いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻53~禊(3)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
そこで、イザナギは水で清めるため身に着けていたものを次々に脱いで投げ捨てられました。
するとイザナギが身に付けていた物から、次々と神が現れました。
身に着けてた杖を投げ棄てると、衝立船戸(つきたつふなどの)神が現れました。
次に身に着けてた帯を投げ棄てると、道之長乳齒(みちのながちはの)神が現れました。
次に身に着けてた嚢(袋)を投げ棄てると、時量師(ときはかしの)神が現れました。
次に身に着けてた衣を投げ棄てると、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神が現れました。
(註:此の神の名は音読みを用いて「わづらひのうしの神」と読んで下さい)
次に身に着けてた褌(袴)を投げ棄てると、道俣(ちまたの)神が現れました。
次に身に着けてた冠を投げ棄てると、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神が現れました。
(註:飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい)
次に身に着けてた左手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、奧疎(おきざかるの)神が現れました。
(註:奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
(註:奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神が現れました。
(註:奧津那藝佐毘古神の【那】から以下の五字は音読みを用いて【なぎさびこ】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神が現れました。
(註:奧津甲斐辨羅神の【甲】から以下の四字は音読みを用いて【かひべら】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に身に着けてた右手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、邊疎(へざかるの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神が現れました。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、衝立船戸(つきたつふなどの)神から邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神までの12柱の神々は、イザナギが身に着けていた物を脱ぎ捨てて誕生した神様です。

ただただ、神様の誕生数が多い...多すぎます。
ちなみに古事記の成立後、数年して日本書記が成立します。
この2つの書は類似した内容ですが、異なる部分も多いです。
例えば昨日紹介した【禊でイザナギが身に着けたものを投げすてたら神が誕生した話】。
古事記では「8つのものを捨て、12柱の神々が生まれた」が、日本書記では「5つのものを捨て5柱の神々が生まれた」となっています。
この様に短縮したのは「やはり長すぎる...!」と思ったからなのか??…と想像してしまいます。


『古事記』本文上巻53~禊(3)~

【原文と読み方】
【原文】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
初於中瀨 墮迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)
次 大禍津日神
此二神者 所到 其穢繁國之時 因汚垢而所 成神之者也

【読み方】
是(ここ)に於(お)いて詔(の)りたまはく、上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」
初めて中瀬(なかつせ)に墮(お)り迦豆伎(かづき=潛)て、滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつびの)神
(【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
次に大禍津日(おほまがつひの)神
この二神は、其(そ)の穢(きたな)き繁しき國に到りたまひし時、汚垢(けがれ=穢れ)に因(よ)りて成りませる神也

【訳】
イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられました。
なので最初は中瀬にお降りになられて、水に浸かられました。
禊で身体をすすぎ洗うと、八十禍津日(やそまがつびの)神が現われました。
(註:八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大禍津日(おほまがつひの)神が現われました。
この2柱の神々は、あの汚く穢れた国(黄泉の国の事)に訪れた時に、イザナギの身体に付いた汚れや垢によって誕生した神様です。

【解説】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
「瀬(せ)」「川や海の浅い所(浅瀬)」と「流れのはやい所(急流)」という二つの意味があるので注意です。
読みとしては「上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」となると思います。
「上瀬(かみつせ)」は「上の浅瀬」、要するに「上流」という事でしょう。
と、なれば「下瀬(しもつせ)」は「下流」でしょう。

相変わらず主語がありませんが、ここを訳すと「イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられて...」になると思います。


初於中瀨 随迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)次 大禍津日神

「初於中瀨」は上の文を読めば何となく察することが出来るでしょう。
「上流は流れが速すぎる」+「下流は流れが弱すぎる」=「なので最初に中瀬に(入った)」という事でしょう。
随分細かい描写迄書いていますね。

「墮迦豆伎而 滌時所」ですが、これに太安万侶が注釈付いていません。
...が、それだと「墮迦豆伎」が読めません(漢字自体に意味が無いので)。
本来ならこういう場合「迦以下三字以音(【墮迦豆伎】の【迦】以下の三字は音読みを用いて【かづき】と読んで下さい」)が付いている筈...忘れちゃったのでしょうかね??

