いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻④~神世七代(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』本文上巻④~神世七代(1)~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
以上5柱の神様は、別天つ神(ことあまつかみ)と呼ばれる特別な神様です

前回は世界が誕生した後、「別天つ神」という特別な神々が誕生したところまでお話しました。
今回は、その後に誕生した「神世七代」についてのお話です。
「別天つ神」では姿形が無く、独り神でしたが「神世七代」では途中から姿と性別があるようになり、兄妹で誕生する双神になります。

『古事記』本文上巻④~神世七代(1)~

【原文と読み方】
【原文】
次成神名 國之常立神 (訓常立亦如上)
次 豐雲(上)野神
此二柱神亦 獨神成坐而 隱身也
次 成神名 宇比地邇(上)神 次妹須比智邇(去)神(此二神名以音)
次 角杙神 次妹活杙神(二柱)
次 意富斗能地神 次妹大斗乃辨神(此二神名亦以音)
次 於母陀琉神 次妹阿夜(上)訶志古泥神(此二神名皆以音)
次 伊邪那岐神 次妹伊邪那美神(此二神名亦以音如上)

【読み方】
次に成りませる神の名は、國常立(くにのとこたちの)神。
【「常立」の訓(よ)み、亦(また)上の如く】

次に豐雲野(とよくものの)神。
【「雲」は上声(じょうせい)】
この二柱の神も、獨神(ひとりがみ)に成りまして、身を隱したまひき。

次に成りませる神の名は、宇比地邇(うひぢにの)神、次に妹(いも)須比智邇(すひぢにの)神。
【宇比地邇の「邇」は上声】
【須比智邇の「邇」は去声】
【此の二神の名は音を以(もち)いる】

次に角杙(つのぐひの)神、次に妹(いも)活杙(いくぐひの)神【二柱】。

次に意富斗能地(おほとのぢの)神、次に妹(いも)大斗乃辨(おほとのべの)神。
【此の二神の名も亦(また)音を以(もち)いる】

次に於母陀琉(おもだるの)神、次に妹(いも)阿夜訶志古泥(あやかしこねの)神。
【「夜」は上声(じょうせい)】
【此の二神の名も皆音を以(もち)いる】

次に伊耶那岐(いざなぎの)神、次に妹(いも)伊耶那美(いざなみの)神。
【此の二神の名も亦(また)音を以(もち)いること上の如し)】

【訳】
次に國之常立神(くにのとこたちのかみ)という名の神様が現れました。
(註:【常立】は上記の天之常立神と同じ様にで読んで下さい)
続いて豐雲野神(とよくもののかみ)という名の神様が現れました。
(註:【雲】は上声=高い声で発音して下さい)
これら2柱の神もまた皆、独り神であらせられ、やがてその姿をお隠しになりました。

次に宇比地邇神(うひぢにのかみ)
(註:【邇】は上声=高い声で発音して下さい)
次にその妹神である須比智邇神
(註:【邇】は去声=最初は強く、後半は弱く読んで下さい)
(註:この2神の名前は音読みで読んで下さい)

次に角杙神(つのぐひの)
次にその妹神である活杙神(いくぐひのかみ)
(註:角杙神・活杙神は二柱です)

次に意富斗能地神(おほとのぢのかみ)
次にその妹神である大斗乃辨神(おほとのべのかみ)
(註:この2神の名前もまた音で読んで下さい)

次に於母陀琉神(おもだるのかみ)
次にその妹神である阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
(註:【夜】は上声=高い声で発音して下さい)
(註:この2神の名前は皆、音読みで読んで下さい)

次に伊耶那岐神(いざなぎのかみ)
次にその妹神である伊耶那美神(いざなみのかみ)。
(註:この2神の名前もまた、上記の様に音読みで読んで下さい)


【解説】
文中には太安万侶の注釈があります。
拾い上げて見ますと…
(訓常立亦如上)は「【常立】の訓(よ)み、亦(また)上の如く」つまり「【常立】は上記の天之常立神と同じ感じで読んでね」って事でしょう。

(上)は「上声(じょうしょう)」の省略された言葉です。
「ここは高い声(発音)で読んで下さい」と言っているのです。

(去)も②と同じで発音に対する注釈です。
「去声(きょせい)」の略語です。
「去声」を無理やり訳すると「最初強く!後半は弱く読んで!」でしょうか。

古事記は漢文ですので、中国の発声が絡んでくるんですかね~。
余談ですが、私の大学時代第2外国語は中国語(北京語)を履修しました。
この時習った発声はピンインといって、確か4種あったはず...なにか関係あるんでしょうか??

今回も訳が簡単なので、一文ごとの解説は設けないで次の疑問点について書きたいと思います。
1.「身を隠す」って何だ?
2.「獨神(ひとりがみ)」と「「双神」(ならびかみ)」
3.兄妹なのに結婚していいの?
これ以外の神代七代のまとめは明日書こうと思います。

1.「身を隠す」って何だ?

→訳していて「これでいいのかな~?」と思う箇所があります。
それは【隱身也】です。
私は「やがてその姿をお隠しになりました」と訳したのですが…「どういうこと?なんで隠れちゃうの?」って思いませんか?
と言う訳で、この点について考えてみたいと思います。

「身を隠す」の意味は、どちらかと言えばネガティブなイメージがあります。
しかしですね~、普通神様にネガティブな言葉はつかわないじゃないですか?

それで、私的に【隱身也】の意味を考えてみたんですけど、そうしたら「…お?これならシックリ来るぞ?」という言葉が思い浮かびました。
それは「隠居」です。

「隠」の文字があるのも気に入っているのですが、そもそも神様が姿を現す・隠す理由を考えたら...
「神様が意味無く登場するわけない➩同じく神様が意味無く隠れる訳がない」ので...
「神様は何か意味ある行動をしに登場した➩つまり意味ある行動をし終えたから姿を消した」んじゃないかな~と思います。

「役目を終えたから姿を消す」...後進に道を譲って隠居した、ってイメージです。
古事記には別天つ神が姿を現し、身を隠すまでに何をした...という描写が無いので、確信は無いんですけど私的には「その姿をお隠しになりました」は「別天つ神は成すべきことを成したので、神世七代に後を託し、隠居しました」みたいな意味だと思っています。( ー`дー´)キリッ‼

でも、自信はあるけど確信が無いので無難に「その姿をお隠しになりました」と訳しましたけどね…。

2.「獨神(ひとりがみ)」と「「双神」(ならびかみ)」

→ちょっと整理するとこうでしょうか。
獨神➩単独で誕生した神のこと
双神➩男女一組で誕生した神のこと

古事記を読んでいくと、最初に誕生した別天つ神は獨神でした。
次に誕生した神代七代のうち、6番目と7番目に登場した國之常立神と次豐雲野神まで同じく姿形は無く、獨神でした。

しかし、この次の8番目に誕生する宇比地邇神と須比智邇神から双神になります。
そして最後に登場する伊耶那岐神と伊耶那美神まで続いていきます。
ちなみに神代七代で初めて姿形を持った、この5組の神々は【兄妹であり、夫婦でもある】です。

じゃあ流れ的には「今後神様の誕生は双神がメインになるのね?」と思わせておいて、この神世七代の後は殆ど双神はありません。
私の記憶だと、イザナミが亡くなる時に生まれた神が最後の双神だった様な…?
一気に3柱、5柱と誕生することはあるのですが、男女一組で誕生する神様は逆に殆どいないのです。

ならば何故ここで双神にしたのか?
それは「そろそろ人の姿と男女の形をハッキリさせないと、この後に続く国生み&神生みの説明が出来ないから...」と私は思います。
やはり、【産む】には男女が結婚し夫婦でないと…いつまでも姿形が無かったら、話が進まないぜ...」と思ったんじゃないでしょうか?

3.兄妹なのに結婚していいの?

いいんです。

先ほども書きましたが、神代七代のうち姿形を持ったこの5組の神々は【兄妹であり、夫婦でもある】。

人間社会ではタブーなんですが、神社会(?)ではOKなんです、人間じゃないから、神様だから。
これ以上の理由が必要でしょうか?(逆切れ)



以上で『古事記』本文上巻④~神世七代(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻⑤~神世七代(2)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ

『古事記』本文上巻③~別天つ神(3)「別天つ神のまとめ」~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻③~別天つ神(3)「別天つ神のまとめ」~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
天地が分かれたばかりの頃、地の国の姿はまだ浮いている脂の様であり、国土は依然としてクラゲが漂うようにフワフワしている状態でした。
(註:【琉】の字から上の、10個の字は全て音読みで読んでください)
その大地から若い葦の芽が真っ直ぐに高く伸びるようにして、宇麻志阿斯訶備比古遲神、続いて天之常立神という名の神様が現れました。
(註:宇麻志阿斯訶備比古遲神は音読みで「うましあしかびひこぢ(の)神」と読みます)
(註:天之常立神の「常」の字は「とこ」、「立」の字は「たち」と読みます)
これら2柱の神もまた皆、独り神であらせられ、やがてその姿をお隠しになりました。

天地が別れた後、ここまで5柱の神々が登場しました。
『古事記』の神々は幾つかに分類されています。
本日はこれまでに登場した【別天つ神】について少し整理しておこうと思います。
勿論、本文も少しだけ進めます。


『古事記』本文上巻③~別天つ神(3)「別天つ神のまとめ」~

【原文と読み方】
【原文】
上件五柱神者 別天神

【読み方】
上の件(くだり)、五柱の神は別天神(ことあまつかみ)なり

【訳】
以上5柱の神様は、別天つ神(ことあまつかみ)と呼ばれる特別な神様です。

【解説】
上件五柱神者 別天神

今回は訳が簡単なため、代わりに『古事記』に登場する神様について簡単に説明しておきたいと思います。
表題の「別天つ神」の前に、どういう神々がいるのか?に触れてみます。

古事記に登場する神様について

『古事記』には多くの神々が登場します。
しかし、【一般的な神様の認識とはやや乖離がある】んじゃないかな~と思いますので、この辺も簡単に説明してみたいと思います。
とりあえずこの4つだけ。

1.天界に神様いるけど、地上界にも神様がいる
→普通神様と言えば、天界にいるじゃないですか。
でも古事記の場合、地上界にもいます。呼び方も違います。

天界(高天原)に住む神々を【天津神(あまつかみ)】
地上(葦原中つ国)に住む神々を【国津神(くにつかみ)】

イザナギとイザナミが国生みで日本列島を作り終えた後、神生みをしこの国は神々で満ちて行った...という流れで地上にも神様がいるのです。

2.神様だけど死ぬ
→イザナミの様なパターンもありますが、基本天津神は永遠の命があります
ところが、地上に降臨したある神様がやらかして、天津神でありながら永遠の命を失う運命になってしまいます。

