こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑤~天孫降臨と初代天皇・神武天皇即位~』のご紹介です。
こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。
前回のあらすじ
海原統治の役目を怠り追放されたスサノオは、アマテラスが統治する高天の原に向かい、国の乗っ取りの疑いをかけられますが、潔白証明の為、神意がどちらにあるか誓約をたてます。
お互いの身につけたものを交換し、それを口にして息を吐いて子(神)を成し、その結果で占うことにしたのです。
アマテラスがスサノオの剣を、スサノオもアマテラスの数珠を、それぞれ噛み砕いた後息を吐きました。
誓約の結果、スサノオに邪心が無いことが示され、高天の原で過ごすスサノオでしたが、乱行を繰り返したことで、アマテラスは天の岩屋に隠れてしまいます。
天の岩屋からアマテラスが出て、高天の原を追放されたスサノオは、その後地上でヤマタノオロチを退治しました。
…こうした過程のなかで、多くの神々が登場し、大いに増えました。
そして、こういった古代の歴史は、歴代の天皇によって代々言い伝えられてきたのです。
やがて、アマテラスのもとに『オオクニヌシの治める葦原中つ国がひどく騒がしい』と報告が入ります。
そこで、アマテラスは葦原中つ国を譲渡させるための説得に、どの神を使いに出すかを、八百万の神を天の安河の河原に集めて会議を開きました。
タケミカヅチという神が遣わされ、小浜(出雲国・稲佐の浜)で国譲りの交渉が行われた結果、葦原中つ国は譲られることになりました。
国譲りで統治者がオオクニヌシからアマテラスに移ったことで、何かと騒がしかった葦原中つ国も静かに治まったのでした。
前回は誓約のお話から、アマテラスの天の岩屋隠れと、スサノオのヤマタノオロチ退治の経緯が語られ、それら古代の神話が代々天皇によって言い伝えられてきたこと。
そして国譲りの経緯が簡単に述べられました。
今回はこの続き、天の国(高天の原)から地上(葦原中つ国)に国を譲り受けるため神が降臨するお話(天孫降臨)が語られ、いよいよ初代天皇・神武天皇が登場します。
『古事記』序文⑤~天孫降臨と初代天皇・神武天皇即位~
【読み方】是を以ちて、番仁岐命(ほのににぎのみこと)、初めて高千の嶺に降り、神倭天皇(かむやまとすめらみこと)、秋津島に經歴したまひき。
化熊川より出でて、天の劒高倉に獲(え)、尾の生(は)ゆひと徑(みち)を遮れど、大き烏吉野へ導く。
儛(まい)を列ね賊を攘(はら)い、歌を聞きて仇を伏しき。
そしてニニギは、かつてイザナギが禊をし、アマテラスが生まれた地である筑紫の日向の高千穂の地に初めて降り立ったのです。
時は流れ、ニニギの曾孫であるカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は、九州で各地に目を光らせるのは不便と考え、日向を出発して各地を平定しながら、東の大和の地を目指しました。
イワレビコが紀伊から内陸を目指していると、川から突然クマが現れ、妖気でイワレビコの軍はみんな気を失ってしまいました。
ですがそこへ、神のお告げの夢を見たという高倉下という人物が、霊剣・布都御魂(フツノミタマ)をイワレビコに渡し、この霊剣の力で邪気が祓われてみんな目を覚ますことが出来ました。
さらに吉野の地では「この先に悪い神がいる。タカムスビ(←神様です)がヤタガラスを遣わすから、それについていけば無事に通り抜けられるだろう」というお告げがありました。
ヤタガラスに導かれたイワレビコの軍は、途中の国つ神(豪族)や民たちをその配下におきながら進みました。
途中、尾の生えた人(←これは意味が分かりませんでした💦)に出会ったり、大和の宇陀では豪族(エウカシ)の抵抗があり戦闘になったりしました。
逆賊(土蜘蛛)に対しては、宴会を催して油断させ、歌を合図に一斉に斬りかかってこれを討ちはらい従えました。
「是以」は「これをもって」と読みました。
「是」とは前文の「国譲りの交渉の結果、オオクニヌシが了承した」ことを指しています。
「番仁岐命」は「ほのににぎのみこと」と読みます。
ニニギノミコトはアマテラスの孫にあたります。
なので「天孫」とか「皇孫」とも呼ばれます。
ニニギノミコトには沢山の名前があります。
私が知る限り一番長いパターン(?)だと…
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)
…です。覚えられませんよね??
