いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文㉒~太安万侶への勅命~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文㉒~太安万侶への勅命~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
諸外国からの使者が絶えることなく訪れ、その貢ぎ物によって倉は常にいっぱいでした。
元明天皇は、古代中国の伝説上の帝である文明(禹)よりも名高く、徳の高さにおいても古代中国殷王朝の初代王である天乙よりも優れている、と言うことが出来ます。

今回は、元明天皇からの勅命によって、古事記の編纂を命じられたことが書かれています。
前回までは自らに編纂の勅命を出した【元明天皇の称賛】が長々と書かれていた訳ですが…正直「元明天皇に古事記の編纂を命じられました」の一言で済む話だったわけです(←半分愚痴)
その一言で済む話を3日もかけて書くことになるとは...なんかやるせない気持ちでいっぱいです…(←ほぼ愚痴)。
ともあれ、今回が【古事記成立】という古事記序文において非常に重要なお話なのです。


『古事記』序文㉒~太安万侶への勅命~

【原文と読み方】
【原文】
於焉惜 舊辭之誤忤 正先紀之謬錯。
以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 
撰錄稗田阿禮所 誦之勅語舊辭 以獻上者。
謹隨詔旨 子細採摭。

【読み方】
焉(ここに)於いて舊辭(=旧辞)の誤り忤(さから)いを惜しみ、先紀(=帝紀)の謬錯(びょうさく=誤り)を正して、和銅四年九月十八日を以て、臣安萬侶に詔(みことのり)して、稗田阿禮(ひえだのあれ)が誦(よ)める勅語の舊辭を撰録(せんろく)して、獻上(けんじょう=献上)せよと宣りたまへば、謹(つつし)んで詔(みことのり)の旨(むね)に隨(したが)い、子細(しさい)に採摭(さいせき)す。

【訳】
この元明天皇の時代になって、旧辞・帝紀を選定しなおした正しい歴史書編纂の事業が頓挫しているのを惜しみ、和銅四年九月十八日に元明天皇は「天武天皇が稗田阿礼によませた旧辞・帝紀を書き取り『古事記』を献上せよ」と私、太安万侶にお命じになりましたので、謹んで仰せの主旨に従いまして、事細かにこれを記録いたしました。


【解説】
於焉惜 舊辭之誤忤 正先紀之謬錯。
「焉」は助詞です。
音読みでは「エン」ですが、ここは訓読みで意味も同じな「ここに」で良いと思います。
「忤」は「もと(る)、さから(う)」と読みます。
「道理に反している」的な意味でしょう。
「謬錯」は「びゅうさく」と読みます。
「誤り、間違い」という意味です。
なおこの二つの文字を個別で見て行くと…
「謬」は訓読みで「あやまる=誤る」。
「錯」も訓読みで「あやまる=誤る」と読みます。
「謬」+「錯」で「あやまり、あやまりを正し~」と読んで「何回誤ってんの?」となるよりは「謬錯(びゅうさく)を正し~」の方がカッコイイかな~と思って、私の読みはそうしています。

「舊辭」と「先紀」は何回かご紹介していますが、念のために説明しますと…
「舊辭」→旧辞、本辞とも言います。昔の記録、上代の伝説、説話などを筆録したものです。
「先紀」→帝皇日継(すめらみことのひつぎ)、帝紀とも言います。歴代天皇の系譜です。
この2つは共に口伝えで伝えられたものらしいですが、まとめてみたら色々異説が生じてたので、天武天皇が稗田阿礼に命じて整理させ、元明天皇が太安万侶にまとめさせたのが『古事記』です。

直訳してみると「焉(ここに)於(お)いて舊辭(=旧辞)の誤りを惜しみ、先紀(=帝紀)の誤りを正そうとして~」となると思います。
でもこれだと誤り~誤り~で綺麗じゃないですし、ここは天武天皇が始めた古事記の編纂が頓挫しているのを惜しんでいると読んだため...
「この元明天皇の時代になって、旧辞・帝紀を選定しなおした正しい歴史書編纂の事業が頓挫しているのを惜しみ」と訳しました。

以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 
「和銅四年九月十八日に太安万侶は元明天皇から(『古事記』を献上せよ)と命じられた...」と書いています。

訳に関して難しい箇所は無いので、ここでは「和銅四年九月十八日」について見て行こうと思います。
取り敢えず、古書を見るにあたって知っておいた方がいいのは、こんなとこですかね…?