逆に生き返る神様もいます。
この辺りの話もいずれご紹介します。

3.神様がメチャクチャ誕生する
→漢字も難しい&誕生が多いので、全てを覚えることはちょっと出来ません...。
しかも、一回登場してそれっきりな神様ばかりです。

誕生するシーンも、吐しゃ物や噛み砕いた剣から生まれたり、体を洗ったりすると生まれます。

4.常軌を逸した神様が多々登場する
→こちらもいずれ出てきますが、「…え?神様?」って感じの数々のスキャンダルや、とんでもエピソードが満載です。
何でもアリです。

以上、「古事記に登場する神様について」でした<(_ _)>

別天つ神(ことあまつかみ)について

上記で神様には【天界に住む天津神】と【地上に住む国津神】と別れているとご説明しました。
このうち前者の【天津神】には誕生した順番によって、特別な神々がいます。

それが【別天つ神】と【神代七代】と呼ばれる神様です。
【神代七代】については、明日以降登場しますので解説は後日するとして、本日は【別天つ神】のお話です。

誕生した順番を見て行きましょう。
これが一番手っ取り早いと思います。

①天地が別れはじめる
    ⇩
天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神が誕生
(造化三神と言います)   
    ⇩
宇麻志阿斯訶備比古遲神・天之常立神が誕生
    ⇩
④神代七代が誕生(イザナギ、イザナミはここです)
    ⇩
⑤イザナギ、イザナミにより島・神生み始まる
    ⇩
⑥多くの神々が誕生...。

こんな感じの流れで進みます。
【別天つ神】は②と③の5神で、1~5番目までに誕生した特別な神々を言います。
高天原に住む神々を【天つ神】と言いますが、その中でも特別なので【別天つ神】というのでしょう。

特別な神様なんですけど、高御産巣日神・神産巣日神の2神以外は、皆無と言っても過言ではない位登場しません。
一応【古事記を読むうえで覚えておきたいポイント】としては…

「別天つ神」とは...
・天地誕生時にあらわれた1~5番目までの五柱の神
・姿形がない特別な神様
・独り神(詳細は「本文上巻①」をご覧ください<(_ _)>)
・基本何をしたかなどの記載が無い
・基本登場以降は出番が無い(高御産巣日神・神産巣日神の2神以外)
あたりでしょうか…今はこれ以外特に思いつきません。

以上「別天つ神(ことあまつかみ)について」についてでした<(_ _)>



以上で『古事記』本文上巻③~別天つ神(3)「別天つ神のまとめ」~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』本文上巻④~神世七代(1)~をご紹介する予定です。


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ

『古事記』本文上巻②~別天つ神(2)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻②~別天つ神(2)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
天と地が分かれ始めた(=天地開闢)時に、天上世界である高天原に、天御中主神という名の神様が現れました。
(註:今後【高天原】の【天】という字は、【あま(=阿麻)】と訓読みして下さい)
続いて高御產巢日神(たかみむすびのかみ)が誕生し、次に神產巢日神(かみむすびのかみ)が誕生しました。
これら三柱の神は皆、独り神であらせられ、やがてその姿をお隠しになりました。

以前もお話しましたが、上巻はほぼ【神々の物語】で占められています。
昨日は、その神々の中でも始めに誕生した造化三神についてご説明しました。
本日は、その神々次いで誕生した神々が語られます。


『古事記』本文上巻②~別天つ神(2)~

【原文と読み方】
【原文】
次國稚 如浮脂而 久羅下那州 多陀用幣琉之時。
(琉字以上十字以音)
如葦牙 因萌騰 之物而 成神名 
宇麻志阿斯訶備比古遲神(此神名以音)
次 天之常立神。(訓常云登許 訓立云多知)
此二柱神 亦獨神 成坐而 隱身也

【読み方】
次に國稚(わか)く、浮かぶ脂(あぶら)の如くして、クラゲなす漂(ただよ)へる時に、
(琉の字より上の十字は音を以(もち)いる)
葦牙(あしかび)の如く、萠(も)え騰(あ)がる物に因りて、成りませる神の名を、
宇摩志阿斯訶備比古遲(うましあしかびひこぢ)の神。
(此の神の名は音を以いる)
次に、天之常立(あめのとこたち)の神。
(常を訓み、登許と云う。立を訓み、多知と云う)
この二柱の神もまた獨神(ひとりがみ)に成りまして、身を隱したまひき。

【訳】
天地が分かれたばかりの頃、地の国の姿はまだ浮いている脂の様であり、国土は依然としてクラゲが漂うようにフワフワしている状態でした。
(註:【琉】の字から上の、10個の字は全て音読みで読んでください)
その大地から若い葦の芽が真っ直ぐに高く伸びるようにして、宇麻志阿斯訶備比古遲神、続いて天之常立神という名の神様が現れました。
(註:宇麻志阿斯訶備比古遲神は音読みで「うましあしかびひこぢ(の)神」と読みます)
(註:天之常立神の「常」の字は「とこ」、「立」の字は「たち」と読みます)
これら2柱の神もまた皆、独り神であらせられ、やがてその姿をお隠しになりました。



【解説】
次國稚 如浮脂而
「國稚」は「国が稚(わか)い」です。
ここでいう「國」とは何を指すのか?
この時点では昨日ご説明したように、世界が天と地しかありません。
前の文で「天上世界である高天原」、つまり【天】を語っていて「次に~(次國稚)」と言っているのですから、ここでいう「國」とは【地】を指しているのだと思います。
そして「国が稚(わか)い」というのは「天地が分かれたばかりの頃、地が誕生したばかりの頃」という意味なのでしょう。

「如浮脂而」は「浮かぶ脂(あぶら)の如く」でしょうか。

ここは「天地が分かれたばかりの頃、地の国の姿はまだ浮いている脂の様であり」と訳しました。


久羅下那州 多陀用幣琉之時(琉字以上十字以音)
まずこの文には太安万侶から注釈が付け加えられていて、この注釈を読んでから出なくては読めません
逆に言えば、注釈の意味を理解してしまえば凄く簡単です。

...と言う訳で注釈の【琉字以上十字以音】から見て行きましょう。
これは分解してみると分かりやすいです。
「以」がポイントですかね…1番目の「以」は「~より」の意味、2番目の「以」は「以(=用)いる」の意味です。

「琉の字より上の十字は音を以(もち)いる」って感じです。

これを更に分かりやすくすると「【琉】の字から上の、10個の字は全て音読みで読んでください」ってことです。
ここで本文に戻って見てみましょう。

久羅下那州 多陀用幣之時
赤字にした「琉」から左に(※)十字、【久羅下那州 多陀用幣琉】の十字は全て音読みにして読んでね?っていう意味です。
※このブログは横書きですが、古事記本文では縦書きです。

この注釈を踏まえて、読むと…
【久羅下那州多陀用幣琉】➩【くらげなすただよへいる】➩【クラゲなす漂える】となります。
この「なす(那州)」は置き換えるとすれば「做す」かな...「~の様に」って感じの意味です。

なにがクラゲの様なのかは前後の文面から、地の国(台地?国土?)の状態を形容しているのでしょうから、ここは「国土は依然としてクラゲが漂うようにフワフワしている状態でした」と訳しました。


如葦牙 因萌騰之物而
「葦牙」は「あしかび」と読みます。
「 葦の若芽、若い葦」という意味です…知ってました風に書いていますが、調べるまで読み方も分かりませんでした💦

「因萌騰之物而」は「萌え騰がる物に因りて」と読みました。
「萌騰」も難しかったです…。
「萌え騰がる」と読みます。
「萌」には「芽が出る、芽生える」という意味があります。
「騰」には「高くのぼる、高くあがる」という意味です。

この文はこの後の神様の登場シーンを表している様です。
ちなみに調べたら【葦】は「水辺から垂直に高く伸びる」そうです。
生えた場所は当然、天ではなく大地からでしょう。
これを踏まえて...「 その大地から若い葦の芽が、真っ直ぐに高く伸びるように~」と訳してみました。


成神名 宇麻志阿斯訶備比古遲神(此神名以音) 次 天之常立神(訓常云登許 訓立云多知)
この文にも注釈がついていますね。
まず注釈文から見て行こうと思います。

【此神名以音】は簡単に言うと「此の神の名は音を以いる」=「この神様の名前は音読みです」
ですから【宇麻志阿斯訶備比古遲神】➩【うましあしかびひこぢ(の)神】。

【訓常云登許 訓立云多知】は「常を訓み、登許と云う。立を訓み、多知と云う」
つまり「【常】は【登許=とこ】って読んでね」
同じく「【立】は【多知=たち】って読んでね」
ってことですので...
【天之常立神】➩【あまのとこたち(の)神】。

正確に訳すとこんな感じですかね?
「宇麻志阿斯訶備比古遲神(註:この神様の名は音読みで「うましあしかびひこぢ(の)神」と読んでください)、続いて天之常立神(註:【常】の字は【登許=とこ】と読み、【立】の字は【多知=たち】)と読み【あまのとこたち(の)神】です)という名の神様が現れました」
...読みづらッ!なので

「宇麻志阿斯訶備比古遲神、続いて天之常立神という名の神様が現れました。
(註:宇麻志阿斯訶備比古遲神は音読みで「うましあしかびひこぢ(の)神」と読みます)
(註:天之常立神の「常」の字は「とこ」、「立」の字は「たち」と読みます)」
としました。
...それでも読みづらッ!


此二柱神 亦獨神 成坐而 隱身也
この文は前回の訳と同じですので、解説はそちらをご覧ください。
「獨神(ひとりがみ)」の説明も前回文にあります。
imomiquest.com

「これら2柱の神もまた皆、独り神であらせられ、やがてその姿をお隠しになりました」と訳しました。

以上で『古事記』本文上巻②~別天つ神(2)~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』本文上巻③~別天つ神(3)「別天つ神のまとめ」~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ

ステーキハウス ブロンコビリーに行ってきました!!

こんばんは、いもみ🍠です。

昨夜の記事に書いたんですが、アキちゃんと仕事終わりに待ち合わせして、二人でステーキを食べに行きました❗

ちなみにステーキは、私のリクエストでございます😆

ステーキなどの赤身肉を食べると、パワーアップできる感じがして好きなんですよね~💪

そんな訳で、おおたかの森駅から歩いて10分くらいの【ステーキハウス ブロンコビリーおおたかの森店】に行って来ました!
↓公式サイトはコチラ↓
www.bronco.co.jp


いざ入店~✨
アメリカンなインテリアが素敵です🦅!

