いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文⑪~天武天皇の即位~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑪~天武天皇の即位~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
天武天皇(大海人皇子)は車駕(しゃが)の用意を待たずに進撃を開始しました。
やがて車駕(しゃが)の用意が間に合ったので、それに乗り換えて山川を進軍しました。
天武天皇(大海人皇子)の率いる軍団は雷鳴の如く威勢があり、(配下の諸侯の軍も)雷のごとく迅速に進撃しました。
赤の軍装の味方の軍の兵達は猛々しく、刀槍を高く掲げて士気高く、戦場で躍動し、そして大友皇子の近江朝廷軍は敗れたのです。

天智天皇崩御後に起きた、天皇の嫡男・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子の後継者争いである壬申の乱は、大海人皇子の勝利によって終息しました。
今回は、壬申の乱後~天武天皇即位迄の事が描かれています。

『古事記』序文⑪~天武天皇の即位~

【原文と読み方】
【原文】
未移浹辰。氣沴自清。
乃。放牛息馬。愷悌歸於華夏。卷旌戢戈。儛詠停於都邑。
歳次大梁。月踵俠鍾。清原大宮。昇即天位。

【読み方】
未だ浹辰(しょうしん)を移さずして、氣沴(きれい)自ずから清まりぬ。
乃(すなはち)、牛を放ち馬を息(いこ)い、愷悌(がいてい)して華夏(かか)に歸(かえ)り、旌(はた)を卷き戈ほこを戢をさめ、儛詠ぶえいして都邑に停まりたまひき。
歳ほしは大糜に次やどり、月は夾鐘に踵あたり、清原の大宮にして、昇りて天位に即つきたまひき。

【訳】
戦いの後の混乱は、短時間のうちに自ずとおさまりました。
戦後の混乱がおさまったのを見届けてから、軍で使った牛馬を休ませて、穏やかな気持ちで都に凱旋しました。
軍旗や武器も片付けられ、代わりに舞を踊り、歌を詠むなどして、都(大和の国)に平和が訪れました。
そして、673年癸酉(みずのととり)の年の2月に、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)において天武天皇が即位されました。


【解説】
未移浹辰。氣沴自清。
「浹」は「あまね(く)、めぐ(る)」と読みます。
「広く行き渡る。一巡りする」の意味です。
「辰」は「十二支」ですね。
そしてこの二つを掛け合わせた「浹辰」を「しょうしん」と読み、「12日間、短時間で」という意味があるのです。
いや~知りませんでした。
最初は「12年間」と訳すと思ってしまったので「長ッ!」と突っ込んでしまいました…。
「氣」は多くの意味がありますが「異様な様子、ただならぬ雰囲気」という意味もあります。
「沴」は「れい」と読みます。
「悪気、不吉な気配」の意味です。
「自清」は「自ずと清らかになった」という事でしょう。

戦いの後の混乱が収まってきた様子を書いているのだと思い、「戦いの後の混乱は短時間のうちに自ずとおさまりました」と訳しました。

乃。放牛息馬。愷悌歸於華夏。
「乃」は「すなわち」。接続詞ですね。
「放牛息馬」は「牛を放し、馬を(息=憩い=)休ませた」です。
荷駄として使った牛と、軍馬としての馬を休ませた…戦いは終わった、ということを表現しているのでしょう。
「そういえば【軍馬】は聞くけど【軍牛】って聞かないな~」ってことで「軍で使った牛馬は休ませた」としました。
「愷悌」は「がいてい」と読みます。難しいですね。
「穏やかな、和らいで楽しむ」という意味があります。
「歸」は「帰」です。
読みも意味も同じで「帰る」です。
「華夏」は「かか」と読みます。
「華(はなやか、の意)」+「夏(盛ん、の意)」で「文化の開けた地=都」を指します。
都はここでは「大和の国」でしょう。

「戦いは終わり、混乱も収まってきたのを見届けてから、軍で使った牛馬は休ませて、穏やかな気持ちで大和の国に凱旋しました」と訳しました。


卷旌戢戈。儛詠停於都邑。

「旌」は「旗」です。「軍旗」の事でしょう。
「戢」は「しゅう」と読みます。
「武器を集めてしまう」と言う意味です。
「戈」は「ほこ」。武器ですね。
「儛詠」は「舞い、歌を詠む」です。
「停」は「とどまる」です。
「都邑」は「とゆう」と読みます。
「都」の意味です。

「軍旗や武器は片付けられ、代わりに舞を踊り、歌を詠むなどして、都(大和の国)に平和が訪れました」と訳してみました。

歳次大梁。月踵夾鍾。清原大宮。昇即天位。
「歲次」は「さいじ」と読みます。
「年、年まわり」の意味です。
「大梁」は「たいりょう」と読みます。
「酉年」という意味です。
天武天皇が即位した673年は癸酉(みずのととり)の年なので、これを指しているのでしょう。
「踵」は、訓読みで「いたる、あたる」とも読むそうです。
意味も「至る」です。
「夾鍾」は「きょうしょう」と読みます。
「陰暦二月」の異称です。
「清原大宮」は以前もご説明しましたが、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)を指し、奈良県明日香村飛鳥にあったと考えられている天武天皇の宮の事です。

