いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文㉘~序文の全文の訳~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文㉘~序文の全文の訳~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【序文の全文の訳の目次】

【読み易いように多少修正した件について】

【前回のあらすじ】
ようやく序文全文を訳し終えたアキちゃん...。
しかし休息も束の間であった。
序文の全文の訳を、まとめていた(←ただコピペしてただけだが)私・いもみからクレームが入る。
「なんか所々読みずらくない?」「訳するのに夢中で、文章が固いって言うか...繋がりが悪いって言うか...シックリこないのよね...」「もっとこう...読者の事を考えて欲しいの!」
仕方なく、再度読み易さを追求し筆を執るアキちゃんであった。

ちょ、ちょっと...!勝手なナレーション付けないでくれる?!

貴女はやれば出来る子よ、出来るわよね?

...。

あ…怒った...。

フ~…(ため息)。
いもみの言う通り、やや分かりずらい所があるので、その部分については打消し線で消しつつ赤字で修正しました。
こんな感じです。
【例】いもみは天使だいもみは悪魔である
但し、既にあげた各記事の訳についてはそのままで、修正は行いません。
あくまで全文を通した時、読み易いようにしたという修正です。
その為、本文で()で補足した説明なども打消し線を施してありますが、誤りではないのでご安心ください。

※訳の前に、過去の記事のナンバーとタイトルをふっています。
またこれ以外にも、目次をふりました。


天地開闢と神々の出現

①造化三神・すべてを作り出す最初の神
わたくし安万侶が申しあげます。
かつて宇宙の始めは混沌が漂っていましたが、やがて混沌は一つにまとまりました。
しかしこの時世界の形は十分ではなく、天と地もまだ分かれていませんでした。
そのためこの時、全てのものに名前は無く、動きもありません。
そして、世界の形を知るものはまだ誰もいませんでした。


②イザナギの禊
そんな訳で、やがてイザナギ・イザナミの二神がこの国を創造し、次いで神生みに取り掛かるのですが、その途中イザナミは亡くなってしまいます。
イザナギはイザナギを取り戻すべく黄泉の国へと向かいますが、それはかないませんでした。そして...

イザナギが死者の国である黄泉国から現世に帰ってきました。

そして死の世界の穢れを落とすために、水に浸かって禊(みそぎ)をすることにしました。
イザナギが目を洗うと、左目から天照大御神が、右目から月読命が現れました。
さらにイザナギが海水で浮き沈みして身体を洗うと、沢山の神様が現れました。


③因本教而
ここまで述べた神話の様な歴史の起源のお話は、大昔のことですから、私達にはハッキリとは分かりません。
ですから、この国の国土が出来上がっていった様子や、この国の島々が産まれた由来は、昔からの言い伝えや教えによって知ることが出来ます。
この国が興ったのは遥か昔のことですけれど、世界に神々が誕生し、やがて人間が成立したという太古の出来事も、それらの経緯を伝え聞いてきた先の世の知徳が優れた人物を頼ることで、明らかになるのです。

ですから、この国の国土がどう完成していったのかや、その由来など私達が知りえない太古の出来事は、それらを伝えてきた「古来からの言い伝えや教えでしか分からない」と言えるでしょう。
太古に起きた出来事も、遥か昔に誕生したこの国の出来事も、私達は見ていないのでわからないのです。
しかし私達は分からなくても、太古にそれらを見て知っている者はいましたし、知ってる者からそれを言い伝えられてきた者もいます。
私達は、そうした人を頼って、太古の出来事を明らかにすることが出来るのです。

3種の神器と国譲り

④鏡と珠と剣と議
本当にその通りなのです。
これは全くその通りなのです。
何故ならば、天皇の先祖は神であります。
神は太古の出来事も全て見聞きしてご存じですし、その子孫である天皇はそれら太古の出来事を言い伝えとして正しく継承しています。
ですから、私達は天皇から大昔の出来事を明らかにすることが出来るのです。

