いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻㉑~国生み(8)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』本文上巻㉑~国生み(8)~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
イザナギ・イザナミが天界からお帰りになった後、2神はまず大八嶋国をお産みになられましたが、その後も更に吉備兒島(きびのこじま)をお産みになられました。
この吉備兒島は、またの名を建日方別(たけひがたわけ)と言います。
更に次は小豆島(あづきしま)をお産みになられました。
この小豆島は、またの名を大野手比賣(おおのでひめ)と言います。
(註:大野手比賣の【手】は上声です。高い音で発音して下さい)
更に次は大島(おおしま)をお産みになられました。
この大島は、またの名を大多麻流別(おおたまるわけ)と言います。
(註:大多麻流別の【麻】は上声です。高い音で発音して下さい)
(註:大多麻流別の【多】から【流】までは音読みを用います)

「国生み」はまだ終わりません。
一段階目は大八島国という日本列島の完成がポイントでした。
これに続く6島は、海上交通の要衝という共通点があります。
また古事記と日本書記ではこの国生みの島や、順序が違うのも面白い点です。
編纂者によって重要な島が異なるとも言えるからです。
では、いよいよ国生みの最終章です。

『古事記』本文上巻㉑~国生み(8)~

【原文と読み方】
【原文】
次生 女嶋 亦名謂天一根(訓天如天)
次生 知訶嶋 亦名謂 天之忍男
次生 兩兒嶋 亦名謂 天兩屋(自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋)

【読み方】
次に女島(ひめじま)を生みたまひき
亦(また)の名は天一根(あめひとつね)と謂(い)う
次に知訶島(ちかのしま)を生みたまひき
亦(また)の名は天忍男(あめのおしを)と謂(い)う
次に兩兒島(ふたごのしま)を生みたまひき
亦(また)の名は天兩屋(あめのふたや)と謂(い)う
吉備兒嶋(きびのこじま)自(よ)り天兩屋嶋(あめのふたや)に至(いた)るを并(あわ=併)せて六嶋なり

【訳】
更に次は女島(ひめじま)をお産みになられました。
この女島は、またの名を天一根(あめひとつね)と言います。
更に次は知訶島(ちかのしま)をお産みになられました。
この知訶島は、またの名を天忍男(あめのおしを)と言います。
更に次は兩兒島(ふたごのしま)をお産みになられました。
この兩兒島は、またの名を天兩屋(あめのふたや)と言います。
(註:上記の様にイザナギ・イザナミが大八島国以降にお産みになった島は、吉備兒嶋(きびのこじま)から天兩屋嶋(あめのふたや)まで併せて6島あります)

【解説】
前回に引き続き、イザナギ・イザナミによって誕生した島々の紹介となっています。
これらの島々の紹介は下記にあります。

訳としては前回と同じ構成なので特に解説は必要ないと思うのですが、太安万侶の注釈(自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋)だけは読みずらいかもしれませんので触れておきます。

読むにあたってのポイントは【自~至】でしょう。
これは以前もご説明しましたが、【自A至B】で【A自(よ)りBに至る】と読んで、【AからBまで】という意味です。

なので「吉備兒嶋天兩屋嶋」は「吉備兒嶋から天兩屋嶋まで」という意味です。

「并六嶋」は「併せて6島」なので、(自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋)は直訳すると「吉備兒嶋から天兩屋嶋まで併せて6島です」で良いと思います。
ただ、この注釈はわざわざ付けなくても、直前の文でわかりますよね?
注釈をつけた理由は、大八島国が生まれた後も島々を生み続けたのを強調したかったのかな?と思いました。

なので、私の訳では念のため主語なども入れ「(註:上記の様にイザナギ・イザナミが大八島国以降にお産みになった島は、吉備兒嶋(きびのこじま)から天兩屋嶋(あめのふたや)まで併せて6島あります)」と訳しました。

女島(ひめじま)について

女島=姫島だと思って「姫島」で検索すると、大分県の北東部の姫島村がヒットしました。
東には大島(屋代島)があるし、瀬戸内海を東から西の順番で登場しているのでどうやら「女島(ひめじま)」とは大分県姫島村の事を指している様です。
※「女島」と名の付く嶋はいっぱいあるので、諸説あります。

別名の「天一根(あめひとつね)」ですが、意味を考えると単純に「天の土台の一つ」で良いんじゃないのかな?と思います。
つまり6島は交易などの海上交通の要所に位置していて、その一島々々が「交通の土台=拠点」と考えれば、女島こと天一根は「その拠点のうちの一つの島だった」ので、そういう別名が付けられた...で、シックリ来ます。

知訶島(ちかのしま)について

グーグルマップで「知訶島」と検索すると下の様になりました。
※「知訶島」の名で貼り付けられないので、中央に位置していた「漁生浦島」で地図を貼りました。
「知訶島」とはどうやら長崎県五島列島を指している様です。

別名の「天忍男(あめのおしを)」について、何故このような名が付いたのか考えてみました。
...ですが「忍」の意味が「隠れる、我慢する」以外に見当たりません。

そこで読み方で意味を考えてたら...
①「忍=おし」か~…
②五島列島、島多いよなぁ…
③ん?「忍=おし=多し」じゃね?
と、確信は無いけどなんかシックリきた!!

なので「天忍男(あめのおしを)」は「天の島の多い島」という感じの意味だったのかなぁ...?と想像しています。
※あくまで個人の感想です<(_ _)>

兩兒島(ふたごのしま)について

「兩兒島」「ふたごのしま」とグーグルマップで検索しても、サッパリ出てきません。
でも【東から西へ島を紹介している法則】に従い、五島列島から西を見て行くと…ありました!
「男女群島」
「ふたごのしま」っぽい名前でピッタリだし!...島は沢山あって「ふたご」じゃないけど…。

別名の「天兩屋」について調べてみた所、「天兩」とは「両天➩晴天と雨天」を指していることが分かりました。
「屋」は「家・屋根」の意味で良さそうなので、「晴天と雨天のある家屋(島)」みたいな意味なのかな?と考えています。

国生みについて

こんな感じで、①イザナギ・イザナミの結婚➩②国生み➩③神生み、の②までが終わります。

もう一度ザックリ振り返ると、
1.大八島国が生まれます。
順番は淡路島➩四国➩隠岐島➩九州➩壱岐島➩対馬➩佐渡島➩本州。
まずこれら8つの島が生まれたので、日本の国は大八島国と言います。

2.六島が生まれます。
順番は吉備兒島➩小豆島➩大島➩女島➩知訶島➩兩兒島。
これらの島は当時重要な海上交通の要衝であったと思われます。
紹介の順番は基本的に東から西になっています。
黒曜石が採れた島か、若しくは黒曜石の交易が関わっていた可能性も。

以上で『古事記』本文上巻㉑~国生み(8)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻㉒~神生み(1)~をご紹介する予定です。



ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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