いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
こうして一日に千人を黄泉の国に引きずり込むイザナミは、黄泉津大神(よもつおおかみ)と名を改めました。
またイザナミは逃げるイザナギを追いかけ、黄泉比良坂で追いついた事から(「追いついた神」を意味する)道敷大神(ちしきのおおかみ)とも申されるのです。
(註:【斯伎斯】の此の三字は音読みを用いて【しきし】と読んで下さい)

人はなぜ生まれ、何故死んでいくのか?
この人の生死の起源を説くお話が前回で明らかになりました。
今回は黄泉の国の入り口とされる黄泉比良坂(よもつひらさか)の説明です。
実はこの入り口とされる場所は、現在でも伝わっているんですよ。

『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~

【原文と読み方】
【原文】
亦所塞 其黃泉坂之石者 號 道反大神
亦謂 塞坐黃泉戶大神
故其所謂 黃泉比良坂者 今謂出雲國之 伊賦夜坂也

【読み方】
亦(また)其(そ)の黄泉(よみ)の坂に塞(ふ)さがれる石は道反大神(ちがえしのおおかみ)とも號(よびな=号)し、
亦(また)塞坐黄泉戸大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも謂(い)う
故(かれ)其(そ)の所謂(いわゆる)黄泉比良坂(よもつひらさか)は今、出雲國(いずものくに)の伊賦夜坂(いぶやさか)と謂(い)う

【訳】
イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石は道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼びます。
この千引石は、またの名を塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも言います。
この黃泉比良坂とは出雲國(いずものくに・現島根県松江市)にある伊賦夜坂(いぶやさか)のことです。

伊賦夜坂(いぶやさか)の場所について

グーグルマップで検索したら出てきたので地図を貼っておきますね!
ご参考にどうぞ♪
伊賦夜坂(いぶやさか)

【解説】
亦所塞 其黃泉坂之石者 號 道反大神 亦謂 塞坐黃泉戶大神
「亦所塞 其黃泉坂之石者」は「亦(また)其(そ)の黄泉(よみ)の坂に塞(ふ)さがれる石は」と読みました。
これはこの前のお話で出てきた「イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石」の事を言っています。

「號 道反大神 亦謂 塞坐 黃泉戶大神」は上記の「この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石」を「道反大神(ちがえしのおおかみ)」または「塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)」と「號(よびな=号)」した、と言っているのです。

これをまとめて訳すと「イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石は道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼びます。この千引石は、またの名を塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも言います」で良いかと思います。


故其所謂 黃泉比良坂者 今謂出雲國之 伊賦夜坂也
この文は黃泉比良坂の場所を説明しています。
地名以外は特に難しい単語は無いと思います。

「出雲國」は「いずものくに」ですね。
現在の島根県です。

「伊賦夜坂」は「いぶやさか」と読みます。
現在の島根県松江市にあった、とされています。

つまりここを訳すと「この黃泉比良坂とは出雲國(いずものくに・現島根県松江市)にある伊賦夜坂(いぶやさか)のことです」でしょう。

道反大神と黃泉比良坂

「道反大神(ちがえしのおおかみ)」ってどんな意味なの?

漢字のまんまの意味よ。
イザナミに追われたイザナギは黃泉比良坂に千引石を置いたでしょ?
で、イザナミは追えなくなくなった...【ことど】の後、イザナミはどうしたと思う?

う~ん...諦めて帰るしかないよね。

そうそう。
つまり道を塞がれて引き返した...道を反(かえ)した、ってことね。

おぉ~!なるほど...まんまじゃん!

だから最初に「漢字のまんまの意味」って言ったでしょ。

ところで黃泉比良坂(よもつひらさか)は出雲の国にあるのは何か理由があるの?

出雲の国があった島根県、鳥取県には紀元前3~1世紀頃に強大な勢力があったと言われているの。
古事記は大和政権、つまり奈良県の政権の話なんだけど、この出雲の国に対してはかなり気を使っているような部分があるのよ。
だからじゃないかな?

「だからじゃないかな?」ってことは、結局理由は分かんない!ってことだよね?