直訳すると「酉年の年、陰暦二月に至って、清原大宮で即位しました」ですが…。

もう少し言葉を足して「673年癸酉(みずのととり)の年の2月に、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)において天武天皇が即位されました」と訳しました。



以上で『古事記』序文⑪~天武天皇の即位~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑫~天武天皇の統治(1)~をご紹介する予定です。

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『古事記』序文⑩~壬申の乱~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑩~壬申の乱~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
しかしながら、まだ機が熟していなかったので、天智天皇からの皇位継承の打診を辞退して出家し吉野で隠棲しました。
やがて、不破道(ふわのみち)以東を抑えた天武天皇のもとに軍勢が揃い、虎が翼を得たごとく進軍を開始しました。

大海人皇子(天武天皇)がついに挙兵し、進軍を開始。
今回は、壬申の乱の大友皇子の近江朝廷側との戦いから勝利をおさめる所までが描かれています。
挙兵に至るまでの時代背景についても前回、ご紹介しました。
そこで今回は本文をご紹介する前に、壬申の乱が挙兵以降どのように推移したかを簡単に説明しておこうと思います。

【壬申の乱・大海人皇子の挙兵後】
天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天皇の嫡男・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子が対立します。
大海人皇子は兄の天智天皇からの皇位継承の打診を辞退し吉野に入り隠棲、豪族らと通じて戦の準備を進めていました。
そして大海人皇子は、わずかな従者と共に私領のあった美濃へ向かい挙兵します。

※以下は旧暦ではありません。
・672年1月7日 天智天皇が崩御(46歳)
→大友皇子が後継者としてその跡を継ぐ
・7月24日 大海人皇子が吉野を出立
→伊賀と伊勢国(三重県)で兵を得て、美濃に向かう
・7月31日 大和と近江の二方面へ進軍開始
→東西の要所であった不破の道を封鎖し東海道・東山道の兵を動員
→大友皇子側も同日美濃に向けて進撃を開始
・8月8日 近江国北東部・息長(おきなが)で戦端を開く
→以後、大海人皇子側の連戦連勝となる
・8月20日 瀬田橋の戦い
→大友皇子側の近江朝廷軍が大敗
・8月21日 大友皇子自害
→壬申の乱終息
・673年2月 大海人皇子即位し、天武天皇誕生
…といった流れとなります。
では本文に戻ります。

『古事記』序文⑩~壬申の乱~

【原文と読み方】
【原文】
皇輿忽駕。凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛擧威。猛士烟起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。

【読み方】
皇輿たちまち駕して、山川を凌ぎ渡り、六師(りくし)雷震(らいしん)のごとく、三軍(さんぐん)電のごとく逝きき。杖と矛威を擧(あ)げて、猛士烟のごとく起り、絳(あか)き旗兵を耀かして、凶徒瓦のごとく解けぬ。

【訳】
天武天皇(大海人皇子)は車駕(しゃが)の用意を待たずに進撃を開始しました。
やがて車駕(しゃが)の用意が間に合ったので、それに乗り換えて山川を進軍しました。
天武天皇(大海人皇子)の率いる軍団は雷鳴の如く威勢があり、(配下の諸侯の軍も)雷のごとく迅速に進撃しました。
赤の軍装の味方の軍の兵達は猛々しく、刀槍を高く掲げて士気高く、戦場で躍動し、そして大友皇子の近江朝廷軍は敗れたのです。


【解説】
皇輿忽駕。凌渡山川。
「皇」はここでは「大海人皇子」もしくは「天武天皇」の事でしょう。
「輿」は「こし、くるま」の意味ですね。
「忽」は読みも意味も「たちまち、にわかに」です。
「駕」は読みも意味も「のりもの」です。
なお「天子が行幸の際に乗る車」を「車駕(しゃが)」と言います。
ここでは「駕=車駕(しゃが)」と訳すことにします。
「凌」は「しの(ぐ)」と読み「しのぐ、越える」の意味です。

直訳すると「天武天皇(大海人皇子)はたちまち車に乗って山を越え、川を渡った」でしょうか。
「なに?たちまち車に乗るって??」となっちゃいますが、壬申の乱で大海人皇子がいざ出陣と言う時、車駕の用意が間に合わず馬に跨った、という事があります。
それで慌てて家臣が車駕を用意して…という流れだった様なので、「天武天皇(大海人皇子)は車駕(しゃが)の用意を待たずに進撃を開始しました。やがて車駕(しゃが)の用意が間に合ったので、それに乗り換えて山川を進軍しました」と訳しました。


六師雷震。三軍電逝。
「六師」は「りくし」と読みます。
「天子・天皇の率いる軍隊」と言う意味です。
中国の軍制で、王様の統率する六つの軍団を六軍(りくぐん)と言い、ここから来ています。
ちなみに「一軍は12500人」ですが、ここは「大軍」を表していると思います。
「雷震」は「らいしん」と読みます。
「雷鳴がとどろく」と言う意味です。ここでは進軍の様子を表しているのでしょう。
「三軍」はそのまま「さんぐん」と読みます。
上の「六師(りくし)」と何が違うの?となりますが、「三軍」は「諸侯の軍」の意味です。
「一軍は12500人」というのも同じです。
ここも「大軍」を表しているのでしょう。
「電逝」は「雷の様に速く行く」という意味でしょう。
進軍が早いことを表現していると思います。

