こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~のご紹介です。
こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。
(註:【伊都久】の【伊】以下の3字は音読みを用いて【いつく】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
従って、安曇氏は綿津見神(海神)の子である宇都志日金拆命の子孫なのです。
(註:宇都志日金拆命の【宇都志】の三字は音読みを用いて【うつし】と読んで下さい)
イザナギの禊で綿津見神(海神)と筒之男命が現れました。
このうち綿津見神(海神)は安曇氏の祖先である...というお話が前回語られました。
という事は今回は話の流れとして筒之男命のことが語られます。
『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~
其 底筒之男命 中筒之男命 上筒之男命 三柱神者 墨江之
三前大神也
【読み方】
其(そ)の底筒之男命(そこづつのおのみこと)
中筒之男命(なかづつのおのみこと)
上筒之男命(うはづつのおのみこと)
三柱の神は、墨江之三前大神(すみのえのみまえのおおかみ)なり
墨江之三前大神は、イザナギが黄泉の国から帰り禊で身体を清めた際に生まれた底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の3柱の神々のことです。
墨江(すみのえ)は古い地名で、現在の住吉(摂津国=大阪府)のことであり3神の鎮座地を指します。
つまり墨江之三前大神は、住吉神社の(御祭神の)三座の神様、となります。
ここで住吉神社のお話を少ししてみようと思います。
住吉3神を祀る神社は全国に約600あるそうで、その総本社は大阪府住吉にある住吉大社です。
上記の地図の様に海からは数キロ離れていますが、創建当時(神功皇后摂政11年と伝わっています)は海のすぐ側だったそうです。
遣唐使が派遣される時は住吉大社に祈願したという記述もあり、古くから外交にまつわる航海の守護神として国家的な祭祀を受けてきました。
何故このように住吉三神と王権との結びつきがあるのか?
気になりますよね。
それは神功皇后の新羅国遠征(三韓征伐)があったからです。
【神功皇后の新羅国遠征】
➩仲哀天皇の時代(192~200年頃)に大和朝廷に反抗する部族(熊襲)が現れました。
それに対し巫女でもあった仲哀天皇の妻である神功皇后が神がかりでご神託を得てどういう対応をするか、決めることにしました。
すると住吉三神から「熊襲(九州南部)より、西方(新羅国のこと)に豊かな国があるのでそれを服属させて与えよう。我ら三神(底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命のこと)を祀れば新羅も熊襲も平伏するだろう」というようなご神託を受けます。
このご神託に対し疑問を口にした仲哀天皇はなんと祟りで殺されてしまうのです。
一方神功皇后はご神託に従い軍船を率いて朝鮮半島へ出征し、新羅、高麗、百済の三韓を従わせました(三韓征伐)。
凱旋した神功皇后は住吉三神の働きに感謝し、摂津国(大阪府)の住吉に社を建てて祀ったとされています。
この様に、住吉三神は神功皇后とその子の応神天皇との関わりが深い神様なのです。
王権との結びつきが強いのも分かりますよね?
この辺のお話もいずれ登場します<(_ _)>
以上で『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』本文上巻58~三貴子の誕生~をご紹介する予定です。
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