いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

日本に一社⁉河童の神様がいる手接神社に行って来ました

【2022年7月5日に更新しました】
こんばんは、いもみ🍠です。

河童はいる(若しくは、いた)と思いますか?

本日はそんな河童にまつわるお話のある神社、茨城県小美玉市与沢にあります『手接神社』についてご紹介します。
「てつぎ神社」と読みます。
何故「てつぎ」と言う名前になったのかは後述します。

近くには梶無川が流れていました…ってことはこの川に河童が?!

ミステリー感たっぷりの、でも実は悲しくもある物語が伝わる『手接神社』の歴史、由来、アクセスなどをご紹介します!

場所と駐車場について

↓【場所】はこちらです↓

【駐車場】
駐車場は神社横に広い空きスペースがありますので、そちらに停めました。
10台以上駐車出来そうでした。

【電車】
JR常磐線「高浜駅」から関鉄グリーンバスが出ています。
「上与沢」バス停から徒歩10分程ですが、本数は凄く少ないです!
茨城空港からは車で数分でした。

【お手洗い】
お手洗いは社務所の隣奥にありました。
自販機はありません。

創建

1507年(永正4年)

後述する物語を元に、時系列で並べてみました。
・1465年頃? 芹沢隠岐守俊幹と七郎河童が出会う
(詳細は下記の【七郎河童のお話】をご覧ください<(_ _)>)
・1481年  手接明神の祠が建てられる
(祠は与沢村神橋に鎮座していたそうです)
・1507年  現在地に遷座し、手接神社創建

…という流れの様です。

御祭神

罔象女命(みずはのめのみこと)
 大巳貴命(おおなむちのみこと)
 少彦名命(すくなひこなのみこと)

罔象女命は水の神様ですね。
河童にはやはり水が欠かせないと言う事なのでしょうか?
それともこの辺りの河川の氾濫を鎮めるため祀られているのか...。

 

ご利益

手の病に特化しているといわれています。
また「手」に関するご利益があると言う事で、「手に職を」で就職や技術向上などのご利益もあるそうですよ。

手接神社は、手形を奉納すると「手の病が治る」と多くの参拝客が訪れるようになったと言われています。
今では手形の代わりに手袋を奉納される参拝客も多いそうですよ。

境内のご紹介

では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
…の前に、神社に向かう途中に大きな看板がありました!

上の写真では「例大祭 10月9日」とありますね。
10月9日は河童伝説発祥の日とされているんですって。

この道を行くと神社に辿り着きます。
御朱印の案内の看板があって、この日が偶然御朱印受付日だったのを知り、一人興奮していましたヽ(^o^)丿ヤッター

そして神社に到着!!
参道には大きな杉の木がありました。

鳥居と左手には手水舎、そしてその奥の建物が社務所になっています。

狛犬です。まだ新しいのかな?

拝殿は扉のない壁で覆われた造りでした。

お賽銭箱が無いと思ったら、この中に入れて下さいという掲示が。
中には河童がいるのかな('ω')
中を覗いたのですが、真っ暗で何も見えませんでした(;^ω^)

扁額です。
まだ新しいですね。

年季の入った奉納品も飾ってありました。
創建は500年以上昔ですもんね。

こちらが御本殿です

参道脇には境内社がありました。

そして、「おぉ...!これが…!!」
河童の像があります!
河童の像の下には、七郎河童のお話が書かれていました。

七郎河童のお話

1465年頃のお話です。

芹沢隠岐守俊幹というお殿様がいて、梶無川の岸を馬で散歩をしていると、馬が突然進まなくなりました。

俊幹が振り向いてみると、河童が馬の尾尻を引っ張っていたので、俊幹は剣を抜いて河童の手を切り落とし、その手を持って館に帰りました。

その夜、俊幹の枕元に少年のような河童が表れ、涙を流しながら言いました。

「私はこの梶無川に棲む七郎河童です。いたずらにお殿様の馬を驚かし、このように手を失ってしまいました。
とても反省をしております。
ただ心配なのが、老いたる母の事です。
手が無くては、お世話をすることができません。
どうかお慈悲をもって手をお返ししてくれないでしょうか?
手はつなぐことができます
返していただけた暁には、毎日魚を献上いたします。
そして、先祖代々から伝わる秘伝の薬の作り方をお教えします。」