そんな訳で「天武天皇(大海人皇子)の率いる軍団は雷鳴の如く威勢があり、(配下の諸侯の軍も)雷のごとく迅速に進撃した」と訳してみました。


杖矛擧威。猛士烟起。
「矛」は「ほこ」と読みます。「武器」ですね。
「擧」は「挙」です。「あげる、高く持ち上げる」と言う意味があります。
「猛」は「たけだけしい、荒々しい」の意味です。
「士」は「兵士」ですね。
「烟起」ですが…「煙に立つ」って意味分かりません。
戦争に関わる煙?…狼煙?行軍の時の土煙??なんかシックリきません。
そこで前後の文脈と、漫画【キングダム】での戦闘シーンの順を追ってみました。
果たして「烟起」はどの部分に該当するのかしら...?
まず、文脈ですと①進軍してます→②武器持ってます→③猛々しい兵士が「烟起」してます→④この後敵を撃破したこと、が書かれています。
次に【キングダム】。①と②は同じです…で兵士が次何してるかと言うと③兵士は「陣形作って、士気揚げて」ました!で、④戦闘してます。

つまり③「烟起」は「陣形作って、士気揚げて」ってことじゃないかしら?
確かに陣形作って軍が動けば「土埃」たつし、「起」って「士気」があがった感じかしら?
…と考えて「兵達は猛々しく、刀槍を高く掲げて士気高く」と訳しました。


絳旗耀兵。凶徒瓦解。
「絳」は「赤」という意味です。
「耀」は「輝く」と言う意味です。
「凶徒」は「謀反人、悪者」の意味で、ここでは「大友皇子側の近江朝廷軍」の事でしょう。
「瓦解」は「一部の乱れ、破れが広がり全体が壊れること」です。

直訳すると「兵は赤い旗で輝き、大友皇子側の近江朝廷軍は崩れた」です。
「赤い旗って?」と思って調べてみたら、『味方の軍と、近江朝廷軍と見分けがつかないから、味方に赤い服(鎧?)を着せた』みたいなことが書いてあったので、味方の旗は赤かったのでしょう。
「旗が輝いた」のは「戦場で赤が目立った→躍動した」というニュアンスで訳してみました。
なので「赤の軍装の味方の軍は戦場で躍動し、大友皇子の近江朝廷軍は敗れた」と訳しました。

【キングダム】面白いし、役立つな~。

以上で『古事記』序文⑩~壬申の乱~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑪~天武天皇の即位~をご紹介する予定です。

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いもみのエキゾチックな夏シリーズ

今週のお題「人生最大のピンチ」

おはようございます、いもみ🍠です。今週のお題「人生最大のピンチ」
について語りたいと思います!

全国大会にいきなり選出事件

私が高校2年生で、夏休みに入ったばかりの頃のお話です。

家には私と姉の2人だけで、畳の部屋でお昼寝をしていたところに、1本の電話が鳴りました。

姉が眠むそうにブツブツ言いながら、電話に出ると

「いもみ!アンタの高校の先生からだよ!!」と私に受話器を渡しました。

私は「はっ??なんで…」と思いながらも恐る恐る電話に出てみると、担任のA先生ではなくて、お隣の農業科のJ先生からの電話でした。

J先生とは、私の母校でボクシング部の顧問をしていて、見た目も性格もかなり怖めの人で、ほとんど面識がない先生でした。

J先生は「この前やったテストで成績上位だったから、今年の○○の全国大会に出場のため明日から学校へ来るように!」と要件を伝えて電話を切ってしまいました。

まさに青天の霹靂!!そしてピンチ!(´;ω;`)ウゥゥ

私は何が起こったのか、寝ぼけていて夢なのか現実なのか…何が何だか整理がつかないまま担任A先生へ電話。

担任は「あー、J先生にロックオンされたね(⌒∇⌒)」と笑いながら私に言い、私はやっと事の重大さに気付きました。

○○の全国大会っていうのは農業の全国大会のことで、農業学校で選ばれた人たちが10月に大きい会場に集まって試験を受けて、そこで良い成績を取った人が賞を取れるというものなんです。

当時の私はそんな大会があるなんて、まったく知らなかったし、しかもその担当の先生がまさかのJ先生だったので、めちゃくちゃ怖いのに断ることも出来ないしで...。

ガクブルで翌日待ち合わせの場所へ行きました(=゚ω゚)ヒィィ...


J先生のサンダルを擦りながら歩く音に怯えていたのですが…
「お前の部門は俺じゃ教えられないから、家庭科のT先生に教わってもらってな!」
と案外優しい口調で言ってくれたので、内心ε-(´∀`*)ホッとしました。

「つーか、教えるのアンタじゃないんかいッ!!」と突っ込む余裕も生まれました。

その怖いJ先生から離れて勉強が出来るという事も安心ポイントでした。

…というのは実は思い込みで、結局怖いJ先生が見張る中、勉強しなくてはいけませんでしたが(゚∀゚)ヒィィ...

