こんばんは、いもみ🍠です。
本日は東京都台東区下谷にあります『小野照崎神社』のご紹介です。
この後ご紹介していきますが、決して広いとは言えない境内に、見所がいっぱいです!
その分記事が長くなってしまいました💦
↓場所はコチラです↓
駐車場は『ご祈祷の方のみ境内に駐車可』です。
※ご祈祷の方以外の駐車は出来ませんので、ご注意下さい!
電車でのアクセスは下記の通りです<(_ _)>
東京メトロ日比谷線 「入谷駅」:4番出口から徒歩3分
JR山手線「 鶯谷駅」:南口から徒歩7分
なお、境内にお手洗いは無かったと思います。
~創建~
⇒852年(仁寿2年)
現在の地に移ったのは1620年頃。
【遷座の背景】として、当時江戸幕府は江戸城の鬼門(東北)封じとして寛永寺を建立しようとします。
その際に江戸城の鬼門の位置にあった小野照崎神社に移転を命じたので、長左衛門という庄屋がお守りしていた稲荷神社の地(現在地)に遷座したそうです。
ちなみに小野照崎神社の名前は上野照崎の地に祀られていた為だそうですよ('ω')ノ
~御祭神~
⇒小野篁命(おののたかむらのみこと)
菅原道真(御配神)
~小野篁(おののたかむら)について~
アキちゃん、小野篁ってどういう人だったの?
小野篁(802~853)は平安初期の公卿よ。
最初武芸好きだったみたいよ。でも嵯峨天皇が「父が優れた学者なのに...(何で息子が武芸なの?)」と嘆いた事を恥じて、学問に取り組んで漢詩・和歌・書・絵画において平安時代屈指の才能を持つに至った人物よ。
①漢詩➩『経国集』『扶桑集』『本朝文粋』『和漢朗詠集』といずれも有名な漢詩集に作品が残る。
②和歌➩『古今和歌集』の勅撰和歌集にも作品が多数残る。
③書 ➩「後世に書を習うものは皆手本とした」と言われる。
④絵画➩「博学広才にして人の及ぶところではない。その絵は神に至る」(by狩野派)と言われる。
天才と秀才をあわせた感じの人だったんだね!
この他にも法律にも精通していたので、昼は朝廷で、夜は井戸を伝って冥府に行って閻魔大王の裁判補佐をしていたという伝説もあるのよ。
Wワークは平安時代からあったのかぁ…。
いや、感心するポイントそこじゃないでしょ。
この閻魔大王の裁判補佐には面白い逸話があって、源氏物語を書いた紫式部が「狂言綺語を記して好色を説いた罪」、つまり「色恋事書き過ぎでしょの罪」で地獄に落とされそうになった時、隣で小野篁が取りなした...という話があるのよ。
閻魔大王は色恋事好きじゃないのかぁ…。
いや、コメントのポイントずれ過ぎでしょ。
ところで、いもみは『子子子子子子子子子子子子』を読めと言われたら、なんて読む?
「ここここここここここここ」...コケ∼コッコ!🐔
鶏かよッ!...まぁ普通はそうなるわよね。
でも小野篁はこう読んだの。
「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」って。
どういうこと?
この『子子子...』を読め、の話は嵯峨天皇とのやり取りの中で生まれたんだよ。
「私はどんな文でも読めます」と小野篁が言ったので、嵯峨天皇が「では『子子子子子子子子子子子子』を読んでみろ」と聞いたの。
「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と答えるんだけど、これを平仮名にすると「ねこのこのこねこ、ししのこのこしじ」となるでしょ?
ふむふむ…。
「子」の漢字は4つの読み方があるの。
①まずは訓読みの「こ」
②次に音読みで「し」
③さらに十二支の訓読みで「ね」
④そして「じ」。例えば「王子」とかは「子」でも「じ」でしょ?
『子子子子子子子子子子子子』は子が12字あるんだけど、「ねこのこのこねこ、ししのこのこしじ」の「の」を除くと「ねこここねこ、ししここしじ」となり「こ・ね・し・じ(=子)」で12字あるって訳。わかった?
それで、『子子子子子子子子子子子子』を『猫の子の子猫、獅子の子の子獅子』と読む...天才じゃんッ!!
フフフ...まぁね…。(照)
いや、アキちゃんを褒めてないでしょ。
以上、アキでした<(_ _)>
~ご利益~
⇒学問・芸能・結び
では、境内のご案内です( ゚∀゚)つ
こちらが表参道から見た小野照崎神社です。
私達は迷子になって、裏参道から入ってしまったのですが…。
迷子になって辿り着いた裏参道から見た小野照崎神社です。
いもみ
「迷子になるのは、適当に歩いてるからだよね(・∀・)ハハハ」
アキちゃん
「アンタ地図見てたのにどうして迷子になるの??('ω')ノ」
こちらが拝殿です。
参拝者が多い神社でした。
小野照崎神社の扁額です。
字が難しくないですか??