二人とも注文を済ませ、サラダ用に渡されたお皿を持ってサラダバーに向かいます。
ブロンコビリーと言えば、サラダバーが大人気ですよね♪

トマトにレタス、ブロッコリーのかにかまサラダなど新鮮野菜やサラダが沢山ありました。
ドレッシングも種類が豊富で、悩んでしまいます。

お皿に盛り付けてみました。
ポテトサラダ美味しい~( ^ω^ )

サラダを食べてると前菜のコーンスープが来ました。
濃厚でまろやかで、ホッとする味でした!
私、コーンスープ大好きなんです!もう一杯飲みたかったなぁ~( ´ー`)

スープ提供時に「まもなく焼けますね~」と教えてくれるんですが、店内にはキッチンのステーキ・ハンバーグを焼く映像が流れているんですよ~。
「あ~今焼いてるの私達のじゃない?」などと、待ちきれない会話を二人でしていると…。

ステーキが届きました!
こちらは私が注文した炭焼き超粗挽きビーフハンバーグ&《ウルグアイ産》炭焼き超厚切り熟成サーロインステーキ360g
目の前で店員さんがハンバーグを半分に切ってくれました!
熱い鉄板から肉汁が溢れてきました。
いい匂い~✨
ソースも付いてきますが、ハンバーグは各テーブルにセットされている数種類の岩塩で食べるのがおススメ

そしてこれはアキちゃんが注文した《ウルグアイ産》炭焼き超厚切り熟成サーロインステーキ
赤身が多く高タンパク・低カロリーな肉質なので、アスリートや健康志向の方にも支持されているそうです!
ちょー厚切りですね!

二人とも焼き加減はレアです!!
ステーキは柔らかくて、パクパク食べれちゃいました!
ちなみに私達は、食事の時は夢中でかぶりつくので、会話がほっとんどありません!!
ハンバーグに関しては、牛100%で荒くミンチされた挽肉から旨味が口いっぱいに広がりました!

たくさんお肉を食べた後は、デザートコーナーへ。
この辺で、私達も女性らしい会話をメインにした食事にシフトしていきます。
デザートも豊富で、アイス、ケーキ、フルーツ等があり、好きにトッピングも可能!

コーヒーゼリーにクリームをトッピング。
それにマンゴーとミルクジェラート。
サッパリしていて、シメにピッタリでした!


ブロンコビリーはステーキとハンバーグも美味しいですけど、他にサラダバーが充実しているのが良かったです!
お肉と野菜をメチャメチャ食べて、すっかり元気になりました~!
皆様も、お近くのブロンコビリーにぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?(⌒∇⌒)

以上で『ステーキハウス ブロンコビリーに行ってきました!!』のご紹介はおしまいです。



ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ
実はその後…クレープもちゃっかり食べてしまいました笑

『古事記』本文上巻①~別天つ神(1)「造化三神」~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻①~別天つ神(1)「造化三神」~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
すったもんだで何とか古事記序文が終わり、本日から本文に入ります。
前日までの訳・解説はカテゴリーの【古事記・序文】にあります<(_ _)>

これまでも書いてきましたので繰り返しになりますが、古事記は上中下巻と三巻に分かれています。
本日から見ていく上巻(かみつまき)は、世界誕生からカムヤマトイワレビコ、つまり初代天皇の神武天皇誕生までが描かれています。
古事記は元々33代天皇・推古天皇までが記録されているのですが、殆どが系譜で、エピソードが描かれている天皇は10数人。
じゃあ、他に何が描かれているかと言えば、【日本神話】です。
神の時代から人の時代までが収められている上巻は、神話比率が高いので面白いです。
知っている有名なお話から、ヘンテコなお話まで盛りだくさんなので、私達は読んでいても飽きませんでした。

『古事記』本文上巻①~別天つ神(1)「造化三神」~

【原文と読み方】
【原文】
天地初發之時 於高天原 成神名 天之御中主神
(訓高下天云阿麻 下效此)
次 高御產巢日神 次 神產巢日神
此三柱神者 並獨神 成坐而 隱身也

【読み方】
天地(あめつち)の初發(しょはつ)の時、高天原(たかまのはら)に成る神の名は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。
「高」の下なる天を訓(よ)み、阿(あ)麻(ま)と云ふ。下(しもつかた)此(これ)に効(なら)ふ
次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。
次に神産巣日神(かむむすびのかみ)。
この三柱(みはしら)の神は、みな獨神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隱したまひき。

【訳】
天と地が分かれ始めた(=天地開闢)時に、天上世界である高天原に、天御中主神という名の神様が現れました。
(註:今後【高天原】の【天】という字は、【あま(=阿麻)】と訓読みして下さい)
続いて高御產巢日神(たかみむすびのかみ)が誕生し、次に神產巢日神(かみむすびのかみ)が誕生しました。
これら三柱の神は皆、独り神であらせられ、やがてその姿をお隠しになりました。


【解説】
天地初發之時 於高天原 成神名 天之御中主神
「初發」は「=初発」、「しょはつ」と読みます。
「物事の起こりはじめ」という意味です。

【天地初發と天地開闢...世界の始めってどんな感じ?】

本文では「天地初發」ですが、序文では同じ部分に「天地開闢」と表現されていました。
意味は同じで「世界の始まり」なんですけど、「なんだ、世界の始まりって?どんなんだ??」って相棒のいもみがうるさく聞いてきたので簡単に説明しておこうと思います。

『古事記』の世界観では…

①世界はかつて【混沌が漂っていた】状態だそうです。
②やがてそれらが【1つにまとまります】。
③まとまってから【2つに分かれます】。
④この2つに分かれたものが、【一つは天になり、もう一つは地になった】そうです。
※以下は本文に書いてあるのですが、誕生の流れを最初に頭に入れとくと分かりやすいのでちょっとご紹介します。
⑤天地は生まれたばかりで、【フワフワ状態】です。
⑥【神々が次々に誕生】します。
⑦【矛でフワフワ状態の国土をかき回したら固まりました】
...続きは本文で。
世界の始まりを並べると、こんな感じです。

最初の神様である天之御中主神が登場するのは、上記で言うと④の所です。
そりゃそうですよね?
「天界に神様が産まれた」んですから、「神様より先に天界が生まれてないと」辻褄合わないし。
つまり「天と地が分かれた時から世界が始まった」という事ですかね。
以上、【世界の始まり】でした<(_ _)>

【「天之御中主神」について】

「天之御中主神」は「あめのみなかぬしのかみ」と読みます。
「天の真中を領する神」を意味し、宇宙の根源を司っています。

日本神話では、世界で初めて誕生した神様とされています。
数多くの神様が登場する『古事記』において一番最初に登場する神様になります。

天地開闢の時にあらわれた五柱の神々を【別天津神(ことあまつかみ)】。
その中でも初めに現れ、万物生成化育の根源となった3神を【造化三神(ぞうかのさんじん)】と呼びます。

ここまで書いた内容で、「天之御中主神って凄いんだ...!」ってなるじゃないですか?
でもですね、この後...
天之御中主神、全然出てきません!!
「おかしいな...、こんな重要な神様なのに...」って見て行っても
天之御中主神、驚くほど出てきません!!

ちなみにこういう扱いの神様は、『古事記』には非常に多いです。
登場したけど、何をしたかが書かれている神様はあまりいないと言ってもいいです!

一応「これだけは知っておいた方がいいかな?」って要点だけまとめておきます。
「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」とは...
①『古事記』に一番最初に登場する神様
②別天津神(ことあまつかみ)の一柱
③造化三神(ぞうかのさんじん)の一柱
④「天の真中を領する神」の意味で、宇宙の根源を司る神様
⑤姿形が無い、独り神(後述します)である
⑥造化三神で唯一、子孫の存在が確認されていない
⑦何をしたかなどの記載はない
⑧今後登場しない(なんなら日本書記にも出てこない)
...です。

【「高天原」の訓読みについて】

「高天原」は「神々が住む天上世界」のことです。
読み方は「たかまのはら、たかまがはら、たかあまはら、たかあまのはら」など。
なんでこんなに沢山の読み方があるのかと言うと、原文が漢文なので【どの読み方が正しいか正確には分からない】からです。
なのでどれでも正解で、間違いという事はありません。

下記で説明しますが、この後原文には「『天』という字は『あま(阿麻)』と読むように」と太安万侶から注釈が添えられていますので、「たかあまはら」か「たかあまのはら」が良さそうですね。
しかし古事記に登場する他の国を見ると「葦原の中つ国」ですとか「黄泉の国」とか、必ず「~の」が入っているので、私のブログでは「たかまのはら」と読むことにします<(_ _)>
「たかあまのはら」も考えたんですけど、長いからな...と思って止めました。

※現在では「たかまのはら」「たかあまのはら」が正しい訓ではないか、ということだそうです。


(訓高下天云阿麻 下效此)
ここは太安万侶が書いてくれた注釈です。
序文にありましたね。
「読みにくい漢字には音読み出来るように漢字をあてがう」みたいな感じの奴です。

まず「訓高下天云阿麻」ですが、これはこういっていると思います。
『「高」の下の「天」は「阿麻」と云うから、そう訓(よ)んでね』

簡単に言うと、これは【高天原の読み方】を説明しているのでしょう。
つまり「【高天原】の【天】という字は、【あま(=阿麻)】って訓読みしてね?」ということです。

次に「下效此」ですが、こう読むと思います。
「下は此(これ)に效(なら)う」
つまり「以下、同文」的な意味です。
ここは「高天原の天の字はアマと読む」+「以下の文も此れに倣う」のですから「今後、高天原って出てきたら、天の文字はアマと読め」というニュアンスでしょう。

なので「註:今後【高天原】の【天】という字は、【あま(=阿麻)】と訓読みして下さい。」と訳しました。


次 高御產巢日神。次 神產巢日神。
ここは最初に誕生した天之御中主神に続いて、誕生した神様が高御產巢日神(たかみむすびのかみ)と、神產巢日神(かみむすびのかみ)だという文です。
それぞれ今後も登場します。
またそれぞれの子孫も重要な場面で登場します。

【高御產巢日神(たかみむすびのかみ)】

①天之御中主神に次いで、2番目に登場する神様。
②別天津神(ことあまつかみ)の一柱
③造化三神(ぞうかのさんじん)の一柱
④「むすび(=産霊」)は「生産・生成」を意味し、あらゆるものを生み出す神
(天津神に関連?)
⑤姿形が無い、独り神(後述します)である
⑥子孫も今後登場する(娘がニニギを産んでいる等)
⑦覚えておきたい神様(忘れて良い神様もいないけど)
⑧日本書記にも登場する

