いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』について

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は『古事記』のお話ですよ~。
いきなり本文に入っても理解しづらいので、本日は世界観などをご紹介します。

こんばんは、いもみの相棒のアキです。
主に解説を担当しています。
ちなみにノーギャラです。
今夜は『古事記』の概要について説明しています。

『古事記』について

『古事記』とは何?という事については、その序文にほぼ書かれています。

序文の原文「於是天皇詔之。」(訳:ここにおいて天武天皇の仰せられた)から始まる部分に、成立までの経緯が要約されています。

天武天皇(※一部省略・意訳しています)
『私の聞くところによれば、各地で伝わっている帝紀と本辞とに多くの偽りがあるということだ。
今の時代にその間違いを正さなかったら、数年もたたないうちに、その真実が失われてしまうだろう。
これは国家組織の要素であり、天皇の指導の基本である。
そこで各地の帝紀と本辞を調べて、正しい歴史を取りまとめ記して、この国の正しい歴史を後世に伝えたいと思う』

つまり各地に伝わっている歴史書(帝紀と本辞)にそれぞれ食い違いがあるため、このままではこの国の歴史や成り立ちがおかしくなるので、諸家(各地方の国や家)に伝わっている歴史書を整理して、この国の正しい歴史・系譜・物語を整理して後世に伝えよう...という国家プロジェクトだったのです。

そこで天武天皇は、稗田阿礼(ひえだのあれ)という記憶力に優れた者に帝紀と本辞を正しく選定しなおして、覚えさせたと言います。
これが681年ごろと考えられています。
しかし、この編纂事業は天武天皇崩御によって一時中断…。

再開されたのは30年後の711年9月18日。
43代・元明天皇太 安万侶(おおの やすまろ)に稗田阿礼が覚えた帝紀と本辞を書きとらせ、この歴史書事業は再び動き出すのです。

序文の最後には「和銅五年正月廿八日。(中略)太朝臣安萬侶謹上。」(訳:和銅5年(712年)1月28日太安万侶が謹んで献上いたします)で結ばれ、『古事記』が始まります。

稗田阿礼(ひえだのあれ)

生没年不詳で、実在性も定かでない人物です。
「古事記の編纂者の一人」ということ以外はほとんどわかっていません。 

古事記の序文で「一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。...」として登場します。
「聡明で、目にしたものは即座に言葉にすることができ、耳にしたものは心に留めて忘れることはなかった」と記憶力に優れていたとされます。
「舎人」とは「天皇の側仕え」という感じですね。
天武天皇にその記憶力を見込まれ、天皇が正しく選定した帝紀と旧辞を覚えるよう命じられた人物です。
いくら記憶力に優れたとは言え、「語り伝えを覚えさせた」って凄いですね…。

太 安万侶(おおの やすまろ)

711年9月18日、元明天皇から稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられ、712年(和銅5)年1月28日に『古事記』として元明天皇に献上しました。

太 安万侶は8年後の『日本書紀』の編纂にも加わったとされます。
驚いたことに彼のお墓があります。
墓誌には太 安万侶が養老7年7月6日に亡くなったこと、位階が従四位下だったことなどの記載があるそうです。

『古事記』は紀伝体の書

紀伝体とは歴史書の【書式】の一つです。

「紀伝」とは...
①本紀(ほんぎ)
→皇帝・王など支配者に関する出来事を年ごとに記述したもの
②列伝(れつでん)
→家臣や官僚など個々の人物の一生を記述したもの
…の「本」と「列」に由来しています。

この様に「紀伝体」は、国の支配者とその家臣の人物の出来事をまとめている為、国の有り様やその人物像などが理解しやすい記述形式と言えます。
『古事記』は国の成り立ちを正しく伝えるべく、【歴代天皇の系譜である帝紀】と【神々の物語である旧辞(本辞)】をまとめた書なので、紀伝体の書となります。
また時系列の様に【年代順に起こった出来事を並べていく記述形式を編年体】と言って、こっちの方が流れが理解しやすいのですが『古事記』には年代の記述が基本出てきません。

帝紀

『帝皇日継』(ていおうのひつぎ)の略です。
古事記以前にあったと考えられている歴史書です。
主に「歴代天皇の系譜と歴史」が書かれていたと思われます。

本辞

『先代旧辞』(せんだいのくじ)の略です。『旧辞』とも。
古事記以前にあったと考えられている歴史書です。
いわゆる「神々の物語」が書かれていたと思われます。

成立の背景と目的

もともと『古事記』は、【日本が神々によって創られた国であり、その統治を天皇一族に委ねた】というお話であり、【神話・伝承を用いて天皇が神々の子孫と示す事で、天皇の正当性と権威を高めること】を目的とした、当時の大和朝廷による国家的プロジェクトであったようです。

歴史書『古事記』が必要になった

何故、このタイミングで『古事記』を作ろうと思ったのかな?

壬申の乱(672年7月24日~8月21日)が背景にあったと思うわ。
『古事記』の成立は712年なんだけど、発案は神武天皇の時代(681年頃のようです)なの。

「壬申の乱」って、神武天皇(大海人皇子)が大友皇子と後継者争いをした戦いだよね?

