いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻⑱~国生み(5)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』本文上巻⑱~国生み(5)~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
そんなわけで、筑紫國(つくしのくに)は白日別(しらひわけ)と言います。
豐國(とよのくに)を豐日別(とよひわけ)と言います。
肥國(ひのくに)を建日向日豐久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と言います。
(註:【久】自(よ)り【泥】に至るは音を以(もち)いる)
熊曾國(くまそのくに)を建日別(たけひわけ)と言います。
(註:【曾】の字は音読みで読んで下さい)

前回は九州の誕生について語られました。
この後も次々と島が生まれます。
それにしても淡々と書き綴られていくだけで、エピソード等が全く登場しません。
これは何故なのか…?
私の印象だと、【大和朝廷の勢力範囲外だったから分からなかった】ではないか?と。
正直、古事記には「この話必要か?」と首をかしげるお話も存在しています。
でもこれらの話の背景にはほぼ【統治の正当性】が絡んでいます。
逆に言えば【統治の正当性】が絡まない話は、仮に知っていたとしても書く必要が無いのでしょう。
そう考えれば【大和朝廷の勢力範囲外】に、大和朝廷の都合のいい話が転がっている訳も無く、「その土地の記載が無い=その土地は朝廷側に都合の良い話は無かったから=その土地は朝廷の勢力範囲外地域だった」という仮説も十分成り立つと思います。
こうした視点で見ていくのも面白いと思います。


『古事記』本文上巻⑱~国生み(5)~

【原文と読み方】
【原文】
次生 伊伎嶋 亦名謂 天比登都柱
(自比至都以音訓天如天)
次生 津嶋 亦名謂 天之狹手依比賣
次生 佐度嶋
次生 大倭豐秋津嶋 亦名謂 天御虛空豐秋津根別

【読み方】
次に伊岐(いきの)島を生みたまひき 亦(また)の名は天比登都柱(あめひとつはしら)と謂(い)う
(【比】自(よ)り【都】に至るは音を以いる 【天】を訓むは天(あま)の如し)
次に津島(つしま)を生みたまひき 亦(また)の名は天之狹手依比賣(あめのさでよりひめ)と謂(い)う
次に佐渡(さどの)島を生みたまひき
次に大倭豐秋津(おほやまととよあきつ)島を生みたまひき
亦(また)の名は天御虚空豐秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)と謂(い)う

【訳】
次に伊岐島(いきのしま)がお生まれになりました。
伊岐島は、またの名を天比登都柱(あまひとつはしら)とも言います。
(註:天比登都柱の【比】から【都】まで(「比登都柱」の部分の事)は音読みで読んで下さい)
(註:天比登都柱の【天】は「天(あま)」と読みます)
次に津島(つしま=対馬)がお生まれになりました。
次に佐渡島(さどのしま)がお生まれになりました。
次に大倭豐秋津島(おほやまととよあきつしま)がお生まれになりました。
大倭豐秋津島は、またの名を天御虚空豐秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)とも言います。



【解説】
今回訳は簡単です。
ちょっと難しいのは太安万侶の注釈の【天比登都柱(自比至都以音訓天如天)】の部分かな?と思います。

「天比登都柱」の読み方を説明した注釈なのですが、(自比至都以音訓天如天)を訳さなくてはこの文を読むことは出来ません。

まず「自比至都以音」は…
「【比】自(よ)り【都】に至るは音を以(もち)いる」
つまり「天比登都柱の【比】から【都】まで(「比登都柱」の部分の事)は音読みで読んで下さい」と言っているのです。

次に「訓天如天」ですが、これは初めての注釈ですね(多分...)。
これは「【天】を訓むは天(あま)の如し」だと思います。
つまり「天比登都柱の【天】は【天(あま)】と読みます」でしょう。

ですから「天比登都柱」は「【天(あま)】+【比登都の音読み(ひとつ)】で「あまひとつはしら」となります。

今回も少し疑問点があるので、下にまとめてみました。

1.島に【またの名】があったり、無かったりするのは何故なのか?