とにかく「墮迦豆伎」は「墮(お)かづき」と読むと思います。
「墮」は「(中瀬の水の中に入るために)降りて...」という意味でしょう。
「かづき」ですが、文面から「潛」を指すと思います。
「潛」は「潜」の旧字ですが、訓読みで「かづく」と読みます。
意味は勿論「潜る」ですが、これだと「イザナギが中瀬に降りて潜った」と、まるで遊んでいる様なので禊のイメージが崩れてしまいます…。
そこでここは「中瀬に降りて水に浸かって」という具合に威厳を保つ訳にしてみます。
いや、実際水に潜ったのかもしれませんが…。

「滌」は「すす(ぐ)」と読みます。
「滌時」は「体を洗う(すすぐ)時に~」という事ですね。

「八十禍津日神(訓禍云摩賀 下效此)」は太安万侶の注釈(訓禍云摩賀 下效此)を先に訳して読みます。
(訓禍云摩賀 下效此)➩「【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」➩「八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい」
なので八十禍津日神は「やそまがつびのかみ」と、大禍津日神は「おほまがつひのかみ」と読みます。

以上で『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻54~禊(4)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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『古事記』本文上巻52~禊(2)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻52~禊(2)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
黄泉の国から帰ってきたイザナギは「私はなんという汚らわしい国に行っていたのだろうか…私の身体に付いた穢れを、禊によって洗い清めなければ」と仰せになられて...
(註:【米】は上声です。高く発音して下さい)
(註:【伊那志許米志許米岐】の9字は音読みを用いて【いなしこめしこめき】と読んで下さい)
(註:【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい)
竺紫(=筑紫=九州)の日向(陽が良く当たる場所?宮崎県の事?)の橘(=立花か?)にある阿波岐原(あわぎはら=宮崎県か?)という小さな湾口に行って、身体の穢れを洗い清められました。
(註:【阿波岐】の3字は音読みを用いて【あわぎ】と読んで下さい)

イザナギ「私はなんという汚らわしい国に行っていたのだろうか…」
いもみ「他の誰でもない、自分で決めて行ったんだよね?」
イザナギ「私の身体に付いた穢れを、禊によって洗い清めなければ」
いもみ「なんか普通の水浴?お風呂?なら私も毎日禊してるって事?」
...だそうです。
そうなんですけど…なんかこう...。


『古事記』本文上巻52~禊(2)~

【原文と読み方】
【原文】
故於投棄 御杖所 成神名 衝立船戶神
次於投棄 御帶所 成神名 道之長乳齒神
次於投棄 御裳所 成神名 時置師神
次於投棄 御衣所 成神名 和豆良比能宇斯能神(此神名以音)
次於投棄 御褌所 成神名 道俣神
次於投棄 御冠所 成神名 飽咋之宇斯能神(自宇以下三字以音)
次於投棄 左御手之手纒所 成神名 奧疎神(訓奧云於伎下效此 訓疎云奢加留下效此)
次 奧津那藝佐毘古神(自那以下五字以音下效此)
次 奧津甲斐辨羅神(自甲以下四字以音下效此)
次於投棄 右御手之手纒所 成神名 邊疎神
次 邊津那藝佐毘古神
次 邊津甲斐辨羅神
右件 自船戶神以下 邊津甲斐辨羅神以前 十二神者
因脫 著身之物所 生神也


【読み方】
故(かれ)投げ棄(う)つる御杖(みつえ)に成りませる神の名は、衝立船戸(つきたつふなどの)神
次に投げ棄(う)つる御帶(みおび=帯)に成りませる神の名は、道之長乳齒(みちのながちはの)神
次に投げ棄(う)つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときはかしの)神
次に投げ棄(う)つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの=煩累大人)神
(此の神の名は音を以いる)
次に投げ棄(う)つる御褌(みはかま=袴)に成りませる神の名は、道俣(ちまたの)神
次に投げ棄(う)つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの=飽咋之大人)神
(【宇】自(よ)り以下の三字は音を以いる)
次に投げ棄(う)つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奧疎(おきざかるの)神
(【奧】を訓(よ)み、【於伎(おき)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
(【疎】を訓(よ)み、【奢加留(ざかる)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神
(【那】自(よ)り以下の五字は音を以いる 下も此れに效(なら)う)
次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神
(【甲】自(よ)り以下の四字は音を以いる 下も此れに效(なら)う)
次に投げ棄(う)つる右の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、邊疎(へざかるの)神
次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神
次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神
右の件(くだり)、船戸(ふなどの)神以下、邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神より前の十二神は身に著(つ=着)けたる物を
脱ぎたまひ因(よ)りて、生まれし神也