俊幹は河童の親を思う気持ちから「これからは悪戯をしてはいけないぞ」と諭して、手を返してあげました。

河童は約束通り、【秘薬の作り方】と【きりすね】等を伝えました。

また翌日からは、館の庭の梅の枝に2匹の魚を届け続けたので、人々はこの庭木を魚掛梅と呼ぶようになりました。

ところが数年たったある日、河童からの魚の届けが絶えました。

次の日、俊幹が川に様子を見に行くと、河童が泡を吹きだして死んでいたのです…。

哀れに思った俊幹が祈念しすると、河童の遺体は川上へと逆流していきました。

遺体が川上の与沢に流れ着き、芹沢氏家臣の孫衛門に見つけられました。

この知らせを受けた俊幹は深く憐れみ、川のほとりに小さな祠を建て、『手接明神』として祀りました。

この物語で出てきた、手を切り落とされた河童が「手はつなぐことができます」と言ったのが「てつぎ(手接)神社」の由来となったんですね。
でもちょっと河童がかわいそうですね…。

芹沢隠岐守俊幹は新選組の芹沢鴨の祖先?

七郎河童のお話で、登場した芹沢隠岐守俊幹というお殿様。

七郎河童から、秘伝の薬の作り方を教わりました。

その後、河童の妙薬は『家伝 筋渡薬(すじわたしのくすり)』として水戸藩からも由緒正しい薬としてお墨つきとなり、さらに全国の諸大名にも愛用されたと言います。

さて、この芹沢隠岐守俊幹というお殿様には、かの有名な新選組・芹沢鴨のご先祖様ではないか?という説があります。

芹沢鴨の出自については謎が多く、色んな説があってハッキリはしませんが「芹沢」姓が同じ茨城県にあるので、「もしかしたら?」と想像してしまいますよね?

なお【『家伝 筋渡薬』は、平成21年まで石岡の医院で希望者にわけていた】とのことですよ?

【きりすね】について

七郎河童のお話で出てきた殿様が河童より授かったとされる「きりすね」。

下の写真にあるように、「きりすね」は糸を束ねたミサンガみたいな感じで、手の痛い所に巻きます。
「糸が切れる頃には、痛い所が治るよ」ってことのようです。

きりすね」は神社を参拝した後に、希望すれば頂けるようです。

手接神社の御朱印

参拝後、御朱印を頂きに社務所へ行きました。
公民館みたいな社務所で、拝殿左手にありました。

頂いた手接神社の御朱印がコチラです。

河童と飛行機が組み合わさった斬新な御朱印です!初穂料は500円でした。

ネットでは「御朱印は無い」とあったので、頂けるとわかりとてもハッピーでした✨

御朱印の対応日が毎月第2、第4日曜日で、偶然にもこの日は第2日曜日!

もしかしたら、河童の神様に導かれたかもしれません(・∀・)ウレシイ!!

以上で『手接神社』についてのご紹介はおしまいですm(__)m
河童の伝承がある神社に参拝できて、感動しました(´▽`)

しかも七郎河童のお話には、あの新撰組で活躍したダークヒーロー的な存在の芹沢鴨のご先祖様が関係していたとは!
調べれば調べるほど、奥が深い手接神社でした。


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ
手接神社に行った次の日の事でした。
家具店に用事があって買い物を済ませたら、ランチ時になってしまい、どこで食べようかなと悩んでいたら、たまたま家具店の側に「かっぱ寿司」があって入店することにしました。
これも河童のイタズラなのでしょうか(⌒∇⌒)