います。
大体、いもみは…(以下、愚痴が延々と続く)。
...と言うことで、え~…
本日は、茨城県水戸市にあります『愛宕神社』のご紹介をしたいなと思います。
私は水戸市の出身なので、この機会に是非水戸市の魅力を知ってもらいたいです。
こちらの神社は、なんと愛宕山古墳という古墳の上に神社があるんですよ(^-^)
↓↓場所はこちらです。
住宅地の中にあるため道が細いのが難点です💦
駐車場は社務所の脇にあります。
大きな看板が出ているので、すぐに分ると思います。
駐車スペースはそうですね…10数台ってところかな??
駐車場からも神社に行けますが、私は下の写真の「P」から「現在地」の方に向かって進みました。
理由は昔父が案内してくれたのがコチラの道だったからですね。
入り口はこんな感じです。
階段を上がりますと、木陰の中の道を歩きます。
ちなみに駐車場の隣から境内に行く場合はこちらからあがります。
こちらは境内まで近く、こちらから行かれる方が多いと思います。
この続きはまた後ほど...
まず愛宕神社の説明をしたいな、と思います。
~創建~
⇒938年に常陸大掾・平国香(たいらのくにか)が、山城国(京都)の愛宕神社から分霊を頂いて、常陸国府中(茨城県石岡市)に修めたのが始まりです。
現在地に至るまでの流れを資料を基に調べてみたので、簡単に見ていきましょう('ω')ノ
・938年 平国香が分霊を頂き、府中(茨城県石岡市)に修める
・1019年 平国香の子である貞盛が旧水戸城内に安置する
・1570頃 江戸道勝が水戸城外三の丸に遷座、一般の崇敬参拝が許される
・1580年 佐竹義宣が現在地に移す
こうして見ますと、とても古い歴史を持つ神社なのが分かりますね。
また冒頭でも触れましたが、この愛宕神社は古墳の上に建っています。
古墳の造営は600年の頃と考えられているのですが、誰のお墓か名前などは分かっていないそうです。
この古墳に眠る誰かも、1000年後に神社が建てられ、さらに1400年後にアキがこの地を訪れるなど想像も付かなかったことでしょう。
~常陸大掾と平国香・貞盛親子について~
⇒上記の「(常陸)大掾」という言葉は聞きなれませんよね?…と言うより私は初めて聞きました。
平国香・貞盛親子のことはご存じの方もいるかも…と思いますけど、より理解を深められるのでいもみより優しい私が簡単に触れてみようかな、と思います。
・大掾(だいじょう)とは
⇒一言で言いますと、律令制での国司の官名です。
律令制では国司に「守・介・掾・目(「さかん」と読みます)」の四等官があり、「掾」は3番目のクラス、と言うことになります('ω')ノ
なお国司の制度は、国の規模や国力に応じて異なっていました。
高い位置づけの大国(上・中の国)には大掾・少掾が設置されましたが、低い位置付けの下国には掾が置かれませんでした。
常陸大掾という言葉で、常陸の国(茨城県)は高い位置づけにあった国だと分かりますね('ω')ノ
また大掾という職名は、家名にもなりました。
承平天慶の乱で平将門を討ち取った平貞盛は、褒美に常陸国に大きな所領を得ています。その貞盛の甥・維幹は常陸大掾職に任命され、彼の子孫は代々大掾職を世襲したため、「大掾氏」と呼ばれるようになったとされています('ω')ノ
・平国香・貞盛親子と維幹
⇒平将門の(承平天慶の)乱と関連しています。
時系列が分かりやすいかな?
①平国香
→平姓を賜与され臣籍降下し、坂東に下向します。常陸大掾の地位となり坂東平氏の勢力を拡大しますが、935年に甥の平将門に居館を焼かれて死亡。承平天慶の乱の発端となっていきます('ω')ノ
②平貞盛
→国香の子。将門は従兄弟。父の死後、常陸大掾に任官されます。将門に敗れ追い回されますが、藤原秀郷の応援を得て940年に平将門を討ち取り、常陸国に大きな所領を得ています('ω')ノ
③平維幹
→貞盛の甥(弟の子)。常陸大掾職に任命され、子孫は代々大掾職を世襲したため、「大掾氏」と呼ばれるようになりました('ω')ノ
...どうでしょうか?