...。(...バレたか、どうでもいいことだけよく気付くな、コイツ)

以上で『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻51~禊(1)~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
千引石を挟んでイザナギは、イザナミに別れを告げました。
別れを告げられたイザナミは「愛おしい貴方がこの様な仕打ちをするのならば、私は貴方の国の人民を1日に1000人を絞め殺しましょう」と仰せになられました。
これに対しイザナギは「愛おしい我が妻よ、貴女がそうするのであれば、私は一日に1500の産屋を建てる事にしましょう」とお答えになりました。
こういう出来事があったので、人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです。

日本で初めての離婚...。
人は何故毎日生まれ、何故毎日死んでいくのか...そういう理を説明している文だと思いました。
物語から人の生死の起源を説く、という作業はなかなか難しい気がします。
古事記にはこうした【私達の世界は何故こういうことになっているのか?】みたいなことを物語で説明している箇所が幾つもあります。
こういう点にも注目して読み進めていくと、また面白いと思います。


『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~

【原文と読み方】
【原文】
故號 其伊邪那美神命 謂 黃泉津大神 
亦云 以其追斯伎斯(此三字以音)而 號 道敷大神

【読み方】
故(かれ)其(そ)の伊耶那美命(いざなみのみこと)の號(よびな=号)を黄泉津大神(よもつおおかみ)と謂(い)ふ
亦(また)其(そ)の追(お)い斯伎斯(しきし)を以(も)って、號(よびな=号)を道敷大神(ちしきのおおかみ)とも云(い)う
【斯伎斯】の此(こ)の三字は音を以(もち)いる

【訳】
こうして一日に千人を黄泉の国に引きずり込むイザナミは、黄泉津大神(よもつおおかみ)と名を改めました。
またイザナミは逃げるイザナギを追いかけ、黄泉比良坂で追いついた事から(「追いついた神」を意味する)道敷大神(ちしきのおおかみ)とも申されるのです。
(註:【斯伎斯】の此の三字は音読みを用いて【しきし】と読んで下さい)

【解説】
故號 其伊邪那美神命 謂 黃泉津大神
「故」は「かれ」と読みます。
「先にあった事の結果として、後の事が起こった」ことを表わす言葉です。
訳すと「こういうわけで」でしょうか。
つまりこの「故」は「ことど(離婚)によってイザナミは一日千人を絞め殺し、黄泉の国に引きずり込む、と言ったことの結果として」ということを表わしています。

「號」=「号」で「よびな」と読みます。
意味も同じで「呼び名、名前」です。

なのでここは「こうして一日に千人を黄泉の国に引きずり込むイザナミは、黄泉津大神(よもつおおかみ)と名を改めました」と訳しました。


亦云 以其追斯伎斯(此三字以音)而 號 道敷大神
ここで難しいのは以其追斯伎斯(此三字以音)而の部分だと思います。
まず太安万侶の注釈(此三字以音)に従うと「此の3字は音を以(もち)いる」➩「【斯伎斯】の3字は音読みを用いる」と書かれていますので、
【斯伎斯】は【しきし】と読みます。

が、「其の追い【斯伎斯(=しきし)】を以(も)って」と読めても、わかりずらいです。
この「追いしきし」とは、「追い敷きし」なんでしょうね。
調べたら「敷」には「隅々まで及んでいる様」という意味がありました。
この事から念のため「及」も調べてみたら「及」にも「しき」という読み方があることが分かりました。
なので「追いしきし」=「追い及し」なのかもしれません。

いずれにせよ意味は「追いつく」でしょう。
ですから以其追斯伎斯(此三字以音)而は、「イザナミは逃げるイザナギを追いかけ、黄泉比良坂で追いついた事から」という感じに訳してみました。

黄泉津大神・道敷大神について

名前が二つあるんだね。

そうね。
黄泉津大神(よもつおおかみ)は「黄泉国の主宰神」の意味ね。
「ことど」によってイザナミがイザナギに「貴方の国の人民を一日千人、黄泉の国に引きずり込む」と言っているから、この時点でイザナミは「黄泉国の主宰神」になった...ということでしょうね。

道敷大神(ちしきのおおかみ)は?

道敷大神(ちしきのおおかみ)は「イザナギに追いついた神」の意味なんだって。

イマイチ良く分かんないね??

