いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

日本で唯一社!「耳の守護」耳守神社に行って来ました!

【令和4年7月15日に更新しました】

こんばんは、いもみ🍠です。


本日は茨城県小美玉(おみたま)市の栗又四ケ(くりまたしか)にあります『耳守神社』のご紹介です。

「みみもり」神社と読みます。

名前の通り「耳の守護」を掲げている神社で「耳の病にご利益がある」と言われています。

日本で唯一社!

下の写真に「日本一社 耳守神社」とある様に「耳の守護」の神社は全国的にも他に無いそうで、とても珍しい神社です!

耳守神社は地元の方には「みみっちょ神社」とも呼ばれているそうです。
「みみっちょ」は耳千代姫のこと(「みみちよ姫」➩「みみっちょ」)です。
この耳千代姫のお話は、相棒のアキちゃんが後述します(・∀・)

場所と駐車場について

↓【場所】はこちらです↓

【駐車場】
駐車場は神社正面の階段下にあります。
↓駐車場の入り口を撮って、駐車場の全体像を撮り忘れた図↓<(_ _)>


2台ほど駐車スペースがありました。
(頑張れば3台イケそうですが、入り口が難しい...)
道は分かりやすく、目立つ看板もありましたのでスグに見つけることが出来ました(´ー`)

【お手洗い】
お手洗いや自販機はありません。


ではここからは、相棒のアキちゃんに説明してもらおうと思います(´ω`*)
決して丸投げしているわけではありません...。

耳千代姫について

⇒まずは境内にありました「耳守神社再建記念碑」をご覧ください('ω')ノ
詳しく書かれていますので、とても分かりやすいです。

ちょっと見えづらくてすいません💦
以下のような内容でした
(※読みやすいよう句読点を加えたり、多少要約&注釈しています<(_ _)>)

『当耳守神社は千年の昔よりこの地に祀られ、厚い崇敬と人々の信仰を集め、特に耳を患う者に霊験灼(あらた)な耳守様と広く世に知られ、随分遠方よりの参詣者も有るお宮で、その縁起を記すれば次の如くである。

第五十代桓武帝の後胤・平国香(872~935)の直孫の豪族・飯塚兼忠の娘千代姫は、幼少の頃から耳が不自由なりしも両親の断食祈願の甲斐あって熊野権現の神徳を得て、人一倍聞こえる様になり『館の耳千代様』と親まれ、その聴力には人々も只々感歎するばかりでした。 

しかし千代姫は三十三歳の厄年に不幸にも病に罹り、病状は日毎に悪化したため、自ら不治を悟り「我亡き後になるならば一社を祀り給われかし。耳の病を守護せん」と言葉を残し世を去った。
遺言通り両親は栗俣上郷の地に社を設け耳守と号し神事を行い飯塚家代々之を継承した

幾星霜どれくらい時が経ったでしょうか。戦国争乱時代の天正十八年(1590年)二十四代目・大掾清幹は佐竹義宣の大軍に敗れ府中城に滅亡し、同族の飯塚家も田木谷砦に滅び耳守の祭礼も跡絶した。だが地元民により復活神事が守り続けられた。

斯くして四百年近くの歳月が流れ、昭和も五十年代に。古い社殿は屢々(しばしば)修復を加えたものの年毎に朽ちて修繕も不可能にて廃屋に近く、社域は荒れ段石も崩れて参詣の人も稀となる。此の様に祖先の遺した信仰の宮居を粗放した事を深く省み上郷氏子27人相諮って再建を決意。同額拠出して基金とし広く奉賛を仰いで236名の寄進を得て、新殿淨成神域整備を完成した。昭和57年12月5日遷宮の儀を執り行ない、更に上郷氏子特別寄進により此の碑を建立。芳名を刻して神前に奉じ、耳守の霊験もって衆生安泰弥栄を祈念し神社再建の記念となす。

昭和58亥年(1983)12月吉日  衆議院議員 赤城宗徳謹書』

創建

不明です。
境内にあった石碑には「千年の昔から」とはありましたが、創建年には触れられていませんでした。

ただ、この神社の御祭神である千代姫が「平国香の直孫田餘郷の豪族飯塚兼忠の娘」とあります。

平国香は872~935年の人で、千代姫はその直孫の娘ですから、10世紀前半~中期のお姫様なのかな~と想像しています('ω')ノ

御祭神

千代姫命(耳千代姫)
耳千代姫➩「みみちよ姫」➩「みみっちょ」神社なんですね。
日本で唯一の御祭神さまです('ω')ノ

ご利益

耳の守護・耳の病治癒
既述しましたが、耳の守護を掲げる神社は全国的にも無いようですよ('ω')ノ

以上、アキでした<(_ _)>

境内のご紹介

では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ

こちらが鳥居です。
神社の前には写真のような看板があり、すぐ分かりました。


では、石段を登ります。
天気が良いので気持ちが良いですね♪

目の周りが赤いからそう見るのかな...?歌舞伎顔の狛犬さんが出迎えてくれました!

おや?これは...(=゚ω゚)?

こちらが拝殿です。

正面の拝殿の窓に、無数の竹が付けられているのが分かりますでしょうか?
実はこれ、竹の絵馬なんです。
①まず耳守神社の絵馬は竹を短く切って、願い事を書きます。
②次に絵馬の両端に紐を通して、それを社殿にかけるんだそうです。
「耳がよく通るように」という意味が込められているのだそうです。

※この竹の絵馬は神社に用意がありません。調べたところ、市内の竹細工師さんにお願い(要予約)するそうですよ('ω')ノ
※拝殿前にはお豆腐が沢山お供えされていました。こちらも調べたのですが、理由はわかりませんでした。ご存じの方がいたらお伺いしたいです(・∀・)

こちらが御本殿です。
裏手に回った際に気づいたのですが、無人の境内なのにとても綺麗に掃き清められていました。
氏子さんが丁寧に管理していることが分かりますよね。


地元の新聞「茨城新聞」でご紹介された記事もありました。
これを読むと、かなり遠方から参拝に来られる方も多いことがわかります。

扁額を撮影させて頂きました。
こちらにお名前がある「赤城宗徳」氏。
上記の石碑にも「衆議院議員 赤城宗徳謹書」とあります。
どんな方なのか…?
農林大臣、内閣官房長官、防衛庁長官などを歴任した政治家で、アキちゃんは食い入るようにWikipediaを読んでいました。いろんな方のご尽力があったのですね。

耳守神社のの御朱印

こちらが耳守神社の御朱印です。


耳守神社は素鵞神社の兼務社なので、御朱印は素鵞神社で頂くことが出来ますよ(´ω`*)
(※素鵞神社については、近日ご紹介予定です!<(_ _)>💦)
先に耳守神社を参拝してから素鵞神社で御朱印を頂く、という流れになっています。


以上で『耳守神社』のご紹介はおしまいです。
私の祖母・母も耳が遠く、耳鳴りがする...と不調を訴えていたので、この日の参拝では「2人の耳の調子がよくなりますように...」とお祈りしてきました。

千代姫のご利益で、二人の耳が良くなってくれるといいな...(・ω・)


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ
餃子を作りました🥟
たくさん作ったので、半分は冷凍庫へ。

私が作る餃子は、キャベツ、ニラの他に玉ねぎを入れるんです。ちょっとだけ。
甘味がでて、ジューシーな餃子に仕上がります✨