御本殿です。
本殿は1866年(慶応2年)の建造で、関東大震災・東京大空襲の大火を免れているとのことです。
続いて境内を回ります。
こちらが、「大黒山金剛寺 庚申堂」(京都)「大阪四天王寺 庚申堂」(大阪)と共に「日本三大庚申」と呼ばれる「喜宝院 入谷庚申堂」から遷祀された「猿田彦命」をお祀りする庚申塚です。全部で11基の塔があり、最も古いものは1647年(正保2年)作だそうです。
御嶽神社です。
こちらには江戸時代末頃に琴平神社が、大正9年に三峰神社が合祀されています。
こちらは稲荷神社🦊。
創建の所でも既述しましたが、小野照崎神社がこの地に遷座される前から、地主神として祀られていたそうです。
元々この地のお稲荷さんを、長左衛門という庄屋がお守りしていたので「長左衛門稲荷」とも呼ばれています。
扁額で気付かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、稲荷神社にも織姫神社が合祀(昭和29年)されているんですよ(・∀・)
恋愛・技芸や仕事のご縁を結ぶ「むすびの神様」として深い信仰があるそうですよ?
~渥美清さん縁の小野照崎神社~
⇒再び、アキです('ω')ノ
小野照崎神社の御祭神・小野篁公は、平安初期の大変優れた学者・歌人であったことから、学問や芸能に関するご利益があると言われています('ω')ノ
この「学問や芸能に関するご利益」について有名なのは、あの『男はつらいよ』の渥美清さんのエピソードでしょう。
渥美さんがまだ売れていない時のお話です。
渥美さんは小野照崎神社を訪れ、『タバコを一生吸いませんので仕事をください』と願掛けしたそうです。
と言うのも、願掛けの前日に友人から『何かを手に入れたいのならば、何かを我慢しなければいけないよ』と助言されたからです。
そして願掛けをした直後、マネージャーさんに「映画の主役のオファー来ましたよ!『男はつらいよ』という映画です』と伝えられ、一気に国民的俳優として昇りつめた…というお話があるのです('ω')ノ
ここで注目すべきは、『願いが叶った』点もそうですが、その願いが叶うまでの『即効性』ではないでしょうか?
今すぐ叶えたい願いはありますか…?
その為に貴方は何を我慢しますか…?
ちょっと考え込んじゃうお話ですよね!('ω')ノ
こういうエピソードがあるからでしょうね、小野照崎神社にはまだブレイク前の若手芸人・芸能人の参拝が絶えないそうですよ?
以上、アキでした<(_ _)>
大好きなポテトチップスを我慢するから、フライドポテトが食べたいです…!
あ、逆でもいいです…!!(願掛け中)
いもみには無縁の話だったわね…。
重要有形民族文化財に指定されている富士浅間神社です。
お猿さんが告知してくれているようですね…(´ω`*)アリガト...
えっ?そんな告知はいらない...?
~富士塚「下谷坂本富士」について~
⇒富士山から運ばれた溶岩で作られたという富士塚です。
直径約16m、高さ約5mという「下谷坂本富士」は、1782年(天明2年)に築かれ、麓に浅間神社を奉納しています。
小野照崎神社では毎年、夏越の大祓と富士山の開山に合わせ6月30日・7月1日の両日に開放され、一般の方も登れるようですよ?
現在都内にある富士塚の中で、最も荘厳な姿を有していると言われる「下谷坂本富士」...是非登頂してみたいですね(´ω`*)
富士塚の説明がありました。
参拝後は御朱印を頂きに社務所に行きました。
小野照崎神社は芸能の神様が祀られているので、それらしい参拝者の方も列をなしていました!たまたま人がいないタイミングがあったのでパシャリ📸
頂いた小野照崎神社の御朱印がコチラです。
色んな種類があって悩んだのですが、今回はコチラにしてみました、
以上で『小野照崎神社』のご紹介はおしまいです。
小野篁命のお話、日本三大庚申、下谷坂本富士塚、そして渥美清さんのエピソード...。
小野照崎神社は小さな神社だと思うのですが、境内は見所いっぱいでした!
更に、御朱印・御朱印帳も可愛いので是非一度足を運んでもらいたい神社でした(´ω`*)
本文では触れませんでしたが、境内には人懐っこい可愛い猫ちゃんがいっぱいいます🐈
参拝していた地元の方に教えて頂いたのですが、ネコちゃんは全部で11匹ほどいて、それぞれに名前がついているとのことです。
ネコ好きの方にもおススメの神社でした♪
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
※本日のおまけは一番下にあります。
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~本日のオマケ~
「今すぐ叶えたい願いはありますか…?その為に貴方は何を我慢しますか…?」って言ってたけど、アキちゃんの願いと我慢は何なの??
会長職(NO.1)になるのは我慢しますから、社長(NO.2)にして下さい...!!
あ、逆でもいいです…!!
それ欲望は我慢するから、野望を叶えて下さいってことだよね?
アキの野望ってゲーム出せそうだな~…