いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

春日部の地名の由来である春日部八幡神社に行って来ました!

こんばんは、いもみ🍠です。


本日は、埼玉県春日部市にあります『春日部八幡神社』のご紹介です。
春日部駅や春日部市役所からも程近く、春日部市の中心に位置している感じの神社です。
敷地も広いですし、境内の鎮守の杜には多くの境内社があって、見て回ると1時間はかかるような立派な神社でした。
敷地は広いのですが清掃が行き届いていますし、巫女さんや清掃していた女性の方まで皆さん親切で、ホッコリさせて頂きました(´ω`*)ホッコリ
  
↓場所はコチラです↓

県道78号線(市役所通り)を進み、『八幡公園』を曲がった通りに駐車場への入り口がありました。
駐車場は25台ほど駐車出来ると思います。

私達が行った時は既に半分くらい埋まっていたので、行事などの日は電車の方が便利かもしれませんね。
電車だと、東武アーバンパークライン『八木崎駅』から徒歩5分とアクセスが良いです。
お手洗いは社務所の待合室にあります。隣の公園にもありました。
自販機もあります。

~創建~

不明です。
※鎌倉時代の元弘年間(1331〜1334年)ではないかとも伝えられているそうです。
春日部治部少輔時賢(※)が鶴岡八幡宮から勧請したことが始まりと伝えられています。

~春日部?粕壁??かすかべの由来について~

「春日部」と「粕壁」、どっち??

かつてこの辺りを拠点にした「春日部氏」を名乗る武家がいてね。
南北朝時代に新田義貞軍に入って、討幕に参加して戦功を挙げた春日部重行(春日部治部少輔時賢)が、この辺りの地頭に任命されたの。
この春日部氏が、春日部の市名の由来となってるわ。

※春日部氏は春日山田皇女の料地管理に携わっていたようです。春日部の名はこの春日山田皇女の名に由来する、という説もあります('ω')ノ
※「春日部重行」と「春日部治部少輔時賢」は、同一時期に春日部の地頭になっているため同一人物だと思われます。ちなみに「春日部治部少輔時賢」(治部少輔は官位です)の名は『太平記』に出てくる名です('ω')ノ

ふ~ん、「春日部」はこの辺りをおさめていた武家の春日部氏の名前に由来しているんだね!
じゃあ、「粕壁」は?

江戸時代に春日部は日光街道の宿場町として栄えたそうよ。
この頃は「粕壁」という地名が使われたの。
日本地図を作った伊能忠敬の地図も、表記は「粕壁」になってるのよ。

つまり「粕壁」は宿場町の名前に由来してるのか~。

1944年に粕壁町と内牧村が合併して、春日部町になったんだって。
この合併した日に粕壁町の表記は廃止したそうよ。

町の名前が無くなるって、寂しいね…。

安心して。現在でも「粕壁」の名前は残ってるのよ。
今回ご紹介している『春日部八幡神社』の住所は「埼玉県春日部市粕壁5597」ってなってるでしょ?
この辺りは「春日部市粕壁」なのよ。

※ちなみに「春日部駅」も1949年までは「粕壁駅」だったそうですよ('ω')ノ

本当だ、住所「春日部市粕壁」になってる♪
粕壁の名はちゃんと残ってるんだね!
郵便番号は344-0061なんだね~!

…。郵便番号はどうでもいいじゃろが…。

~御祭神~

誉田別尊=応神天皇(ほんだわけのみこと)
 息長足姫尊=神功皇后(おきながたらしひめのみこと)
 武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)
 豊受姫命(とようけひめのみこと)

八幡神社と言えば、「誉田別尊=応神天皇」「息長足姫尊=神功皇后」「豊受姫命」の3柱ですよね('ω')ノ
※八幡神社に「武内宿禰命」が祀られているのはちょっと意外ですね?「武内宿禰命」については、竹内神社の時にも登場した伝説の忠臣ですね。いずれ改めて詳しく書きたいと思います('ω')ノ

~ご利益~

安産・長寿・家内安全・必勝

由緒の看板に詳しく書かれていました。

境内案内図です。
春日部八幡宮のサイトからお借りしました<(_ _)>
境内にも順路がありますので、分かりやすかったですよ?