【神產巢日神(かみむすびのかみ)】

①高御產巢日神に次いで、3番目に登場する神様。
②別天津神(ことあまつかみ)の一柱
③造化三神(ぞうかのさんじん)の一柱
④「むすび(=産霊」)は「生産・生成」を意味し、あらゆるものを生み出す神
(国津神に関連?)
⑤姿形が無い、独り神(後述します)である
⑥子孫も今後登場する(薬関係が多い)←このエピソードから女神という説がある
⑦覚えておきたい神様(忘れて良い神様もいないけど)
⑧日本書記にエピソード無し

訳するにあたって特別難しいことはありませんが、順番だけは正確にしたいですね。
「続いて高御產巢日神(たかみむすびのかみ)が誕生し、次に神產巢日神(かみむすびのかみ)が誕生しました」と訳しました。


此三柱神者 並獨神 成坐而 隱身也
「此三柱神者」神様を数える単位は「柱」だとわかれば難しくないと思います。
「者」は…。
私も序文でも散々引っかかったんですけど、「者」は助詞で強調・仮定を表す言葉です。
ややこしいですよね?
「~は」という感じで使用します。

「此三柱神者」=「此の三柱の神は~」で良いと思います。

「並」は「ともに、あわせて」という意味もあります。
「坐」は「座る」意味じゃありません。
「いる」とか「ある」の尊敬語で、「おわす、まします」という意味です。
「而」も度々出てた漢字ですよね。
接続詞なんですが①順接を表す語(「そして~」とか)、②逆接を表す語(「それでも~」など)があります。
書く側には便利なんだろうけど、訳す方にはメンドイ言葉です。

なので「並獨神 成坐而 隱身也」は直訳すると…
「共に獨神で坐(おわ)しに成って、そして身を隠した也」かな...。
つまり、現れて姿を消してしまった、ということでしょう。

さて、ここで上記の【造化三神】で書いた「⑤姿形が無い、独り神(後述します)である」ところを見て行きたいと思います。
まずは…

【造化三神について】

古事記序文にも登場する(「参神造化」になってる)のですが、ちょっと漢字が違います。
まぁ意味は同じでしょう。

「造化」は「天地を創造し、そこに存在する万物を創造・化育する」の意味です。
「造化」ですが、それぞれの漢字を見ると「造る」「化ける」なんですが、「造られて化けた」の順ではなくて「化けて造られた」の順番なんでしょう。
何が言いたいかというと、「造化三神は初めから姿形があって誕生したんじゃなくて、誕生してからなんだかんだ姿を化けて(形を変えて)登場した」という事です。

なので造化三神登場時は勿論、神々誕生の段階では【神々に姿形はまだ無い】ってことになります。
これが上記の「⑤姿形が無い、独り神(後述します)である」の「姿形が無い」の説明です。

続いて…

【独り神って何?】

これは読み進めて行けば分かるのですが、簡単に説明しておこうと思います。

始めに上の【造化三神】でも書いた通り、神様は最初姿形もありません、ってことは男女といった性別も無いのです。
ですが、今回登場した造化三神含め【別天つ神(ことあまつかみ)】の後の【神代7世】世代になると、姿形も性別も出来てきます。
(※神代7世でも姿が無い神様は2柱います)

しかも何故か男女セットで生まれてくるのです。
しかも兄妹で生まれるのに当然の様に結婚します。
有名なのがイザナギ・イザナミの2神です。

ちなみに男女一対の神を「双神」(ならびかみ)と言うのですが...ここまで書けば大体わかってしまうと思います。
「姿形性別があって、しかも最初からカップルで誕生する神代7世世代」=【双神】に対し、「姿形も性別無いからカップルで生まれるはずない造化三神世代」=【独り神】という感じです。

つまり【独り神】は「夫婦の組としてでなく単独で誕生した神様」という意味です。
これが上記の「⑤姿形が無い、独り神(後述します)である」の「独り神」の説明です。

「此の三柱の神は共に獨神で坐(おわ)しに成って、そして身を隠した也」を「これら三柱の神は皆独り神であらせられ、やがてその姿をお隠しになりました」と訳しました。


以上で『古事記』本文上巻①~別天つ神(1)「造化三神」~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』本文上巻②~別天つ神(2)~をご紹介する予定です。


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ

『古事記』序文㉙~序文の疑問点のまとめ~

こんばんは、いもみ🍠です。
昨日は、寝落ちしてしまって更新できませんでした…💦

>いもみの相棒のアキです。
主に翻訳と解説は私がしているのですが…只今会社の研修中の為、翻訳になかなか参加できていません...💦

えと、意識を取り直して...いや、気を取り直して、本日は『古事記』序文㉙~序文の疑問点のまとめ~のご紹介です💦
古事記序文を27回に分けて訳してきましたが、その際に出てきた分かりづらかった点や、疑問点を集めてまとめたものです。
読んでいただく際、参考になれば幸いです(バカげた内容もありますが…)


ある程度カテゴリー分けして【目次】を付けましたので、気になった項目をクリックして読んでくれればうれしいです。

登場人物

【稗田阿礼について】

序文⑰~稗田阿礼(1)~より)
稗田阿礼は、古事記の編纂者の一人ということ以外ほぼ何もわかっていない人物です。
なにしろ『古事記』序文にのみ登場して、後は一切の記述が無いのです。
その為、実在の人物なのか?女性だったのではないか?等多くの説があります。
ちょっと私なりに考察してみました。

①生没年について
→『古事記』は天武天皇が、「帝紀」「上古諸事」の編纂を川島・忍壁(おさかべ)両皇子に命じた事から始まります。
これが天武10年、681年の頃だと考えられています。
序文では稗田阿礼は28歳なので681-28=653年頃生まれた人かもしれません。
②官位について
→編纂事業をした太安万侶は、「正五位上 太朝臣安万侶」と官位がありますが、稗田阿礼はただの「舎人・稗田阿礼」です。
国史編纂という大事業に関わったのに、そんなことってありますかね…?
③稗田氏について
→「新撰姓氏録」という名族一覧表みたいなのがありますが、ここに稗田氏の名は載っていません。
どうも畿内の名族の出ではないようです。
なお、稗田氏は各史書にも姓(かばね)の記載が無く、つまり【無姓】です。
『伊勢から奈良県大和郡山市稗田町に本拠地を移した際に、稗田姓を称した』そうです。
④女性だったかどうかについて
→稗田阿礼の【「阿礼」は女性の名前】であることから、もしかしたら巫女だったんじゃないか…?説があります。
確かに巫女には「神話を口伝する」という役割があります。
巫女だったのなら、国史編纂という大事業に関わりながらその後に名前が出てこなくなるというのも説得力があります。
...ただ、この説がちょっと怪しいのは、【「舎人」が男性の役職名】だからです。
調べてみたのですが、舎人に近い天皇に仕える役職は女性の場合「采女(うねめ)」「宮人(ひめとね)」があります。
『古事記』には「舎人」と明確に書かれているので、ちょっとな~…って感じです。
⑤実在したのかについて
→稗田阿礼の名が一切出てこない上に、「本文」と比べて文体も異なるため「序文」は後世に創作された疑いがあります。
ちなみに太安万侶はお墓も見つかっていて、実在がハッキリしています。

個人の感想になりますが、「一人で天武天皇の言葉を暗誦するのは無理だし、舎人とその部下・同僚とチームを組んで編纂した可能性が高いんじゃないかな?」と思っています。
これだと、例えば稗田阿礼という女性がいて天皇から口伝を聞いて、舎人チームに編纂をさせた…つまり個人の「舎人=稗田阿礼」ではなく、チーム「稗田阿礼+舎人達」みたいな感じで行けると思うのですが。

【『旧辞』『帝紀』と稗田阿礼について】

序文⑱~稗田阿礼(2)~より)
『旧辞』は「くじ、きゅうじ」と読みます。『本辞』とも言います。
『帝紀』同様『旧辞』も現存していないため推測ですが、古代の神話・伝承の記録が記されていたと考えられています。

大和政権が力を持つ以前から、各氏族にはそれぞれの旧辞(神話や伝承)が伝えられていましたが、5~6世紀頃辺りからこれら旧辞の統合が図られ、出来上がったのが『古事記』です。
統合が図られた背景として、これらの記録は基本的に【口承】であったため、覚え間違い・聞き間違いの他、主観で解釈したり、改ざんされたりした可能性もあり、各氏族とも食い違いがあったため...です。
古事記・日本書紀の編纂にも主要な資料として利用された『帝紀』と『旧辞』ですが、これはあくまで大和政権側の行った、つまり勝者側の行った編纂であるので「大和政権側にとって都合が良い解釈になっているかもしれない」という事は考慮した方が良さそうです。

ちなみに、この作業をザックリ分けて見ますと…
①諸国・諸家からそれぞれ歴史書を集める
②食い違いを取りまとめる(言い換えれば諸国・諸家にもそれぞれ言い分があるだろうから、それらを聞いて調整する)
③史実を確定する
④記録する=歴史書作る
...な流れかな~と考えています。
古事記』と同時期に完成した『日本書記』には、天武天皇が681年、川島・忍壁両皇子らに「帝紀および上古諸事」の記録校定事業を命じたことが書かれています。
上記の②は各国や諸家の言い分を調整しなければいけませんから、身分が高い者でなければ諸国の長も言う事を聞かなかったと思うので、両皇子に命じたのかもしれません。

稗田阿礼は舎人という下級役人であったので諸国の長の意見の取りまとめなど出来るはずはないと思います。
だから、上記の作業で言うと②は行わず、③以降に関わったのだろうと思います。
天武天皇が稗田阿礼に求めたのは「正しい史実を記憶する」ことなので、彼を呼んだ時点で③「正しい史実は確定」しているはずです。
しかしこの時『古事記』は完成していないので、④の記録途中の段階かな~と想像しています。

太安万侶は偉い人?【大宝令における位階制について】

序文㉗~古事記の構成(3)「下巻」~より)
「正五位上」について
701年に大宝令が制定され、冠位は30階ありました。
(正一位、従一位、正二位、従二位...と続きます。四位より下は正四位の上下・従四位の上下と4つの官位がありました。ちなみに正一位が一番上で偉いです)

ここでは皇族である親王は、品位(ほんい)と言って、一品から四品までの4階に叙されました。
言い換えれば、【一位~正四位上下までが皇族の位】ということです。
ここからお分かりの様に、正五位上であった太安万侶はかなり偉かったのです。