海原統治の役目を怠り追放されたスサノオは、アマテラスが統治する高天の原に向かい、国の乗っ取りの疑いをかけられますが、潔白証明の為、神意がどちらにあるか誓約をたてます。
お互いの身につけたものを交換し、それを口にして息を吐いて子(神)を成し、その結果で占うことにしたのです。
アマテラスがスサノオの剣を、スサノオもアマテラスの数珠を、それぞれ噛み砕いた後息を吐きました。
誓約の結果、スサノオに邪心が無いことが示され、高天の原で過ごすスサノオでしたが、乱行を繰り返したことで、アマテラスは天の岩屋に隠れてしまいます。

天の岩屋からアマテラスが出て、高天の原を追放されたスサノオは、その後地上でヤマタノオロチを退治しました。
…こうした過程のなかで、多くの神々が登場し、大いに増えました。

そして、こういった古代の歴史は、歴代の天皇によって代々言い伝えられてきたのです。

やがて、アマテラスのもとに『オオクニヌシの治める葦原中つ国がひどく騒がしい』と報告が入ります。
そこで、アマテラスは葦原中つ国を譲渡させるための説得に、どの神を使いに出すかを、八百万の神を天の安河の河原に集めて会議を開きました。

タケミカヅチという神が遣わされ、小浜(出雲国・稲佐の浜)で国譲りの交渉が行われた結果、葦原中つ国は譲られることになりました。
国譲りで統治者がオオクニヌシからアマテラスに移ったことで、何かと騒がしかった葦原中つ国も静かに治まったのでした。

天孫降臨と初代天皇・神武天皇即位

⑤天孫降臨と初代天皇・神武天皇即位
国譲りの交渉の結果、オオクニヌシが了承したので、アマテラスは天降りを始めることにして、自らの孫のニニギに葦原中つ国の統治を委任します。
そしてニニギは、かつてイザナギが禊をし、アマテラスが生まれた地である筑紫の日向の高千穂の地に初めて降り立ったのです。

時は流れ、ニニギの曾孫であるカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は、九州で各地に目を光らせるのは不便と考え、日向を出発して各地を平定しながら、東の大和の地を目指しました。

イワレビコが紀伊から内陸を目指していると、川から突然クマが現れ、妖気でイワレビコの軍はみんな気を失ってしまいました。
ですがそこへ、神のお告げの夢を見たという高倉下という人物が、霊剣・布都御魂(フツノミタマ)をイワレビコに渡し、この霊剣の力で邪気が祓われてみんな目を覚ますことが出来ました。

さらに吉野の地では「この先に悪い神がいる。タカムスビ(←神様です)がヤタガラスを遣わすから、それについていけば無事に通り抜けられるだろう」というお告げがありました。
ヤタガラスに導かれたイワレビコの軍は、途中の国つ神(豪族)や民たちをその配下におきながら進みました。

途中、尾の生えた人(←これは意味が分かりませんでした💦もう一度調べましたが結局分からなかったです…)に出会ったり、大和の宇陀では豪族(エウカシ)の抵抗があり戦闘になったりしました。

逆賊(土蜘蛛)に対しては、宴会を催して油断させ、歌を合図に一斉に斬りかかってこれを討ちはらい従えました。

神功皇后と仁徳天皇

賢后と聖帝
すなわち、神功皇后は神懸かりで神々の意志を知ることが出来ました。
そして神託を信じて西方を攻め、3韓征伐を成して服属させて称えられました。

仁徳天皇は国内視察の際、国に料理をする煙が上がっていないのを見て、食べるものが無い民の貧しさに気付いて、3年間納税を免除しました。こうして聖帝(ひじりのみかど)の御世として、後々まで称えられたのです。

成務天皇は、近淡海(近江国=滋賀県)において日本で初めて行政区画を制定したことで人民を安住させ、より国を発展させました。

允恭天皇は、皇居である遠飛鳥宮に群臣を集め、それまで明確でなかった氏姓に偽りがないことを誓わせて、乱れた氏姓制度を正しました。


⑦古以照今
歴代天皇の政策の進捗の速度(※若しくは保守かリベラルか)はそれぞれ異なっていましたし、政策の内容も華やかなものもあれば、質素なものもありました。
また古く廃れた政策や習わしは、その都度時代にあわせて改めなおしました。
このように時代の変化に合わせ、制度や教えを改善することは常に行われてきたのです。

