いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻53~禊(3)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
そこで、イザナギは水で清めるため身に着けていたものを次々に脱いで投げ捨てられました。
するとイザナギが身に付けていた物から、次々と神が現れました。
身に着けてた杖を投げ棄てると、衝立船戸(つきたつふなどの)神が現れました。
次に身に着けてた帯を投げ棄てると、道之長乳齒(みちのながちはの)神が現れました。
次に身に着けてた嚢(袋)を投げ棄てると、時量師(ときはかしの)神が現れました。
次に身に着けてた衣を投げ棄てると、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神が現れました。
(註:此の神の名は音読みを用いて「わづらひのうしの神」と読んで下さい)
次に身に着けてた褌(袴)を投げ棄てると、道俣(ちまたの)神が現れました。
次に身に着けてた冠を投げ棄てると、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神が現れました。
(註:飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい)
次に身に着けてた左手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、奧疎(おきざかるの)神が現れました。
(註:奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
(註:奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神が現れました。
(註:奧津那藝佐毘古神の【那】から以下の五字は音読みを用いて【なぎさびこ】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神が現れました。
(註:奧津甲斐辨羅神の【甲】から以下の四字は音読みを用いて【かひべら】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に身に着けてた右手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、邊疎(へざかるの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神が現れました。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、衝立船戸(つきたつふなどの)神から邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神までの12柱の神々は、イザナギが身に着けていた物を脱ぎ捨てて誕生した神様です。

ただただ、神様の誕生数が多い...多すぎます。
ちなみに古事記の成立後、数年して日本書記が成立します。
この2つの書は類似した内容ですが、異なる部分も多いです。
例えば昨日紹介した【禊でイザナギが身に着けたものを投げすてたら神が誕生した話】。
古事記では「8つのものを捨て、12柱の神々が生まれた」が、日本書記では「5つのものを捨て5柱の神々が生まれた」となっています。
この様に短縮したのは「やはり長すぎる...!」と思ったからなのか??…と想像してしまいます。


『古事記』本文上巻53~禊(3)~

【原文と読み方】
【原文】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
初於中瀨 墮迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)
次 大禍津日神
此二神者 所到 其穢繁國之時 因汚垢而所 成神之者也

【読み方】
是(ここ)に於(お)いて詔(の)りたまはく、上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」
初めて中瀬(なかつせ)に墮(お)り迦豆伎(かづき=潛)て、滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつびの)神
(【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
次に大禍津日(おほまがつひの)神
この二神は、其(そ)の穢(きたな)き繁しき國に到りたまひし時、汚垢(けがれ=穢れ)に因(よ)りて成りませる神也

【訳】
イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられました。
なので最初は中瀬にお降りになられて、水に浸かられました。
禊で身体をすすぎ洗うと、八十禍津日(やそまがつびの)神が現われました。
(註:八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大禍津日(おほまがつひの)神が現われました。
この2柱の神々は、あの汚く穢れた国(黄泉の国の事)に訪れた時に、イザナギの身体に付いた汚れや垢によって誕生した神様です。

【解説】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
「瀬(せ)」「川や海の浅い所(浅瀬)」と「流れのはやい所(急流)」という二つの意味があるので注意です。
読みとしては「上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」となると思います。
「上瀬(かみつせ)」は「上の浅瀬」、要するに「上流」という事でしょう。
と、なれば「下瀬(しもつせ)」は「下流」でしょう。

相変わらず主語がありませんが、ここを訳すと「イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられて...」になると思います。


初於中瀨 随迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)次 大禍津日神

「初於中瀨」は上の文を読めば何となく察することが出来るでしょう。
「上流は流れが速すぎる」+「下流は流れが弱すぎる」=「なので最初に中瀬に(入った)」という事でしょう。
随分細かい描写迄書いていますね。

「墮迦豆伎而 滌時所」ですが、これに太安万侶が注釈付いていません。
...が、それだと「墮迦豆伎」が読めません(漢字自体に意味が無いので)。
本来ならこういう場合「迦以下三字以音(【墮迦豆伎】の【迦】以下の三字は音読みを用いて【かづき】と読んで下さい」)が付いている筈...忘れちゃったのでしょうかね??

とにかく「墮迦豆伎」は「墮(お)かづき」と読むと思います。
「墮」は「(中瀬の水の中に入るために)降りて...」という意味でしょう。
「かづき」ですが、文面から「潛」を指すと思います。
「潛」は「潜」の旧字ですが、訓読みで「かづく」と読みます。
意味は勿論「潜る」ですが、これだと「イザナギが中瀬に降りて潜った」と、まるで遊んでいる様なので禊のイメージが崩れてしまいます…。
そこでここは「中瀬に降りて水に浸かって」という具合に威厳を保つ訳にしてみます。
いや、実際水に潜ったのかもしれませんが…。

「滌」は「すす(ぐ)」と読みます。
「滌時」は「体を洗う(すすぐ)時に~」という事ですね。

「八十禍津日神(訓禍云摩賀 下效此)」は太安万侶の注釈(訓禍云摩賀 下效此)を先に訳して読みます。
(訓禍云摩賀 下效此)➩「【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」➩「八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい」
なので八十禍津日神は「やそまがつびのかみ」と、大禍津日神は「おほまがつひのかみ」と読みます。

以上で『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻54~禊(4)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