「勳五等」について
これは勲等と言って「勲功に対して授与されたもの」です。
位階勲等と言って、官位に相当する物であったようです。
勳五等は正五位に相当しています。

「冠位=勲等」のようなイメージでいいと思います。

「朝臣」について
684年に【八色の姓(やくさのかばね)】という制度が作られました。
「朝臣(あそん)」とはその制度の姓(かばね)の一つで、一番上の「真人(まひと)」に次ぐ地位です。
「真人」は皇族に与えられる地位だったので、朝臣は臣下の中で一番上の地位という事になります。

要するに「正五位で上勳五等で朝臣の太安万侶」は、とっても偉い人だった、ということです。

【天武天皇の政策について】

序文⑬~天武天皇の統治(2)~より)
まず代表的な政策を箇条書きにして並べてみました。
①一人の大臣も置かない天皇専制「皇親政治」
②律令を定め、法式を改める。天武政権下で、日本律令体制の基礎が定まった
③初めて「天皇」を称した
④「日本」という国号を採用した
⑤富本銭(最初の貨幣とされる)が鋳造された
…ここまで見てきますと、天武天皇が専制君主として君臨し、強力な中央集権で以て制度改革を推し進めてきたことが伺えます。
続いて…
⑥新嘗祭(にいなめさい)大嘗祭(だいじょうさい)を国家的祭祀にする
⑦皇室の祖先神の天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点(総本山)とした
⑧『古事記』の編纂を命じる
…⑥~⑧を見ますと、天武天皇が日本の習俗や伝統文化を重視し、宗教政策を整備したことが分かります。
このように国家的祭祀や、宮廷儀式は天武天皇によって創始されました。
天武天皇時代に日本の官制改革、文化政策、宗教政策の礎が作られ、その中で古来からの伝統・伝承・文化を整理したことが『古事記』『日本書紀』の編纂に繋がっていくのです。

【古事記の編纂が一時中断した理由について】

序文⑱~稗田阿礼(2)~より)
編纂が中断した理由は、天武天皇崩御(686年10月1日)です。
つまりこれが「運勢が移って時代が異なって」の部分でしょう。
少しわかりずらいので、この辺りに起こった【政変】を時系列に並べて見ます。
※()内は天武天皇との続柄です
681年 川島・忍壁両皇子らに「帝紀および上古諸事」の記録校定事業を命じる
686年 天武天皇崩御
     大津皇子謀反の疑いで自害(子)
689年 草壁皇子死去(子)
690年 41代・持統天皇即位(妻)
697年 42代・文武天皇即位(孫、草壁皇子の子)
707年 43代・元明天皇即位(義娘、草壁皇子の妻)
712年 『古事記』が献上される
ここで詳細は書きませんが、壬申の乱以降、皇位継承を巡ってかなりゴタゴタしていたようです。
この混乱を終息させるためにも、正統な継承者であると書かれた歴史書『古事記』が必要だったのでしょう。

壬申の乱

【天武天皇の即位まで】

序文⑨~虎步於東國~より)
天武天皇が誕生するまでの当時の社会情勢はまさしく激動の時代でした。
国内では645年、中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺する乙巳の変(いっしのへん)が起き、国外では百済滅亡・救援に伴って起きた663年の白村江の戦いに敗戦していました。
政情の不安定化に対し、中央集権体制を進めたため豪族からの反発は強まり、さらに唐の侵攻に備えた人的・経済的負担は莫大であったため国内では不満がくすぶっていたのです。
こういう背景の中、672年、皇室内において天智天皇の後継者争いが原因で壬申の乱が勃発しました。
天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天皇の嫡男・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子が対立し、古代における最大の内乱となったのです。

天智天皇が嫡男・大友皇子を太政大臣に就任させたことで、大海人皇子は兄の天智天皇からの皇位継承の打診を辞退し、出家するとして吉野に入り、隠棲しました。
吉野で隠棲した大海人皇子は、不満を持つ豪族らと通じて戦の準備を進めていました。
そして、吉野を出た大海人皇子は、わずかな従者と共に私領のあった美濃へ向かい挙兵。
最後は瀬田橋の戦いで、大友皇子の近江朝廷側を打ち破り、大友皇子は自害しました。

【壬申の乱・大海人皇子の挙兵後】

序文⑩~壬申の乱~より)
天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天皇の嫡男・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子が対立します。
大海人皇子は兄の天智天皇からの皇位継承の打診を辞退し吉野に入り隠棲、豪族らと通じて戦の準備を進めていました。
そして大海人皇子は、わずかな従者と共に私領のあった美濃へ向かい挙兵します。

※以下は旧暦ではありません。
・672年1月7日 天智天皇が崩御(46歳)
→大友皇子が後継者としてその跡を継ぐ
・7月24日 大海人皇子が吉野を出立
→伊賀と伊勢国(三重県)で兵を得て、美濃に向かう
・7月31日 大和と近江の二方面へ進軍開始
→東西の要所であった不破の道を封鎖し東海道・東山道の兵を動員
→大友皇子側も同日美濃に向けて進撃を開始
・8月8日 近江国北東部・息長(おきなが)で戦端を開く
→以後、大海人皇子側の連戦連勝となる
・8月20日 瀬田橋の戦い
→大友皇子側の近江朝廷軍が大敗
・8月21日 大友皇子自害
→壬申の乱終息
・673年2月 大海人皇子即位し、天武天皇誕生
…といった流れとなります。

中国古代の王

古事記では天皇の偉大さを示すために、比較対象として古代中国の伝説の王様や皇帝が登場します。

【黄帝と周王 について】

序文⑫~天武天皇の統治(1)~より)
「軒后」は古代中国の神話伝説時代(古代王朝以前の時代。紀元前2500年くらい前)、最初に中国を統治したとされる「黄帝」を指します。
ちなみに中国では、軒后(=黄帝)を『従わない者を討って道を開き、中国を隅々まで統治した開国の帝王』として描いており、以降誕生した多くの王朝・国家の諸侯は『自分らは黄帝の子孫である』としています。

「周王 」は、古代中国の王朝「周」の王様のことですが、訳すにあたって2人候補者がいます。
ちょっと簡単に...
文王→名は姫昌。殷を倒した革命戦争(牧野の戦い)の名目上の主導者。後に周王朝を創始した武王の父。
武王→名は姫発。文王の次男。牧野の戦いで殷を倒し、後に周王朝を創始した。
そして文王・武王共に「模範的・道徳的な君主の代表例」なのです。

【文命と天乙について】

序文㉑~元明天皇(3)~より)
「文命」は「ぶんめい」、人の名前です。
中国古代の帝で、夏王朝創始者の【文命(名前)】、若しくは諡号で【禹(う)】という人物です。
黄河の治水を成功させたと言われる伝説上の帝です。

「天乙」は「てんいつ」、こちらも人名です。
古代中国・殷王朝の初代の王です。
ちなみに上記の禹(う)が興した夏王朝を滅ぼしてます。
「天乙」は徳が高いことで有名で、その徳は「鳥や獣にまで及ぶ」とまで言われたそうです。

名前(氏姓)

「命・尊(みこと)」って何?違いは??

『古事記』についてより)

神様の名前の最後に「命(~のみこと)」ってつくでしょ?あれってどういう意味なの??

簡単に言うと、「尊敬の意を表わす敬称」よ。
一般的に神様や身分の高い人に使用するの。
高貴な人が発する「御言 (みこと)」 の意味から来ている、とか言われているわ。

神社の御祭神が、同じ神様なのに「命」だったり「尊」なのは何で?

まず、前提から説明すると、古事記で登場する神様は全て「命」に統一されていて「尊」は一切使われていないの。
「尊」が使われているのは『日本書記』なのよ。

ふ~ん。

『日本書記』には「至りて導きを【尊】といい、自余そのほかを【命】という。並みな、美挙等みことと訓よむ」とあるの。
これを簡単に訳すると、
【尊】→天津神や皇室祖先の神々に用いられる
【命】→国津神といったその他の神々に用いられる

となるかしら。

ちょっと【尊】の方が偉いって感じなのかな。

確かに【尊】の方が、より上位の敬称というイメージよね。
でも厳密には「命」「尊」の使い分けはない、と思っていいんじゃないかな。

【尊】が使われている神様を教えて?

えっとね…
国常立尊(クニノトコタチノミコト)
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
月読尊(ツクヨミノミコト)
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

…の6柱かな。
こうして並べてみると、いずれも神々の中でも特に重要な神様、って感じね(月読尊はほぼ登場しませんが…)。

『古事記』本文ではよく出てくる神様だね(月読尊はほぼ登場しないけど…)。

ちなみに、イザナギ・イザナミは序文最初は【伊邪那岐神・伊邪那美神と「神」の敬称で登場】するけど、天の神様に「国をしっかり固めよ」と命じられた所から、突然【伊邪那岐命・伊邪那美命と「命」の敬称に変わる】のよ。
こういう所も、注意しながら読んでみると面白いかもしれないわ。

※敬称が変わったのは、天津神の命令=ミコト(=御言=命)を賜ったから、と思われます('ω')ノ

【氏姓について】

序文⑥~賢后と聖帝~』より)
氏(うじ)と姓(かばね)は、自らの【身分を表す称号】でした。
ですが、勝手に名乗ったり、偽ったりする者も多かったため、身分の上下が明確ではなく混乱のもとになっていました。
そこでこの乱れを正そうと、允恭天皇は全ての氏族を飛鳥甘樫丘に集めて氏姓に偽りがないことを群臣に誓わせたのです。

ちなみに…「偽りがないことを群臣に誓わせた」と言っても、口頭でOKみたいな生易しいものではありません。
【盟神探湯(くかたち)】と言う正邪を判断する裁判のもと行われました。
まず神に潔白などを誓わせた後、熱湯の中に手を入れさせ火傷しなかったらセーフ。火傷したら偽る人→アウト...という「みんな大火傷でアウトじゃないかな...💦」と思ってしまう過酷なものでした。

「天皇」の読み方

【天皇の称号について】

序文⑮~帝紀と本辞の誤り(1)~より)
『古事記』では天皇という称号が使用されていますが、いつからこの称号が用いられてきたのかハッキリしていません。
天皇の称号は、漢の国の制度に倣っていて、漢風諡と言われます。

初めは「天皇」と書いて「すめらのみこと」と読み、これは大和(日本)言葉と言います。
更にその前(6世紀頃)は「大王(おおきみ)」と呼ばれていました。
現在の「天皇=てんのう」と訓読みになったのは奈良時代の事の様です。

『古事記』の成立は712年ですから、6世紀以前の天皇は、正確には「大王(おおきみ)」と呼ばれていたと思われます。
しかし、『古事記』では「天皇(すめらのみこと)」になっています。
多分、編纂時は「天皇」が定着していた(と思う)ので、太安万侶も「天皇」で統一したのかもしれません。
もし、「大王」と「天皇」を使い分けていたら、いつから「天皇」が使われだしたのか分かったかもしれませんね。

【何故「〇〇天皇」ではなく「皇居の地名」で表すのか?】

序文㉕~古事記の構成(1)「上巻」~より)
ところで...何で『推古天皇』ではなくて『小治田御世』という宮殿名で表すんでしょうか?
調べても良く分からなかったんですけど、私個人の考えで言うと…
(A)天皇陛下には苗字や姓が無いから。
→ご存じの方も多いかもしれませんが、皇室は唯一無二で日本に一人だけですから、わざわざ姓や苗字を名乗る必要が無いのです。
また苗字や姓というのは、本来天皇が臣下に授けるものでしたから、最高位である天皇に授ける者などいないのです。
ですから、天皇陛下はじめ皇室には苗字や姓は無いのです。

(B)なので識別するため宮号を使った。

...としか考えられません。
なお、自問自答で以下の反論の可能性がありましたが…

Q1:普通に「推古天皇」でいいのでは?

