いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻51~禊(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石は道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼びます。
この千引石は、またの名を塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも言います。
この黃泉比良坂とは出雲國(いずものくに・現島根県松江市)にある伊賦夜坂(いぶやさか)のことです。

イザナギが黄泉の国へと通じる黃泉比良坂の入り口を塞いだ...というのが前回のお話でした。
ちなみにこの入り口を塞がなかった場合、どうなっていたのでしょう?
「黄泉の国には穢れがある」と古代の人々は考えていたようです。
この穢れが溜まると人は死ぬ、というように考えられていたようで穢れはとても恐れられていたのです。
イザナギが千引石で塞いだという話は、神話の辻褄を合わせる意味もあると思いますが、人々が恐れ忌み嫌う穢れは石で塞いだから安心してねと言っているようにも感じます。
では、穢れが付いてしまったらどうやって落とすのか?…というのが本日のお話です。

『古事記』本文上巻51~禊(1)~

【原文と読み方】
【原文】
是以 伊邪那伎大神詔
吾者到於 伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)穢國而在祁理(此二字以音)
故吾者爲 御身之禊而 
到坐 竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而
禊祓也


【読み方】
是(これ)を以(も)って伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)の詔(の)りたまひしく
「吾(われ)は、伊那志許米志許米岐(いなしこめしこめき)穢(きたな)き國に到りて在(あ)り祁理(けり)
(【米】は上声)
(【伊那志許米志許米岐】の此の九字は音を以(もち)いる)
(【祁理】の此の二字は音を以(もち)いる)
故(かれ)吾(われ)は御身(おおんみ)の禊(みそぎ・はらえ)せむ」とのりたまひて
竺紫日向(つくしのひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐(あわぎ)原に到りまして禊(みそぎ)祓(はら)いたまいき
(【阿波岐】の此の三字は音を以(もち)いる)

【訳】
黄泉の国から帰ってきたイザナギは「私はなんという汚らわしい国に行っていたのだろうか…私の身体に付いた穢れを、禊によって洗い清めなければ」と仰せになられて...
(註:【米】は上声です。高く発音して下さい)
(註:【伊那志許米志許米岐】の9字は音読みを用いて【いなしこめしこめき】と読んで下さい)
(註:【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい)
竺紫(=筑紫=九州)の日向(陽が良く当たる場所?宮崎県の事?)の橘(=立花か?)にある阿波岐原(あわぎはら=宮崎県か?)という小さな湾口に行って、身体の穢れを洗い清められました。
(註:【阿波岐】の3字は音読みを用いて【あわぎ】と読んで下さい)

【解説】
是以 伊邪那伎大神詔
「是以 伊邪那伎大神詔」ですが、「是(これ)を以って伊耶那岐大神詔(の)りたまひしく」と読みました。
この「是」は、イザナギが「黄泉の国から帰ってきたこと」を指しています。
なのでここは「黄泉の国から帰ってきたイザナギは~と言いました」で良いと思います。


吾者到於 伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)穢國而在祁理(此二字以音)故吾者爲 御身之禊而
「伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)」は太安万侶の注釈の(此九字以音)➩「此の9字は音を以(もち)いる」とあるので、「伊那志許米志許米岐」は音読みで「いなしこめしこめき」と読みます。

ちなみに(上)は「上声の略」です。
意味は「高く発音して下さい」と言った意味です。
まぁ訳すうえではあまり意味がありませんね。

話を戻して「伊那志許米志許米岐」➩「いなしこめしこめき」とは何でしょう?
これは「伊那志許...」の漢字自体に意味はありません。
「いなしこめしこめき」を分解するとこんな感じだと思います。

「いな」➩嫌悪を表わす言葉。
「しこめ」➩醜(しこ)め。「けがらわしい」の意味か。
「しこめき」➩醜(しこ)めき。「醜め醜め」と2回繰り返しているのは、汚らわしさを強調しているのでしょう。

なので「とても醜悪だ、酷く汚れている」のような意味だと思います。

「穢國而在祁理(此二字以音)」も太安万侶の注釈(此二字以音)が付いていますね。
これは「祁理(此二字以音)」➩「祁理の2字は音を以(もち)いる」➩「【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい」です。
ですからこの文は「穢(きたな)き國に到りて在(あ)り祁理(けり)」と読みました。

意味としては「穢れた国を訪れてしまった」辺りが妥当でしょうか。

「故吾者爲 御身之禊而」ですが…。
「御身」は読み方がポイントです。
私は最初「おみ」か「おんみ」だろう…と思って調べた所、①「おみ」は近世になってから現われた武士言葉で、②「おんみ」が用いられたのは中世以降だ、と分かりました。
じゃあ、古事記の時代は何て読むんだ?と更に調べたら、ピッタリの意味を持つ読み方が。
③「おおんみ(おほむみ)」 高貴な人の「身」を敬っていう言葉。これでしょう。
訳としては「お姿」辺りが妥当な所だと思います。

「禊」は「みそぎ」と読みます。
「海や川に浸かって身体を洗い、罪や穢れを落とし祓(はら)い清めること」の意味です。
古事記の『イザナギが黄泉の国から戻って、その身体についた汚れ(汚穢=おえ)を祓い清めた』というのが「禊」の始まりとされています。

ちなみに「みそぎ」の語源は、「水滌(みずそそぎ)」「身清(みすすぎ)」の様ですが、【罪や穢れを落とす】➩【体から取り除く】➩「身削(みそぎ)」という説もあるようです。
最後のは嫌だなぁ…。


到坐 竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而 禊祓也
「竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而」は文面からも地名であることは間違いないのですが、九州のどこかではないか?ということ位しか分かりません。
一応バラバラにして考えてみました。
①竺紫
➩これは「つくし(=筑紫)」です。
九州全体の事ですが、狭い範囲ですと福岡県筑紫市があります。
②日向
➩「ひなた」つまり「陽の良く当たる場所」かと思います。
若しくは宮崎県を「日向(ひゅうが)の国」と言っていたのでこれかも?
③橘
➩ここからはほとんど想像でしかありません。
グーグルマップで『九州 たちばな』で検索すると福岡県にある「立花山」が出てきます。
④小門
➩これは「小さな水門」、つまり「湾口、港」の意味であると思われます。
⑤阿波岐原(あわぎはら)
➩宮崎県宮崎市に阿波岐原町があります。

...以上から「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」というのは【福岡県】か【宮崎県】のいずれかではないでしょうか??
一応グーグルマップ貼ってみましたので宜しければご覧ください<(_ _)>
※『九州 たちばな』『九州 阿波岐原』で私は検索してみました。
※下は『九州 阿波岐原』の検索結果です。

以上で『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻52~禊(2)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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