こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』本文上巻⑪~柱を廻って結婚する(4)~』のご紹介です。
こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。
(註:「阿那邇夜志 愛袁登古袁」の10文字は音読みで読んで下さい)
(註:【愛】の字は上声で発音して下さい)
そして「貴女は柱の右から進んでください。私は柱の左から進みます」と約束して、柱をまわって進み二人は出会います。
出会った時に、先にイザナミがイザナギに言いました。
「あぁ…なんて素敵な殿方なんでしょうか…♥」
それを受けてイザナギも『あぁ…なんて素敵な女性なんだろう…♥』と後から言いました。
(註:【愛】の字は上声で発音して下さい)
前回で柱をまわって結婚しました。
この結果、早速彼らの子供(?)が生まれるのですが…。
ここまでのお話がなんか普通ではないので、薄々感づいている読者様もいるかもしれませんね。
そうなんです。
この後もヤバいお話が続くのです。
『古事記』本文上巻⑪~柱を廻って結婚する(4)~
各言竟之後 告其妹曰 女人 先言不良
雖然 久美度邇(此四字以音)興而生子
水蛭子 此子者 入葦船而 流去
次生淡嶋 是亦 不入子之例
【読み方】
各(おのおの)言い竟(おえた)後に、其(そ)の妹(いも)に告(つ)げ曰(のたま)いしく「女人(にょにん)先(さき)だち言へるは良からず」
然(しか)れども久美度邇(くみどに)興(おこ)して子を生みたまひき
(此の四字は音を以いる)
水蛭子(ひるこ)、此の子は葦船(あしぶね)に入れて流し去りき
次に淡嶋(あわしま)を生みたまいき是(これ)も亦(また)子之例に入らず
そうしたモヤモヤ感が残りましたが、二人は寝床を組んで契りを交わし、子が生まれました。
(註:「久美度邇」の4字は音読みで読んで下さい)
こうして生まれた最初の神である水蛭子(ひるこ)ですが、蛭の様にグニャグニャで手足が無い不具の子であったため、イザナギとイザナミは葦で作った船に入れて(川か海に)流してしまいました。
続いて第2子である淡嶋(あわしま)が誕生しましたが、泡みたいにブクブク状態のやはり不具の子であったため、イザナギとイザナミは子として認めることが出来ませんでした。
「竟」は昨日も出ましたね。
「お(わる)、つい(に)」と読み、「おわる、おえる」という意味です。
ですから「各言竟之後」は「各々言い終わった後」という意味でしょう。
「告其妹曰」は「其(そ)の妹に告(つ)げ曰(のたま)いしく」ですかね…。
「妹(イザナミ)に告げて言った~」で良いと思います。
「女人 先言不良」は簡単ですね。
「女の人が先に言ったのは良くない」でしょう。
なにが「先」かというと、前文の「あぁ…なんて素敵な殿方なんでしょうか…♥」『あぁ…なんて素敵な女性なんだろう…♥』という、あのやり取りの事です。
このセリフをイザナミが先に言ったのは良くない、ということです。
何故か??
この理由はちょっと後に語られますので、ここのやり取りは覚えておいてくださいね。
ここは「それぞれ言い終えた後に、イザナギは妹神のイザナミに『女性が先に結婚の誓い(プロポーズ)を言うのは良くないよね』と言いました」と訳しました。
・雖然 久美度邇(此四字以音)興而生子
「雖」は「(~と)いえども」です。
逆接の条件を表わす言葉で、強いてわかりやすく訳すとしたら「ではあるけれど」みたいな感じでしょうか。
ですので「雖然」は「然(しか)れども」と読んでみました。
「そうではあるけれど(~した)」というニュアンスで良いと思います。
「久美度邇(此四字以音)興而」はまたまた太安万侶の注釈が付いていますね。
【久美度邇】の4字は音読みにして、と言っています。
音読みしますと【久美度邇】➩【くみどに】
【くみどに】の考察について
またしても難解な言葉が登場してしまいました…。
なんだ、【くみどに】って?
