いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』序文⑩~壬申の乱~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『『古事記』序文⑩~壬申の乱~』のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。


【前回のあらすじ】
しかしながら、まだ機が熟していなかったので、天智天皇からの皇位継承の打診を辞退して出家し吉野で隠棲しました。
やがて、不破道(ふわのみち)以東を抑えた天武天皇のもとに軍勢が揃い、虎が翼を得たごとく進軍を開始しました。

大海人皇子(天武天皇)がついに挙兵し、進軍を開始。
今回は、壬申の乱の大友皇子の近江朝廷側との戦いから勝利をおさめる所までが描かれています。
挙兵に至るまでの時代背景についても前回、ご紹介しました。
そこで今回は本文をご紹介する前に、壬申の乱が挙兵以降どのように推移したかを簡単に説明しておこうと思います。

【壬申の乱・大海人皇子の挙兵後】
天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天皇の嫡男・大友皇子と天皇の弟・大海人皇子が対立します。
大海人皇子は兄の天智天皇からの皇位継承の打診を辞退し吉野に入り隠棲、豪族らと通じて戦の準備を進めていました。
そして大海人皇子は、わずかな従者と共に私領のあった美濃へ向かい挙兵します。

※以下は旧暦ではありません。
・672年1月7日 天智天皇が崩御(46歳)
→大友皇子が後継者としてその跡を継ぐ
・7月24日 大海人皇子が吉野を出立
→伊賀と伊勢国(三重県)で兵を得て、美濃に向かう
・7月31日 大和と近江の二方面へ進軍開始
→東西の要所であった不破の道を封鎖し東海道・東山道の兵を動員
→大友皇子側も同日美濃に向けて進撃を開始
・8月8日 近江国北東部・息長(おきなが)で戦端を開く
→以後、大海人皇子側の連戦連勝となる
・8月20日 瀬田橋の戦い
→大友皇子側の近江朝廷軍が大敗
・8月21日 大友皇子自害
→壬申の乱終息
・673年2月 大海人皇子即位し、天武天皇誕生
…といった流れとなります。
では本文に戻ります。

『古事記』序文⑩~壬申の乱~

【原文と読み方】
【原文】
皇輿忽駕。凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛擧威。猛士烟起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。

【読み方】
皇輿たちまち駕して、山川を凌ぎ渡り、六師(りくし)雷震(らいしん)のごとく、三軍(さんぐん)電のごとく逝きき。杖と矛威を擧(あ)げて、猛士烟のごとく起り、絳(あか)き旗兵を耀かして、凶徒瓦のごとく解けぬ。

【訳】
天武天皇(大海人皇子)は車駕(しゃが)の用意を待たずに進撃を開始しました。
やがて車駕(しゃが)の用意が間に合ったので、それに乗り換えて山川を進軍しました。
天武天皇(大海人皇子)の率いる軍団は雷鳴の如く威勢があり、(配下の諸侯の軍も)雷のごとく迅速に進撃しました。
赤の軍装の味方の軍の兵達は猛々しく、刀槍を高く掲げて士気高く、戦場で躍動し、そして大友皇子の近江朝廷軍は敗れたのです。


【解説】
皇輿忽駕。凌渡山川。
「皇」はここでは「大海人皇子」もしくは「天武天皇」の事でしょう。
「輿」は「こし、くるま」の意味ですね。
「忽」は読みも意味も「たちまち、にわかに」です。
「駕」は読みも意味も「のりもの」です。
なお「天子が行幸の際に乗る車」を「車駕(しゃが)」と言います。
ここでは「駕=車駕(しゃが)」と訳すことにします。
「凌」は「しの(ぐ)」と読み「しのぐ、越える」の意味です。

直訳すると「天武天皇(大海人皇子)はたちまち車に乗って山を越え、川を渡った」でしょうか。
「なに?たちまち車に乗るって??」となっちゃいますが、壬申の乱で大海人皇子がいざ出陣と言う時、車駕の用意が間に合わず馬に跨った、という事があります。
それで慌てて家臣が車駕を用意して…という流れだった様なので、「天武天皇(大海人皇子)は車駕(しゃが)の用意を待たずに進撃を開始しました。やがて車駕(しゃが)の用意が間に合ったので、それに乗り換えて山川を進軍しました」と訳しました。


六師雷震。三軍電逝。
「六師」は「りくし」と読みます。
「天子・天皇の率いる軍隊」と言う意味です。
中国の軍制で、王様の統率する六つの軍団を六軍(りくぐん)と言い、ここから来ています。
ちなみに「一軍は12500人」ですが、ここは「大軍」を表していると思います。
「雷震」は「らいしん」と読みます。
「雷鳴がとどろく」と言う意味です。ここでは進軍の様子を表しているのでしょう。
「三軍」はそのまま「さんぐん」と読みます。
上の「六師(りくし)」と何が違うの?となりますが、「三軍」は「諸侯の軍」の意味です。
「一軍は12500人」というのも同じです。
ここも「大軍」を表しているのでしょう。
「電逝」は「雷の様に速く行く」という意味でしょう。
進軍が早いことを表現していると思います。

そんな訳で「天武天皇(大海人皇子)の率いる軍団は雷鳴の如く威勢があり、(配下の諸侯の軍も)雷のごとく迅速に進撃した」と訳してみました。


杖矛擧威。猛士烟起。
「矛」は「ほこ」と読みます。「武器」ですね。
「擧」は「挙」です。「あげる、高く持ち上げる」と言う意味があります。
「猛」は「たけだけしい、荒々しい」の意味です。
「士」は「兵士」ですね。
「烟起」ですが…「煙に立つ」って意味分かりません。
戦争に関わる煙?…狼煙?行軍の時の土煙??なんかシックリきません。
そこで前後の文脈と、漫画【キングダム】での戦闘シーンの順を追ってみました。
果たして「烟起」はどの部分に該当するのかしら...?
まず、文脈ですと①進軍してます→②武器持ってます→③猛々しい兵士が「烟起」してます→④この後敵を撃破したこと、が書かれています。
次に【キングダム】。①と②は同じです…で兵士が次何してるかと言うと③兵士は「陣形作って、士気揚げて」ました!で、④戦闘してます。

つまり③「烟起」は「陣形作って、士気揚げて」ってことじゃないかしら?
確かに陣形作って軍が動けば「土埃」たつし、「起」って「士気」があがった感じかしら?
…と考えて「兵達は猛々しく、刀槍を高く掲げて士気高く」と訳しました。


絳旗耀兵。凶徒瓦解。
「絳」は「赤」という意味です。
「耀」は「輝く」と言う意味です。
「凶徒」は「謀反人、悪者」の意味で、ここでは「大友皇子側の近江朝廷軍」の事でしょう。
「瓦解」は「一部の乱れ、破れが広がり全体が壊れること」です。

直訳すると「兵は赤い旗で輝き、大友皇子側の近江朝廷軍は崩れた」です。
「赤い旗って?」と思って調べてみたら、『味方の軍と、近江朝廷軍と見分けがつかないから、味方に赤い服(鎧?)を着せた』みたいなことが書いてあったので、味方の旗は赤かったのでしょう。
「旗が輝いた」のは「戦場で赤が目立った→躍動した」というニュアンスで訳してみました。
なので「赤の軍装の味方の軍は戦場で躍動し、大友皇子の近江朝廷軍は敗れた」と訳しました。

【キングダム】面白いし、役立つな~。

以上で『古事記』序文⑩~壬申の乱~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』序文⑪~天武天皇の即位~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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