いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

安産祈願で有名な「板橋不動尊」に行って来ました!

こんばんは、いもみ🍠です。


本日は、茨城県つくばみらい市板橋にあります『板橋不動尊』のご紹介です。

板橋不動尊は通称で、正式名は「清安山不動院願成寺」。
なので「不動院」や「板橋のお不動さん」とも呼ばれています。

約1200年の歴史を持つ真言宗豊山派に属する寺院で、関東三大不動尊の一つとも言われ、北関東三十六不動尊霊場の一つでもあります。

場所と駐車場について

↓場所はコチラです↓

駐車場は2カ所あって、それぞれかなり広いです。
駐車場入り口の看板もある(下の写真)のですが、ちょっと分かりずらく「え?ここから入るの?」って感じの入り口でした。
何と表現したらいいのか...ガードレールが無い所から入る?って感じです。

不動院のHPから地図をお借りしましたので併せて貼っておきますね。
上の写真と同じ所に赤い矢印が書いてあります。

駐車場はこんな感じで広いです♪

お手洗いは境内にありました(上記地図参照して下さいね)。

創建

大同年間(806~810年)

開山

弘法大師空海
板橋不動尊の御本尊【不動明王】は空海作と伝わっています。
この御本尊【不動明王】を安置する草庵を結んだのが起源とされています。

アキちゃんが言ってたのですが「不動明王は真言宗開祖の弘法大師(空海)が中国から持ち帰ってから始まったのよ('ω')ノ」なのだそうです

ご本尊

不動明王
国指定重要文化財【不動明王と両童子】
※本堂内は撮影禁止なので、板橋不動尊パンフレットから引用させて頂きました。

ご利益

求子安産、子どもの成長安全

板橋不動尊白犬について

⇒楼門をくぐると、板橋不動尊白犬の由来の説明書きがあります。
ちょっと要約してみますね。

板橋不動尊白犬の由来
『江戸の昔、山王新田(現つくばみらい市)で難産のため母子共に亡くなることが多く、身籠ることで人々は不安を覚える様になった。

ある夜、村の名主の夢枕に雌雄の白犬が現れ「我は板橋不動の使いなり。女人講中揃って不動尊に参詣し、護摩祈願を成せば、難産の苦しみを救わん」とのお告げがあった。

翌日、村人皆で不動尊に参詣・護摩祈願をし、一対の雌雄の白犬を奉納したところ、村人がその後難産で苦しむことが無くなった。

以後、板橋不動尊を出産安産の霊験あらたかな、別名「お犬不動尊」と呼ぶようになった』
…とのことです。

文中で出てきた「女人講」については過去記事で説明していますので、そちらをご覧ください<(_ _)>
↓女人講についてはコチラ↓
imomiquest.com

境内のご紹介

それでは、境内のご紹介です!
まずは入る所から。
歴史的建造物が立ち並ぶさまは圧巻でした!(゚∀゚)オォ...‼

朱塗りの楼門です。
左右の阿吽仁王像も鮮やかな朱塗りですね~。
1700年(元禄13年)建立と言われ、茨城県指定有形文化財になっています

楼門から右側にはこれまた茨城県指定有形文化財三重塔がそびえたっています!

この三重塔は1775年(安永4年)建立だそうです。
歴史もそうですが、とにかく凄いのはその綺麗な彫刻です( ゚Д゚)ス、スゴイ...
そして、とにかく下手なのは私たちの撮影能力です( ゚Д゚)ス、スゴイ...下手だ...
上手く撮れなくてスイマセン...<(_ _)>

続いて大本堂で参拝します。
まずは手水舎に...おや?龍の口にマスクが…水は出ないようです。

こちらが1737年(元文2年)建立大本堂です。
大本堂も茨城県指定有形文化財です!
板橋不動尊には江戸時代中期の建造物が非常に多いんです。

大本堂を横から撮影しました。
個人的にはコチラのアングルの方が好きかも(´ω`*)

扁額です。
「従五位 源頼救 書」と書いてありますね…源頼救?誰??ってことで調べてみたら、『松平頼救』という人物にヒットしました!

時代も江戸中期の人(1756~1830年)だし、場所も常陸国(茨城県)、官位も扁額と同じ従五位下だしってことで恐らくこの人物のようです。

常陸国宍戸藩の5代藩主。来孫は三島由紀夫ですって!

弘法大師空海上人の像が大本堂の前にあります。

お犬様がマスクしてます!可愛いですね!!カワ(・∀・)イイ!!