【訳】
そこで、イザナギは水で清めるため身に着けていたものを次々に脱いで投げ捨てられました。
するとイザナギが身に付けていた物から、次々と神が現れました。
身に着けてた杖を投げ棄てると、衝立船戸(つきたつふなどの)神が現れました。
次に身に着けてた帯を投げ棄てると、道之長乳齒(みちのながちはの)神が現れました。
次に身に着けてた嚢(袋)を投げ棄てると、時量師(ときはかしの)神が現れました。
次に身に着けてた衣を投げ棄てると、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神が現れました。
(註:此の神の名は音読みを用いて「わづらひのうしの神」と読んで下さい)
次に身に着けてた褌(袴)を投げ棄てると、道俣(ちまたの)神が現れました。
次に身に着けてた冠を投げ棄てると、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神が現れました。
(註:飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい)
次に身に着けてた左手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、奧疎(おきざかるの)神が現れました。
(註:奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
(註:奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神が現れました。
(註:奧津那藝佐毘古神の【那】から以下の五字は音読みを用いて【なぎさびこ】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神が現れました。
(註:奧津甲斐辨羅神の【甲】から以下の四字は音読みを用いて【かひべら】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に身に着けてた右手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、邊疎(へざかるの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神が現れました。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、衝立船戸(つきたつふなどの)神から邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神までの12柱の神々は、イザナギが身に着けていた物を脱ぎ捨てて誕生した神様です。

【解説】
故於投棄 御杖所 成神名 衝立船戶神
今回はほぼ同じ構成の文が続きます。
そこで、3文だけ読み方や意味を抑えておきたいと思います。
①まず「投棄 〇〇所 成神名 〇〇神」➩「身に着けてた〇〇を投げ棄てたら○○神が現れました」です。

「棄」は「すてる」が普通の読み方ですが、古文では他の動詞と複合した場合「うつ」とも読みます。
この文では「投棄」➩「投げる」というもう一つの動詞が入るため「投げ棄(う)つ」が妥当でしょう。
意味は「捨てる」ですが「強く放り投げる」といったニュアンスもあります。
今回はこの構成の文の繰り返しになります。


飽咋之宇斯能神(自宇以下三字以音)
②次は太安万侶の注釈ですね。
これは注釈の前の漢文の読み方を説明しています。
(自宇以下三字以音)は…
読み方➩「【宇】自(よ)り以下の三字は音を以(もち=用)いる」
意味 ➩「飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい」
...といった感じで良いと思います。

よって、飽咋之宇斯能神は「あきぐいのうしの神」と読むのです。
「宇斯能(うしの)」も難しいですけど、正直「飽咋之(あきぐいの)」の方も相当読むの難しいですね…。


奧疎神(訓奧云於伎下效此 訓疎云奢加留下效此)
③これも太安万侶の注釈です。
上同様、注釈の前の漢文の読み方を説明しています。
(訓奧云於伎下效此 訓疎云奢加留下效此)は…
読み方➩「【奧】を訓(よ)み、【於伎(おき)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」と、「【疎】を訓(よ)み、【奢加留(ざかる)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」です。
意味 ➩「奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい」と、「奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい」です。
 
よって奧疎神は「おきざかる神」と読むのです。
注釈が凄く長い文ですね…疲れました。

以上①~③を押さえればこの文はほぼ読むことが出来ると思います<(_ _)>

以上で『古事記』本文上巻52~禊(2)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻53~禊(3)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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『古事記』本文上巻51~禊(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石は道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼びます。
この千引石は、またの名を塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも言います。
この黃泉比良坂とは出雲國(いずものくに・現島根県松江市)にある伊賦夜坂(いぶやさか)のことです。

イザナギが黄泉の国へと通じる黃泉比良坂の入り口を塞いだ...というのが前回のお話でした。
ちなみにこの入り口を塞がなかった場合、どうなっていたのでしょう?
「黄泉の国には穢れがある」と古代の人々は考えていたようです。
この穢れが溜まると人は死ぬ、というように考えられていたようで穢れはとても恐れられていたのです。
イザナギが千引石で塞いだという話は、神話の辻褄を合わせる意味もあると思いますが、人々が恐れ忌み嫌う穢れは石で塞いだから安心してねと言っているようにも感じます。
では、穢れが付いてしまったらどうやって落とすのか?…というのが本日のお話です。

『古事記』本文上巻51~禊(1)~

【原文と読み方】
【原文】
是以 伊邪那伎大神詔
吾者到於 伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)穢國而在祁理(此二字以音)
故吾者爲 御身之禊而 
到坐 竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而
禊祓也


【読み方】
是(これ)を以(も)って伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)の詔(の)りたまひしく
「吾(われ)は、伊那志許米志許米岐(いなしこめしこめき)穢(きたな)き國に到りて在(あ)り祁理(けり)
(【米】は上声)
(【伊那志許米志許米岐】の此の九字は音を以(もち)いる)
(【祁理】の此の二字は音を以(もち)いる)
故(かれ)吾(われ)は御身(おおんみ)の禊(みそぎ・はらえ)せむ」とのりたまひて
竺紫日向(つくしのひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐(あわぎ)原に到りまして禊(みそぎ)祓(はら)いたまいき
(【阿波岐】の此の三字は音を以(もち)いる)

