こんばんは、いもみ🍠です。
今日のランチにココイチのカレーを食べに行きました。
私はささみカツカレー、アキちゃんはロースカツカレーをチョイス。
とても美味しかったです(^ω^)
また、二人とも福神漬けが大好きなので、ついつい沢山食べ過ぎちゃいます。
福神漬けの名前の中には「福」と「神」が入っているので、食べると縁起が良さそうだなと思いました。
名前の由来を調べてみたのですが、七福神にちなんで「福神漬け」と命名したことや、漬物が福の神のように美味しいことから「福神漬け」と命名したそうです。
七福神めぐりをしたばかりなので、福神漬けを食べてさらにパワーアップした二人でした。
今週は流山七福神めぐりウィークとして、七ヵ所のお寺を先週から巡ってきましたので、お寺や頂いた七福神の御朱印のご紹介などしたいと思いますm(_ _)m
↑画像引用「ときめき流山さんぽ」
七福神めぐりマップがお寺にあるので、地図を見ながら、七つのスタンプラリーもしてきました。
裏側は各お寺に設置されているスタンプが押せるようになっています。
本日は流山市駒木にある『成顕寺』のご紹介です。
「じょうけんじ」と読みます。
日蓮宗の寺院で、山号は通法山です。
成顕寺は、以前このブログでも幾度かご紹介した『諏訪神社』の奥の院(別当寺)で、明治の神仏分離令ので神社と寺院が分けられましたが、今でも諏訪明神(鞍懸大龍王)を龍王堂で祀っています。
そのため諏訪霊場・妙法諏訪大霊王といった別称もあります('ω')ノ
たいへん歴史があるので、詳細は後述いたします<(_ _)>
...アキちゃんが(´ω`*)←丸投げいもみ
駐車場は寺院の前にありました。
私達が停めた場所も広かったですが、境内にも駐車できる場所があって40~50台位は駐車できそうでした。
お手洗いの場所は確認できませんでした。
自販機はありません。
寺院のある場所は住宅地の間を進む感じで、結構交通量がありましたが道が新しくて広く、看板も出ているので分かりやすいです。
~創建~
⇒大同年間(806~810年)と伝わっています。
~御本尊~
⇒釈迦牟尼仏
~成顕寺の歴史~
⇒成顕寺は日蓮宗の寺院ですが、鎌倉以前は真言宗の寺院でした。
色々と複雑なので、時系列で並べてみました('ω')ノ
①大同年間(806~809年)に創建
→弘法大師・空海の弟子の桂傳阿闍梨(けいでんあじゃり)が農民を困らせる龍を退治し、その龍を風早明神(かざはやみょうじん)として祀り真言宗の道場寺(金胎山道場寺)として創建した、と伝わっています('ω')ノ
伝承では桂傳阿闍梨は「下総国戸張郷(柏市戸張)の沼地に潜伏する龍神を秘術を以って降伏させた」とあります。この「柏市戸張の沼地」とは手賀沼のことでしょうか?