そうそう。
壬申の乱について詳しい説明は省くけど、これは【古代日本での最大の内乱】であると同時に、【大海人皇子(天武天皇)が兵を挙げたいわゆる反乱】なのよ。だから、勝利したとはいえ【後継者としての正当性の証明と権威回復が急務だった】とされるわけ。

つまり、国内政治の混乱を治める目的があった、と。

おそらくね。
壬申の乱の前には白村江の戦での敗戦もあって、当時の国内は相当混乱していたと思うから、【国としての歴史書】が必要になったんじゃないかな?

『古事記』成立までの年表

・663年10月  白村江の敗戦
・672年1月   天智天皇が崩御
・672年7月24日~8月21日 
 壬申の乱(大海人皇子勝利→天武天皇に)
・681年ごろ?  天武天皇が『古事記』の編纂を始める
・711年9月18日 言明天皇が太安万侶に編纂を命じる
・712年1月28日 太安万侶が元明天皇に献上

日本最古の歴史書

一般に日本最古の歴史書であるとされています。
成立は、編纂者の太安万侶が元明天皇に献上した和銅5年正月28日(712年3月9日)

『古事記』より古い書物

『古事記』より古い書物って無いの?

現存していない以上断言できないけど、「あった」と考える方が妥当だと思うわ。
『古事記』だって序文に「帝紀」「本辞」「帝皇日継(すめらみことのひつぎ)」などから引用した様な事が書いてあるしね。
地方にも目を向ければ『古事記』より古い書物はあったはずよ。

そう言えば昔、書店から古い本が見つかったって聞いた気がするわ。

「秀真伝(ホツマツタエ)」のことかしら?
真偽は分からないけれど、漢字以前の古代日本文字「神代文字」で書かれているなんてロマンを感じちゃうよね。
古史古伝と言われるものは、【神武天皇以前が記載される・神代文字が使用される・出雲や東北など地方の事が書かれている】なんて共通点があると思うわ。

何で『古事記』以外は無くなっちゃったのかな?

上の【成立の背景と目的】でも言ったけど、皇位継承の正当性の証明が必要だったわけだから、正当性の証明に邪魔なものは必要ないわよね...。

つまり、焚書坑儒的な…?

そういう側面もあるかも、ってことよ。
歴史編纂の目的で、大和朝廷が地方に伝わる歴史書を集めさせた、ということはあったかもしれないわ。
『古事記』は「この国の正しい歴史を後世に伝える」ために「諸国に伝わる歴史書の食い違いを整理して、取りまとめた」ものだから...日本の正史として歴史・真実と食い違ったものは排除した…という事だと思うわ。

そうなのかな...?

大和朝廷に都合のいい話ばかり集めた訳ではないと思うわ。
例えば『古事記』には「ヤマタノオロチ」とか「因幡の白兎」の【出雲王朝の物語が多く登場している】しね。
言い換えれば、【出雲王朝の物語の多くは歴史書として食い違いは無いと判断されたから『古事記』に載っている】ともいえるでしょ?

「秀真伝(ホツマツタエ)」のような古史古伝が、まだどこかにあるかもしれないね。

内容と構成について

古事記は上・中・下の3巻からなっています。
読み方は「上巻」だと「じょうかん」ではなくて「かみつまき」と読みます。

【上巻(かみつまき)】

天地開闢(「てんちかいびゃく」と読みます。「天地の始まり」の意味です)から日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)以前を記しています。

天地開闢→日本列島の形成→三貴子の誕生→オオクニヌシの国造り・国譲り→天孫降臨→カムヤマトイワレヒコ(神武天皇です)の誕生までが書かれています。
ちなみに日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)は神武天皇のお父さんです。
ほぼ神話です。

【中巻(なかつまき)】

初代・神武天皇から15代・応神天皇までが書かれています。
とは言え、2代・綏靖天皇~9代・開化天皇までは系譜などの記述のみです欠史八代と呼ばれます)
神武東征→オウス(ヤマトタケル)の征西・東征→神功皇后の新羅遠征などが書かれています。

神々の時代から人の時代になっていきます。
ちなみに初代・神武天皇=神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)
15代・応神天皇=品蛇和氣命(ほむだわけのみこと)
…と漢字が多くて頭が痛くなります。

【下巻(しもつまき)】

16代・仁徳天皇から33代・推古天皇までが書かれています。
中巻同様、またしても24代・仁賢天皇~33代・推古天皇までは系譜などの記述のみ…。
これは、「(当時)時代が近く誰でも知っているからイチイチ細かく説明しなくてもいいだろう…」という事の様です。

いやいや…そこは書こうよ…。

太安万侶が元明天皇に献上する締め切りが間に合わなかったのかも…。
なんせ4か月しかなかったからね…。


『古事記』の注釈書

江戸時代の医者であり学者である本居宣長が『古事記』の注釈書である『古事記伝』(44巻あるそうです)をまとめていますが…。

『古事記伝』(44巻)まとめるの32年かかったそうですよ…。

マジ…?私達もそれくらいかかるんじゃ…?

