いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文⑫~天武天皇の統治(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑫~天武天皇の統治(1)~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
戦いの後の混乱は、短時間のうちに自ずとおさまりました。
戦後の混乱がおさまったのを見届けてから、軍で使った牛馬を休ませて、穏やかな気持ちで都に凱旋しました。
軍旗や武器も片付けられ、代わりに舞を踊り、歌を詠むなどして、都(大和の国)に平和が訪れました。
そして、673年癸酉(みずのととり)の年の2月に、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)において天武天皇が即位されました。

壬申の乱で勝利し、天武天皇が即位しました。
この後、『古事記』の編纂が始まるのですが、その前に天武天皇の業績について、少し長めに語られます。
今回はその1回目です。

『古事記』序文⑫~天武天皇の統治(1)~

【原文と読み方】
【原文】
道軼軒后。德跨周王。握乾符而摠六合。得天統而包八荒。

【読み方】
道は軒后に軼(す)ぎ、徳は周王に跨(また)ぎたまへり。
乾符(けんぷ)を握(と)りて六合(りくごう)を摠(すべ)、天統(てんとう)を得て、八荒(はっこう)を包みたまひき。

【訳】
(壬申の乱後で荒廃した世に)正邪・善悪の規範を示し、その統治の手腕は黄帝以上であり、周の文王・武王より優れていました。
天皇であることの証である三種の神器を得て、正しく天子の位を継ぐ者として、国の隅々までしっかりとまとめ、統治しました。


【解説】
道軼軒后 德跨周王

「軼」は「す(ぎる)」と読みます。
「優れる、勝る」と言う意味です。
「跨」は「また(ぐ)」と読みます。
「またぐ、乗り越える」の意味です。

【黄帝と周王 について】
「軒后」は古代中国の神話伝説時代(古代王朝以前の時代。紀元前2500年くらい前)、最初に中国を統治したとされる「黄帝」を指します。
軒后(=黄帝)は、氏が「軒轅」ですので分かるのですが、何で「軒皇」じゃなくて「軒后」なんでしょう?
ここは良く分からなかったのですが、姓が「姫」だったから「皇→后」にしたのか...?謎です…。
ちなみに中国では、軒后(=黄帝)を『従わない者を討って道を開き、中国を隅々まで統治した開国の帝王』として描いており、以降誕生した多くの王朝・国家の諸侯は『自分らは黄帝の子孫である』としています
古事記』では上の赤文字の部分を強調したかったんじゃないかな~?と思います。

「周王 」は、古代中国の王朝「周」の王様のことですが、訳すにあたって2人候補者がいます。
ちょっと簡単に...
文王→名は姫昌。殷を倒した革命戦争(牧野の戦い)の名目上の主導者。後に周王朝を創始した武王の父。
武王→名は姫発。文王の次男。牧野の戦いで殷を倒し、後に周王朝を創始した。
そして文王・武王共に「模範的・道徳的な君主の代表例」なのです。
どちらの王を指すのか分からなかったので、私の訳では「周王=文王・武王」と両人を指すことにしました。

【道徳って?】
さて...ここ(道軼軒后 德跨周王)は天武天皇が『道徳で、中国の黄帝や周王を凌ぐ皇帝である』という事を説明しています。
『道徳』は一言でいうと『正邪・善悪の規範』です。
ちなみに細かく見ると…
「道」→世の中で人が従うべきルールのこと
「徳」→そのルールを守ることが出来る・体得した状態のこと
…です。
道徳は法律では無いので、「道徳を守らせた」というニュアンスより「規範を示した」というニュアンスで訳してみました。

直訳すると「道において黄帝より勝っており、徳において周王を超えていた」。
ここを「(壬申の乱後で荒廃した世に)正邪・善悪の規範を示し、その統治の手腕は黄帝以上であり、周の文王・武王より優れていました」と訳しました。


握乾符而摠六合
「握」は「自分のものにする」という意味もあります。
「乾符」は聞きなれませんが「けんぷ」と読みます。
「 天皇であることの証、神器のこと」という意味があります。
「神器」は「三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」のことです。
「摠」は「すべ(る)、すべ(て)」と読みます。
「全部」や「統べる」と言う意味です。
「六合」は「りくごう」と読みます。
天・地・四方(東西南北)で「六」です。これらすべてを「合」わせて「六合=世界」という意味でしょう。

「天皇であることの証である三種の神器を得て、天下を統べました」と訳しました。


得天統而包八荒
「天統」は「てんとう」と読みます。
「天子の血統、天子の位を継ぐ者」という意味です。
「包」は「つつむ」というより「~まとめにする」意味で使われているのだと思います。
「八荒」は「はっこう」と読みます。
「地上のありとあらゆる方面、国のすみずみ、天下、世界」という意味です。
ちなみに「八荒」の八方とは東・西・南・北と北東・北西・南東・南西の八つの方角です。

「正しく天子の位を継ぐ者として、国の隅々までしっかりとまとめ、統治しました」と訳しました。

以上で『古事記』序文⑫~天武天皇の統治(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑬~天武天皇の統治(2)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