私的にはキーワードは「道」だと思うのよね。
中津葦原から黄泉の国に続く道...この道を行ききると死んでしまう。途中捕まっても死んでしまう。この道を治めるのが道敷大神、つまりイザナミ、って感じかな。

そう言えば上の解説でも、道敷の「敷」は「隅々まで及んでいる様」という意味があるって言ってたもんね。
道敷大神は「黄泉の国の道の隅々まで統治が及んでいる神様」って意味かもしれないね。

そうそう。だから古事記の道敷大神は正確には「統治する黄泉の国の道で、イザナギに追いつけた神様」って意味じゃないかなと思ってるの。
ちなみに日本書記にも道敷大神が登場するんだけど、古事記とはちょっと話が違っていて【黄泉の国から逃れたイザナギが体の穢れを落とす時に、身に着けた靴を脱いで生まれた神が道敷大神】となっているわ。

ふーん。じゃあ道敷大神は靴の神かもしれないね。

古代の日本では【穢れ】を恐れていたそうよ。
これは穢れが溜まると死に繋がるかららしいわ。
黄泉の国の道は死に至る道だから、その道を歩いて付いた着衣を脱ぎ捨てて、身を清めたいって思うのかもしれないわね。

解釈色々あるんだね。
私は「黄泉の国の道の隅々まで統治が及んでいる神様」って覚えとこうかな。
多分、明日には忘れてまたアキちゃんに聞くと思うけど。

...。

以上で『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㊿~黄泉比良坂~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
黄泉醜女、黄泉軍が退けられたので最後にはイザナミ自らがイザナギを追いかけてきました。
そこでイザナギは千引石(ちびきのいわ=千人で引かなければ動かせないような重い岩石)を引いて、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞ぎました。
そしてイザナギは千引石を挟んで、追ってきたイザナミと向かい合いました。

あんなに愛し合った二人でも憎しみ合うようになる...男女は難しいですね。
大学の時に聞いた話だと、人間の男女の愛は平均して約2年しか続かないようですよ?
さて、この後日本で初めての離婚が描かれていきます。
そうなんです、日本初の離婚者はイザナギとイザナミなんですね。

『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~

【原文と読み方】
【原文】
度事戶之時 伊邪那美命言
愛我那勢命 爲如此者 汝國之人草 一日絞殺千頭 
爾 伊邪那岐命詔 愛我那邇妹命 汝爲然者 吾一日立 千五百產屋
是以 一日必千人死 一日必千五百人生也

【読み方】
事戸(ことど)を度(わた=渡)す時に伊耶那美命(いざなみのみこと)言いたまわく
「愛しき我(わ)が那勢(なせ=汝兄)の命(みこと)、此如(かくのごとく)爲(な=為)りたまへば、
汝(なんじ)の國の人草(ひとくさ)一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(し)め殺さん」
爾(ここ)に伊邪那岐命(いざなぎのみこと)詔(の)りたまわく
「愛しき我が那邇妹(なにも=汝妹)の命(みこと)、汝(なんじ)が然(しか)爲(な=為)りたまへば、
吾(われ)は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てむ」
是(これ)を以(も)ちて一日(ひとひ)に必ず千人(ちひと)死に、一日に必ず千五百人(ちいほひと)生まるる也

【訳】
千引石を挟んでイザナギは、イザナミに別れを告げました。
別れを告げられたイザナミは「愛おしい貴方がこの様な仕打ちをするのならば、私は貴方の国の人民を1日に1000人を絞め殺しましょう」と仰せになられました。
これに対しイザナギは「愛おしい我が妻よ、貴女がそうするのであれば、私は一日に1500の産屋を建てる事にしましょう」とお答えになりました。
こういう出来事があったので、人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです。

【解説】
度事戶之時 伊邪那美命言
「度」は音・訓読みでは無いのですが、名のりという読み方に「わたる」という読み方があります。
この場合の「わたす」は、つまり「言い渡す」という感じでしょう。

「事戶」は「ことど」と読みます。
古事記を読まなければ聞いたことない単語だと思います。
「配偶者と縁を切るための呪言」という意味だと考えられています。
これについては後述したいと思います(一番下です)。


愛我那勢命 爲如此者 汝國之人草 一日絞殺千頭 
「愛我那勢命」は「愛しき我が那勢(なせ=汝兄)の命(みこと)」と読みます。
これは以前も登場しましたが、忘れてしまった方のためにもう一度簡単に説明しますね?

「那勢命(なせのみこと)」とは「女性が男性に親しみや敬意を込めて呼ぶ言葉」です。
「那勢(なせ)」は上記の読み方でも書いていますが「汝兄」とも書きます。
この場合、妻であり妹でもあるイザナミが、夫であり兄でもあるイザナギを呼んでいるので「那勢(なせ)=汝兄」なのです

この次の文で「愛我那邇妹命」も出てくるので一緒に説明しちゃいましょう!
「那邇妹」は「なにも」と読んで、「汝妹」とも書きます。
この【那邇妹(なにも)】は、【那勢(なせ)】の対となる言葉なのです。
だから「男性が女性に親しみや敬意を込めて呼ぶ言葉」となります。