→ここまで登場した島の別称のパターンを見てみましょう。

①「比古」と男の名が付いている
②「比賣(ひめ)」と女の名が付いている
③「別(わけ)」と地方を表わす名が付いている
④太安万侶の注釈で音読みが指示されている
⑤別称が無い島もある
...です。

私の個人的な解釈で言えば...
①②は「朝廷が名を付けることが出来た」つまり「大和政権の勢力範囲内」の地域だった

③「大和政権の勢力範囲外」を「別=地方」と表現した

④太安万侶は古事記の序文で「上古之時 言意並朴 敷文構句 於字即難」➩「古い時代の言葉は、現在とは意味が異なっていたり、また既に使わなくなった言葉であったりしたので、これを文字化して区切り、文章を書くことはとても難しい」と言っています。
(※詳しくは、いもみの日記『古事記』序文㉓太安万侶からの注意点(1)「於字即難」をご覧ください<(_ _)>)
つまり「太安万侶の注釈で音読みを指示されている文字の言葉」は、「現在とは意味が異なっていたり、また既に使わなくなった言葉」のことであり、イコール【古い時代の言葉】なのでしょう。

⑤これも④と同じになるのですが、同じく序文で「或一事之内 全以訓錄」➩「また場合によっては訓読みだけを用いた文もあります」と言っています。
【音読みの指示は古代の言葉が読めない】から付いています。
という事は音読みの指示が無いのなら、そこは現代の言葉(と言っても古事記編纂の712年の頃ですが)だから注釈無くても読めるでしょ?意味分かるでしょ??の筈です。
つまり「訓読みだけを用いた文」とは【現代語の言葉】という意味でしょう。

となると、こういう仮説はいかがでしょうか?
島に【またの名】があったり、無かったりするのは、①~③で...
大和政権の勢力範囲内の場合、「またの名」がある
④⑤で...
太安万侶の注釈で音読みを指示されている文字の言葉➩古代文字だから現代人には読めない➩読めるように音読みにした➩なので古代の地名と、現代語の地名の2つがあった➩これが「またの名」だ
これの逆で...
太安万侶の注釈無し➩古代文字ではない=現在の地名と同一➩だから「またの名」が無い
※あくまで個人の感想です<(_ _)>

2.大倭豊秋津島の由来について

→大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)は日本の本州の事です。
何故こういう名前になったのでしょうか?
ちなみに「秋津」というのは「トンボ」の事を指すのだそうです。

名前の由来としては諸説あり、ハッキリしていませんが次の様な説があります。
①神武天皇が国土を一望して「トンボのようだ」と言った
②本州の形がトンボが交尾している姿に似ている
③本州にトンボが多かったから

う~ん...私はシックリきません...。
「本州の形がトンボに似ている」という感想は、この時代に日本列島の形を表わす地図が出来ていて、それを見なければ分からないはずです。

私が思うに「トンボは秋に飛んでる」➩「秋は実りと収穫の季節で食べ物が年間でも多い時期だ」➩「だからトンボは豊かさの象徴だ」➩「大倭豊秋津島は【この国は秋にトンボが飛んでいる光景が見られる豊かな島だ】」...ちょっと苦しいですが、「この国は豊かな国なんだよ」と言いたいのだと思います。
だって古事記は国の歴史書だし、良いこと書いておきたいはずだ...と、裏を読んだ推理をしてみました<(_ _)>

3.国生みの順番について

古事記におけるイザナギとイザナミによる国生みの順番は以下の通りです。

①淡路島(淡道之穗之狹別嶋)
②四国(伊豫之名嶋)
③隠岐島(隱伎之子嶋)
④九州(筑嶋)
⑤壱岐島(伎嶋)
⑥対馬(津嶋)
⑦佐渡(佐度嶋)
⑧本州(大豊秋津島)

赤字で示したのは数字です。
国生みの順番は、この様に中途半端な語呂合わせの様になっているんですよね。
※「紫」=4、「伊」=5(五つのイ、です)、「倭」=8(まと)です。

ちなみに日本書記にも国生みはあるんですけど順番などは大きく異なります。

【日本書記の国生み】
①淡路島
②本州
③四国
④九州
⑤壱岐島
⑥佐渡
⑦北陸道
⑧屋代島
⑨児島半島
...です。
あれ?対馬と隠岐島は…?

この順番の差異や、島が違うのは何故なのか良く分かりませんが、古事記に対し日本書記では日本海側が登場します。
これは日本海側に強力な国家・勢力があったのかもしれません。
う~ん...例えば出雲の勢力とかに気を使ったんですかね…??

ところで北海道はどうしたの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この時代では日本の最北端は東方地方(会津)までなんですね。

以上で『古事記』本文上巻⑱~国生み(5)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻⑲~国生み(6)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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