【訳】
黄泉の国から帰ってきたイザナギは「私はなんという汚らわしい国に行っていたのだろうか…私の身体に付いた穢れを、禊によって洗い清めなければ」と仰せになられて...
(註:【米】は上声です。高く発音して下さい)
(註:【伊那志許米志許米岐】の9字は音読みを用いて【いなしこめしこめき】と読んで下さい)
(註:【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい)
竺紫(=筑紫=九州)の日向(陽が良く当たる場所?宮崎県の事?)の橘(=立花か?)にある阿波岐原(あわぎはら=宮崎県か?)という小さな湾口に行って、身体の穢れを洗い清められました。
(註:【阿波岐】の3字は音読みを用いて【あわぎ】と読んで下さい)

【解説】
是以 伊邪那伎大神詔
「是以 伊邪那伎大神詔」ですが、「是(これ)を以って伊耶那岐大神詔(の)りたまひしく」と読みました。
この「是」は、イザナギが「黄泉の国から帰ってきたこと」を指しています。
なのでここは「黄泉の国から帰ってきたイザナギは~と言いました」で良いと思います。


吾者到於 伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)穢國而在祁理(此二字以音)故吾者爲 御身之禊而
「伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)」は太安万侶の注釈の(此九字以音)➩「此の9字は音を以(もち)いる」とあるので、「伊那志許米志許米岐」は音読みで「いなしこめしこめき」と読みます。

ちなみに(上)は「上声の略」です。
意味は「高く発音して下さい」と言った意味です。
まぁ訳すうえではあまり意味がありませんね。

話を戻して「伊那志許米志許米岐」➩「いなしこめしこめき」とは何でしょう?
これは「伊那志許...」の漢字自体に意味はありません。
「いなしこめしこめき」を分解するとこんな感じだと思います。

「いな」➩嫌悪を表わす言葉。
「しこめ」➩醜(しこ)め。「けがらわしい」の意味か。
「しこめき」➩醜(しこ)めき。「醜め醜め」と2回繰り返しているのは、汚らわしさを強調しているのでしょう。

なので「とても醜悪だ、酷く汚れている」のような意味だと思います。

「穢國而在祁理(此二字以音)」も太安万侶の注釈(此二字以音)が付いていますね。
これは「祁理(此二字以音)」➩「祁理の2字は音を以(もち)いる」➩「【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい」です。
ですからこの文は「穢(きたな)き國に到りて在(あ)り祁理(けり)」と読みました。

意味としては「穢れた国を訪れてしまった」辺りが妥当でしょうか。

「故吾者爲 御身之禊而」ですが…。
「御身」は読み方がポイントです。
私は最初「おみ」か「おんみ」だろう…と思って調べた所、①「おみ」は近世になってから現われた武士言葉で、②「おんみ」が用いられたのは中世以降だ、と分かりました。
じゃあ、古事記の時代は何て読むんだ?と更に調べたら、ピッタリの意味を持つ読み方が。
③「おおんみ(おほむみ)」 高貴な人の「身」を敬っていう言葉。これでしょう。
訳としては「お姿」辺りが妥当な所だと思います。

「禊」は「みそぎ」と読みます。
「海や川に浸かって身体を洗い、罪や穢れを落とし祓(はら)い清めること」の意味です。
古事記の『イザナギが黄泉の国から戻って、その身体についた汚れ(汚穢=おえ)を祓い清めた』というのが「禊」の始まりとされています。

ちなみに「みそぎ」の語源は、「水滌(みずそそぎ)」「身清(みすすぎ)」の様ですが、【罪や穢れを落とす】➩【体から取り除く】➩「身削(みそぎ)」という説もあるようです。
最後のは嫌だなぁ…。


到坐 竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而 禊祓也
「竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而」は文面からも地名であることは間違いないのですが、九州のどこかではないか?ということ位しか分かりません。
一応バラバラにして考えてみました。
①竺紫
➩これは「つくし(=筑紫)」です。
九州全体の事ですが、狭い範囲ですと福岡県筑紫市があります。
②日向
➩「ひなた」つまり「陽の良く当たる場所」かと思います。
若しくは宮崎県を「日向(ひゅうが)の国」と言っていたのでこれかも?
③橘
➩ここからはほとんど想像でしかありません。
グーグルマップで『九州 たちばな』で検索すると福岡県にある「立花山」が出てきます。
④小門
➩これは「小さな水門」、つまり「湾口、港」の意味であると思われます。
⑤阿波岐原(あわぎはら)
➩宮崎県宮崎市に阿波岐原町があります。

...以上から「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」というのは【福岡県】か【宮崎県】のいずれかではないでしょうか??
一応グーグルマップ貼ってみましたので宜しければご覧ください<(_ _)>
※『九州 たちばな』『九州 阿波岐原』で私は検索してみました。
※下は『九州 阿波岐原』の検索結果です。

以上で『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻52~禊(2)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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本日のオマケ

『古事記』今夜は更新できませんでした~💦

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介...の予定でしたが…。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。
ですが、今夜は…。

なので本日はお休みです!すいません!!