私の他にも2人選ばれた同級性がいて、なんだかんだ文句を言いながら楽しくワイワイ勉強ができました。

その怖いJ先生にも段々と慣れて、可愛がってくれた記憶があります(´ω`*)

大会で賞は取れなかったものの、観光もできて美味しいモノを食べれたのでとても楽しかったです。

「全国大会に出場しろ」ってなったときは半強制的でとてもイヤだったんですが、大会まで過ごした日々はとても面白くて、楽しい思い出になりました♪

J先生にはとてもお世話になりました。

私の高校生活を楽しくしてくれたキッカケを作ってくれた先生には感謝感謝です。

家に電話がかかってきた時は「怖えぇッ!」「あぁ…終わった...」など「人生最大のピンチ」だと思ったものですが…分からないものですね(´ω`*)


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今日から甲子園⚾
千葉県代表は「市立船橋」
ガンバレ~!!

『古事記』序文⑨~虎步於東國~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑨~虎步於東國~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
飛鳥浄御原宮で、日本全国を治めた天武天皇の治世においては、天武天皇が皇太子の頃は、まだ世に出る時ではありませんでしたが、自分が何を成すか啓示があり、やるべきことを占いで告げられて、やがて機が熟し雷鳴が鳴り響くように世に出られ即位されました。

前回で天武天皇(この時点では大海人皇子ですが)は『自分が天皇になるべき身であることを自覚』したことが語られました。
この後、話はいよいよ壬申の乱に至るのですが、今回は挙兵までの話が述べられています。

『古事記』序文⑨~虎步於東國~

【原文と読み方】
【原文】
然 天時未臻。蟬蛻於南山。人事共給。虎步於東國。

【読み方】
然れども、天の時いまだ臻(いたら)ざりし、南の山に蝉のごとく蛻(もぬけ)、人と事と共に給(た)りて、東の國に虎のごとく歩みたまひき。

【訳】
しかしながら、まだ機が熟していなかったので、天智天皇からの皇位継承の打診を辞退して出家し吉野で隠棲しました。
やがて、不破道(ふわのみち)以東を抑えた天武天皇のもとに軍勢が揃い、虎が翼を得たごとく進軍を開始しました。


【解説】
然 天時未臻。
「然」は「しかし」です。
「臻」は難しい字ですが、訓読みで「いた(る)、おお(い)」。
意味はそのまま「至る」です。
ですから「未臻」で「まだ至っていない」となります。

直訳すると「しかしまだ天の時に至っていないので」となります。
ここでの「天の時」とは何か?
これを知るには、天武天皇の即位迄の時代背景について知っておくと分かりやすいので、簡単にまとめてみました。

天武天皇の即位まで
天武天皇が誕生するまでの当時の社会情勢はまさしく激動の時代でした。
国内では645年、中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺する乙巳の変(いっしのへん)が起き、国外では百済滅亡・救援に伴って起きた663年の白村江の戦いに敗戦していました。
政情の不安定化に対し、中央集権体制を進めたため豪族からの反発は強まり、さらに唐の侵攻に備えた人的・経済的負担は莫大であったため国内では不満がくすぶっていたのです。
こういう背景の中、672年、皇室内において天智天皇の後継者争いが原因で壬申の乱が勃発しました。
天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天皇の嫡男・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子が対立し、古代における最大の内乱となったのです。

天智天皇が嫡男・大友皇子を太政大臣に就任させたことで、大海人皇子は兄の天智天皇からの皇位継承の打診を辞退し、出家するとして吉野に入り、隠棲しました。
吉野で隠棲した大海人皇子は、不満を持つ豪族らと通じて戦の準備を進めていました。
そして、吉野を出た大海人皇子は、わずかな従者と共に私領のあった美濃へ向かい挙兵。
最後は瀬田橋の戦いで、大友皇子の近江朝廷側を打ち破り、大友皇子は自害しました。

…こうして天武天皇の即位へと至るのですが、上の文はまだ「挙兵の時ではなかった」ことを指して「天の時」と言っている様です。
そこで「しかしながら、まだ機が熟していなかったので」と訳してみました。


蟬蛻於南山。
「蟬蛻」は「セミの抜け殻」です。
「南山」は「南の山=吉野山」を指します。

直訳だと「吉野山でセミの抜け殻」。
何言ってんの?と思われるでしょうが、これは上記の「天智天皇からの皇位継承の打診を辞退し、出家するとして吉野に入り、隠棲した」部分の事を言っているのだと思います。
つまり「天智天皇からの皇位継承の打診を辞退して出家し吉野で隠棲した」と訳しました。