ちょっと長くなりましたが、創建から将門の乱後までの繋がりでした。
※ここで気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、おかしい点がありますよね??
それは…
「938年に平国香が分霊を頂き修めたのが(創建の)始まり」なのに対し、「935年平国香は甥の平将門に居館を焼かれて死亡」している点です。3年前に死んでる人間が、神社を建てたことになってしまいます。
さらに...
「1019年に平国香の子である貞盛が旧水戸城内に安置する」とあったのですが、「平貞盛の没年は989年らしい」という点もよくわかりません(´・ω・`)?
色々調べてみたのですが、このタイムラグの矛盾は分かりませんでした…いもみが知ってるわけ無いし…(´・ω・`)
どなたか知っている方がいたら、是非教えて頂けると嬉しいです<(_ _)>
アキ的には、いずれかが史実・いずれかが伝説の類なのかな…?という認識です。
~御祭神~
⇒火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を祀っています。
迦具土(かぐつち)は火の神様のことです('ω')ノ
イザナギとイザナミの神産みで生まれた火の神でしたが、出産時の火傷が原因でイザナミは死んでしまいます。
怒ったイザナギに十拳剣で首を切られて殺されてしまいます( ゚Д゚)!!ヒドイ!
この後イザナギが黄泉比良坂(よもつひらさか)を通って、黄泉の国にイザナギを迎えに行く話に繋がるのですが…これはまた別の機会に('ω')ノ
~ご利益~
⇒商売繁盛・家内安全、火防守護にご利益があるとされています。
火の神様ですので、火難除けのご利益がある他、商売繁盛のご利益でも有名です(^-^)
これは「多くの商売は今でも火がないと成り立たない」からです。
では、ここから境内のご紹介です。
こちらが拝殿です。
「いもみがいたら夢中で写真撮るんだろうな…」と思いつつパシャリ📸
「いもみは夢中でお餅食べて、寝正月なんだろうな…」と思いつつ、こちらもパシャリ📸
拝殿の隣に仮設(なのかも?)の社務所があって、御朱印はこちらから頂きました(=゚ω゚)ノ
社務所は駐車場の隣にありましたので、普段はこちらから頂くのかも。
頂いた御朱印はこちらです。
御朱印を頂いた後、境内を散策してみました。
広くはありませんが、掃き清められていてとても清々しいです(´ω`*)
まずこちらが本殿ですね('ω')ノ
「いもみも運転してくれないかな…」と思いつつ反対側からもパシャリ📸
獅子舞?狛犬?みたいな可愛いものが…
境内には天満宮がありました。
拝殿・本殿を中心に石畳がグルリ。歩きやすかったです(^-^)♪
以上『愛宕神社』のご紹介でした!
今回はいもみが風邪で寝込んでしまったのですが、「どうしても(ブログ更新に)穴を空けたくない」というので、私アキが代筆してみました('ω')ノ
次回からは『いもみの日記』でなく『アキの日記』として皆様に有益な情報をお届けする予定です、どうぞお楽しみに!
駄文失礼しました、分かりづらかったらごめんなさい<(_ _)>
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
※本日のおまけは一番下にあります。
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~本日のオマケ~
愛宕神社のすぐ近くに『曝井(さらしい)』があります。
曝井とは「清らかな泉が湧き出て、夏になると付近の乙女たちが集まり、布を洗い、陽に曝す乾かした」所です。
こんな雰囲気です。竹林に囲まれとても静かで落ち着きます。
ちなみにいもみは「夏になると涼しい場所でお腹を曝して昼寝」しています。
これを『曝寝(さらしね)』と命名しようと思います。