壬申の乱

⑧飛鳥清原大宮・天武天皇の御世
飛鳥浄御原宮で、日本全国を治めた天武天皇の治世においては、天武天皇が皇太子の頃は、まだ世に出る時ではありませんでしたが、自分が何を成すか啓示があり、やるべきことを占いで告げられて、やがて機が熟し雷鳴が鳴り響くように世に出られ即位されました。


⑨虎步於東國
しかしながら、まだ機が熟していなかったので、天智天皇からの皇位継承の打診を辞退して出家し吉野で隠棲しました。
やがて、不破道(ふわのみち)以東を抑えたを封鎖して、兵をおこしました。不破道を抑えられた近江朝廷側は東国の連絡が遮断された一方で、天武天皇のもとに軍勢が揃い、虎が翼を得たごとく進軍を開始しました。


⑩壬申の乱
本来ならば、貴人は車駕にお乗りになるのが慣例ですが、天武天皇(大海人皇子)は車駕(しゃが)の用意を待たずに進撃を開始しました。
やがて車駕(しゃが)の用意が間に合ったので、それに乗り換えて山川を進軍しました。
天武天皇(大海人皇子)の率いる軍団は雷鳴の如く威勢があり、(配下の諸侯の軍も)雷のごとく迅速に進撃しました。

赤の軍装の味方の軍の兵達は猛々しく、刀槍を高く掲げて士気高く、戦場で躍動し、そして大友皇子の近江朝廷軍は敗れたのです。

天武天皇の御世

⑪天武天皇の即位
戦いの後の混乱は、短時間のうちに自ずとおさまりました。
戦後の混乱がおさまったのを見届けてから、軍で使った牛馬を休ませて、穏やかな気持ちで都に凱旋しました。
軍旗や武器も片付けられ、代わりに舞を踊り、歌を詠むなどして、都(大和の国)に平和が訪れました。

そして、673年癸酉(みずのととり)の年の2月に、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)において天武天皇が即位されました。


⑫天武天皇の統治(1)
(壬申の乱後で荒廃した世に)正邪・善悪の規範を示し、その統治の手腕は黄帝以上であり、周の文王・武王より優れていました。
天皇であることの証である三種の神器を得て、正しく天子の位を継ぐ者として、国の隅々までしっかりとまとめ、統治しました。


⑬天武天皇の統治(2)
(国内の統治するにあたっては)陰陽五行説の思想を用いる(採用して)ことで、万物の成り立ちや循環の順番を整理しました。
この(陰陽五行説の)優れた道理を整備して、この教えで世の人々を導き、また奨励することで、国家を大きくしていきました。


⑭天武天皇の統治(3)
そればかりではなくて、知識は豊富で海の様に広く、多くの書物から古代の事を深く調べ、その心には昔の賢人の業績を鏡の様に映し出してみることが出来ました。

帝紀と本辞の誤り

⑮帝紀と本辞の誤り(1)
ここにおいて、天武天皇の仰せられましたことは「私の聞くところによれば、各地で伝わっている帝紀と本辞とに多くの偽りがあるということだ」


⑯帝紀と本辞の誤り(2)
「今この時に、この『帝紀』と『本辞』にある多くの間違い・誤りを正さなければ、何年も経たないうちにその本質や真実は失われてしまうだろう。
(帝紀と本辞の誤りを正して整理して)正しい歴史認識(国の成り立ち)を後世に伝えることは、国家の秩序に必要なことであり、世を安定させるのは天皇としての務めである。
そこで、天皇の系譜を記録する『帝紀』と、古い時代が記された『旧辞』を調べてなおして誤りを正し、真実を明らかにしてこの国の正しい歴史を後世に伝えようと思う」と仰せになりました。

稗田阿礼

⑰稗田阿礼(1)
その時、天皇の側仕えをしている、姓は稗田、名は阿礼という歳は28になる舎人がいました。
物事の理解が早い賢人で、一度目で見たものは、そらんじて(=何も見ないで暗記して)読むことが出来、(天武天皇のお言葉を)清らかに聞くことで、その心にお言葉を記録し留めることが出来ました。