それぞれ訳すとすれば「愛我那勢命」➩「愛しい貴方が~」、「愛我那邇妹命」➩「我が妻よ(我が妹よ)」って感じでしょうか。
まぁ、ここは奥様や旦那様、彼女・彼氏さんに対し、読者のあなたが親しみや敬意を込めて呼びたい言葉を当てはめればいいんです。
さぁ、どうぞ!恥ずかしがらずに!!(;゚∀゚)=ハァハァ

「如此(かくのごとく)」は「このように~」という意味ですね。
ですから「爲如此者」は「この様なことをするのならば」といった感じになると思います。


爾 伊邪那岐命詔 愛我那邇妹命 汝爲然者 吾一日立 千五百產屋
「愛我那邇妹命」については上で書いたので省略します。


是以 一日必千人死 一日必千五百人生也
ここの文は簡単ですね。
「この出来事があったから、人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです」で良いと思います。

事戸(ことど)について

上で書きましたが、事戸(ことど)とは「配偶者と縁を切るための呪言」という意味だと考えられています。
ちなみに日本書記だと「絶妻之誓」とあるので、離婚の意味であるのは間違いないと思います。

それにしても離婚を何故「ことど」というのでしょうか?
太安万侶の注釈が無いということは「ことど」は大和言葉であり、読む場合も難解な表現では無かったという事なのでしょう。
う~ん...と考える私に、天啓が!!
天啓➩「離婚したらすることかな~?」
そして「もしかしてコレじゃないの?」と思いつきました!

ことど(離婚を意味)➩離婚したらすること➩実家に帰らせて頂きます➩住む家が別々になる➩異なる家(戸)➩異戸(ことど)だ!

どうでしょう?結構いい線言ってると思うのですが。

イザナギがイザナミに何を言って、離縁したのかは古事記に記載が無いので分かりません。
あるいは千引石を置いた事で別れを表わしているのかもしれませんが、これも分かりません。
分からないのですが、「ことど」を「異戸」と解釈した私は「異戸」➩「住む家が別々になる」➩「これからは異なる世界でそれぞれ過ごして行こう」的な事を言ったのかな...?と想像しています。

冒頭でも書きましたが「ことど」のこのシーンは【日本初の離婚】です。

当時の日本の人口は?

「人は一日に必ず千人が死んで、一日に必ず千五百人が生まれるようになったのです」と訳しましたが、この計算ですと1日500人ずつ人口が増えていく計算になりますね。
年間だと500人×365日=182500人。
古事記が成立したのは8世紀初頭ですが、当時の人口はどれ位だったのでしょうか??

...そんな訳でちょっと調べてみました!
比較としてそれ以降の時代の人口と平均寿命も書いてみますね。
※各資料によって数字は異なります。データを3~4つほど見た感じのおおよその数字だと思ってください<(_ _)>
①奈良時代(8世紀頃)
➩人口:450~500万人 平均寿命:20歳 
②平安時代(9~12世紀頃)
➩人口:550~700万人 平均寿命:30歳
③鎌倉・室町時代(12~16世紀)
➩人口:750~850万人 平均寿命:16歳(室町時代)
④江戸時代(17~19世紀)
➩人口:1250~3150万人 平均寿命:38歳

室町時代の平均寿命が低いのは、不作や飢餓、疫病などの他「戦争が多かったため」の様です。
ちなみに鎌倉時代の平均寿命は20歳代で、平安時代より低くなっていました。
これも戦が増えたためのようです。
また平均寿命が低いのは「乳児などの死亡率が極端に高いため」で、普通に50歳くらいまで生きる人も結構いた様です。

以上で『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㊾~黄泉津大神~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ
来週末に福島県のいわき市に旅行します!
とても楽しみです♪
ホテルがなかなか取れずに焦りましたが、何とかとれました!
温泉楽しみだな~♥
折角なので美味しいもの食べてきたいです…福島の名産ってなんだろ...?