今夜はアキちゃんの失敗談をご覧ください...

会社から帰宅途中に上司から着信がありました。
「嫌だなぁ~…」と思いつつ、出ないわけにはいかないので電話に出ると、案の定仕事のお話でした。
電話を切った後、数分後歩きながら腹が立ってきたので声に出してボヤキたくなりました。
家に帰ってから声出しボヤキをするべきなのですが、我慢できません。
なので「周りに誰もいないよな...?」と後ろを振り返り、誰もいないのを確認して「あのタヌキ親父が…!」と割と大きめの声でボヤいた瞬間、前でも後ろでもなく...
隣の公園の中から、子犬の散歩をしていたタヌキっぽい感じのおじ様が!!
お互い固まり、目を見開いて見つめあう...2秒くらい。
慌ててその場からそそくさと離れました💦
おじ様、あなたの事ではありません...。
ごめんなさい…💦
おしまい<(_ _)>

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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本日のオマケ

『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
こうして一日に千人を黄泉の国に引きずり込むイザナミは、黄泉津大神(よもつおおかみ)と名を改めました。
またイザナミは逃げるイザナギを追いかけ、黄泉比良坂で追いついた事から(「追いついた神」を意味する)道敷大神(ちしきのおおかみ)とも申されるのです。
(註:【斯伎斯】の此の三字は音読みを用いて【しきし】と読んで下さい)

人はなぜ生まれ、何故死んでいくのか?
この人の生死の起源を説くお話が前回で明らかになりました。
今回は黄泉の国の入り口とされる黄泉比良坂(よもつひらさか)の説明です。
実はこの入り口とされる場所は、現在でも伝わっているんですよ。

『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~

【原文と読み方】
【原文】
亦所塞 其黃泉坂之石者 號 道反大神
亦謂 塞坐黃泉戶大神
故其所謂 黃泉比良坂者 今謂出雲國之 伊賦夜坂也

【読み方】
亦(また)其(そ)の黄泉(よみ)の坂に塞(ふ)さがれる石は道反大神(ちがえしのおおかみ)とも號(よびな=号)し、
亦(また)塞坐黄泉戸大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも謂(い)う
故(かれ)其(そ)の所謂(いわゆる)黄泉比良坂(よもつひらさか)は今、出雲國(いずものくに)の伊賦夜坂(いぶやさか)と謂(い)う

【訳】
イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石は道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼びます。
この千引石は、またの名を塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも言います。
この黃泉比良坂とは出雲國(いずものくに・現島根県松江市)にある伊賦夜坂(いぶやさか)のことです。

伊賦夜坂(いぶやさか)の場所について

グーグルマップで検索したら出てきたので地図を貼っておきますね!
ご参考にどうぞ♪
伊賦夜坂(いぶやさか)

【解説】
亦所塞 其黃泉坂之石者 號 道反大神 亦謂 塞坐黃泉戶大神
「亦所塞 其黃泉坂之石者」は「亦(また)其(そ)の黄泉(よみ)の坂に塞(ふ)さがれる石は」と読みました。
これはこの前のお話で出てきた「イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石」の事を言っています。

「號 道反大神 亦謂 塞坐 黃泉戶大神」は上記の「この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石」を「道反大神(ちがえしのおおかみ)」または「塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)」と「號(よびな=号)」した、と言っているのです。

これをまとめて訳すと「イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石は道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼びます。この千引石は、またの名を塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも言います」で良いかと思います。


故其所謂 黃泉比良坂者 今謂出雲國之 伊賦夜坂也
この文は黃泉比良坂の場所を説明しています。
地名以外は特に難しい単語は無いと思います。

「出雲國」は「いずものくに」ですね。
現在の島根県です。

「伊賦夜坂」は「いぶやさか」と読みます。
現在の島根県松江市にあった、とされています。

つまりここを訳すと「この黃泉比良坂とは出雲國(いずものくに・現島根県松江市)にある伊賦夜坂(いぶやさか)のことです」でしょう。

道反大神と黃泉比良坂

「道反大神(ちがえしのおおかみ)」ってどんな意味なの?

