こんばんは、いもみ🍠です。
明日は七夕ですね!
と、言う訳で本日は七夕のお話をしたいと思います!
織姫と彦星の星物語について
一般的な七夕の物語と言えば、織姫と彦星の星物語です。
天帝の娘、織女(しょくじょ)と牛飼いの牽牛(けんぎゅう)は結婚してから仕事を怠けるようになりました。
それを怒った天帝が二人を引き離してしまいます。
悲しみに暮れた織女を見かねた天帝が7月7日だけ会うことを許しました…って内容ですよね?
実はこの物語、元は中国の神話だということをご存じでしたか?
ちなみにこの神話では、七夕の夜に天の川にカササギが橋を架けて二人を合わせてくれるそうです。
七夕の名の由来について
七夕は五節句の一つとして宮中では、「しちせき」と呼ばれていました。
これが「たなばた」と呼ばれるようになったのは何故なのでしょう?
祖先の霊を祀るために織物をして、出来上がった布を祖先の霊に捧げるという行事があります。
この布を織る女性を「棚機つ女(たなばたつめ)」と呼んだことが「たなばた」と呼ばれる由来ではないかと言われています。
「棚機」を「たなばた」と読みます。
棚機つ女(たなばたつめ)は、神様の為の着物を織って豊作を祈った、と言われています。
また、日本書記には中国から伝わった行事として「乞巧奠(きっこうてん)」というものが記されています。
これは習字や和歌などの技能上達を願い、織女が昇る頃、添え物や和歌を詠んだ短冊などを捧げる行事であったそうです。
日本に伝わったのは西暦691年7月7日と言われており、これも七夕の原型のようです。
この様に七夕は、中国から伝わって日本の宮中で広まって行ったのです。
短冊に願いを書く理由
それまで宮廷と武家に限られていた七夕は、幕府が五節句を制定したことで全国へ広がっていきました。
七夕祭りは、江戸時代になると現在の七夕に近い形になっていきます。
当時は天神が降り立つ目印として、家の屋根の上に笹竹を立てていました。
これには「神を迎える」「厄災を水に流す」などの意味があったと言われています。
短冊に願いを書くのは、昔の人が織物の上手な織姫にあやかって、物事が上達しますようにとお願い事をしたのが始まりと言われています。
笹の葉に飾る理由は、織姫と彦星が願いを叶えてくれるという意味と、悪いモノから守ってくれるという言い伝えがあるからです。
ちなみに短冊は「青・赤・黄・白・紫(黒)」の5色があり、これは中国の陰陽五行説の「木・火・土・金・水」に対応していて魔除けの意味があったとされています。
中国の神話・乞巧奠(きっこうてん)の行事・中国の陰陽五行説...ここまで見てきたように、七夕は日本と中国の文化がミックスされたものと言えます。
江戸時代に入ってからは日本の独自性が強まって、現在の七夕になっていったようです。
そうめんの日
7月7日は実は「そうめんの日」でもあります。
江戸時代においても、「そうめん」を七夕で食べることが一般的だったようです。
驚いたことに徳川将軍の七夕のご飯も、「そうめん」が出ていたそうですよ。
ところで、この「そうめん」も中国から伝わった「索餅」と呼ばれる食べ物に由来していると言われています。
索餅は小麦粉を練ってひも状にしたもので、中国では病気にならないためのおまじないだったそうです。
横浜中華街で見たお菓子だ!
7月7日の日付について
夏の大三角形をご存じですか?
夏の夜、東の空を見上げると明るい3つの星が見られます。
ベガ・アルタイル・デネブ、これら3つの星を線で結んだ大きな三角形が夏の大三角形です。
この中でベガは織姫、アルタイルは彦星にあたります。
これらの星が一番よく見えるのが、七夕の7月7日頃なんですよね。
明日の天気は悪いようですが…無事に織姫と彦星が会えるといいですね💛
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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~本日のオマケ~
七夕か~…短冊に何を書こうかな...。
願いが確実に叶う方法があるわよ。
何それ聞きたい!
私が短冊に「いもみが冷蔵庫に隠してるシャトレーゼの七夕限定ケーキが食べれますように...」と書くから、いもみは「アキちゃんが冷蔵庫に隠してるシャトレーゼの七夕限定ケーキを食べませんように...」とすれば、どちらかの願いが確実に叶うはず...。
夢のある七夕を送りたいな~。