『古事記』本文上巻㊼~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊼~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(1)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
桃の実の霊力で黄泉軍の追手を退けられたのを見て、イザナギは「桃よ、ありがとう。私を助けてくれた様に、葦原中國(あしはらのなかつくに=地上界)に生きる青人草(あおひとくさ=人民)が苦しい立場に陥って思い悩む時には助けてあげてくれ」と仰せになられて、桃に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という呼び名をお贈りになったのです。

「桃よ、ありがとう。私を助けてくれた様に、人々が苦しい時には助けてあげてくれ」...!
こんなイザナギに私はキュンするわけです。
これまでイザナギと言えば...「(妹のイザナミに)お前の身体はどうなっていますか?」「(生まれた子は不具だから)川に流そう」「(我が子のカグツチを)妻の命を子の一人と引き換えに出来ようか➩惨殺」など...ちょっとどうなの?これ…という感じでしたので、このギャップにやられたのかもしれません...。
雨に濡れた子犬を抱きかかえる不良少年を陰から目撃してしまった少女のギャップ萌え...といった図式なのでしょうか。


『古事記』本文上巻㊼~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(1)~

【原文と読み方】
【原文】
最後 其妹 伊邪那美命 身自 追來焉
爾 千引石 引塞 其黃泉比良坂 其石置中 各對立而

【読み方】
最後にその妹(いも)伊耶那美命(いざなみのみこと)身(み)自(みづか)ら追ひ來ましき
爾(ここ)に千引石(ちびきのいわ)を其(そ)の黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き塞(ふさ)ぎて
其(そ)の石を中に置きて各(おのおの)對(む=対)かい立ちて

【訳】
黄泉醜女、黄泉軍が退けられたので最後にはイザナミ自らがイザナギを追いかけてきました。
そこでイザナギは千引石(ちびきのいわ=千人で引かなければ動かせないような重い岩石)を引いて、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞ぎました。
そしてイザナギは千引石を挟んで、追ってきたイザナミと向かい合いました。


【解説】
千引石 引塞 其黃泉比良坂

「千引石」は「ちびきのいわ」と読みます。
「千人で引かなければ動かせないような重い岩石」を意味しています。
あれ...?黄泉の国の軍勢「黄泉軍」は1500いたんじゃ…動かされちゃいますよ、コレ』などという無粋な推測はいりません。
思わず書いてしまいましたが…。

訳としては「千引石(ちびきのいわ=千人で引かなければ動かせないような重い岩石)を引いて黃泉比良坂の入り口を塞ぎ」としました。

其石置中 各對立而
「其石置中」は単純に「其(そ)の石(いわ=岩)を中に置き」で良いと思いますが、中ってどこ?となりませんか?
これは「中」➩「イザナギとイザナミの間(真ん中)に石(岩)を置いて」という感じだろ~な~と訳しました。


以上で『古事記』本文上巻㊼~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㊽~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(2)~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ
【検証してみた】
①黄泉醜女・黄泉軍からイザナギ逃げた➩黄泉醜女・黄泉軍はイザナギより強い
②桃投げたら黄泉軍逃げた➩桃は黄泉軍より強い
③イザナミは桃に怯まない➩イザナミは桃より強い
④イザナギは千引石動かせるがイザナミは無理➩イザナギはイザナミより強い

...結局力関係はどーなってんだ??というのが読み終わった後の感想です。

『古事記』本文上巻㊻~桃の名前~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊻~桃の名前~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
さらにその後には、イザナミは自らの体中に生じた八柱の雷神達に1500の黄泉軍(よもついくさ)をつけて、イザナギを追うようお命じになられました。
イザナギは腰に帯びていた十拳剣を引き抜くと、後ろ手に降り回しながら逃げましたが、なおしつこく追ってきます。
あの世とこの世を結ぶ黄泉比良坂(よもつひらさか)の入り口に差し掛かった時に生えていた桃の実を三つ取って投げると、桃の霊力によって追手はことごとく逃げ帰ったのです。

桃には霊力があった...!
死者の国の軍勢もこれさえあれば、寄ってこれないぞ!!
そう言えば、私も桃を食べた後は何だか力が湧いて来ていたような...といういもみの妄言で前回のお話は終わりました。
本日はこの桃に実は名前があった、というお話です。



『古事記』本文上巻㊻~桃の名前~

【原文と読み方】
【原文】
爾 伊邪那岐命 告其桃子 
汝如助吾 於 葦原中國 所有 宇都志伎(此四字以音)青人草之
落苦瀨而 患惚時 可助告
賜名號 意富加牟豆美命(自意至美以音)

【読み方】
爾(ここ)に伊耶那岐命(いざなぎのみこと)其(そ)の桃の子(み=実)に告(の)りたまわく
「汝、吾(われ)を助けしが如(ごと)く、葦原中國(あしはらのなかつくに)に於(お)いて有る宇都志伎(うつしき=現しき)青人草(あおひとくさ)之(の)
苦しき瀬(せ)に落ちて、患(わずら)い惚(ほう)ける時には助ける可(べ)し」と告(の)りたまいて、
意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という號(よびな=号)を賜(たま)いき

