いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文⑲~元明天皇(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑲~元明天皇(1)~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
そこで天武天皇は、稗田阿礼に仰せ下されて、新たに選定しなおした『帝紀』と『旧辞』の語り伝えを繰り返し読ませ、記録を開始しました。
しかし、天武天皇が崩御され時勢が変わったため編纂事業は一時中断し、この時代には完成しませんでした。

『古事記』の編纂事業は、天武天皇崩御によって中断してしまいます。
中断から30年以上を経て、元明天皇のもとで再開します。
今回はその元明天皇について述べられます。


『古事記』序文⑲~元明天皇(1)~

【原文と読み方】
【原文】
伏惟皇帝陛下 得一光宅 通三亭育。
御紫宸而 德被 馬蹄之所極 坐玄扈而 化照 船頭之所逮。

【読み方】
伏(ふ)して惟(おも)ふに皇帝陛下、一を得て光宅(こうたく)し、三に通じて亭育(ていいく)したまう。
紫宸(ししん)に御いまして徳は馬の蹄(つめ)の極(きわ)まる所に被(おお)い、玄扈(げんこ)に坐(いま)して化(か)は船の頭への逮(およ)びたるところを照(てら)したまう。

【訳】
元明天皇に即位後、その威光は輝き、国民に対してはこれに向き合いよく声を聞いて善政を敷きました。
元明天皇の統治は、皇居(紫宸)から水陸の果てまで及び、その仁徳で民を導きました。

【解説】
伏惟皇帝陛下 得一光宅 通三亭育。
「伏惟」は「伏(ふ)して惟(おも)んみるに」と読みます。
「ひれ伏して思うと~」とは訳しずらいので「謹んで思うに~(考えてみると)」と訳すのが妥当だと思います。
「皇帝陛下」は、どの天皇なのか書いていませんが、この後に続く文脈から、太安万侶が『古事記』を献上した相手であることは明らかなので「元明天皇」を指しています。
ちなみに『古事記』では「天皇(スメラミコト)」と表記しているので、「皇帝」という表記は珍しいです。
ちなみに「皇帝」の称号は、中国の皇帝を指すのが普通でした。
以前も書きましたが、日本では「天皇」の称号の前は「大王(おおきみ)」を用いていたので、何でここで「皇帝」と書いたのかは分かりませんでした。

「得一光宅 通三亭育」は難しかったです。
正直訳も解釈も合っているか微妙です…。
とりあえずこう読みました。
「一を得て光宅(こうたく)し、三に通じ亭育(ていいく)する」。
「ちょっと何言ってるかわかんない」状態なんですが、ヒントはあります。
それはこの文が、ヒント①以下の文脈からわかりますが【元明天皇の治世を称賛している文】だという事です。
そして、ヒント②「亭育」は「育て養う」という意味だという事は調べて分かりました。

だから残りは「一」と「三」がそれぞれ何を指すか?と「光宅」の意味です。
まず「一」ですが、「天下一」の様に「最上のもの」を指す言葉だと考えました。
ヒント①から「一」=「最上のもの」=「天皇」か!と行きつきました。
なので「一を得て」は「最高位を得て」、つまり「天皇に即位して」の意味だと思います(間違ってるかも...💦)。
次に「光宅」
「…光る家って何よ?」って話です。
しかし「天皇に即位して」に続く言葉なので、「光」は「威光」的な意味だと思います。
「宅」に関しては随分調べたのですが「家」的な意味以外ありませんでした。
つまりお手上げです…どういう意味で使ったのか、太安万侶に聞きたいです。
そして「三」です。
手掛かりはヒント③「一」がどうやら「最上のもの」という意味なので、身分とか位を表しているのでは?ということです。
...となると、
「一」→天皇
「二」→家臣(大臣とか貴族とか)
「三」→平民
で、「おぉ...!『三』は平民だ!!」と勝手に決めつけました(繰り返しますが、間違っているかも💦)
なのでここは「最上のものを得て威光し、平民に通じ育て養った」。
これを「元明天皇に即位後、その威光は輝き、国民に対してはこれに向き合いよく声を聞いて善政を敷いた」と訳しました。
しつこいですが、間違っているかもしれません💦


御紫宸而 德被 馬蹄之所極 坐玄扈而 化照 船頭之所逮。
「御」は「言葉の上に付けて、尊敬の意味を表わす」言葉です。
次に続く言葉の「紫宸」は天子の御殿を指すのでその為に用いたと思いますが…。
ただここは動詞で使われていると思います。
「御」は「おさ(める)」とも読み「治める」の意味もあるので、こっちの意味で使うのかもしれません。
「紫宸」は「ししん」と読みます。
「紫」→「紫微星(しびせい)」の「紫」からきています。
紫微星=北極星=帝王の星と考えられています。
紫は貴さを司っていて、紫+建物の名前(例えば紫宮とか)は天皇の住居という意味になります。
「宸」→天子の居所の意味です。
つまり、「紫宸」は「天子の御殿」という意味です。

「德被」は「徳で被(おお)う」でしょうか。
「馬蹄」は「ばてい」と読みます。
「馬の蹄(ひづめ)」という意味です。
「馬蹄之所極」はそのまま訳すと「馬の蹄の極みの所」?
前後の文脈から、ここは徳の行き届く範囲を示しているようですので「馬で行ける範囲の限界まで」=「凄く遠いところまで」的なニュアンスで訳しました。

「坐」は「すわる、いながら、います」と読み、意味も同じです。
「玄扈」は「げんこ」と読みます。
これは調べてもちょっと意味が分からなかったのですが、以前ご紹介した中国の伝説の五帝の最初の人である【黄帝がいた山や川を表している】様です。
こんな感じでした→『黃帝坐玄扈洛水上...』
太安万侶が「坐玄扈」と記したこの箇所は、この表現を用いた様です。
なのでここは「玄扈」は「元明天皇がいた山や川を表している」ことを言いたいようです。

「化」は「感化」の様な感じで使用し「教え導く、影響を及ぼす」的な意味でしょう。
つまり「化照」は「照らして教え導く」ニュアンスで訳しました。
「逮」は「およ(ぶ)」と読みます。
私は「逮捕」以外で使用したことありませんけど…「およぶ、届く」という意味です。

「船頭之所逮」はそのまま訳すと「船頭の逮(およ)ぶ所」?
ここも「馬蹄之所極」同様【範囲】を示しているようですので「船(船頭)が行ける所まで」って感じで訳してみました。

そんな訳で直訳すると…
「紫宸で馬で行ける範囲の限界まで徳で被(おお)ってお治めになり、玄扈に座って船(船頭)が行ける所まで照らして教え導く」
ハイ、いつも通りとても分かりづらいです。
これは、【元明天皇の政治の範囲がどこまでも広かった】...という事を言いたいのでしょう。
なので「元明天皇の統治は、皇居(紫宸)から水陸の果てまで及び、その仁徳で民を導きました」と訳しました。

以上で『古事記』序文⑲~元明天皇(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑳~元明天皇(2)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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