⑱稗田阿礼(2)
そこで天武天皇は、稗田阿礼に仰せ下されて、新たに選定しなおした『帝紀』と『旧辞』の語り伝えを繰り返し読ませ、記録を開始しました。
しかし、天武天皇が崩御され時勢が変わったため編纂事業は一時中断し、この時代には完成しませんでした。

元明天皇

⑲元明天皇(1)
元明天皇に即位後、その威光は輝き、国民に対してはこれに向き合いよく声を聞いて善政を敷きました。
元明天皇の統治は、皇居(紫宸)から水陸の果てまで及び、その仁徳で民を導きました。


⑳元明天皇(2)
太陽が昇り、より輝きが増しました。
雲は消えて、かすむことはありませんでした。

一旦分かれた枝がまたくっついたりする(=連理木、れんりぎ)様な吉兆や、豊作になった(穂が沢山ついた稲が育った)という様なめでたい事象が起きれば、史官がこれらを歴史書に書き連ねました。
元明天皇の治世は、その善政によって霞むことは無く、常に光が輝くようでした。
「連理木などの吉兆も多く、また豊作が続きました」と歴史書に書き連ねられています。


㉑元明天皇(3)
諸外国からの使者が絶えることなく訪れ、その貢ぎ物によって倉は常にいっぱいでした。
これらの事を思えば、元明天皇は、古代中国の伝説上の帝である文明(禹)よりも名高く、徳の高さにおいても古代中国殷王朝の初代王である天乙よりも優れている、と言うことが出来ます。言えるでしょう。

太安万侶への勅命

㉒太安万侶への勅命
この元明天皇の時代になって、旧辞・帝紀を選定しなおした正しい歴史書編纂の事業が頓挫しているのを惜しみ、和銅四年九月十八日に元明天皇は「天武天皇が稗田阿礼によませた旧辞・帝紀を書き取り『古事記』を献上せよ」と私、太安万侶にお命じになりましたので、謹んで仰せの主旨に従いまして、事細かにこれを記録いたしました。

太安万侶からの注意点

㉓太安万侶からの注意点(1)「於字即難」
しかしこの古い時代の言葉は、現在とは意味が異なっていたり、また既に使わなくなった言葉であったりしたので、これを文字化して区切り、文章を書くことはとても難しいことでした。

古い時代の言葉を、現在の訓読みするように書こうとしても、私にはそれを伝える適切な言葉が思い浮かびません。

音読みならば伝えることは可能でしょうけれども、漢文のまま(=訓読みのまま)読めるところまで全て音読みにしてしまいますと、今度は文字数が増えすぎて文章が長くなってしまいます。
そのため、区切りの中に音読みと訓読みを両方用いた文もありますし、また場合によっては訓読みだけを用いた文もあります。


㉔太安万侶からの注意点(2)「辭理叵見」
ですので、読みづらく意味の分かりにくい言葉には注釈をつけて、読めばすぐ意味が分かる言葉には全く注釈をつけませんでした。
また姓名に関しては、『日下』や『帯』といった訓で読むのが難しいものであっても、これを『玖沙訶』『多羅斯』という様に音で読み易くするという事はせずに、出来るだけ原文に忠実な表記にしました。

古事記の構成

㉕古事記の構成(1)「上巻」
この書(=古事記の事)には、世界の始まりである天地開闢から、小墾田宮(おはりだのみや)において執政された推古天皇の時代までにあった出来事のあらましを記しました。

すなわち、天地開闢時の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)はじめ神々が御誕生になった時から、その神々の子孫であり、初代天皇・神武天皇の父君である天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)までの出来事を記したものを上巻とし、


㉖古事記の構成(2)「中巻」
初代・神武天皇から、第15代・応神天皇の御代までにあった出来事を記したものを中巻とし、


㉗古事記の構成(3)「下巻」
第16代・仁徳天皇から、小治田宮において執政された第33代・推古天皇の御代までにあった出来事を記したものを下巻とし、併せて(上中下巻の)3巻に記録し、謹んで献上いたします。
私太安万侶が謹みかしこまって申し上げます 頓首頓首。
和銅五年正月廿八日 正五位上 勳五等 朝臣 太安万侶


以上で『古事記』序文㉘~序文の全文の訳~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文㉙~序文の疑問点のまとめ~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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