【訳】
桃の実の霊力で黄泉軍の追手を退けられたのを見て、イザナギは「桃よ、ありがとう。私を助けてくれた様に、葦原中國(あしはらのなかつくに=地上界)に生きる青人草(あおひとくさ=人民)が苦しい立場に陥って思い悩む時には助けてあげてくれ」と仰せになられて、桃に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という呼び名をお贈りになったのです。

【解説】
汝如助吾 於 葦原中國 所有 宇都志伎(此四字以音)青人草之 落苦瀨而 患惚時 可助告
「葦原中國」は序文で何度も登場しましたね。
今一度おさらいすると、古事記の世界では以下の3つの世界があります。

・高天原(たかまのはら)
 ➩いわゆる天界。神々だけが住む。天界に住む神は「天つ神」と言います。
・葦原中國(あしはらのなかつくに)
 ➩地上界(=日本)。神々と人が住む。地上界の神は「国つ神」と言います。
・黄泉国(よみのくに)
 ➩死者の住む国。
※この3つ以外にも夜の食国、根の堅州国などが登場しますが、ここでは省きます<(_ _)>

ご覧の様に、「葦原中國(あしはらのなかつくに)」とは「地上界」のことです。

「宇都志伎」は太安万侶の注釈(此四字以音)を訳さないと読めません。
(此四字以音)➩「此の4字は音を以(もち)いる」➩「【宇都志伎】の4字は音読みを用いて【うつしき】と読んで下さい」ですね。
「宇都志伎」=「うつしき」は「美しい」かと思ってしまいますが、ここは「現」を指しています。
「現」 は訓読みで「うつつ」とも読みます。
意味は「生きていること」です。

「青人草」は「あおひとぐさ」と読みます。
「人民、人間」という意味です。
人が増える事を、草が生い茂るのに例えた表現です。
古事記では国生みや、神生みの場面はあるのですが、人が誕生したという話がありません。ですからここが古事記において初めて人が登場したシーンなのです。...という事は神は国と神を生んだけど、人は産んでいないという事なのでしょうか…?

「落苦瀨而 患惚時」は難しいですね。
個人的な意見なのですが、古事記は大体で良いからまず読むことから入ると結構訳せます。正しく読めているか、キチンと訳せているかはまた別の話ですけど…💦

そんなわけで私は「苦しき瀬(せ)に落ちて、患(わずら)い惚(ほう)ける時には」と読みました。

まず前半部の「落苦瀨而(苦しき瀬(せ)に落ちて)」。
「瀬」は訓読みで「せ」です。
意味は「立場、場所、機会」。
つまり「落苦瀨而」は直訳すると「苦しい立場に落ちた」で良いと思います。

次に後半部の「患惚時(患(わずら)い惚(ほう)ける時には)」。
私は最初「患(わずら)い惚(ほう)ける時には」と読みましたが、調べていたら「患惚」で「たしな(む)」と読むことが出来ると分かりました。

読み方は多分、「患惚=たしな(む)」が正しいと思います。
ですが「患(わずら)い惚(ほう)ける」の方が訳しやすい為、いもみの日記ではこっちの読み方を採用しています<(_ _)>

次は漢字の意味を見て行こうと思います。
患(わずらう)➩災い、心配
惚(ほうける)➩心を奪われて、うっとりする
直訳すれば「災いや心配で心を奪われ、うっとりする」ですが、「心配で心を奪われ」は要するに「思い悩む」状態だと思います。

つまり「落苦瀨而 患惚時」は「苦しい立場に陥って思い悩む時には」と訳しました。

「可助告」は「可」を「~べ(し」と読めば簡単です。
「助ける可(べ)し、と告ぐ」という感じでしょう。


賜名號 意富加牟豆美命(自意至美以音)
「賜名號」は「號」が難しい感じですね。
これは「號」=「号」で「よびな」と読みます。
意味も同じで「呼び名、名前」です。


「意富加牟豆美命(自意至美以音)」はまず太安万侶の注釈(自意至美以音)を訳します。
自は「~よ(り)」、至は「~に至る」。
つまり「自A至B」は「AからBまで」の意味ですから、「意富加牟豆美命(自意至美以音)」は…
「【意富加牟豆美命】の【意】から【美】までは音読みを用いて【おほかむづみ(のみこと)】と読んで下さい」になります。

「名のり」について

桃の名前は「意富加牟豆美命」。
これを音読みして「おほかむづみのみこと」。
ねぇ、「意」の音読みって「い」じゃないの?

「意」の音読みは「い」であってるわよ?