子安観音です。
『子供の成長安全を祈願する観音様です。お体をなでなでして一心に祈念し、お参りして下さい』と説明してありました。
私達はお子様ではありませんが、なでなでしてみました(´ω`*)

なお、子安観音が抱いているのは【子守りこんがら童子】と言って、お不動様の眷属の一人だそうです。
昔、この土地を治めていた藩主の松平公は世継ぎに恵まれませんでした。
そこで板橋安産不動を信仰・お祈りしたところ、男児が授かったといいます。
現在の板橋不動尊の大本堂は、そのお礼として寄進された...というお話があります('ω')ノ

参詣者休憩所もありますよ。
かなり大きくて、立派な休憩所です。

私の部屋の何倍かしら...?( ゚Д゚)デカイ...

六地蔵です。
後ろには閻魔様がいますね。

六地蔵と閻魔様の関係

なんでお地蔵さんは6体いるの?

仏教では、六道輪廻と言って「人は死後に六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどこかに転生する」っていう考えがあるの。
この六道の転生先の入り口に地蔵菩薩が待っていてくれるのよ
だから全部で6体あるの。

「地蔵菩薩が転生先の入り口で待っていてくれる」?

順序立てて話そっか。
死後の転生先は「地獄の十王」が決めるの。この十王の中で、裁判長的な役割を担っているのが閻魔大王よ。
この裁判長(閻魔大王)に対して、いわば弁護側の役割を担っているのが地蔵菩薩なの。

フムフム…地蔵菩薩が地獄から救ってくれるっていうお話はここから来てるんだね。

※ところで本来【人々を救済するのは仏様(釈迦牟尼仏=お釈迦様)】で、【お釈迦様の入滅後、次に人々を救済するのは弥勒菩薩】と言われています。

弥勒菩薩は、簡単に言うと【お釈迦様の次に仏様となることが約束された菩薩】です。
菩薩とは悟りを開く事が決まってるけれど、今は修行中の仏様。ちなみに 悟りを開いた仏様は如来といいます('ω')ノ

ところがここで問題があって、弥勒菩薩が悟りを開いてこの世界に現れ人々を救済するのは、お釈迦様入滅後56億7千万年後と言われているのです!!

56億7千万年の間は、救済無し?!

「それはキツイ!」ってことで、登場したのが地蔵菩薩なの。
地蔵菩薩は、弥勒菩薩が現れるまでのつなぎ的な役を担っているって訳よ。

※「地蔵菩薩が地獄に堕ちた罪人を救済する存在」と822年頃の『仏教説話集(日本霊異記)』にも記載があり、この時代から「地蔵菩薩は地獄から救ってくれる」という考え方があったようです('ω')ノ

地獄に落ちるって、凄く怖かったんだね。

だから地蔵信仰は凄く広がって行ったの。
地蔵菩薩と閻魔大王は実は同一人物とも言われるわ。
中国の大昔の経典にも「地蔵菩薩が閻魔大王」という記述があったそうよ。

裁判長(閻魔大王)と弁護側(地蔵菩薩)が同一人物なら、罪も免除されそうに思えるもんね!

※この「地蔵菩薩と閻魔大王は同一人物」ということも、地蔵菩薩が信仰されるようになった要因の一つとされていて、地蔵菩薩が六道の入り口で待ち、各道の救済をするという六地蔵信仰にも発展していったようです('ω')ノ

アキちゃんなら「地獄の十王」ならぬ「地獄の十一番目の王」になれそうだね?

いもみが六道のうち、どこに行くかは決まったのぅ...

板橋不動尊の御朱印

御朱印はご本堂近くの事務所ではなく、楼門近くの御礼所で頂くことが出来ます。

こちらが頂いた板橋不動尊の御朱印です。
字が力強いですね!


以上で『板橋不動尊』のご紹介はおしまいです。
多くの貴重な文化財を見ることが出来て、とても魅力的な寺院でした!

安産祈願で有名だとは知っていたのですが、実際に訪問し、見て、調べた事で曖昧な知識がシッカリした知識になった気がします(´ω`*)♪
私達が訪れたこの日も、赤ちゃんや小さなお子さんを連れたご夫婦が数多くお詣りに来ていましたよ!


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ

では、これよりいもみの転生先を決めるとする…!

厳正なる裁きを期待します!

スライムに決定じゃ!!

早ッ!

…という夢を見そうな気がする今日この頃でした!