A1:「〇〇天皇」って以前は、【死後に贈られる諡号だった】から無理じゃね?

Q2:じゃあ、今の「令和」みたいに元号使えばいいのでは?

この前の『古事記』序文㉒~太安万侶への勅命~でも言ったけど、【元号が使われ始めたのが645年の「大化」から】だから、それ以前の天皇は何て呼べばいいのよ?だから「元号」は無理だわ。

...と論破できてしまうので、私達の答えは上記の通り「皇室に苗字が無い為、識別するのに皇居のあった場所を書いた」です。間違ってるかも...💦

【 何故、歴代天皇には複数の呼び名があるのかについて】

序文㉖~古事記の構成(2)「中巻」~より)
「品陀御世」は「品陀和氣命(ほむだわけのみこと) 」、「第15代天皇・応神天皇」の事です。
「神倭伊波禮毘古天皇」は「神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)」、「初代天皇・神武天皇」の事です。

さて、今回訳が二つになってしまいました。
呼び名が違うだけです。
私達に馴染みがあるのはあるのは、当然①の「初代天皇・神武天皇、第15代天皇・応神天皇」でしょう。
ですが編纂当時の言葉のまま訳すと②「神倭伊波禮毘古天皇、品陀天皇」が正しい気がします。

そもそも何で呼び名が幾つもあるのよ?」と思いませんか?

※詳細をココで書くことは難しいので、簡単に説明しておきたいと思います<(_ _)>

まず「神武天皇・応神天皇」ですが、これは漢風諡号(死後に贈られる贈り名)と言います。
この漢風諡号を付けたのは淡海三船(おうみのみふね、722~785)と言う人物で、奈良時代の学者さんです。
初代・神武天皇~49代・光仁天皇までの漢風諡号を選定したと言われています。
これが天平宝字6~8(762~764)年の事であったようです。

つまり【生前の名前】と【死後に贈られる名(諡号)】と呼び名が二つあるってわけです。
『古事記』の編纂は711年~なので、太安万侶が書いている時点では漢風諡号の「神武・応神」はありませんから、訳として正しいのは「神倭伊波禮毘古天皇、品陀天皇」なのかな?と思ったのです。

ちなみに中華風の漢風諡号があるくらいですから、日本風の【和風諡号】というのもちゃんとあって、上記の「神武・応神」だとそれぞれ「神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと) ・誉田天皇(ほむたのすめらみこと)」と言います。
「じゃあ、何で和風諡号で訳さないの?太安万侶も何故、和風諡号を使わなかったの?」と思われるかもしれませんが、多分太安万侶が『古事記』を書いている時点で和風諡号は無かったんだと思います。

諡号は中国から日本に伝わったのですが、この伝わった時期は明確ではなく「8世紀初めころではないか…」と考えられています(遅くとも762年以前にはあったと考えられています)

古事記編纂の711年時点では、諡号は日本に伝わっていたかは分からず、たとえ伝わっていたとしても諡号の選定にも時間がかかるでしょう。
「太安万侶が古事記を書いていた時点で和風諡号が無かったかも」というのは、諡号は選定している段階か、あるいは選定もまだしていない段階、下手すると諡号が伝わってなかった可能性もあるんじゃないか?という意味です。

なので「太安万侶が執筆している時点では諡号は無かった」→「だから古事記では和風諡号を使わない名を書いたんだろう」→「訳する時も和風・漢風諡号を使うと正確ではないかも」という事で、上記の②の訳の形も併用してみた…ということです。

さて、和風諡号に関してですけれど...いつ誰が撰進したのか不明です。
記録が残っていないからです。

資料上最初に確認された和風諡号は『続日本紀』(797年成立)にある「(持統天皇の)火葬を大宝3年(703年)12月17日に行った。諡号は【大倭根子天之廣野日女尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)】だ」という記載です。

逆に記録の無い初代・神武天皇から第40代・天武天皇までの和風諡号と言われるものは、実は和風諡号なのかもしれないし、もしかしたら生前尊号だったのかもしれない...とハッキリとわかっていないのです。

詳細はここでは述べませんが、ややこしくなってきたので、ここまでを少しまとめてみましょう。

呼び名の種類
資料上最初に確認された和風諡号を持つ持統天皇を例に見て行きます。

【生前の名前】
実名本名(諱)
→当然ですが実名があります。実名を諱(いみな)とも言います。
厳密にいうと「諱」は「忌み名」で「口に出して読むのが憚れる=貴人や死者に使われる」という意味があります。

持統天皇の諱は【鸕野讚良(うののさらら)】です。

【死後の名前=諡号】
「諡号」の「諡」は「おくりな=贈り名」と読みます。
生前の事績への評価をつける名が多いようです。
8世紀初めころ伝わった様ですが詳細は不明、ただ遅くとも762年以前にはあったと考えられています。

和風諡号
→いつ誰が撰進したのか不明、資料上で初めて和風諡号が確認されたのは『続日本紀』。
41代・持統天皇の火葬の記載部分に和風諡号があります。

持統天皇の和風諡号は【大倭根子天之廣野日女尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)】です。

漢風諡号
→〇〇天皇と言うように、漢字2文字で表記されます。
淡海三船(おうみのみふね)という奈良時代の学者によって、初代・神武天皇~49代・光仁天皇までの漢風諡号が選定されたと言われています。
選定されたのは762~764年のころだと考えられています。

持統天皇の漢風諡号はもちろん【持統天皇】です。

※この他にも【別称】があったり、【諡号や諱が2つ】あったり...「これ全部覚えてる人いるの?」って言うくらい名前が出てきます…💦
繰り返しになりますけど、ここではあくまで簡単な説明だけに留めたいので、生前の名として①本名(諱)が、死後の名として②和風諡号、③漢風諡号の2つがあった...と覚えておいていただければ嬉しいです♪

参考までに...<(_ _)>
~【諡号】の年表~
8世紀初め頃? 中国から諡号が伝わる(762年以前にはあった)

703年  持統天皇火葬(『続日本紀』には和風諡号の記載がある)

711年  『古事記』の編纂スタート

762年以前 多分和風諡号は存在していた

762~764年頃 淡海三船により初代・神武天皇~49代・光仁天皇までの漢風諡号が選定される

797年  『続日本紀』成立
...です。

【天皇の呼び名・まとめ】

序文㉗~古事記の構成(3)「下巻」~より)
昨日もお話しましたが、古事記では天皇に幾つも呼び名があります。
ちょっとまとめておきましょう。
本名(諱とも)
→古事記に表記がある
和風諡号
→死後に贈られる名。古事記の段階でまだ日本には無かったかも?なので表記は無い。
漢風諡号
→死後に贈られる名。762~764年頃淡海三船により選定、なので表記は無い。
その他
→皇居の名前を付けたパターン。古事記に表記がある。

暦と元号

【新暦と旧暦】について

序文㉒~太安万侶への勅命~より)
細かいトコは省いてしまいますが、簡単に言うとポイントは以下の2点です。
(A)1872年(明治5年)に採用された太陽暦が新暦、それ以前の暦が旧暦。
(B)1年の日数が異なる
【新暦】→太陽の動きが基準で1年365日
【旧暦】→月の動きが基準で1年354日
現在暦のズレは「4年に一度の閏年」で修正していますが、旧暦は「約3年に一度の閏月(この年は13か月ある)」で修正していました。
旧暦は中国から日本に入ってきて、6世紀末の飛鳥時代には導入、和暦として使用していたそうです。
新暦を採用したのは「世界基準に合わせること」が最大の理由でした。
また本当かどうか分かりませんが「旧暦で1年が13ヵ月あると、給料を13回出さなければならなくなる」という理由もあったとか、無かったとか...。
ちなみに旧暦「和銅四年九月十八日」は、現在の新暦で言うと「711年11月3日」です。

【元号】について

序文㉒~太安万侶への勅命~より)
細かいトコは省いちゃいます、ポイントだけ。
(A)年代につけられる称号で中国から伝わった(ちなみに前漢の武帝時代に始まったとされ、一番最初の元号は「建元・紀元前140年~」です)
(B)日本における最初の元号は「大化」(645年7月29日~・孝徳天皇の時です)
(C)現在日本が唯一、元号を使用している
こんな感じですかね…なお「改元の理由は様々」です。
ちなみに「和銅」という元号は「武蔵国より和銅が献上された」ことから改元されました。

古事記の読み方

【音読みと訓読みの違い】について

序文㉓~太安万侶からの注意点(1)「於字即難」~より)
音読み→昔の中国の発音を元にした読み方、聞いただけでは意味が分からない事が多い。
訓読み→漢字の意味を表す日本語の読み方、聞いただけでも意味がわかる事が多い。

古事記』は原典が漢字で書かれています。
そして1300年前の言葉・意味で書かれていますので、これを現代の私達が読むのは、とても難しいことです。
似たような事が太安万侶が編纂する時にもあって、中国語(音読み)日本語(訓読み)マジ難しい!と愚痴っているわけです。

想像してみて下さい...例えばマックで二人の美女が会話しています。しかし音読みだと伝わるでしょうか?

「ガコウウショウ」(音読みです)

いや、わかるかッ!

ってなりますよね?しかし、訓読みなら...

「われこのいもちい」(訓読みです)

あっ!分かっ...いや、やっぱりわかるかッ!!

...あれ?おかしいな、もう一度訓読みで...

「我好芋小(われこのいもちい)」

えっと…『私、ポテトのSサイズが好き』…?知るかッ!