じゃあ「ほかむづみのみこと」じゃないとおかしくない?

これは「名のり」なんだと思うわ。
漢字の読み方は音と訓があるでしょ?だけどそれとは別に「名のり」という読み方もあるの。
つまり漢字には音、訓、名のりの3つの読み方があるのよ。

名のり」??

「名のり」は簡単に言うと【人の名前に限って使われてきた漢字の読み方】かな?
人名で多い漢字だと…そうね「和」を例えにしてみましょうか。
「和」の字の音は「わ、お、か」。
訓だと「やわ、なご、あ、な」。
でもお名前に「正和(まさかず)」さんや「日和(ひより)」さんとかいらっしゃるけど、音訓どちらにも無いでしょ?

おぉ...「和 名のり」で検索したら音訓以外に「あい、ちか、とし、やす...」沢山あるね。

同じように「意 名のり」で検索してみて?
きっと「意」を「お」と読むって出てくるから。

...あれ?「お」って読まないみたいよ?

え...?マジで??どれどれ...。
...。
「胃 名のり」で検索してるわよ、アンタ...。
※「意」の名のりに「お」はあります。

気を付けないと。

お前だろーが…。
この様に、①漢字には音訓読み以外にも「名のり」という読み方もある。
②逆に「名のり」の読みが無い漢字もある(「胃」に名のりはありません)。
③「名のり」の読みは人名に限られる(今回は桃の名だが…)
という事は古事記を読むうえで覚えておきたいですね!

以上で『古事記』本文上巻㊻~桃の名前~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㊼~一日千人を絞め殺し、千五百の産屋を建てる(1)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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本日のオマケ

『古事記』本文上巻㊺~イザナギ逃げる、イザナミ追う(3)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻㊺~イザナギ逃げる、イザナミ追う(3)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
黄泉醜女に追われたイザナギは、髪を縛っていた黒御鬘(くろみかづら=ツルの草)を取って投げ捨てると、蒲子(えびかずら=山ぶどう)が生えました。
追手の黄泉醜女がそれを食べている間に急いで逃げますが、食べ終わるとまた追いかけられてしまいます。
イザナギは次に右の髪に刺した湯津津間櫛(ゆつつまぐし=神聖で清浄な櫛)を引き抜いて、投げ棄てました。
すると今度は笋(たけのこ=筍)が生え、追手の黄泉醜女が笋を抜いて食べている間にまた逃げました。

前回のあらすじを読んだ感想で、いもみに「どう思った?」と訊ねたら「黄泉醜女は山ぶどうとタケノコが好きだった!」。
う~ん...確かにそうなんですけど、私的には「何で山ぶどうとタケノコ?」って思いました。
私がイザナギだったら追ってこれないように毒キノコとかトゲトゲの栗とか...手間取らせるためにドリアンとかヤシの実とか...。


『古事記』本文上巻㊺~イザナギ逃げる、イザナミ追う(3)~

【原文と読み方】
【原文】
且後者於 其八雷神 副 千五百之黃泉軍 令追
爾 拔所御佩之 十拳劔而於 後手 布伎都都(此四字以音)
逃來 猶追 到黃泉比良(此二字以音)坂之坂本時
取在 其坂本 桃子三箇 待撃者 悉逃返也


【読み方】
且(か)つ後に於(お)いては、其(そ)の八雷神(やくさのいかずちのかみ)に千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(そ=添)えて追はしめき
爾(ここに)御佩(みはかし)の十拳劒(とつかのつるぎ)を拔(=抜)きて、後手に振(ふ)きつつ
(此の四字は音を以いる)
逃げ來ませるを猶(なお)追いて
黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に
(此の二字は音を以いる)
其(そ)の坂本に在りし桃の子(み=実)三箇(つ)を取り持ち撃たば悉(ことごと)く逃げ返りき

【訳】
さらにその後には、イザナミは自らの体中に生じた八柱の雷神達に1500の黄泉軍(よもついくさ)をつけて、イザナギを追うようお命じになられました。
イザナギは腰に帯びていた十拳剣を引き抜くと、後ろ手に降り回しながら逃げましたが、なおしつこく追ってきます。
あの世とこの世を結ぶ黄泉比良坂(よもつひらさか)の入り口に差し掛かった時に生えていた桃の実を三つ取って投げると、桃の霊力によって追手はことごとく逃げ帰ったのです。

【解説】
且後者 於其 八雷神 副 千五百之黃泉軍 令追
「且後者於」は「且(か)つ後に於(お)いては」と読みました。
「且」に「さらに~」という意味があるので、「さらにその後には~」という意味だと思います。

