こんばんは、いもみ🍠です。
本日は『古事記』序文②~イザナギの禊~についてです。
こんばんは、いもみの相棒のアキです。
主に翻訳と解説を担当しています。
前回のあらすじ
序文の前半部分は、『古事記』本文に書かれている事を要約して話しています。
しかしこの時世界の形は十分ではなく、天と地もまだ分かれていませんでした。
そのためこの時、全てのものに名前は無く、動きもありません。
そして、世界の形を知るものはまだ誰もいませんでした。
しかしながら、それまで名も動きも形も無かった世界は初めて2つに分かれ、ひとつは「天」となり、ひとつは「地」となりました。
そして「天」にアメノミナカヌシの神が生まれ、続いてタカミムスビの神、カムムスビの神が生まれ、万物を造る最初の神となりました。
神は最初は姿形の無い「とある存在」でしたが、やがて生まれた神々には姿と性別がありました。
そうして生まれたイザナギの神とイザナミの神が、万物を生み出す親となりました。
『古事記』序文➁
イザナギの禊について
【読み方】所以(ゆえん)、幽(ゆう)と顕(けん)に出で入りて、目を洗ふに日と月が彰(あらは)れたまひ、海水(うしほ)に浮き沈みて、身を滌(あら)ふに神祇呈(あらは)る。
イザナギが死者の国である黄泉国から現世に帰ってきました。
そして死の世界の穢れを落とすために、水に浸かって禊(みそぎ)をすることにしました。
イザナギが目を洗うと、左目から天照大御神(以降「アマテラス」と表記します)が、右目から月読命(以降「ツクヨミ」と表記します)が現れました。
さらにイザナギが海水で浮き沈みして身体を洗うと、沢山の神様が現れました。
「そんな訳で」と訳してみたのですが…。
端折られ過ぎていて『古事記』本文を読んだ事が無い人には「そんな訳」の「そんな」が何のことやら分かりません。
本文では①【結婚】⇒②【神産みでイザナミ死ぬ】⇒③【イザナギが黄泉国にイザナミを迎えに行く】⇒④【イザナギが約束を破ったので、追い回される】⇒⑤【イザナミと離別、現世に逃げ帰る】⇒⑥【死者の国で穢れたので、イザナギは体を洗いたい】です。
この①~④の部分が「そんな訳で」の「そんな」というイメージで訳してみました。
強いて書くなら『イザナギの神とイザナミの神は結婚し、万物を生み出す親となりましたが、神産みの時にイザナミはやけどが元で亡くなってしまいます。そこでイザナギは黄泉国にイザナミを迎えに行くのですが、「覗くな」と言う約束を破ってしまい、追い回された挙句、二人は離別するのです…。』が「そんな訳」でしょうか?
・出入幽顯=「幽顕」は「この世とあの世」の意味です。
直訳「あの世(黄泉の国)と現世を出入りする」=「黄泉国から現世に帰ってきました」と訳しました。
・日月彰於洗目=「日月」は「太陽と月=アマテラスとツクヨミ」の意味です。
「彰(あらわ)」は「現れる」という意味です。
「於洗目」は直訳「目を洗うにおいて」で良いと思うのですが、全文との繋がりで「黄泉の国から帰ってきた。目を洗ったらアマテラスとツクヨミ現れた」では、初見の人には「何のこっちゃ?」なので、訳では『死の世界の穢れを落とすために、水に浸かって禊(みそぎ)をすることにしました。イザナギが目を洗うと…』と言うふうに何故目を洗うことになったのか?の文を入れて訳してみました。
・神祇呈於滌身=「神祇」は「神=天津伸、あまつかみ(天の神)」「祇=国津神、くにつかみ(地上の神)」の意味です。
実はイザナギが禊をした時、20以上の神様が産まれています。
なので「神祇」=「天と地の神々」と訳すより「沢山の神様」の方がしっくり来たのでこの様に訳しました。
「呈」は「状態を表す」の意味です。
「滌」は「洗う、すすぐ」の意味です。
ですから「呈於滌身」を直訳すると「体を洗った状態で~」となりますが何かおかしいので「身体を洗うと~」と訳しました。
以上で『古事記』序文➁~イザナギの禊~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』序文③~因本教而~をご紹介する予定です。
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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~本日のオマケ~
先日、実家に帰って植木に水やりをしていたら、揚羽蝶が花の蜜を吸っていました( ^ω^ )
ナイスショット📸が撮れてご満悦の私でした✨