ねっ?訓読みなら伝わったでしょう?え?そうでもない?
太安万侶もこんな感じで苦労した、と以下に書いています。
以上【音読みと訓読みの違い】についてでした<(_ _)>

【漢文訓読と借字】について

序文㉓~太安万侶からの注意点(1)「於字即難」~より)
次に【漢文訓読と借字】について考えてみたいと思います。

漢字が伝わる前、日本語には固有の文字がありませんでした。
つまり漢字を素に日本で生まれた【仮名】(ここでは平仮名・片仮名の意味です)も無かった、という事になります。
やがて漢字・漢文が伝わりました…しかし漢文は中国語の為の文、当然音も構文も異なる日本語にはそのまま使用できません。

そこで日本語として理解するために生み出されたのが漢文訓読でした。
これは少し難しいのですが一言で言いますと【文法は漢文のままだけど、訓点を付けて日本語の文体に置き換えた読解方法】です。
しかし、「置き換え」出来ないものもありました。それは固有名詞です。

例えば...私の名前(もちろん本名ではないが)「いもみ」漢字で「芋美」の場合。
芋は訓読みで「いも」ですが、美は訓読みでは「うつく」になってしまい、「芋美」なのに「いもうつく」になってしまいます。

なので、これを解消するために漢字の発音だけを用いて、日本語の音に当てる「借字(しゃくじ)」が出来ました。
いわゆる万葉仮名です。
『古事記』にもこの万葉仮名はよく用いられています。

想像してみて下さい...例えばマックで二人の美女が【漢文訓読と借字】について会話しています。
(※ご注意ください、全く参考になりません<(_ _)>)

我好面包挟牛肉起司(※実際こんな文はありません

はぁぁぁ?!
えっと…訓点を付けると我好、面包挟牛肉起司かな...?
面包がパン、牛肉と起司(チーズ)を挟むだから...!
分かった!マックシェイクだ!!

正かっ...はぁぁぁ?!
ハンバーガーでしょぉぉぉ!

ハンバーガーを漢字が本来持つ意味を無視して日本語の音にあてる「借字」すると…?

反婆餓亞。

かなり無理がある解説になったわね…。

え~…以上です<(_ _)>💦

【古事記を読むには音読みと訓読みを併用する】

(序文㉔~太安万侶からの注意点(2)「辭理叵見」~より)
直訳すると「亦(また)『日下(くさか)』という姓(かばね)に於いては『玖沙訶(くさか)』と言い、『帯(たらし)』という名に於いては『多羅斯(たらし)』と言う」

...「何なの、これ?」という方もいるでしょうから軽く説明します。
①まず「日下」も「帯」も読むのはかなり難しい字です。
②しかし編纂者の太安万侶としては読めるようにしたい。
③ところが当時は平仮名はまだ無い(フリガナ出来ない)。
④ならば漢字本来の意味とは違うけど、音読みの漢字を充てて読めるようにしよう(これを「借字」と言います)。
⑤『日下』は音読みの字で『玖沙訶』を、『帯』はこれも音読みの『多羅斯』という字を充てよう。
...という感じの意味なのです。

昨日の繰り返しになりますが、古事記』の本文は「これはこのままでも読めるよな...」っていうのは訓読みでそのままにしていて、逆に「これってこのままじゃ読めないよな...」」っていうものは、別の漢字をあてがって音読みで読めるようにしてある...って認識で良いと思います。

例えば...こんなイメージです。
【焼鳥】 →「これはこのままで読めるよな...意味も分かるし音読みにしなくていいか」(訓読みで字も変えない)
【棒棒鶏】→「ボーボー鶏って読んじゃう人いるかも...漢字の意味は違うけど音読みの漢字をあてがってみんな読めるようにしよう!バンバンジーは...【蛮蛮爺】と書き記そう!」(音読みの漢字をあてがった)
※実際こんなおバカな音読みはありません<(_ _)>

直訳では言葉足らずで分かりずらいので、ここは長くなってしまうけど…
「また姓名に関しては、『日下』や『帯』といった訓で読むのが難しいものであれば、『玖沙訶』『多羅斯』というような音で読み易く」と訳しました。

その他の知識

【狼煙のうんちく】について

序文㉑~元明天皇(3)~より)
①狼煙の歴史は古く、弥生時代からあったそうです。
また律令下では『40里(1里は約2km)毎に狼煙台(烽)を置く』ことなどが規定されていました。
②「狼煙」って「オオカミの煙」って書きますよね?
これは狼煙を上げる時に【狼のウンコ💩】を使用していたことに由来しています。
なんでも【狼のウンコ💩】を燃すと、その煙は風があっても真っすぐに上昇するそうで「連絡用に最適!」なんだそうです。

以上で『古事記』序文㉙~序文の疑問点のまとめ~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』本文上巻①~別天つ神(1)「造化三神」~をご紹介する予定です。


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ

『古事記』序文㉘~序文の全文の訳~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文㉘~序文の全文の訳~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【序文の全文の訳の目次】

【読み易いように多少修正した件について】

【前回のあらすじ】
ようやく序文全文を訳し終えたアキちゃん...。
しかし休息も束の間であった。
序文の全文の訳を、まとめていた(←ただコピペしてただけだが)私・いもみからクレームが入る。
「なんか所々読みずらくない?」「訳するのに夢中で、文章が固いって言うか...繋がりが悪いって言うか...シックリこないのよね...」「もっとこう...読者の事を考えて欲しいの!」
仕方なく、再度読み易さを追求し筆を執るアキちゃんであった。

ちょ、ちょっと...!勝手なナレーション付けないでくれる?!

貴女はやれば出来る子よ、出来るわよね?

...。

あ…怒った...。

フ~…(ため息)。
いもみの言う通り、やや分かりずらい所があるので、その部分については打消し線で消しつつ赤字で修正しました。
こんな感じです。
【例】いもみは天使だいもみは悪魔である
但し、既にあげた各記事の訳についてはそのままで、修正は行いません。
あくまで全文を通した時、読み易いようにしたという修正です。
その為、本文で()で補足した説明なども打消し線を施してありますが、誤りではないのでご安心ください。

※訳の前に、過去の記事のナンバーとタイトルをふっています。
またこれ以外にも、目次をふりました。


天地開闢と神々の出現

①造化三神・すべてを作り出す最初の神
わたくし安万侶が申しあげます。
かつて宇宙の始めは混沌が漂っていましたが、やがて混沌は一つにまとまりました。
しかしこの時世界の形は十分ではなく、天と地もまだ分かれていませんでした。
そのためこの時、全てのものに名前は無く、動きもありません。
そして、世界の形を知るものはまだ誰もいませんでした。


②イザナギの禊
そんな訳で、やがてイザナギ・イザナミの二神がこの国を創造し、次いで神生みに取り掛かるのですが、その途中イザナミは亡くなってしまいます。
イザナギはイザナギを取り戻すべく黄泉の国へと向かいますが、それはかないませんでした。そして...

イザナギが死者の国である黄泉国から現世に帰ってきました。

そして死の世界の穢れを落とすために、水に浸かって禊(みそぎ)をすることにしました。
イザナギが目を洗うと、左目から天照大御神が、右目から月読命が現れました。
さらにイザナギが海水で浮き沈みして身体を洗うと、沢山の神様が現れました。


③因本教而
ここまで述べた神話の様な歴史の起源のお話は、大昔のことですから、私達にはハッキリとは分かりません。
ですから、この国の国土が出来上がっていった様子や、この国の島々が産まれた由来は、昔からの言い伝えや教えによって知ることが出来ます。
この国が興ったのは遥か昔のことですけれど、世界に神々が誕生し、やがて人間が成立したという太古の出来事も、それらの経緯を伝え聞いてきた先の世の知徳が優れた人物を頼ることで、明らかになるのです。

ですから、この国の国土がどう完成していったのかや、その由来など私達が知りえない太古の出来事は、それらを伝えてきた「古来からの言い伝えや教えでしか分からない」と言えるでしょう。
太古に起きた出来事も、遥か昔に誕生したこの国の出来事も、私達は見ていないのでわからないのです。
しかし私達は分からなくても、太古にそれらを見て知っている者はいましたし、知ってる者からそれを言い伝えられてきた者もいます。
私達は、そうした人を頼って、太古の出来事を明らかにすることが出来るのです。

3種の神器と国譲り

④鏡と珠と剣と議
本当にその通りなのです。
これは全くその通りなのです。
何故ならば、天皇の先祖は神であります。
神は太古の出来事も全て見聞きしてご存じですし、その子孫である天皇はそれら太古の出来事を言い伝えとして正しく継承しています。
ですから、私達は天皇から大昔の出来事を明らかにすることが出来るのです。

海原統治の役目を怠り追放されたスサノオは、アマテラスが統治する高天の原に向かい、国の乗っ取りの疑いをかけられますが、潔白証明の為、神意がどちらにあるか誓約をたてます。
お互いの身につけたものを交換し、それを口にして息を吐いて子(神)を成し、その結果で占うことにしたのです。
アマテラスがスサノオの剣を、スサノオもアマテラスの数珠を、それぞれ噛み砕いた後息を吐きました。
誓約の結果、スサノオに邪心が無いことが示され、高天の原で過ごすスサノオでしたが、乱行を繰り返したことで、アマテラスは天の岩屋に隠れてしまいます。

天の岩屋からアマテラスが出て、高天の原を追放されたスサノオは、その後地上でヤマタノオロチを退治しました。
…こうした過程のなかで、多くの神々が登場し、大いに増えました。

そして、こういった古代の歴史は、歴代の天皇によって代々言い伝えられてきたのです。

やがて、アマテラスのもとに『オオクニヌシの治める葦原中つ国がひどく騒がしい』と報告が入ります。
そこで、アマテラスは葦原中つ国を譲渡させるための説得に、どの神を使いに出すかを、八百万の神を天の安河の河原に集めて会議を開きました。

タケミカヅチという神が遣わされ、小浜(出雲国・稲佐の浜)で国譲りの交渉が行われた結果、葦原中つ国は譲られることになりました。
国譲りで統治者がオオクニヌシからアマテラスに移ったことで、何かと騒がしかった葦原中つ国も静かに治まったのでした。

天孫降臨と初代天皇・神武天皇即位

⑤天孫降臨と初代天皇・神武天皇即位
国譲りの交渉の結果、オオクニヌシが了承したので、アマテラスは天降りを始めることにして、自らの孫のニニギに葦原中つ国の統治を委任します。
そしてニニギは、かつてイザナギが禊をし、アマテラスが生まれた地である筑紫の日向の高千穂の地に初めて降り立ったのです。