②建治・弘安年間(1275~1287年)頃に日蓮宗に改宗
→日蓮上人の高弟・日朗上人が龍神を諏訪大明神と呼び改め、日蓮宗に改宗したのは1275~1287年の間の様です。
改宗の理由としては、「日蓮宗の日朗と真言宗の道場寺の僧2名とが法論を行い、道場寺の僧2名が負けて自害し日蓮宗の寺院となった」若しくは「龍神により疫病が流行した時、日朗が龍神を法華経で改心させ疫病が止み、地域の住民がそのことに感謝し日蓮宗に改宗した」などと伝わっている様です('ω')ノ
龍神を諏訪大明神と呼び改めたこの時期に、日朗から御本尊を受けた大檀越の高市家が現在の地に移って寺院を建てたのが成顕寺の始まりのようです。
③明治初期の神仏分離令により寺院(仏様)と神社(神様)が分けられる
→成顕寺は始め「駒木諏訪神社の奥の院」とされていましたが、神仏分離令で神社と寺院が分けられました。
成顕寺に仏様(本尊釈迦如来)だけでなく、神様(諏訪大明神)が祀られているのは、この様な歴史があるからなのですね('ω')ノ
ご覧いただいた様に、成顕寺は大同年間に「真言宗の金胎山道場寺」として興り、建治・弘安年間に日蓮宗に改宗し現在の地に移りました。
この頃は神仏習合の時代で、仏様も神様も一緒で駒木諏訪神社の奥の院とされていましたが、明治初頭の神仏分離令により奥の院という形は無くなりました。
しかし、成顕寺と駒木諏訪神社の関係は興味深いものがあります。
このうち2つだけご紹介して、私の説明は終わりたいと思います('ω')ノ
一つ目は「創建年代」についてです。
既述の通り、成顕寺の始まりは大同年間(806~810年)と伝わっています。
そして駒木諏訪神社の創建は大同2年(807年)なんですね。
ほぼ同時期なんですよね。
二つ目は「鞍懸大龍王の名の由来」についてです。
成顕寺の龍王堂に祀られている諏訪明神(鞍懸大龍王)は、「源頼朝が松の木に鞍を掛けたことから『鞍懸(くらかけ)大龍王』と呼ばれるようになった」という伝承があります。
一方、駒木諏訪神社には「源義家(八幡太郎)が諏訪神社の境内で鞍を木に掛けた」という伝承があります。
そっくりな伝承ですよね?頼朝が義家を真似たのかしら??とか考えちゃいますよね。
以上、アキでした<(_ _)>
では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
駐車場から進んで境内に入った所です。
参道は別の所から入ります。
コチラが参道です。
境内の様子はこんな感じです。
とても広々としていました。
流山人形供養の碑です。
見づらい写真になってしまいました、ごめんなさい🙇
この碑の他に動物之碑もありました。
手水舎です。
蓋(?)がしてありました。
でもご安心ください、こんなこともあろうかと手拭きペーパーを持参しています!(・∀・)
井戸?ですよね??
七福神が乗った宝船です。
今回巡った7つの寺院ではご神体(一体400円)の他、宝船(3000円)も置いてありますよ(^ω^)
勿論この写真の宝船ではありません(笑)
弁財天の看板です。
近くに大堀川が流れているので「聖なる水の流れ」の神様がいるってピッタリですね(*´ω`*)
弁財天の像がありました。
弁財天と言いますと、日本神話だと宗像三女神の市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることが多い神様ですね。
こちらが龍王堂(龍王殿)です。
行基作と伝わる龍体の諏訪明神(鞍懸大龍王)が安置されています。
彫刻の美しさにアキちゃんは感動しています。
以前ご紹介した竹内神社の屋根にもあった飛び狛を再び見ることが出来ました!
お賽銭入れが、お賽銭箱として表に出ているのではなくて、床(?)に埋め込まれた珍しい造りでした。
こちらにも流山市指定有形文化財がありました。
龍王堂にある鋳銅製の鰐口です。
確かにワニ🐊の口のようにパックリ割れていますね。
直径90cmの大型の鰐口で、涅槃図と共に流山市指定有形文化財になっています。
おや?こちらは…??
ムムム...賽銭箱に打ち出の小槌。となるとコチラが大黒堂かしら。
参拝後は御朱印を頂きに御本堂右手にある寺務所へ向かいました。
扉を開けると正面には、雛人形が飾っていました。
寺務所を入った左手に七福神のスタンプ台がありました。
押したスタンプがこちらです。
こちらが御朱印です。
初穂料は「お気持ちで(*´ω`*)」と言うことでした。
「300円ほどの方が多いですよ」と教えて頂きました<(_ _)>
以上で『成顕寺』のご紹介はおしまいです。
江戸川大学に隣接するこの寺院は御本堂や龍王堂、大黒堂の他、弁天堂・稲荷堂と多くの神様が祀られています。
剣道・拳法・ピアノ・ヨガなども成顕寺内で行われていて、地域密着した寺院だな~という印象を受けました。
境内は広いですが、清掃が行き届いていました。
私達が訪れたこの日も多くの方がいらっしゃっていました。
御多忙の中、丁寧に御朱印の対応をして頂き、ありがとうございました<(_ _)>
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
※本日のおまけは一番下にあります。
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~本日のオマケ~
本日、とある神社に行って参拝しました✨
ヒントは天狗👺です。
猫さまが神社にいましたよ🐾
後日、ご紹介する予定です!