…。

「命・尊(みこと)」って何?違いは??

神様の名前の最後に「命(~のみこと)」ってつくでしょ?あれってどういう意味なの??

簡単に言うと、「尊敬の意を表わす敬称」よ。
一般的に神様や身分の高い人に使用するの。
高貴な人が発する「御言 (みこと)」 の意味から来ている、とか言われているわ。

神社の御祭神が、同じ神様なのに「命」だったり「尊」なのは何で?

まず、前提から説明すると、古事記で登場する神様は全て「命」に統一されていて「尊」は一切使われていないの。
「尊」が使われているのは『日本書記』なのよ。

ふ~ん。

『日本書記』には「至りて導きを【尊】といい、自余そのほかを【命】という。並みな、美挙等みことと訓よむ」とあるの。
これを簡単に訳すると、
【尊】→天津神や皇室祖先の神々に用いられる
【命】→国津神といったその他の神々に用いられる

となるかしら。

ちょっと【尊】の方が偉いって感じなのかな。

確かに【尊】の方が、より上位の敬称というイメージよね。
でも厳密には「命」「尊」の使い分けはない、と思っていいんじゃないかな。

【尊】が使われている神様を教えて?

えっとね…
国常立尊(クニノトコタチノミコト)
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
月読尊(ツクヨミノミコト)
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)

…の6柱かな。
こうして並べてみると、いずれも神々の中でも特に重要な神様、って感じね(月読尊はほぼ登場しませんが…)。

『古事記』本文ではよく出てくる神様だね(月読尊はほぼ登場しないけど…)。

ちなみに、イザナギ・イザナミは序文最初は【伊邪那岐神・伊邪那美神と「神」の敬称で登場】するけど、天の神様に「国をしっかり固めよ」と命じられた所から、突然【伊邪那岐命・伊邪那美命と「命」の敬称に変わる】のよ。
こういう所も、注意しながら読んでみると面白いかもしれないわ。

※敬称が変わったのは、天津神の命令=ミコト(=御言=命)を賜ったから、と思われます('ω')ノ

天津神・国津神って何?

さっき出てきた「天津神・国津神」について教えて?

下に『古事記』の世界観についてまとめてあるから、そこを読んで欲しいんだけど、簡単に説明すると…
天津神(あまつかみ)→天(高天原)の神
国津神(くにつかみ)→地(葦原中国)の神

…ね。天津神・国津神の「津」は「~の」という意味よ。

【国譲り】で天(高天原)から地(葦原中国)に天下った神様は、天津神という扱い?それとも国津神になったということになるの??

天下った神様は、天津神よ。
元々いた(生まれた)世界が、天津神か国津神かを分けるポイントだと思うわ。
例外として思い浮かぶのはスサノオね
スサノオは元・天津神で、放逐されたのちは現・国津神扱いになるかな。


『古事記』の世界観について

基本的に「高天の原(たかまのはら)」「葦原の中津国(あしはらのなかつくに)」「黄泉の国(よみのくに)」この3つの国で成り立っています。

①高天の原

⇒天に位置する神々の国。
アマテラスが統治しています。

②葦原の中津国

⇒私たちが住んでいる国。
略して「中津国(なかつくに)」とも言います。
統治者は初めオオクニヌシが、次にアマテラスに譲られて、アマテラスの孫の二二ギに委任されています。

統治者について上ではサラッと書いていますが、国譲りの場面では【かなりすったもんだ】します。
なお、葦原の中つ国は「人間だけの国」ではなくて、「人と神々が暮らす国」というのがポイントです。

③黄泉の国

⇒死者の住む国。
統治者はヨモツオオカミです。

ヨモツオオカミは「黄泉津大神」と書きます。
「ツ」とは「~の」という意味で、「黄泉国の主宰神」という意味になります。
このヨモツオオカミは、イザナミが死後に改めた名前です。

④その他の国

⇒『古事記』にはこの他にも幾つか「国」が登場します。

例えば「夜の食国(おすくに)」「常世(とこよ)の国」などです。
これら【その他の国々】は、上記の3つの国のどこに属すのでしょうか?

「常世の国」なんて「スクナビコナが帰った地(故郷?)」くらいの描写しかないからね…。

「常世の国」...「とこよのくに」...「どこよ?そのくに?」って訳ね?

いや、それ違う(←真顔)。
この他にもスサノオがいた「根の堅州(ねのかたす)国」も、中つ国?黄泉の国?という状態よ。
これら【その他の国々に関しては、上記の3つの国のどこにも属していない国】という認識で良いと思うわ。

「不思議の国」はどこに属すの?

それは、アリス。

では、前置きが凄く長くなってしまいましたが、次回からそろそろ...いもみなりの『古事記』を書いていきたいと思います<(_ _)>

以上で『古事記』についてのご紹介はおしまいです。



ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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6時間くらいかかった...。

…。