ヒントはあります。
この【くみどに】の前後の文から、この言葉の意味を探ってみましょう。
雖然 久美度邇(此四字以音)興而生子
え~と…まず
①「あぁ…なんて素敵な殿方・女性なんでしょうか…♥」というやり取りがありました。
⇩
②「イザナミが先に言ったのは良くない」とイザナギが言い出します。
⇩
③「そうではあるけれど【くみどに(久美度邇)】を興した。
⇩
④そしたら子が生まれた
つまり結婚~子作りの間の出来事を表わす言葉の様です。
しかし結婚については既に別の言葉で表現されていますので、子作りを表わす言葉なんでしょう。
私のイメージでなのですが、これは【くみどに=組み床】じゃないかな~と。
イザナギとイザナミは「柱をまわって出会ったところで契りをかわそう」と発言しています。
ですから出会った場所=子作りするための場所、になると思います。
しかし柱の先に、しかも二人が出会った先に都合よく「たまたまベッドがあった~😄」なんて不自然すぎます。
ですから、寝所を作った=寝床を組んだ=組み床=くみどに、じゃないの?と思います。
「くみどに」の「に」は意味が分かりませんが、これ以上頭をひねっても思い浮かばなかったので、ややモヤモヤしますがこれで行きたいと思います!
以上【くみどに】の考察についてでした<(_ _)>
「雖然」の「そうではあるけれど~」は「心残り」的な意味だと思うので、
「そうしたモヤモヤ感が残りましたが、二人は寝床を組んで契りを交わし、子が生まれました」という感じで訳しました。
・水蛭子 此子者 入葦船而 流去
「水蛭子」は「ひるこ」と読みます。
イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神です。
「此子者 入葦船而 流去」はサラッと書かれていますが訳すと、実に怖ろしい文面です。
➩「此の子は葦船(あしぶね)に入れて流し去りき」
➩「この子(水蛭子)は葦で作った船に入れて(川か海に)流してしまいました」です。
「…えっ?」って思う内容です。
なんで生まれた子を葦船に入れて流してしまうのか...?
その理由は、このあとすぐに語られます。
まぁその理由もかなり酷いのですが…。
①水蛭子について
②何故流されてしまったのか
は、この後登場する淡島(あわしま)と一緒に説明したいと思います。
葦船について
ここで登場した葦船については少し補足しておこうと思います。
【葦(あし)】は水辺に生えるイネ科の多年草です。
古事記でも登場していることからも分かるように古代から人々の生活に深く関係してきた植物で、刈り取った葦を家の屋根や壁に利用したり、燃料や肥料としても活用されてきました。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、幾つか【葦にまつわるエピソード】をご紹介しましょう。
①秀吉に見いだされ、関ヶ原で徳川家康と天下分け目の戦いに挑んだ石田三成。
彼がまだ小身であった頃、秀吉から石高を上げてやろうと言われました。
武士ならば、誰もが欲しがる石高。
自分の領土が増えれば、養える兵士の数も増え、それだけ立身出世しやすくなります。
しかし、この時三成は断るのです。
その代わり、秀吉に対し「川の河原に生えている葦(あし)を刈る権利をください」と言います。
「おかしなことを言う奴だ」と秀吉は思いましたが、三成の好きにさせることにしました。
後日、合戦がありました。
すると秀吉のもとに、ひと際立派な装備をした軍勢が現れます。
「あれは誰の軍勢か?」と訊ねる秀吉に「石田三成の軍勢です」との答え。
石田三成は、葦はすだれや屋根・戸の材料に使えること、需要が高いこと、それを京都などに運べば大きな利益が出ることを知っていたのです。
②「宇宙の無限と永遠に対し、自己の弱小と絶対の孤独に驚き、大自然に比べると人間は一茎の葦のようなもので、最も弱い存在である。しかし、人間は単なる葦でなく『考える葦である』」
これは、フランスの哲学者パスカルの言葉です。
私の高校時代の先生が好んでよく使っていました。
「君達は考える葦だ、では考えない葦は何だろう?それはただの葦だ」
この様に葦は古代から日本だけでなく世界中で汎用性の高い植物でした。
葦を使った船は現代でも使われています。
聞いた話では、子供2人くらいなら全然平気だそうですよ?