人事共給。虎步於東國。
「給」は「足りないものを足す」といった意味です。
「人事共給」とは要するに、「人事=軍勢が」「足りた=揃った」という意味でしょう。
※ちなみに6月24日に「軍勢が膨れ上がった」との記載があります。
「虎」は「軍勢を得て、虎に翼が生えた様子」を表していると読みました。
「歩」は「軍勢が歩く=進軍した」と読みました。
「東國」について補足しますと、壬申の乱はザックリ言いますと、美濃(岐阜県)を境にした東軍と西軍の争いです。
もっと厳密にいうと美濃・不破道(ふわのみち)を境にした東西でしょうか。
不破道は、当時東西の出入口となっており、ここを押さえたことで、大海人皇子が優位となった、と考えられています。
つまり「東國」と言うと関東・東北も含みそうですが、ここでは「不破道以東」というニュアンスで考えています。

そんな訳で「やがて、不破道(ふわのみち)以東を抑えた天武天皇のもとに軍勢が揃い、虎が翼を得たごとく進軍を開始した」と訳してみました。

以上で『古事記』序文⑨~虎步於東國~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑩~壬申の乱~をご紹介する予定です。

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いもみのエキゾチックな夏シリーズ

『古事記』序文⑧~飛鳥清原大宮・天武天皇の御世~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』序文⑧~飛鳥清原大宮・天武天皇の御世~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
歴代天皇の政策の進捗の速度(※若しくは保守かリベラルか)はそれぞれ異なっていましたし、政策の内容も華やかなものもあれば、質素なものもありました。
また古く廃れた政策や習わしは、その都度時代にあわせて改めなおしました。
このように時代の変化に合わせ、制度や教えを改善することは常に行われてきたのです。

【古事記・序文】は大きく分けると、①古事記の思想・本文の要約②古事記の企画③古事記の成立、に分かれています。
昨日分までで①の分が終わりました…やっとか~、凄い時間かかりましたね…。
本日からは②以降のお話です。

『古事記』序文⑧~飛鳥清原大宮・天武天皇の御世~

【原文と読み方】
【原文】
曁飛鳥清原大宮。御大八洲天皇御世。濳龍體元。洊雷應期。聞夢歌而想纂業。投夜水而知承基。

【読み方】
飛鳥(あすか)の清原(きよみはら)の大宮に、大八洲(おおやしま)を御(おさ)めたまう天皇の御世(みよ)に曁(およ)びて、潛龍(せんりょう)元(はじめ)を體(体=たい)し、洊雷、期に應(おう)ず。夢の歌を聞きて業を纂め、夜の水に投いたりて、基(もと)を承けることを知らしたまひき。

【訳】
飛鳥浄御原宮で、日本全国を治めた天武天皇の治世においては、天武天皇が皇太子の頃は、まだ世に出る時ではありませんでしたが、自分が何を成すか啓示があり、やるべきことを占いで告げられて、やがて機が熟し雷鳴が鳴り響くように世に出られ即位されました。


【解説】
曁飛鳥清原大宮。御大八洲天皇御世。
「曁」は「およ(ぶ)」と読みます。
「およぶ、いたる」といった意味です。
「飛鳥清原大宮」は「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」の事です。
奈良県明日香村飛鳥にあったと考えられていて、40代・天武天皇、41代・持統天皇の宮とされています。
序文では「40代・天武天皇の宮」という意味です。
「御」は「おさ(める)」と読みます。
意味もそのまま「治める」という感じでいいでしょう。
「大八洲」は「おおやしま」と読みます。
「イザナギとイザナミの国産みによって生まれた8つの島」のことです。
ここでは「日本全体」といった意味でしょう。
ちなみに8つの島とは、淡路、四国(伊予)、隠岐、九州(筑紫)、壱岐、対馬、佐渡、本州(大倭豊秋津島 )のことです。
「天皇御世」について、上記の通りここでいう「天皇」は「40代・天武天皇」の事です。
つまり「40代・天武天皇の治世」という意味です。

なので「飛鳥浄御原宮で、日本全国を治めた天武天皇の治世においては」と訳しました。

濳龍體元 洊雷應期。
「濳龍」は「潜龍」で読みは「せんりょう」です。「せんりゅう」じゃないんですね。
意味は「龍がまだ水中に潜んで、天に昇る機会を窺っている様子」から→「英雄が、まだ世に出る機会を得ていない」→つまりここでは「天武天皇がまだ皇太子だった頃」的な意味ではないかと思います。
「體」は「たい、からだ」。つまり「体」です。
「元」はここでは「元始」、つまり「始めに~」という意味で訳しました。
「洊」が難しく、「せん、そん、いたる」と読みます。
意味は「(水が)いたる」。水が自然に流れて来る様を表しています。
「應期」は「期に応ず」でしょう。

直訳すると「始め、龍はまだ水中に潜んで天に昇る機会を窺っていた。雷の期に応じて自然に至った」でしょうか?
天武天皇は、壬申の乱で大友皇子との戦いを経て、即位しています。
この時期を表現しているのでは?と想像して…
「天武天皇が皇太子の頃は、まだ世に出る機会ではありませんでしたが、やがて機が熟し雷鳴が鳴り響くように世に出られ即位されました」とちょっとカッコよく訳してみました。

