いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文㉗~古事記の構成(3)「下巻」~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文㉗~古事記の構成(3)「下巻」~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
神倭伊波禮毘古天皇(かむやまといわれびこすめらみこと)から、品陀天皇(ほむだすめらみこと)の御代までにあった出来事を記したものを中巻とし、
※神倭伊波禮毘古天皇=初代・神武天皇のこと
品陀天皇=第15代・応神天皇のこと。

前回お話したように、複数の名前があるのは、生前の実名である「諱(いみな)」と死後に贈られる名前「諡号」があるためです。
諡号は更に和風・漢風と別れています。
ここに別称なども加わるため...何と言うか、もう大変です💦
序文も本日で最後ですが…。
本文に入れば神様の名前も長いので...もう凄く大変です💦


『古事記』序文㉗~古事記の構成(3)「下巻」~

【原文と読み方】
【原文】
大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷。
并錄三卷 謹以獻上。
臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首。
和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等 太朝臣安萬侶謹上。

【読み方】
大雀(おほさざき)の皇帝(すめらみこと)以(より)下、小治田(おはりだ)の大宮より前(さき)を下卷(しもつまき)と爲(す=し)
并(あわ=併)せて三つの卷に録(しる)し、謹(つつし)みて獻上(けんじょう=献上)たてまつる。
臣安萬侶、誠(まこと)に惶(おそ)れ誠に恐(おそ)る 頓首頓首(とんしゅとんしゅ=結語)。

【訳】
第16代・仁徳天皇から、小治田宮において執政された第33代・推古天皇の御代までにあった出来事を記したものを下巻とし、併せて(上中下巻の)3巻に記録し、謹んで献上いたします。
私太安万侶が謹みかしこまって申し上げます 頓首頓首。
和銅五年正月廿八日 正五位上 勳五等 朝臣 太安万侶


【解説】
大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷。
「大雀皇帝」は「第16代・仁徳天皇」の事です。
仁徳天皇は即位前は、大雀命(おほさざきのみこと)という名前でした。
「小治田大宮」は以前も説明しましたが「第33代・推古天皇」の事です。
推古天皇は即位後に、小治田宮(おはりだのみや=小墾田宮とも書きます)を造営しここに居を移したと言われています。

【天皇の呼び名・まとめ】

昨日もお話しましたが、古事記では天皇に幾つも呼び名があります。
ちょっとまとめておきましょう。
本名(諱とも)
→古事記に表記がある
和風諡号
→死後に贈られる名。古事記の段階でまだ日本には無かったかも?なので表記は無い。
漢風諡号
→死後に贈られる名。762~764年頃淡海三船により選定、なので表記は無い。
その他
→皇居の名前を付けたパターン。古事記に表記がある。

古事記編纂時点では②③の諡号は無かったので、表記としては上記の「大雀・小治田宮」の様に「本名(諱)・皇居」になります。
以上です<(_ _)>


これまででお分かりの様に、ここの文は下巻に収録した時代の範囲を述べています。
昨日の様に忠実に訳したほうがいいかもしれませんが…ややこしくなるので「第16代・仁徳天皇から、小治田宮において執政された第33代・推古天皇の御代までにあった出来事を記したものを下巻とし、」と訳しました。


并錄三卷 謹以獻上。
「并」は「併」ですね。
「并錄三卷」は「併せて(上中下巻の)3巻に記録しました」という事でしょう。
「獻上」は「献上」です。
「謹以獻上」は「謹んで献上いたしました」となると思います。

「併せて(上中下巻の)3巻に記録し、謹んで献上いたします」と訳しました。


臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首。
「誠惶誠恐」は「せいこうせいきょう」と読みます。
訓読みですと「誠(まこと)に惶(おそ)れ誠(まこと)に恐(おそ)る」でしょうか。
「誠惶」は「心の底から畏れかしこまること」です。
「誠」を2回繰り返すことで強調しています。

本当は「せいこうせいきょう」と読みたいのですが、ここは「おそれ」を強調する文。
ならば「誠(まこと)に惶(おそ)れ誠(まこと)に恐(おそ)る」の方が、「おそれ」てる感じがするので、こっちを採用しました。

「頓首」は「とんしゅ」と読みます。
「頓」には「額を地につけておじぎをする」という意味があります。
また「頓首」には「手紙文の末尾に書き添えて、相手に対する敬意を表す」という意味もあります。

...という事は「頓首頓首」は訳すものではないのでしょうか?
私的にはこれは【結語】だと思います。
例えるなら、手紙の「拝啓~…~敬具」みたいな奴です。
「拝啓~敬具」みたいな結語って普通は訳しませんよね?

ってことで、ここは「私太安万侶が謹みかしこまって申し上げます 頓首頓首」と訳さないで訳してみました(←?)。


と、ここまで訳していてフッと気が付きました。
「う~ん...【結語】があるなら【頭語】も無きゃおかしいよな...?」と。

そうです、上記で言うと「拝啓~」の部分です。
そこで、改めて序文全文を下から見直します…。
「ん~…。どこだ~…?」

あ!あった!!
臣安萬侶言』!これだ!
何と、序文の一番始め。そりゃそうだ、頭語は一番最初につけるんだもん!
逆に何で今まで気が付かなかったんだ?バカだな~笑でもスッキリしたわ~笑笑
と、スッキリました

つまり【頭語と結語】は
・手紙...「拝啓~敬具」
・古事記...「臣安萬侶言~頓首頓首」
という事なんだと思います。(違ったらごめんなさい)

和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等 太朝臣安萬侶謹上。
「和銅五年正月廿八日」については、以前に書きましたので気になる方はコチラをご覧ください<(_ _)>
【新暦と旧暦】について簡単にまとめてあります。
imomiquest.com

「正五位上」「勳五等」「朝臣」については少し見て行こうと思います。
長くなってしまうのでここも要点だけで。

【大宝令における位階制について】

「正五位上」について
701年に大宝令が制定され、冠位は30階ありました。
(正一位、従一位、正二位、従二位...と続きます。四位より下は正四位の上下・従四位の上下と4つの官位がありました。ちなみに正一位が一番上で偉いです)

ここでは皇族である親王は、品位(ほんい)と言って、一品から四品までの4階に叙されました。
言い換えれば、【一位~正四位上下までが皇族の位】ということです。
ここからお分かりの様に、正五位上であった太安万侶はかなり偉かったのです。

「勳五等」について
これは勲等と言って「勲功に対して授与されたもの」です。
位階勲等と言って、官位に相当する物であったようです。
勳五等は正五位に相当しています。

「冠位=勲等」のようなイメージでいいと思います。

「朝臣」について
684年に【八色の姓(やくさのかばね)】という制度が作られました。
「朝臣(あそん)」とはその制度の姓(かばね)の一つで、一番上の「真人(まひと)」に次ぐ地位です。
「真人」は皇族に与えられる地位だったので、朝臣は臣下の中で一番上の地位という事になります。

要するに「正五位で上勳五等で朝臣の太安万侶」は、とっても偉い人だった、ということです。



以上で『古事記』序文㉗~古事記の構成(3)「下巻」~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文㉘~序文の全文の訳~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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