①まずは【新暦と旧暦】に関して。
ここでは細かいトコは省いてしまいますが、簡単に言うとポイントは以下の2点です。
(A)1872年(明治5年)に採用された太陽暦が新暦、それ以前の暦が旧暦。
(B)1年の日数が異なる
【新暦】→太陽の動きが基準で1年365日
【旧暦】→月の動きが基準で1年354日
現在暦のズレは「4年に一度の閏年」で修正していますが、旧暦は「約3年に一度の閏月(この年は13か月ある)」で修正していました。
旧暦は中国から日本に入ってきて、6世紀末の飛鳥時代には導入、和暦として使用していたそうです。
新暦を採用したのは「世界基準に合わせること」が最大の理由でした。
また本当かどうか分かりませんが「旧暦で1年が13ヵ月あると、給料を13回出さなければならなくなる」という理由もあったとか、無かったとか...。
ちなみに旧暦「和銅四年九月十八日」は、現在の新暦で言うと「711年11月3日」です。

②次に【元号】に関して。
ここでも細かいトコは省いちゃいます、ポイントだけ。
(A)年代につけられる称号で中国から伝わった(ちなみに前漢の武帝時代に始まったとされ、一番最初の元号は「建元・紀元前140年~」です)
(B)日本における最初の元号は「大化」(645年7月29日~・孝徳天皇の時です)
(C)現在日本が唯一、元号を使用している
こんな感じですかね…なお「改元の理由は様々」です。
ちなみに「和銅」という元号は「武蔵国より和銅が献上された」ことから改元されました。

話が逸れちゃいましたが、【新暦と旧暦】【元号】に関しての補足は以上です<(_ _)>

撰錄 稗田阿禮所誦之勅語舊辭 以獻上者。
「撰錄」は「せんろく」と読みます。
「選び出して記録すること」という意味です。

「所」はどこを指すかと言えば「誦之勅語舊辭」かな、と。
ここの文は「稗田阿禮が誦之勅語舊辭した所を撰錄し、献上せよ」という感じでしょう。
「誦之勅語舊辭」の勅語の主語がありませんが「元明天皇が太安万侶に」ではおかしくなってしまうので、ここは「天武天皇が稗田阿礼に」出した勅命でしょうから「天武天皇が稗田阿礼に、勅命で正しく選定させた旧辞」という意味になると思います。

ややこしくなってきたので一度整理しますと…
「元明天皇が太安万侶に撰錄して献上せよ」と命じた訳です。
で、何を撰錄しろといったのかと言うと「天武天皇が稗田阿礼に、勅命で正しく選定して誦ませた旧辞」をです。
なので正確に訳すると「元明天皇は太安万侶に『天武天皇が稗田阿礼に、勅命で正しく選定して誦ませた旧辞』撰錄して献上せよ」と命じたとなるでしょうか。


謹隨詔旨 子細採摭。
「謹隨詔旨」は「謹んで詔(みことのり)の旨に隨(したがう=随)う」感じですかね。

「子細」はそのまんまですね。
「事細か、詳細」という意味です。
「採摭」は「さいせき」と読みます。
「拾採=ひろいとること」という意味です。
※「摭」は見慣れない文字ですが、音読みで「セキ」。
「拾う、拾い集める」という意味があります。

「謹んで仰せの主旨に従いまして、事細かに記録いたしました」と訳しました。

以上で『古事記』序文㉒~太安万侶への勅命~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文㉓~太安万侶からの注意点(1)「於字即難」~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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