では、境内のご案内です( ゚∀゚)つ
表参道から見た第一鳥居です。
長く伸びた参道って、何か好きなんですよね~(´ω`*)

参道入ってすぐ左手に、在原業平と春日部八幡神社の故事を伝える「都鳥の碑」がありました。
六歌仙・在原業平が奥州に旅した際、隅田川の渡しで読んだ歌だそうですよ。

歌は『名にしおはばいざ言問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと』。
【意味】
在原業平が隅田川の渡しで見た鳥を「京都では見たことがない」と思って、渡し守にその鳥の名前を聞くと「都鳥」と答えた。それで京都のことを思い出して詠んだ歌です('ω')ノ
春日部市指定有形文化財になっています。

ツツジが咲いてて綺麗ですね。
天気もいいし、最高です(≧▽≦)

第二鳥居です。
木の鳥居でした。

下に獅子が!燈籠?なんで?
アキちゃん
「それを調べるのが、キミの役目です('ω')ノ」
…分かりませんでした(・∀・)スマヌ

こちらが樹齢700年という御神木です。
鶴岡八幡宮の御神木の一枝が飛び来りて一夜のうちに繁茂した」という伝説がある大銀杏です。

いもみ
「カットに失敗した時、『御髪が一毛飛び来りて一夜のうちに繁茂した…』とか伝説あればなぁ…('ω')」
アキちゃん
「うちのお父さん、それ聞いたら発狂して喜ぶわ...('ω')ノ」

手水舎は使用ができませんでした。

狛犬さんです。
遠くを見据えている...そんなカッコイイ狛犬さんでした。

そして拝殿です。
とても綺麗で、スッキリとしていました。
空の青さと緑が映えます!

参拝後は奥の院と境内社を回ることにしました。

鹿島様・愛宕様・香取様と進むと…
奥の院が見えてきました!

春日部八幡神社旧本殿の看板が隣にありました。
写真では小さいので、一部抜粋して下に書いてみましたので宜しければご覧ください。

市指定文化財 有形文化財 春日部八幡神社旧本殿
…この旧本殿は手斧(ちょうな)造りという特徴的な造りで...(一部略)市内では最も古い建造物として、春日部氏の動静を伝える貴重な文化財です。またこの神社の境内を含む一帯は春日部氏の館跡とも言われ…(一部略)浜川戸遺跡として知られています』
春日部氏との深い繋がりがある神社と言うことが、良く分かりますね('ω')ノ

境内の杜には多くの境内社があり、一つ一つ載せると凄いことになってしまうので、稲荷様と浅間様を載せてみることにしました<(_ _)>
春日部稲荷神社は八幡神社と並ぶような感じで参道が伸びていました。

階段を登った先に春日部稲荷神社があります。

由緒の説明看板がありました。
由来は「推察」ということで定かではないようです。
フムフム…なるほど、「春日部稲荷神社は春日部氏の屋敷神として、京都の伏見稲荷大社から勧請された」んですね。「創建の年代は平安期で、およそ1100年前と推察される」と書いてありました('ω')ノ
いもみ
「私の推察と同じだ...!(・∀・)」
アキちゃん
「…。('ω')ノ←ノーリアクション...。」

続いて浅間神社に向かいます。
最近、よく山とか丘に登る気がするな...(゚∀゚)ハァハァ...

段差が結構あって、疲れますが…おっ!
頂上かな?(゚∀゚)ハァハァ...

やった~(´ω`*)ハァハァ...←まだ疲れてる
着きました!!

すべての境内社を巡り、再び拝殿へと戻っると写真ような巨大な干支の絵馬が飾ってありました!
『生まれ年の絵馬にそれぞれ願いを...」とありましたので、お詣りします。

すったもんだで、境内を小一時間ほど回ったでしょうか?
参拝後は御朱印を受けに、社務所へ向かいました。
お手洗いと休憩所はここにあります。
御朱印を頂くときも、ここで待っていると呼びに来てくれました。

頂いた春日部八幡神社の御朱印がコチラです。
3種類ある中で、今回は御神木であるイチョウ柄の御朱印にしました。
とても綺麗な字ですね👏


以上で『春日部八幡神社』のご紹介はおしまいです。
鎌倉時代~南北朝時代に活躍した春日部氏の由来が、八幡神社にも春日部の地名にも深く関わっていることが分かって、とても勉強になりました。
私が観ているNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、いずれ春日部氏が関わってくる描写があるかもしれません。ちょっと楽しみないもみでした♪


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ
春日部八幡宮のあと、ランチタイムへ。
いつものようにグーグルで「近くの飲食店」で検索したとろ、
神社から程近い和食レストラン「天狗」というお店に辿り着きました🚗

メニュー表
気分はお肉!!
(・_・D フムフム、サイコロステーキ押しですね🥩

肉豆腐とサイコロステーキセットにしました!
サイコロステーキはお肉は柔らかく、味付けはニンニク強めでスタミナが付きそうです(・∀・)パワー!
肉豆腐も味付け濃いめで、ご飯が進みます!

提供も早いし、味も美味しい!!コスパも嬉しい!!
アキちゃんと二人で
「家の近くにあれば、いいねぇ!」
と大好評のお店でした✨