いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文⑱~稗田阿礼(2)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑱~稗田阿礼(2)~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
その時、天皇の側仕えをしている、姓は稗田、名は阿礼という歳は28になる舎人がいました。
物事の理解が早い賢人で、一度目で見たものは、そらんじて(=何も見ないで暗記して)読むことが出来、(天武天皇のお言葉を)清らかに聞くことで、その心にお言葉を記録し留めることが出来ました。

前回は天武天皇の側仕えであった、記憶力優れた稗田阿礼という説明・紹介でした。
キャスティングが揃い、順調に進むかと思われた歴史書『古事記』編纂の国家プロジェクトでしたが、天武天皇崩御によって頓挫してしまう...という事が今回は描かれています。


『古事記』序文⑱~稗田阿礼(2)~

【原文と読み方】
【原文】
即勅語阿禮。令誦習帝皇日繼。及先代舊辭。然運移世異。未行其事矣。

【読み方】
即(すなわ)ち阿禮(あれ=稗田阿礼)に勅語して、帝皇の日繼(ひつぎ)と、先代の舊辭(旧辞=くじ)とを誦(よ)み習(なら)わしめたまいき。然(しか)れども運び移り世を異にして、未(いま)だ其(そ)の事を行いたまはざりき。

【訳】
そこで天武天皇は、稗田阿礼に仰せ下されて、新たに選定しなおした『帝紀』と『旧辞』の語り伝えを繰り返し読ませ、記録を開始しました。
しかし、天武天皇が崩御され時勢が変わったため編纂事業は一時中断し、この時代には完成しませんでした。

【解説】
即勅語阿禮
「勅語」は「 天子の言葉」の意味です。
「勅」は、元々中国で皇帝の意思表示を勅と呼んだことに由来しています。

「そこで天武天皇は、稗田阿礼に仰せ下されて」と訳しました。


令誦習帝皇日繼 及先代舊辭。
「誦習」は「しょうしゅう」と読みます。
「(書物などを)読み習う、読み覚える」という意味です。
「帝皇日繼(継)」は「ていおうのひつぎ」と読みます。
(「皇帝」じゃなくて「帝皇」なんですね…。)
これは『帝紀』のことです。
『帝紀』は現存していない為推測ですが、天皇・后妃・皇子女の名の他、天皇の年齢と治世年数・治世中の事柄・宮城の所在等が記されてあったと思われています。
「舊辭」は「旧辞」です。
『旧辞』は「くじ、きゅうじ」と読みます。『本辞』とも言います。
『帝紀』同様『旧辞』も現存していないため推測ですが、古代の神話・伝承の記録が記されていたと考えられています。

大和政権が力を持つ以前から、各氏族にはそれぞれの旧辞(神話や伝承)が伝えられていましたが、5~6世紀頃辺りからこれら旧辞の統合が図られ、出来上がったのが『古事記』です。
統合が図られた背景として、これらの記録は基本的に【口承】であったため、覚え間違い・聞き間違いの他、主観で解釈したり、改ざんされたりした可能性もあり、各氏族とも食い違いがあったため...です。
古事記・日本書紀の編纂にも主要な資料として利用された『帝紀』と『旧辞』ですが、これはあくまで大和政権側の行った、つまり勝者側の行った編纂であるので「大和政権側にとって都合が良い解釈になっているかもしれない」という事は考慮した方が良さそうです。

ちなみに、この作業をザックリ分けて見ますと…
①諸国・諸家からそれぞれ歴史書を集める
②食い違いを取りまとめる(言い換えれば諸国・諸家にもそれぞれ言い分があるだろうから、それらを聞いて調整する)
③史実を確定する
④記録する=歴史書作る
...な流れかな~と考えています。
古事記』と同時期に完成した『日本書記』には、天武天皇が681年、川島・忍壁両皇子らに「帝紀および上古諸事」の記録校定事業を命じたことが書かれています。
上記の②は各国や諸家の言い分を調整しなければいけませんから、身分が高い者でなければ諸国の長も言う事を聞かなかったと思うので、両皇子に命じたのかもしれません。

稗田阿礼は舎人という下級役人であったので諸国の長の意見の取りまとめなど出来るはずはないと思います。
だから、上記の作業で言うと②は行わず、③以降に関わったのだろうと思います。
天武天皇が稗田阿礼に求めたのは「正しい史実を記憶する」ことなので、彼を呼んだ時点で③「正しい史実は確定」しているはずです。
しかしこの時『古事記』は完成していないので、④の記録途中の段階かな~と想像しています。

これらを考慮し、直訳では「『帝紀』と『旧辞』とを読み習わせました」ですが…。
「新たに選定しなおした『帝紀』と『旧辞』の語り伝えを繰り返し読ませ、記録を開始しました」の方がシックリ来たのでこっちにしました。


然運移世異 未行其事矣。
「運」は「巡り合わせ、運勢」と言った意味でしょう。
「世」は「時代」の意味です。
ですから「運移世異」は「運勢が移って、時代が異なって」という感じになると思います。
「未行其事」は「其(そ)の事は、未だ行われなかった」という意味です。
「矣」は音読みで「イ」です。
句の終わりに用いて断定・推量・詠嘆などを表す助字です。
「~である、~だなあ、~だろう」みたいな感じです。

直訳すると「しかしながら、運勢が移って、時代が異なって其(そ)の事は、未だ行われなかったのである」となると思います。
編纂が中断した理由は、天武天皇崩御(686年10月1日)です。
つまりこれが「運勢が移って時代が異なって」の部分でしょう。
少しわかりずらいので、この辺りに起こった【政変】を時系列に並べて見ます。
※()内は天武天皇との続柄です
681年 川島・忍壁両皇子らに「帝紀および上古諸事」の記録校定事業を命じる
686年 天武天皇崩御
     大津皇子謀反の疑いで自害(子)
689年 草壁皇子死去(子)
690年 41代・持統天皇即位(妻)
697年 42代・文武天皇即位(孫、草壁皇子の子)
707年 43代・元明天皇即位(義娘、草壁皇子の妻)
712年 『古事記』が献上される
ここで詳細は書きませんが、壬申の乱以降、皇位継承を巡ってかなりゴタゴタしていたようです。
この混乱を終息させるためにも、正統な継承者であると書かれた歴史書『古事記』が必要だったのでしょう。

ただ政権側の立場である太安万侶が「しかしながら政変があって~」とは書けないので「運移世異」としたのでしょう。
太安万侶の立場も考えて...
「しかし、天武天皇が崩御され時勢が変わったため編纂事業は一時中断し、この時代には完成しませんでした」と訳してみました。


以上で『古事記』序文⑱~稗田阿礼(2)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑲~元明天皇(1)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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