漢字のまんまの意味よ。
イザナミに追われたイザナギは黃泉比良坂に千引石を置いたでしょ?
で、イザナミは追えなくなくなった...【ことど】の後、イザナミはどうしたと思う?

う~ん...諦めて帰るしかないよね。

そうそう。
つまり道を塞がれて引き返した...道を反(かえ)した、ってことね。

おぉ~!なるほど...まんまじゃん!

だから最初に「漢字のまんまの意味」って言ったでしょ。

ところで黃泉比良坂(よもつひらさか)は出雲の国にあるのは何か理由があるの?

出雲の国があった島根県、鳥取県には紀元前3~1世紀頃に強大な勢力があったと言われているの。
古事記は大和政権、つまり奈良県の政権の話なんだけど、この出雲の国に対してはかなり気を使っているような部分があるのよ。
だからじゃないかな?

「だからじゃないかな?」ってことは、結局理由は分かんない!ってことだよね?

...。(...バレたか、どうでもいいことだけよく気付くな、コイツ)

以上で『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻51~禊(1)~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
千引石を挟んでイザナギは、イザナミに別れを告げました。
別れを告げられたイザナミは「愛おしい貴方がこの様な仕打ちをするのならば、私は貴方の国の人民を1日に1000人を絞め殺しましょう」と仰せになられました。
これに対しイザナギは「愛おしい我が妻よ、貴女がそうするのであれば、私は一日に1500の産屋を建てる事にしましょう」とお答えになりました。
こういう出来事があったので、人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです。

日本で初めての離婚...。
人は何故毎日生まれ、何故毎日死んでいくのか...そういう理を説明している文だと思いました。
物語から人の生死の起源を説く、という作業はなかなか難しい気がします。
古事記にはこうした【私達の世界は何故こういうことになっているのか?】みたいなことを物語で説明している箇所が幾つもあります。
こういう点にも注目して読み進めていくと、また面白いと思います。


『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~

【原文と読み方】
【原文】
故號 其伊邪那美神命 謂 黃泉津大神 
亦云 以其追斯伎斯(此三字以音)而 號 道敷大神

【読み方】
故(かれ)其(そ)の伊耶那美命(いざなみのみこと)の號(よびな=号)を黄泉津大神(よもつおおかみ)と謂(い)ふ
亦(また)其(そ)の追(お)い斯伎斯(しきし)を以(も)って、號(よびな=号)を道敷大神(ちしきのおおかみ)とも云(い)う
【斯伎斯】の此(こ)の三字は音を以(もち)いる

【訳】
こうして一日に千人を黄泉の国に引きずり込むイザナミは、黄泉津大神(よもつおおかみ)と名を改めました。
またイザナミは逃げるイザナギを追いかけ、黄泉比良坂で追いついた事から(「追いついた神」を意味する)道敷大神(ちしきのおおかみ)とも申されるのです。
(註:【斯伎斯】の此の三字は音読みを用いて【しきし】と読んで下さい)

【解説】
故號 其伊邪那美神命 謂 黃泉津大神
「故」は「かれ」と読みます。
「先にあった事の結果として、後の事が起こった」ことを表わす言葉です。
訳すと「こういうわけで」でしょうか。
つまりこの「故」は「ことど(離婚)によってイザナミは一日千人を絞め殺し、黄泉の国に引きずり込む、と言ったことの結果として」ということを表わしています。

「號」=「号」で「よびな」と読みます。
意味も同じで「呼び名、名前」です。

なのでここは「こうして一日に千人を黄泉の国に引きずり込むイザナミは、黄泉津大神(よもつおおかみ)と名を改めました」と訳しました。


亦云 以其追斯伎斯(此三字以音)而 號 道敷大神
ここで難しいのは以其追斯伎斯(此三字以音)而の部分だと思います。
まず太安万侶の注釈(此三字以音)に従うと「此の3字は音を以(もち)いる」➩「【斯伎斯】の3字は音読みを用いる」と書かれていますので、
【斯伎斯】は【しきし】と読みます。

が、「其の追い【斯伎斯(=しきし)】を以(も)って」と読めても、わかりずらいです。
この「追いしきし」とは、「追い敷きし」なんでしょうね。
調べたら「敷」には「隅々まで及んでいる様」という意味がありました。
この事から念のため「及」も調べてみたら「及」にも「しき」という読み方があることが分かりました。
なので「追いしきし」=「追い及し」なのかもしれません。

いずれにせよ意味は「追いつく」でしょう。
ですから以其追斯伎斯(此三字以音)而は、「イザナミは逃げるイザナギを追いかけ、黄泉比良坂で追いついた事から」という感じに訳してみました。

黄泉津大神・道敷大神について

名前が二つあるんだね。

そうね。
黄泉津大神(よもつおおかみ)は「黄泉国の主宰神」の意味ね。
「ことど」によってイザナミがイザナギに「貴方の国の人民を一日千人、黄泉の国に引きずり込む」と言っているから、この時点でイザナミは「黄泉国の主宰神」になった...ということでしょうね。

道敷大神(ちしきのおおかみ)は?