なので、私のブログでは「~のみこと」を原則省略しているため【ニニギ】で統一しています。
なお表記を念のために説明しておきますと…
【邇邇藝命】←『古事記』の表記
【瓊瓊杵尊】←『日本書記』の表記
読み方は「ににぎのみこと」で同じですが、この様な違いがあります。
ニニギノミコトは非常に重要な神様です。
三種の神器や、何故神様に寿命があるのか...などのお話も含まれているからです。
いずれ本文で詳しく書く予定ですが、とりあえず以下の2点だけ覚えておくと、この後の話が分かりやすいです。
①ニニギはアマテラスの孫
②初代天皇・神武天皇はニニギの子孫(孫の子です)
「初降于高千嶺」は「初めて高千穂の地に降り立った」と訳しました。
高千穂の地とは、宮崎県高千穂地方の事であるというのが定説なので、当ブログでもこの定説に従っています。
「なんで、この地なの?」と言う方もいらっしゃるでしょうから、少し説明しますと【筑紫の日向の高千穂の地は、かつてイザナギが禊をし、アマテラスが生まれた地】だからです。
・神倭天皇經歷于秋津嶋
※ここからは、ニニギの孫の子であるカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)が、九州の日向を出発して各地を平定しながら、東の大和の地を目指す【神武東征】が描かれます。
「神倭天皇」は「神武天皇」です。
「神武」とは8世紀後半ころにつけられた【諡号(貴人の死後に贈られる名前のこと)】で、東征の時点ではまだ即位してません。
この頃の名はカムヤマトイワレビコでした。
「經歷」には「ある地域内をめぐり歩くこと」の意味もあります。
「秋津嶋」は「あきつしま」と読みます。
「大和の国・日本(本州)全体」の意味です。
【神武東征】とは
天孫降臨で、九州の高千穂宮に降り立ったニニギ。
その孫の子であるカムヤマトイワレビコは、兄のイツセと共に東の大和の国を目指します。
目的は「近頃中つ国(地上)では天つ国を敬わない国が増えてきているので、神の子として彼らを統治(平定)しなければならない。九州にいては全国に目を光らせるには不便だから、東の大和を目指そう」です。
ちなみにコース(【東遷】と言います)は、日向→宇沙→筑紫→吉備→浪速→熊野→宇陀→忍坂→畝傍(樫原宮)だと言われています。
つまり、直訳すれば「神武天皇は日本の本州を巡り歩いた」ですが、「カムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は、九州の日向を出発して各地を平定しながら、東の大和の地を目指しました」という感じで訳すことにしました。
・化熊出川 天劒獲於高倉
「化熊出川」は「化熊(ばけぐま)川より出でて」と読みました。
本文には『東征中のイワレビコが紀伊(和歌山県)の熊野村に上陸して内陸を目指していると、川からクマが出てきました。
クマは突然消えますが、イワレビコの率いていた兵たちは全員気を失いました…』という場面があるので、ここを指しているのでしょう。
「天劒獲於高倉」は「化け熊が出て、イワレビコたちが気を失った」後のお話です。
『気を失ったイワレビコの前に高倉下(タカクラジ)という人物が現れます。そして「私の夢にアマテラスやタケミカヅチが現れて、私の倉に剣を降ろすから目が覚めたら天神御子(イワレビコのこと)に届けなさい、と言われました」とイワレビコに布都御魂(フツノミタマ)という霊剣を渡しました。これによって山の邪気が祓われて、みんな目を覚ましました』
直訳では「化け熊が川から出て、高倉下から天の剣を得た」ですが、これでは何だか分かりませんので、「東征中のイワレビコが紀伊から内陸を目指していると、川から突然クマが現れ妖気で気を失ってしまいました。ですがそこへ、神のお告げの夢を見たという高倉下という人物が、霊剣・布都御魂(フツノミタマ)をイワレビコに渡し、霊剣の力で邪気が祓われてみんな目を覚ましました」と訳しました。
・生尾遮徑 大烏導於吉野
ここは3つに分けて説明したいと思います。
①「生尾」は「尾が生えた人がいた」と言う意味です。
「なにそれ?」と思いますよね?私も思います。
でも原文にそう書いてあるのです。「生尾人」と。
どういう意味か分からないので、「昔は孫悟空みたいな人がいたんだな...」と思うことにしました。
②「遮徑」は「徑(みち)を遮る」です。
つまり、イワレビコが大和に行くのを遮った、戦闘があったと言う事でしょう。
ちなみに「生尾人が遮った」という記述は無いです(土蜘蛛という敵対勢力は別ですが)。
なので、宇陀の地でエウカシという豪族と戦闘があった、という意味で訳しました。
③「大烏導於吉野」ですが「大烏=八咫烏(ヤタガラス)」です。
吉野の地で「この先に悪い神がいる。タカムスビ(←神様です)がヤタガラスを遣わすから、それについていけば無事に通り抜けられるだろう」というお告げがあった...という意味で訳しました。
ちなみに、ここは原文の順番と異なっています。
原文では①ヤタガラスに案内してもらう→②尾が生えた人に出会う→③宇陀の地の豪族と戦闘、と言う順番です。
ですから、この順番通りに訳してあります。
・列儛攘賊 聞歌伏仇
「儛」は「舞い」の事だと思います。
「思います」と言うのも、古事記本文に「儛」という文字が出てこないのです。
「攘賊 」は「賊を追い攘(はら)う」の意味です。
「伏仇」は「仇(外敵)を伏(したがえる)」の意味です。
「仇(外敵)」とは土蜘蛛という一族を指しています。
「聞歌」は文字通り「歌を聞く」。
どういう事かというと、『ご馳走を用意して土蜘蛛(土地の豪族かな?)を油断させて、宴会中に歌を合図に襲って討ち果たした』という場面があります。この事を指している様です。
ですので直訳すれば「みんなで舞い賊を追い払って、歌を聞き外敵を従える」ですが…。
既に述べたように、本文に「舞」という文字が無いことから、これは宴会の様子を表しただけっぽいので訳に無理に入れませんでした。
「逆賊(土蜘蛛)に対しては、宴会を催して油断させ、歌を合図に一斉に斬りかかってこれを討ちはらい従えた」と訳してみました。
序文にはありませんが、この後大和に着いたイワレビコは畝傍山(うねびやま)の麓に橿原宮(かしはらのみや)という宮殿を置いて、初代・神武天皇に即位するのです。
天孫降臨から神武東征・初代天皇即位という流れは、同時に神々のお話から、人の時代のお話へと移る転換点なのです。
いや~、アキちゃんが訳してくれて助かるよ~♪
フフフ...まぁね…何でも聞いてね…(ドヤ顔)
じゃあ、何で『古事記』では「歌」の表現が多いの?わかりづらいんだけど。
…。
知らんのかいッ!
以上で『古事記』序文⑤~天孫降臨と初代天皇・神武天皇即位~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』序文⑥~賢后と聖帝~をご紹介する予定です。
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ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
※本日のおまけは一番下にあります。
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