聞夢歌而想纂業。投夜水而知承基。

「纂」は「あつめる」の意味です。
「業」は「やるべきこと」の意味です。
「基」は「もと、よりどころ」の意味です。
「聞夢歌」「投夜水」は「夢で歌を聞く」「夜の水に投げる」以外の意味無いと思うので...難しいですね。
まず「聞夢歌」ですが、【序文⑥の~賢后と聖帝~】で、「覺夢而敬神祇」を「神功皇后は神懸かりで神々の意志を知ることが出来ました」と訳しました。なのでここでいう「聞夢」は「神の意志・ご神託を受けた」と訳してみました。
次に「投夜水」ですが、「何で何かを、夜の水に投げたのか」目的を考えてみました。
この場面で、天武天皇は決断するところです。なので...
「昔の決断のよりどころは何だ?」→「神託の他だと…占いか?」→「そう言えば亀の甲羅を焼いて割れたヒビで吉凶を占うのがあったような...」→「何を投げたかは知らないけど、夜の水に投げて波紋で吉凶を占った、はしっくりくるな...」という事で、ここは「占い」と訳してみました。

ですので「自分が何を成すか啓示があり、やるべきことを占いで告げられた」と訳してみました。
↓↓ここはかなり自信がありません💦↓↓


以上で『古事記』序文⑧~飛鳥清原大宮・天武天皇の御世~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑨~虎步於東國~をご紹介する予定です。

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いもみのエキゾチックな夏シリーズ

『古事記』序文⑦~古以照今~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑦~古以照今~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
すなわち、神功皇后は神懸かりで神々の意志を知ることが出来ました。そして神託を信じて西方を攻め、3韓征伐を成して服属させて称えられました。
仁徳天皇は国内視察の際、国に料理をする煙が上がっていないのを見て、食べるものが無い民の貧しさに気付いて、3年間納税を免除しました。こうして聖帝(ひじりのみかど)の御世として、後々まで称えられたのです。
成務天皇は、近淡海(近江国=滋賀県)において日本で初めて行政区画を制定したことで、人民を安住させ、より国を発展させました。
允恭天皇は、皇居である遠飛鳥宮に群臣を集め、それまで明確でなかった氏姓に偽りがないことを誓わせて、乱れた氏姓制度を正しました。

前回は歴代天皇の業績を称える内容でした。
今回のご紹介文では、歴代天皇が政策の違いはあれど、国のために政治を執り行ってきたことを強調しています。
古事記』は統治の正当性を述べている歴史書ですから、今回の【古以照今】は読み解く上で、重要なポイントになっているようです。

『古事記』序文⑦~古以照今~

【原文と読み方】
【原文】雖步驟各異。文質不同。莫不稽古以 繩風猷 於既頽。照今 以補典教 於欲絶。

【読み方】歩と驟とおのおの異に、文と質と同じからずといへども、古をもって稽(とどこお)らず風猷(しきたり)を既に頽(すたれ)たるに繩(ただし)たまい、今を照して典教を絶えなむとするに、補いたまはずということ無かりき。

【訳】
歴代天皇の政策の進捗の速度(※若しくは保守かリベラルか)はそれぞれ異なっていましたし、政策の内容も華やかなものもあれば、質素なものもありました。
また古く廃れた政策や習わしは、その都度時代にあわせて改めなおしました。
このように時代の変化に合わせ、制度や教えを改善することは常に行われてきたのです。

【解説】
雖步驟各異。文質不同。
さて、ここは漢字の意味がそれぞれとても難しいです💦
「雖」は「~といえども」です。
「驟」は「はしる」と読みます。
「早く走る」と言う意味です。
「文」には「雅やかな、派手な」という意味があります。
「質」には「飾り気のない、質素な」という意味があります。

なのでそれぞれ直訳すれば…
「雖步驟各異」→「ゆっくり歩いたり、早く走ったりそれぞれ異なるけれども」。
「文質不同」→「雅やかであったり、質素であったり同じではない」
...です。

対比されている文ですが、主語がありません。
何が「ゆっくりだったり、早かったりなのか、雅やかだったり、質素だったり」なのか?ですけど、前後の内容からみて【歴代天皇の政策の違い】を指しているのは明らかです。
なので「歴代天皇の政策の進捗の速度(※)はそれぞれ異なっていましたし、政策の内容も華やかなものもあれば、質素なものもありました」と訳しました。
※政策の違いを説明している為、「進捗の速度」ではなく「保守かリベラルか」を説いているのかもしれませんが…。


莫不稽古以 繩風猷 於既頽。
「莫」は「なかれ、ない」と読みます。
否定・禁止を意味しています。
「稽」は「とどまる、滞る」と読み、意味も同じです。
「古以」は「古いものでもって」。
「繩」には「正す。改め正す。いましめる。」の意味もあります。
「風」は「習わし、しきたり」の意味があります。
「猷」は「はかる」と読み、意味も同じです。
「頽」は「くずれる」と読みます。
「おとろえる、すたれる」の意味です。

直訳だと「古いものにとどまることなく、既に衰え廃れた習わしやしきたりを改め正した」となるでしょうか。
つまり「古く廃れた政策や習わしは、その都度時代にあわせて改めなおした」と訳しました。


照今 以補典教 於欲絶。
「照」は「照らし合わせる、見くらべる」の意味です。
「典」は「よりどころ、しきたり」の意味です。
なので「以補典教」は「しきたりと教えで補うことをもって」でしょう。

直訳すると「今と照らし合わせて、しきたりと教えでもって補うことを欲し絶えない」でしょうか。
つまり「時代の変化に合わせ、制度と教えで改善する事を止めることはありませんでした」と訳しました。

今回の文は漢字が難しかったね。

そうね…。「驟」とか「頽」とか普段使わないからね。

明日も頑張ろうね!