古事記の中で登場する【葦】。
その歴史や背景を知っておくと面白いかな~と思って、少し脱線しました。
なお、これまで見つかった一番古い葦船は、7000年前のものだとか...場所は中東らしいですよ。
以上【葦船について】の考察でした<(_ _)>
・次生淡嶋 是亦 不入子之例
この文は、読めばおおよその意味が分かると思います。
読んでみましょう。
➩「次に淡嶋(あわしま)を生みたまいき是(これ)も亦(また)子之例に入らず」で良いと思います。
これは前文で登場したイザナギとイザナミの初めての神である水蛭子(ひるこ)と、次に生まれた淡嶋(あわしま)は、イザナギとイザナミの子に入らない、カウントされない...という意味なのです。
つまりイザナギとイザナミは、水蛭子と淡嶋を自らの子として認めなかったばかりか、あろうことか川(海?)に流してしまうのです。
こんな親いる??
いくら神様とはいえ、こんな事が許されるのでしょうか…?
これが人間社会であれば...いいえ、考えるのはやめます、古代の話だし。相手神様だし。
さて、ここで幾つか疑問が出てきます。
そこで水蛭子と淡嶋についての疑問点などを簡単にまとめてみました。
水蛭子と淡嶋について
①水蛭子と淡嶋は共に神様
→私は見落としていたのですが…神様なんですよ。
②何故流されてしまったのか?
→明日以降ご紹介する文に理由が出ています。
先に書いてしまいますね、流されてしまった理由はたった1文で…
【今吾所 生之子不良】(我が生める子良くあらず)
...とあります。
訳すと【今私達が生んだ子は良くない】です。
「良くない」というのは要するに「不具の子」だったからです。
古事記には容姿についてハッキリ書かれているわけではありませんが、大体次の様なイメージであるようです。
水蛭子➩蛭の様にグニャグニャで手足が無い
淡嶋 ➩泡みたいにブクブク状態
でもいくら不具の子とはいえ、流してしまうなんて酷い...。
③何故不具の子が生まれてしまったのか?
→こちらも明日以降ご紹介する文に理由が出ています。
この解説は次回にしますが、一言で書くと【結婚の儀式を間違えたから】です。
ですから、親が間違えた➩不具の子が生まれてしまった➩「生んだ子は良くない」と言って葦船で流す...という順番です。
誰がいけないのかは明白です。
ですが古事記だけでなく、世界の神話でも神様の失敗談は語られています。
神様も失敗する時もあるんだよ…としておかないと、辻褄が合わなかったりすることがあるからなのでしょう。
④流された水蛭子と淡嶋はどうなったのか?
→こちらも古事記に書かれていないのですが一説として次の様なお話があります。
・流された水蛭子
→摂津国(大阪北西部・兵庫県あたり)に流れ着いて海を領する神になった。
・流された淡嶋
→淡島神と同一視され、安産などのご利益があるとされる。
この様に流されてしまった水蛭子と淡嶋ですが、流れ着いた先で丁重にされている印象です。
客人神(まろうどがみ)という信仰があります。
これはその土着の氏神の力を、外から来た神のもつ霊力がより一層強くしてくれるという信仰です。
流れ着いた2神もこの様に丁重に扱われたのだとしたら、嬉しいですね♪
以上、【水蛭子と淡嶋について】でした<(_ _)>
以上で『古事記』本文上巻⑪~柱を廻って結婚する(4)~のご紹介はおしまいです。
次回は『古事記』本文上巻⑫~天の神様に相談する~をご紹介する予定です。
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ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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