時は流れ、ニニギの曾孫であるカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)は、九州で各地に目を光らせるのは不便と考え、日向を出発して各地を平定しながら、東の大和の地を目指しました。

イワレビコが紀伊から内陸を目指していると、川から突然クマが現れ、妖気でイワレビコの軍はみんな気を失ってしまいました。
ですがそこへ、神のお告げの夢を見たという高倉下という人物が、霊剣・布都御魂(フツノミタマ)をイワレビコに渡し、この霊剣の力で邪気が祓われてみんな目を覚ますことが出来ました。

さらに吉野の地では「この先に悪い神がいる。タカムスビ(←神様です)がヤタガラスを遣わすから、それについていけば無事に通り抜けられるだろう」というお告げがありました。
ヤタガラスに導かれたイワレビコの軍は、途中の国つ神(豪族)や民たちをその配下におきながら進みました。

途中、尾の生えた人(←これは意味が分かりませんでした💦もう一度調べましたが結局分からなかったです…)に出会ったり、大和の宇陀では豪族(エウカシ)の抵抗があり戦闘になったりしました。

逆賊(土蜘蛛)に対しては、宴会を催して油断させ、歌を合図に一斉に斬りかかってこれを討ちはらい従えました。

神功皇后と仁徳天皇

賢后と聖帝
すなわち、神功皇后は神懸かりで神々の意志を知ることが出来ました。
そして神託を信じて西方を攻め、3韓征伐を成して服属させて称えられました。

仁徳天皇は国内視察の際、国に料理をする煙が上がっていないのを見て、食べるものが無い民の貧しさに気付いて、3年間納税を免除しました。こうして聖帝(ひじりのみかど)の御世として、後々まで称えられたのです。

成務天皇は、近淡海(近江国=滋賀県)において日本で初めて行政区画を制定したことで人民を安住させ、より国を発展させました。

允恭天皇は、皇居である遠飛鳥宮に群臣を集め、それまで明確でなかった氏姓に偽りがないことを誓わせて、乱れた氏姓制度を正しました。


⑦古以照今
歴代天皇の政策の進捗の速度(※若しくは保守かリベラルか)はそれぞれ異なっていましたし、政策の内容も華やかなものもあれば、質素なものもありました。
また古く廃れた政策や習わしは、その都度時代にあわせて改めなおしました。
このように時代の変化に合わせ、制度や教えを改善することは常に行われてきたのです。

壬申の乱

⑧飛鳥清原大宮・天武天皇の御世
飛鳥浄御原宮で、日本全国を治めた天武天皇の治世においては、天武天皇が皇太子の頃は、まだ世に出る時ではありませんでしたが、自分が何を成すか啓示があり、やるべきことを占いで告げられて、やがて機が熟し雷鳴が鳴り響くように世に出られ即位されました。


⑨虎步於東國
しかしながら、まだ機が熟していなかったので、天智天皇からの皇位継承の打診を辞退して出家し吉野で隠棲しました。
やがて、不破道(ふわのみち)以東を抑えたを封鎖して、兵をおこしました。不破道を抑えられた近江朝廷側は東国の連絡が遮断された一方で、天武天皇のもとに軍勢が揃い、虎が翼を得たごとく進軍を開始しました。


⑩壬申の乱
本来ならば、貴人は車駕にお乗りになるのが慣例ですが、天武天皇(大海人皇子)は車駕(しゃが)の用意を待たずに進撃を開始しました。
やがて車駕(しゃが)の用意が間に合ったので、それに乗り換えて山川を進軍しました。
天武天皇(大海人皇子)の率いる軍団は雷鳴の如く威勢があり、(配下の諸侯の軍も)雷のごとく迅速に進撃しました。

赤の軍装の味方の軍の兵達は猛々しく、刀槍を高く掲げて士気高く、戦場で躍動し、そして大友皇子の近江朝廷軍は敗れたのです。

天武天皇の御世

⑪天武天皇の即位
戦いの後の混乱は、短時間のうちに自ずとおさまりました。
戦後の混乱がおさまったのを見届けてから、軍で使った牛馬を休ませて、穏やかな気持ちで都に凱旋しました。
軍旗や武器も片付けられ、代わりに舞を踊り、歌を詠むなどして、都(大和の国)に平和が訪れました。

そして、673年癸酉(みずのととり)の年の2月に、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)において天武天皇が即位されました。


⑫天武天皇の統治(1)
(壬申の乱後で荒廃した世に)正邪・善悪の規範を示し、その統治の手腕は黄帝以上であり、周の文王・武王より優れていました。
天皇であることの証である三種の神器を得て、正しく天子の位を継ぐ者として、国の隅々までしっかりとまとめ、統治しました。


⑬天武天皇の統治(2)
(国内の統治するにあたっては)陰陽五行説の思想を用いる(採用して)ことで、万物の成り立ちや循環の順番を整理しました。
この(陰陽五行説の)優れた道理を整備して、この教えで世の人々を導き、また奨励することで、国家を大きくしていきました。


⑭天武天皇の統治(3)
そればかりではなくて、知識は豊富で海の様に広く、多くの書物から古代の事を深く調べ、その心には昔の賢人の業績を鏡の様に映し出してみることが出来ました。

帝紀と本辞の誤り

⑮帝紀と本辞の誤り(1)
ここにおいて、天武天皇の仰せられましたことは「私の聞くところによれば、各地で伝わっている帝紀と本辞とに多くの偽りがあるということだ」


⑯帝紀と本辞の誤り(2)
「今この時に、この『帝紀』と『本辞』にある多くの間違い・誤りを正さなければ、何年も経たないうちにその本質や真実は失われてしまうだろう。
(帝紀と本辞の誤りを正して整理して)正しい歴史認識(国の成り立ち)を後世に伝えることは、国家の秩序に必要なことであり、世を安定させるのは天皇としての務めである。
そこで、天皇の系譜を記録する『帝紀』と、古い時代が記された『旧辞』を調べてなおして誤りを正し、真実を明らかにしてこの国の正しい歴史を後世に伝えようと思う」と仰せになりました。

稗田阿礼

⑰稗田阿礼(1)
その時、天皇の側仕えをしている、姓は稗田、名は阿礼という歳は28になる舎人がいました。
物事の理解が早い賢人で、一度目で見たものは、そらんじて(=何も見ないで暗記して)読むことが出来、(天武天皇のお言葉を)清らかに聞くことで、その心にお言葉を記録し留めることが出来ました。


⑱稗田阿礼(2)
そこで天武天皇は、稗田阿礼に仰せ下されて、新たに選定しなおした『帝紀』と『旧辞』の語り伝えを繰り返し読ませ、記録を開始しました。
しかし、天武天皇が崩御され時勢が変わったため編纂事業は一時中断し、この時代には完成しませんでした。

元明天皇

⑲元明天皇(1)
元明天皇に即位後、その威光は輝き、国民に対してはこれに向き合いよく声を聞いて善政を敷きました。
元明天皇の統治は、皇居(紫宸)から水陸の果てまで及び、その仁徳で民を導きました。


⑳元明天皇(2)
太陽が昇り、より輝きが増しました。
雲は消えて、かすむことはありませんでした。

一旦分かれた枝がまたくっついたりする(=連理木、れんりぎ)様な吉兆や、豊作になった(穂が沢山ついた稲が育った)という様なめでたい事象が起きれば、史官がこれらを歴史書に書き連ねました。
元明天皇の治世は、その善政によって霞むことは無く、常に光が輝くようでした。
「連理木などの吉兆も多く、また豊作が続きました」と歴史書に書き連ねられています。


㉑元明天皇(3)
諸外国からの使者が絶えることなく訪れ、その貢ぎ物によって倉は常にいっぱいでした。
これらの事を思えば、元明天皇は、古代中国の伝説上の帝である文明(禹)よりも名高く、徳の高さにおいても古代中国殷王朝の初代王である天乙よりも優れている、と言うことが出来ます。言えるでしょう。

太安万侶への勅命

㉒太安万侶への勅命
この元明天皇の時代になって、旧辞・帝紀を選定しなおした正しい歴史書編纂の事業が頓挫しているのを惜しみ、和銅四年九月十八日に元明天皇は「天武天皇が稗田阿礼によませた旧辞・帝紀を書き取り『古事記』を献上せよ」と私、太安万侶にお命じになりましたので、謹んで仰せの主旨に従いまして、事細かにこれを記録いたしました。

太安万侶からの注意点

㉓太安万侶からの注意点(1)「於字即難」
しかしこの古い時代の言葉は、現在とは意味が異なっていたり、また既に使わなくなった言葉であったりしたので、これを文字化して区切り、文章を書くことはとても難しいことでした。

古い時代の言葉を、現在の訓読みするように書こうとしても、私にはそれを伝える適切な言葉が思い浮かびません。

音読みならば伝えることは可能でしょうけれども、漢文のまま(=訓読みのまま)読めるところまで全て音読みにしてしまいますと、今度は文字数が増えすぎて文章が長くなってしまいます。
そのため、区切りの中に音読みと訓読みを両方用いた文もありますし、また場合によっては訓読みだけを用いた文もあります。


㉔太安万侶からの注意点(2)「辭理叵見」
ですので、読みづらく意味の分かりにくい言葉には注釈をつけて、読めばすぐ意味が分かる言葉には全く注釈をつけませんでした。
また姓名に関しては、『日下』や『帯』といった訓で読むのが難しいものであっても、これを『玖沙訶』『多羅斯』という様に音で読み易くするという事はせずに、出来るだけ原文に忠実な表記にしました。

古事記の構成

㉕古事記の構成(1)「上巻」
この書(=古事記の事)には、世界の始まりである天地開闢から、小墾田宮(おはりだのみや)において執政された推古天皇の時代までにあった出来事のあらましを記しました。

すなわち、天地開闢時の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)はじめ神々が御誕生になった時から、その神々の子孫であり、初代天皇・神武天皇の父君である天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)までの出来事を記したものを上巻とし、


㉖古事記の構成(2)「中巻」
初代・神武天皇から、第15代・応神天皇の御代までにあった出来事を記したものを中巻とし、


㉗古事記の構成(3)「下巻」
第16代・仁徳天皇から、小治田宮において執政された第33代・推古天皇の御代までにあった出来事を記したものを下巻とし、併せて(上中下巻の)3巻に記録し、謹んで献上いたします。
私太安万侶が謹みかしこまって申し上げます 頓首頓首。
和銅五年正月廿八日 正五位上 勳五等 朝臣 太安万侶


以上で『古事記』序文㉘~序文の全文の訳~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文㉙~序文の疑問点のまとめ~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