こんばんは、いもみ🍠です。
本日は千葉県松戸市にあります『金ケ作熊野神社』のご紹介です。
金ケ作熊野神社は熊野三山のひとつ、和歌山県にある熊野本宮大社の分社にあたります。
熊野本宮大社の御祭神は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)で、太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることからか金ケ作熊野神社の御朱印にも八咫烏が描かれています(´ω`*)
八咫烏とは...
日本を統一した神武天皇を大和国の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。ちなみに八咫烏の「八咫」とは「大きく広い」という意味です。太陽の化身で三本の足があり、それぞれ天・地・人をあらわしています('ω')ノ
新京成線「常盤平」駅から徒歩数分の住宅街の一角にあります。
この辺りは道路が混みます。
金ケ作熊野神社の前の道路は裏道に入った感じなのですが、結構車が行き交っていました💦
でもご安心ください!
駐車場はとても広かったです(´ω`*)ヨカッタ...
神社の隣に自治会館があり、そこの広い駐車場が利用できます。
駐車スペースは40台くらい...?もっとイケるかも??
お手洗いは境内にありました。
自販機も自治会館前にありますよ。
鳥居横にも駐車場があるのですが、こちらはどうも契約駐車場のようです。
無断駐車禁止と書かれていました。
よく見るとこのように書かれていました。
由緒に書かれた文です。
「金ケ作は元武州川越藩郷士石川家5代目石川彦次右ェ門氏が、当地の新田開発を計画されて天明2年(1782年)元締として九家を引連れて此の地に入植し、一家当たり5丁歩を与いて開拓され、翌年7月6日の浅間山の大噴火により大量の火山灰の降灰により、田畠が大祓害を蒙り急遽、氏神様を祭神するに当たり、石川彦次右ェ門氏が神社敷地として、1、409・83坪を寄進されて、紀州和歌山の熊野本宮より御魂を拝受、其の名も熊野神社と称して祭神されました。」
~浅間山の大噴火と天明の大飢饉~
⇒この当時の時代背景をアキちゃんに調べてもらいました(・∀・)
皆様こんばんは。アキです<(_ _)>
この神社の掲示板にある①「石川彦次右ェ門が新田開発を計画」した経緯と、②「1783年7月6日の浅間山の大噴火」について、当時の時代背景を知ることが何かのヒントになるかもしれませんので、ここでちょっとご紹介したいと思います。
江戸三大飢饉(四大飢饉という場合もあります)というのをご存じでしょうか?('ω')ノ
それぞれ⑴享保(1732年)、⑵天明(1782~1787)、⑶天保(1833~1839)の大飢饉です。
このうち天明の大飢饉は、日本の近世では最大の飢饉と言われ、東北地方を中心に90万人ほどの餓死者が出ました。当時の日本の人口は約2600万人ほどだったことを考えれば、この死者の数には衝撃を受けてしまいます。
飢饉の原因は主に数年にわたる異常気象による凶作であったのですが、これに拍車をかけたのが上記の「1783年7月6日の浅間山の大噴火」であり、神社の掲示板には載っていませんが「同年の4月13日の岩木山の噴火」であったようです('ω')ノ
岩木山は青森県にある津軽富士の名を持つ火山ですが、東北地方に死者が多いのはこの山の噴火の影響が大きく、天明の大飢饉の遠因という位置付けになっています。
両火山の噴火により火山灰が各地に降り注ぎ、陽光を遮り、日射量の低下で農作物には壊滅的な被害が生じたのです。
話を戻しまして、石川彦次右ェ門が元締として九家を引連れて金ケ作に入植したのは、既に始まっていた飢饉から脱するために新田の開発に活路を求めたのではないかと思います。
しかしながら、入植の翌年には浅間山の大噴火で田畑が大損害を被ってしまうのです…(´・ω・`)
こうした流れの中で熊野本宮より御魂を拝受し、熊野神社としたのは人の手に負えない天災に対し神様の力に活路を求めたのでしょうか…?
余談ですが、天明の大飢饉後に寛政の改革が行われます。
三大飢饉は約50年ごとに起こるという周期があります。
そして三大改革はこれら飢饉の後に行われているという流れがあるんですよね('ω')ノ
三大飢饉
・享保(1732年)
・天明(1782~1787)
・天保(1833~1839)
三大改革
・享保(1716~1735、1745とも)
・寛政(1787~1793)
・天保(1841~1843)
三大改革は主に財政改革であったのですが、こうして並べてみると飢饉の打撃から立て直したかったのかなぁ...とも思いますよね('ω')ノ
以上、話が脱線しまくりのアキでした<(_ _)>
~創建~
⇒1783年(天明三年)に石川彦次右ヱ門により創建されたと伝わります。
~御祭神~
⇒伊弉冉尊(イザナギノミコト)・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
~ご利益~
⇒夫婦和合、縁結び、安産子宝、商売繁盛、立身出世、開運、五穀豊穣、試験合格、交通安全、除災など
では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
第一鳥居です。
すぐ後ろが道路で、車の通りが激しいのでお気をつけてください。
鳥居をくぐると、右手に手水舎がありました。
清めます。
50m程の真っ直ぐな参道を歩きます。
森林に囲まれていますので、すがすがしい気持ちになりました。
参道脇には休憩所もありましたよ✨
自販機もありました。
狛犬です。
マスク姿の狛犬も、最近は違和感なく見れてしまいます( ´△`)
狛犬と台座の色の違いが目立ちますね。
こちらが現在の社殿です。
現社殿は、旧社殿の老朽化に伴い1995年(平成7年)2月に造営さればかりだそうです。
こちらが旧社殿で、1895年(明治28年)に建てられた木造の社殿です。
社殿の左側に現存しています。
ちなみにこの前の社殿は木造平屋茅葺だったそうですよ?
何かが足りないな?と思ったら…旧社殿にはお賽銭箱が設置していないんですって。
境内社です。
社殿の左側にあります。
拝殿右手にお雛様が展示してありました。
こちらがご神木のくすの木です。
御朱印は社殿右側の授与所で頂けます。
中に入ると、すぐに声を掛けてくれました(´ω`*)ヤサシイ...
御朱印はこちらから選ぶことができます。
うーん、どれもカッコよくて迷ってしまいます。
直書きか書置きかも選べましたので、直書きをお願いしました。
御朱印を待つ間、見学させて頂きました。
梛の木が頂けるんですね~。
ちなみに私のパソコンでは「なぎ」を変換すると「梛木」になってしまって「梛」になりません...(・ω・)ハテナ?←どーでもいい話
梛の木は「熊野坐大神」の御神木だそうですよ('ω')ノ
お食い始めの石の用意もありました!
しかも『煮沸消毒、お清めお祓い祈祷済み』。
御朱印図鑑の本まであって、至れり尽くせりです(∩´∀`)∩
こちらが頂いた御朱印です。
ヤタガラスさんがいますね!
ヤタガラスはオリジナルの様です、口にくわえているのは梛の木かしら...?
そして、熊という字に力がこもっていますね🔥
初穂料は300円です。
以上で『金ケ作熊野神社』のご紹介はおしまいです。閑静な住宅街の一角にあり木々に囲まれた金ケ作熊野神社は、ご祈祷される方や参拝に来られる方が多くて地域に愛された神社なんだなぁ~…と思いました。
境内はとても綺麗で、所々にある風車(?)がとても印象的でした。
いつか和歌山県の熊野三山にも足を運びたいと思います(・∀・)
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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日に日に伸びてくれる豆苗をみると、嬉しくなりますね(⌒∇⌒)🌈