いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文⑰~稗田阿礼(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑰~稗田阿礼(1)~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
「今この時に、この『帝紀』と『本辞』にある多くの間違い・誤りを正さなければ、何年も経たないうちにその本質や真実は失われてしまうだろう。
(帝紀と本辞の誤りを正して整理して)正しい歴史認識(国の成り立ち)を後世に伝えることは、国家の秩序に必要なことであり、世を安定させるのは天皇としての務めである。
そこで、天皇の系譜を記録する『帝紀』と、古い時代が記された『旧辞』を調べてなおして誤りを正し、真実を明らかにしてこの国の正しい歴史を後世に伝えようと思う」と仰せになりました。

天武天皇が「『帝紀』と『本辞』にある間違いを正し、この国の正しい歴史を後世に伝えたいと思う」と言うところから『古事記』の企画が始まります。
そして、記憶力に優れていたと言われる稗田阿礼(ひえだのあれ)に正しく選定しなおし、覚えさせます。
今回はその稗田阿礼がどのような人物なのかを見て行きます。


『古事記』序文⑰~稗田阿礼(1)~

【原文と読み方】
【原文】
時有舍人。
姓稗田名阿禮。年是廿八。
爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。

【読み方】
時に舍人(とねり)あり。
姓は稗田(ひえだ)、名は阿禮(あれ)、年は二十八。
人となり聰明(そうめい)にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に拂(はら)るれば心に勒(ろく)す。

【訳】
その時、天皇の側仕えをしている、姓は稗田、名は阿礼という歳は28になる舎人がいました。
物事の理解が早い賢人で、一度目で見たものは、そらんじて(=何も見ないで暗記して)読むことが出来、(天武天皇のお言葉を)清らかに聞くことで、その心にお言葉を記録し留めることが出来ました。

【解説】
時有舍人。
「舍人」は「とねり」と読みます。
舎人は役職名で、 天皇・皇族の身辺で御用を勤めた下級官人(側仕え)です。

直訳すると「その時、舎人がいた」なんですが…
「その時、天皇の側仕えをする舎人がいました」としました。

姓稗田名阿禮。年是廿八。
「姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。」です。

稗田阿礼について
稗田阿礼は、古事記の編纂者の一人ということ以外ほぼ何もわかっていない人物です。
なにしろ『古事記』序文にのみ登場して、後は一切の記述が無いのです。
その為、実在の人物なのか?女性だったのではないか?等多くの説があります。
ちょっと私なりに考察してみました。

①生没年について
→『古事記』は天武天皇が、「帝紀」「上古諸事」の編纂を川島・忍壁(おさかべ)両皇子に命じた事から始まります。
これが天武10年、681年の頃だと考えられています。
序文では稗田阿礼は28歳なので681-28=653年頃生まれた人かもしれません。
②官位について
→編纂事業をした太安万侶は、「正五位上 太朝臣安万侶」と官位がありますが、稗田阿礼はただの「舎人・稗田阿礼」です。
国史編纂という大事業に関わったのに、そんなことってありますかね…?
③稗田氏について
→「新撰姓氏録」という名族一覧表みたいなのがありますが、ここに稗田氏の名は載っていません。
どうも畿内の名族の出ではないようです。
なお、稗田氏は各史書にも姓(かばね)の記載が無く、つまり【無姓】です。
『伊勢から奈良県大和郡山市稗田町に本拠地を移した際に、稗田姓を称した』そうです。
④女性だったかどうかについて
→稗田阿礼の【「阿礼」は女性の名前】であることから、もしかしたら巫女だったんじゃないか…?説があります。
確かに巫女には「神話を口伝する」という役割があります。
巫女だったのなら、国史編纂という大事業に関わりながらその後に名前が出てこなくなるというのも説得力があります。
...ただ、この説がちょっと怪しいのは、【「舎人」が男性の役職名】だからです。
調べてみたのですが、舎人に近い天皇に仕える役職は女性の場合「采女(うねめ)」「宮人(ひめとね)」があります。
『古事記』には「舎人」と明確に書かれているので、ちょっとな~…って感じです。
⑤実在したのかについて
→稗田阿礼の名が一切出てこない上に、「本文」と比べて文体も異なるため「序文」は後世に創作された疑いがあります。
ちなみに太安万侶はお墓も見つかっていて、実在がハッキリしています。

個人の感想になりますが、「一人で天武天皇の言葉を暗誦するのは無理だし、舎人とその部下・同僚とチームを組んで編纂した可能性が高いんじゃないかな?」と思っています。
これだと、例えば稗田阿礼という女性がいて天皇から口伝を聞いて、舎人チームに編纂をさせた…つまり個人の「舎人=稗田阿礼」ではなく、チーム「稗田阿礼+舎人達」みたいな感じで行けると思うのですが。


爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。
「爲人」は「為人=ひととなり」と読みます。
「生来の性質、人柄」という意味ですね。
「聰明」は「聡明=そうめい」と読みます。
「物事の理解が早い、賢い」の意味です。
「度目」は「目に度(=わた)る」と読みます。
「目に通したもの=見たもの」という意味です。
「誦口」は「口に誦(=よ)み」と読みます。
「口に出して読む」という意味です。
また「そらんじる(=何も見ないで言える、 暗記する)」という意味もあり、こっちの方がシックリ来たのでこちらの意味を採用しています。
「拂耳」は「耳を拂(払=はら)う」と読みます。
「耳を払ったら聞こえないじゃん!」という事ではなく、「声・音を払うのではなく→耳を払う=耳を清める=清聴」ような意味だと思います。
『古事記』は①天武天皇の言葉を→②稗田阿礼が聞いて→③太安万侶が書いている流れなので、稗田阿礼が聞いた言葉は当然【天武天皇から】ですから、ただ聞いたのではなく「清らかに聞こえる」=「清聴」と訳すのが妥当と思いました。
つまり「天皇のお言葉を、耳(心)を清らかに聞いた、清聴した」的なニュアンスで訳しました。
「勒心」は「心に勒(ろく)す」と読みます。
「勒(ろく)」は「録す」です。「記録、書き留める」という意味です。

「物事の理解が早くて賢く、一度目で見たものは、そらんじて(=何も見ないで暗記して)読むことが出来、(天武天皇のお言葉を)清らかに聞くことで、その心に記録し留めることが出来ました」と訳しました。


以上で『古事記』序文⑰~稗田阿礼(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑱~稗田阿礼(2)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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