頑張ろうか!!

調べ物はよろしくね!

お前が一番頑張れよ…。


以上で『古事記』序文⑦~古以照今~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑧~飛鳥清原大宮・天武天皇の御世~をご紹介する予定です。

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いもみのエキゾチックな夏シリーズ

『古事記』序文⑥~賢后と聖帝~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑥~賢后と聖帝~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
国譲りの交渉の結果、オオクニヌシが了承したので、アマテラスは天降りを始めることにして、自らの孫のニニギに葦原中つ国の統治を委任します。
そしてニニギは、かつてイザナギが禊をし、アマテラスが生まれた地である筑紫の日向の高千穂の地に初めて降り立ったのです。

時は流れ、ニニギの曾孫であるカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は、九州で各地に目を光らせるのは不便と考え、日向を出発して各地を平定しながら、東の大和の地を目指しました。
イワレビコが紀伊から内陸を目指していると、川から突然クマが現れ、妖気でイワレビコの軍はみんな気を失ってしまいました。
ですがそこへ、神のお告げの夢を見たという高倉下という人物が、霊剣・布都御魂(フツノミタマ)をイワレビコに渡し、この霊剣の力で邪気が祓われてみんな目を覚ますことが出来ました。
さらに吉野の地では「この先に悪い神がいる。タカムスビ(←神様です)がヤタガラスを遣わすから、それについていけば無事に通り抜けられるだろう」というお告げがありました。
ヤタガラスに導かれたイワレビコの軍は、途中の国つ神(豪族)や民たちをその配下におきながら進みました。
途中、尾の生えた人(←これは意味が分かりませんでした💦)に出会ったり、大和の宇陀では豪族(エウカシ)の抵抗があり戦闘になったりしました。
逆賊(土蜘蛛)に対しては、宴会を催して油断させ、歌を合図に一斉に斬りかかってこれを討ちはらい従えました。

前回は、天孫降臨と神武東征、そして神武天皇即位直前までが描かれました。神々の時代から、人の時代へと変わる転換期です。
古事記』は上中下巻から成りますが、中巻に入った所です。
ここから序文では、歴代天皇の業績を紹介しています。
ただし年代順ではない点もありますので、注意が必要です。

『古事記』序文⑥~賢后と聖帝~

【原文と読み方】
【原文】即覺夢而敬神祇 所以稱賢后。望烟而撫黎元。於今傳聖帝。定境開邦。制于近淡海。正姓撰氏。勒于遠飛鳥。


【読み方】即(すなわち)夢に覺(さと)りて神祇を敬い、所以(ゆえに)賢后と稱(たたえ)ます。烟(けむり)を望みて黎元(れいげん)を撫でたまい、今に聖帝と傳う。境を定め邦を開きて、近淡海(ちかつうみ)に制したまい、姓(かばね)を正し氏を撰みて、遠く飛鳥に勒したまう。


【訳】
すなわち、神功皇后は神懸かりで神々の意志を知ることが出来ました。そして神託を信じて西方を攻め、3韓征伐を成して服属させて称えられました。
仁徳天皇は国内視察の際、国に料理をする煙が上がっていないのを見て、食べるものが無い民の貧しさに気付いて、3年間納税を免除しました。こうして聖帝(ひじりのみかど)の御世として、後々まで称えられたのです。
成務天皇は、近淡海(近江国=滋賀県)において日本で初めて行政区画を制定したことで、人民を安住させ、より国を発展させました。
允恭天皇は、皇居である遠飛鳥宮に群臣を集め、それまで明確でなかった氏姓に偽りがないことを誓わせて、乱れた氏姓制度を正しました。

【解説】
即覺夢而敬神祇 所以稱賢后。
「覺夢」は「夢覚」。
「覚」には「さとる、知る」という意味もあります。
「神祇」は以前も説明したかもしれませんが、正確には「天神地祇」のこと。
ここでは「神」は「天の神=天つ神(あまつかみ)」、「祇」は「地上の神=国つ神(くにつかみ)」をそれぞれ指します。
なので「神祇」は「天と地の神様」=「神々」と訳しています。
「稱」は「称える」です。
「賢后」とは「神功皇后(じんぐうこうごう)」のことです。

直訳すると「すなわち、夢で知って神々を敬ったので、賢明な皇后と称えられた」になりますが…相変わらず省略され過ぎていて、これではなかなか分かりません。そんな訳で、ちょっと神功皇后について触れてみたいと思います。