道敷大神(ちしきのおおかみ)は「イザナギに追いついた神」の意味なんだって。

イマイチ良く分かんないね??

私的にはキーワードは「道」だと思うのよね。
中津葦原から黄泉の国に続く道...この道を行ききると死んでしまう。途中捕まっても死んでしまう。この道を治めるのが道敷大神、つまりイザナミ、って感じかな。

そう言えば上の解説でも、道敷の「敷」は「隅々まで及んでいる様」という意味があるって言ってたもんね。
道敷大神は「黄泉の国の道の隅々まで統治が及んでいる神様」って意味かもしれないね。

そうそう。だから古事記の道敷大神は正確には「統治する黄泉の国の道で、イザナギに追いつけた神様」って意味じゃないかなと思ってるの。
ちなみに日本書記にも道敷大神が登場するんだけど、古事記とはちょっと話が違っていて【黄泉の国から逃れたイザナギが体の穢れを落とす時に、身に着けた靴を脱いで生まれた神が道敷大神】となっているわ。

ふーん。じゃあ道敷大神は靴の神かもしれないね。

古代の日本では【穢れ】を恐れていたそうよ。
これは穢れが溜まると死に繋がるかららしいわ。
黄泉の国の道は死に至る道だから、その道を歩いて付いた着衣を脱ぎ捨てて、身を清めたいって思うのかもしれないわね。

解釈色々あるんだね。
私は「黄泉の国の道の隅々まで統治が及んでいる神様」って覚えとこうかな。
多分、明日には忘れてまたアキちゃんに聞くと思うけど。

...。

以上で『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
黄泉醜女、黄泉軍が退けられたので最後にはイザナミ自らがイザナギを追いかけてきました。
そこでイザナギは千引石(ちびきのいわ=千人で引かなければ動かせないような重い岩石)を引いて、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞ぎました。
そしてイザナギは千引石を挟んで、追ってきたイザナミと向かい合いました。

あんなに愛し合った二人でも憎しみ合うようになる...男女は難しいですね。
大学の時に聞いた話だと、人間の男女の愛は平均して約2年しか続かないようですよ?
さて、この後日本で初めての離婚が描かれていきます。
そうなんです、日本初の離婚者はイザナギとイザナミなんですね。

『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~

【原文と読み方】
【原文】
度事戶之時 伊邪那美命言
愛我那勢命 爲如此者 汝國之人草 一日絞殺千頭 
爾 伊邪那岐命詔 愛我那邇妹命 汝爲然者 吾一日立 千五百產屋
是以 一日必千人死 一日必千五百人生也

【読み方】
事戸(ことど)を度(わた=渡)す時に伊耶那美命(いざなみのみこと)言いたまわく
「愛しき我(わ)が那勢(なせ=汝兄)の命(みこと)、此如(かくのごとく)爲(な=為)りたまへば、
汝(なんじ)の國の人草(ひとくさ)一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(し)め殺さん」
爾(ここ)に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)詔(の)りたまわく
「愛しき我が那邇妹(なにも=汝妹)の命(みこと)、汝(なんじ)が然(しか)爲(な=為)りたまへば、
吾(われ)は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てむ」
是(これ)を以(も)ちて一日(ひとひ)に必ず千人(ちひと)死に、一日に必ず千五百人(ちいほひと)生まるる也

【訳】
千引石を挟んでイザナギは、イザナミに別れを告げました。
別れを告げられたイザナミは「愛おしい貴方がこの様な仕打ちをするのならば、私は貴方の国の人民を1日に1000人を絞め殺しましょう」と仰せになられました。
これに対しイザナギは「愛おしい我が妻よ、貴女がそうするのであれば、私は一日に1500の産屋を建てる事にしましょう」とお答えになりました。
こういう出来事があったので、人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです。

【解説】
度事戶之時 伊邪那美命言
「度」は音・訓読みでは無いのですが、名のりという読み方に「わたる」という読み方があります。
この場合の「わたす」は、つまり「言い渡す」という感じでしょう。

「事戶」は「ことど」と読みます。
古事記を読まなければ聞いたことない単語だと思います。
「配偶者と縁を切るための呪言」という意味だと考えられています。
これについては後述したいと思います(一番下です)。


愛我那勢命 爲如此者 汝國之人草 一日絞殺千頭 
「愛我那勢命」は「愛しき我が那勢(なせ=汝兄)の命(みこと)」と読みます。
これは以前も登場しましたが、忘れてしまった方のためにもう一度簡単に説明しますね?