「副」は「そ(える)=添える」でしょう。

「黃泉軍」は「よもついくさ」と読みます。
黄泉に棲む鬼達の軍勢です。
こんなのに追いかけられたら...トラウマになりそうです。

ところで「千五百之黃泉軍」の「千五百」は古語で「ちいほ」と読みます
千➩「ち」と読みますよね?千秋(ちあき)みたいに...
五➩「い」とも読みます。五十路(いそじ)みたいに...
百➩「ほ(お)」。八百屋(やおや)の様に百は「お」とも読みます。この「お」の古語が「ほ」です。

なお、文面では「1500の黃泉軍」となり、これでも正しいと思いますが「千五百(ちいほ)」というのは「数が多いことの例え」の可能性もあります
いもみの日記では分かりやすいので「1500の黃泉軍」ということで話を進めます<(_ _)>

そんなわけで「於其 八雷神 副 千五百之黃泉軍 令追」は「イザナミは自らの体中に生じた八柱の雷神達に1500の黄泉軍をつけて、イザナギを追うようお命じになられました」と訳しました。


爾 拔所御佩之 十拳劔而於 後手 布伎都都(此四字以音)逃來 猶追
「布伎都都」をまず読みたいですね。
太安万侶の注釈では(此四字以音)➩「此の4字は音を以(もち)いる」とあるので、「布伎都都」を音読みで「ふきつつ」ですね。
「ふきつつ」というのは何なの?というところで、この言葉の前後を訳してみましょう。

まず「拔所御佩之 十拳劔而於」は「イザナギは腰に帯びた十拳劔を抜いて」という意味です。
次に「後手 布伎都都(ふきつつ)逃來」と続きます。
ここまでを読むと「イザナギは腰に帯びた十拳劔を抜いて後ろ手に布伎都都(ふきつつ)逃げた」です。
これで大体想像できるかと思います。つまり...
「逃げる時、十拳劔を後ろにブンブン振りまわして追ってこれないようにした」➩
「布伎都都(ふきつつ)=振りつつ」です。


到黃泉比良(此二字以音)坂之坂本時
「到黃泉比良(此二字以音)坂之坂本時」は「坂之坂本時」が特に読みずらいですが「黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到る時に(註:此の二字は音を以いる)」と読みました。
「坂本」は「坂の始まる所」のことでしょう。

というわけで「黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂の入り口に差し掛かった時に」としてみました。

黄泉比良坂(よもつひらさか)について

生者の住む世界と、死者の住む世界の境目にある坂です。
以前も書きましたが、「黄泉」は元々は中国の地下にある泉を言います。
古代の中国では地下に死者の世界があるとし、そこを黄泉と呼んだそうです。

また「比良(ひら)」は「崖」を意味すると考えられています。

日本神話に出てくる黄泉比良坂ですが、この後にも登場します。
この時のシーンも「追手から逃げる」というお話なんですよね~。
そういう場所柄なんでしょうか?

場所ですが出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)にあるという伝承があります。
試しにグーグルマップで検索したら、なんと出てきました!


取在 其坂本 桃子三箇 待撃者 悉逃返也
ここは読めば比較的意味は分かりやすいのかな?と思います。
私は「其(そ)の坂本に在りし桃の子(み=実)三箇(つ)を取り持ち撃たば悉(ことごと)く逃げ返りき」と読みました。
「黄泉比良坂(よもつひらさか)の入り口にあった桃の実を三つ取って投げたら、追手はことごとく逃げ帰った」となると思います。

何故桃にそんな威力があるのか?と思いますよね。
桃は中国から日本に伝わったと考えられています。
歴史はとても古く、中国では約7500年前から、日本でも約6000年前の縄文時代からそれぞれ出土しているそうです。

桃には霊力があるとされていて、そ霊力によって黄泉軍たちは逃げ去った...という事の様です。

以上で『古事記』本文上巻㊺~イザナギ逃げる、イザナミ追う(3)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㊻~桃の名前~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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本日のオマケ

本日古事記の翻訳はお休みです…💦

こんばんは、いもみ🍠です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【本日のあらすじ】
いもみはブログを仕上げたかったのだが、残業を頼まれたことによって出来ないのであった...!
一方相棒のアキちゃんは朝晩の寒暖差にやられて、風邪をひき「今日は勘弁して…」状態なのであった!

そんなわけで本日はお休みです…!

ごめんなさい!!<(_ _)>💦

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