神功皇后について
14代・仲哀天皇の皇后です。
「神功皇后」は諡号(死後に贈られる名前)で、息長帯比売(オキナガタラシヒメ)といいました。
神懸かり(神が憑依する)で、神の声を聞くことが出来ると言われていました。
この信託によって、自ら軍を率いて西の国(新羅)を攻め、帰国時に策で反乱軍を破って、後の応神天皇を産みました。
ちなみに、夫である仲哀天皇は、この神託を蔑ろにした事で神の怒りを買い亡くなったと言われています。

…という事で、「夢覚(夢で知る)」は「神懸かりで神の声を聞く(神の意志を知る)」という意味で訳しました。
また「賢明な皇后」の部分ですが、「神託を蔑ろにした仲哀天皇は神の怒りを買い亡くなった」のに対し、「神託通り西方を攻めた神功皇后は3韓(新羅・百済・伽耶)征伐を成し、服属させた」。つまり「神の意志を信じて困難を乗り越えた」ことを指している...と考えて訳しました。

望烟而撫黎元。於今傳聖帝。
本文には「於國中烟不發」(国内に煙が建っていない)という仁徳天皇の言葉があります。
このエピソードは、『国内を見て回った仁徳天皇が、民の家々から炊煙がたっていないのを見て、「ご飯を炊く(料理をする)煙があがってないのは国が貧しいからである」と述べ、3年間の納税義務を免じた』と言う部分を指しています。

「望」はここでは「遠くを見る。見渡す」の意味でしょう。
「撫」は「いつくしむ」の意味です。
「黎元」は「れいげん」と読みます。
私は初めて見たので調べたら「民、庶民、人民」という意味でした。
「今傳」は「今伝」です。
「今(現在)も〇〇として伝えられている」といった意味になるかと思います。
「聖帝」は「ひじりのみかど」と読みます。
「徳の高い天子」と言う意味で、16代・仁徳天皇のことです。

なのでここは「国内視察の際、仁徳天皇は国に料理をする煙が上がっていないのを見て、食べるものが無い民の貧しさに気が付いて、3年間納税を免除しました。こうして聖帝(ひじりのみかど)の御世は、後々まで称えられたのです」と訳してみました。

定境開邦。制于近淡海。
「定境」は「境を定めた」。
ここでいう「境」は「国境」の意味です。
「邦」は「くに」と読みます。
そのまま「国、領土」の意味です。
「開邦」=「国を開いた」とはつまり「国を発展させた」的な意味でしょう。
「于」は「ここ」と読みます。
「(場所)によって」みたいな感じで使われます。
「近淡海」は「ちかつうみ」「おうみのくに」と読みます。
琵琶湖の事をさし、近江国(滋賀県)のことです。
ちなみに「遠淡海(とおつおうみ)」もあって、遠江(とおとうみ)=静岡県西部にある浜名湖を指します。

話がそれましたが、「近淡海=近江の国(滋賀県)」が何を意味しているのかと言うと、【天皇が政治を行った場所・宮殿があった場所】を示しています。
近江国の高穴穂宮(たかあなほのみや)で執権したのは、13代・成務天皇です。
なのでここは成務天皇の業績を称えている文なのです。
【成務天皇は、日本で初めて国県村などの行政区画を定めた】とされています。

ですからここは「成務天皇は、近淡海(近江国=滋賀県)において日本で初めて行政区画を制定したことで、人民を安住させ、より国を発展させました」と訳しました。


正姓撰氏。勒于遠飛鳥。
「正姓撰氏」は、直訳すると「正しい氏(うじ)姓(かばね)を選ぶ」となるかと思います。
「勒」は「ろく(する)」と読みます。「書き留める、録する」と言う意味もあります。
「于」は先ほど説明しましたが「ここ」と読み、「(場所)によって」みたいな感じで使います。
「遠飛鳥」は「遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)」のことです。
19代・允恭天皇(いんぎょう天皇)の皇居で、ここで政権を執りました。

氏姓の乱れ】とは...
氏(うじ)と姓(かばね)は、自らの【身分を表す称号】でした。
ですが、勝手に名乗ったり、偽ったりする者も多かったため、身分の上下が明確ではなく混乱のもとになっていました。
そこでこの乱れを正そうと、允恭天皇は全ての氏族を飛鳥甘樫丘に集めて氏姓に偽りがないことを群臣に誓わせたのです。

ちなみに…「偽りがないことを群臣に誓わせた」と言っても、口頭でOKみたいな生易しいものではありません。
【盟神探湯(くかたち)】と言う正邪を判断する裁判のもと行われました。
まず神に潔白などを誓わせた後、熱湯の中に手を入れさせ火傷しなかったらセーフ。火傷したら偽る人→アウト...という「みんな大火傷でアウトじゃないかな...💦」と思ってしまう過酷なものでした。

これらをあわせて「允恭天皇は、皇居である遠飛鳥宮に群臣を集め、それまで明確でなかった氏姓に偽りがないことを誓わせて、乱れた氏姓制度を正しました」と訳しました。

古代の事を知ることは大事ね。

そうね。

私達も盟神探湯(くかたち)をやって古代をもっと深く知る、ってのはどうかしら...?

古代より、いもみの方が良く分からないわ...。


以上で『古事記』序文⑥~賢后と聖帝~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑦~古以照今~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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