「那勢命(なせのみこと)」とは「女性が男性に親しみや敬意を込めて呼ぶ言葉」です。
「那勢(なせ)」は上記の読み方でも書いていますが「汝兄」とも書きます。
この場合、妻であり妹でもあるイザナミが、夫であり兄でもあるイザナギを呼んでいるので「那勢(なせ)=汝兄」なのです

この次の文で「愛我那邇妹命」も出てくるので一緒に説明しちゃいましょう!
「那邇妹」は「なにも」と読んで、「汝妹」とも書きます。
この【那邇妹(なにも)】は、【那勢(なせ)】の対となる言葉なのです。
だから「男性が女性に親しみや敬意を込めて呼ぶ言葉」となります。

それぞれ訳すとすれば「愛我那勢命」➩「愛しい貴方が~」、「愛我那邇妹命」➩「我が妻よ(我が妹よ)」って感じでしょうか。
まぁ、ここは奥様や旦那様、彼女・彼氏さんに対し、読者のあなたが親しみや敬意を込めて呼びたい言葉を当てはめればいいんです。
さぁ、どうぞ!恥ずかしがらずに!!(;゚∀゚)=ハァハァ

「如此(かくのごとく)」は「このように~」という意味ですね。
ですから「爲如此者」は「この様なことをするのならば」といった感じになると思います。


爾 伊邪那岐命詔 愛我那邇妹命 汝爲然者 吾一日立 千五百產屋
「愛我那邇妹命」については上で書いたので省略します。


是以 一日必千人死 一日必千五百人生也
ここの文は簡単ですね。
「この出来事があったから、人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです」で良いと思います。

事戸(ことど)について

上で書きましたが、事戸(ことど)とは「配偶者と縁を切るための呪言」という意味だと考えられています。
ちなみに日本書記だと「絶妻之誓」とあるので、離婚の意味であるのは間違いないと思います。

それにしても離婚を何故「ことど」というのでしょうか?
太安万侶の注釈が無いということは「ことど」は大和言葉であり、読む場合も難解な表現では無かったという事なのでしょう。
う~ん...と考える私に、天啓が!!
天啓➩「離婚したらすることかな~?」
そして「もしかしてコレじゃないの?」と思いつきました!

ことど(離婚を意味)➩離婚したらすること➩実家に帰らせて頂きます➩住む家が別々になる➩異なる家(戸)➩異戸(ことど)だ!

どうでしょう?結構いい線言ってると思うのですが。

イザナギがイザナミに何を言って、離縁したのかは古事記に記載が無いので分かりません。
あるいは千引石を置いた事で別れを表わしているのかもしれませんが、これも分かりません。
分からないのですが、「ことど」を「異戸」と解釈した私は「異戸」➩「住む家が別々になる」➩「これからは異なる世界でそれぞれ過ごして行こう」的な事を言ったのかな...?と想像しています。

冒頭でも書きましたが「ことど」のこのシーンは【日本初の離婚】です。

当時の日本の人口は?

「人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです」と訳しましたが、この計算ですと1日500人ずつ人口が増えていく計算になりますね。
年間だと500人×365日=182500人。
古事記が成立したのは8世紀初頭ですが、当時の人口はどれ位だったのでしょうか??

...そんな訳でちょっと調べてみました!
比較としてそれ以降の時代の人口と平均寿命も書いてみますね。
※各資料によって数字は異なります。データを3~4つほど見た感じのおおよその数字だと思ってください<(_ _)>
①奈良時代(8世紀頃)
➩人口:450~500万人 平均寿命:20歳 
②平安時代(9~12世紀頃)
➩人口:550~700万人 平均寿命:30歳
③鎌倉・室町時代(12~16世紀)
➩人口:750~850万人 平均寿命:16歳(室町時代)
④江戸時代(17~19世紀)
➩人口:1250~3150万人 平均寿命:38歳

室町時代の平均寿命が低いのは、不作や飢餓、疫病などの他「戦争が多かったため」の様です。
ちなみに鎌倉時代の平均寿命は20歳代で、平安時代より低くなっていました。
これも戦が増えたためのようです。
また平均寿命が低いのは「乳児などの死亡率が極端に高いため」で、普通に50歳くらいまで生きる人も結構いた様です。

以上で『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ
来週末に福島県のいわき市に旅行します!
とても楽しみです♪
ホテルがなかなか取れずに焦りましたが、何とかとれました!
温泉楽しみだな~♥
折角なので美味しいもの食べてきたいです…福島の名産ってなんだろ...?