いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

関東最大級の仁王門!天海が住職を務めた江戸崎不動尊院に行ってきました!

こんばんは、いもみ🍠です。


本日は茨城県稲敷市にある『江戸崎不動尊院』のご紹介をしたいと思います。
天台宗の寺院で、山号は医王山です。

南海坊天海が住職を務めていた時期があり、そのため江戸時代には関東八檀林の一つとして栄えました。
関東八檀林(はちだんりん)とは天台宗の学問所です。

↓場所はこちらです↓

上記のマップは「不動院の仁王門」の場所です。不動院は仁王門をくぐって「長寿の坂」という石段を登った先にあります。
私達は県道49号線(江戸崎新利根線)沿いの寺号標のある手前のスペースに車を停めました。
あまり目立たなかったので、いつも通り気付かないではじめは通り過ぎてしまいました(・ω・)?
5台程停めることができそうでした。
f:id:chibanoimomi:20220317123023j:plain

ここ以外にも不動院の前の道路はかなり広いので、こちらにも駐車できそうです。←こちらへの駐車の可否は未確認です。すいません...<(_ _)>
こちらが不動院前の道路です。
f:id:chibanoimomi:20220319214645j:plain

由来の看板がありました。
f:id:chibanoimomi:20220317123414j:plain

山号「医王山」
いや~読めませんでした~(・∀・)ハハハ
f:id:chibanoimomi:20220317131648j:plain

~創建~

848年(嘉祥元年)慈覚大師により開山と伝わっています。
※1470年(文明2年)に幸誉により開山、若しくは中興という説もあるそうです。

~ご本尊~

不動明王

~南海坊天海と江戸崎不動尊院について~

⇒ここからはアキちゃんの説明をご覧ください<(_ _)>

江戸崎不動尊院は、徳川家康の側近として主に朝廷・宗教政策に深く関与した南海坊天海(1536~1643)が住職を務めていた時期があります。
1590年江戸崎城主であった蘆名盛重が天海を第八世住職として迎え、以降天海は約17年の間江戸崎に住んだ、と言われています('ω')ノ

天海は謎の多い人物で100歳以上の長命であり、また「天海=明智光秀」などという説もあるくらいですが、どうやら彼の出生地は会津出身なのではないかということです。
天海を招聘した江戸崎城主・蘆名盛重(佐竹義重の次男だが、すったもんだで蘆名家に養子入りした)...この蘆名氏は元は会津に拠点を置く戦国大名でした。
この会津繋がりで招聘に至ったのでしょうか?

天海は徳川家康の信頼が深く、天台宗の大僧正(僧官の最高位。大納言と同クラス)にまで昇った人物でしたので、江戸崎不動尊院は天台宗の学問所「関東八檀林」の一つとして栄えたほか、徳川将軍家の帰依を受け、多くの御朱印地が寄進されました。

ところで江戸崎不動尊院の住職を務めていた天海ですが、実は同時期に埼玉県川越市にある『喜多院』の住職も務めており、両院を兼任していたようです。
この年代がややこしいので時系列で並べて見ますと…
(※『喜多院』は『北院』の改名後の寺号です)

1588年 天海、北院(喜多院)に移る
1590年 江戸崎城主・蘆名盛重により江戸崎第八世住職として迎えられる
1591年 江戸崎不動尊院の住職に(以後17年務める)
1599年 北院(喜多院)の住職に
1612年 寺号を北院から喜多院とし、関東天台の本山とする
...という感じになります('ω')ノ

ちなみにここで出てきました埼玉県川越市にあります『喜多院』ですが、当ブログでも以前ご紹介しています。
興味がある方は、こちらも併せてご覧いただくと嬉しいです(*^-^*)
imomiquest.com
以上アキでした<(_ _)>


では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
駐車場から出て、石段を上がり、山門を通ると目の前には大きな仁王門がありました。
こちらの「仁王門」は1655年に4代将軍の家綱から下賜されたもので、江戸城紅葉山御殿の四脚門を移築したもので、関東最大級とされています。
天海僧正と徳川家の深い繋がりを感じますね。
かなりの迫力があります!必見ですね✨

f:id:chibanoimomi:20220317123516j:plain

なんか異世界の入り口のようです!恐る恐る中へ…
f:id:chibanoimomi:20220317123630j:plain

阿形(あぎょう)像
「阿」と言ってるから、口が開いてるのが阿形像と覚えるといいかもしれません。
f:id:chibanoimomi:20220317123904j:plain

吽形(うんぎょう)像
f:id:chibanoimomi:20220317123759j:plain

仁王門をくぐると、階段があり「長寿の坂」という名前がついていました。
f:id:chibanoimomi:20220317125518j:plainf:id:chibanoimomi:20220317125335j:plain

階段のお隣には地蔵堂がありました。
六地蔵が「この階段はきついよ?」「頑張れ~」「登り切ればあなたも長寿!」と言っているような気がしました…(´ω`*)
f:id:chibanoimomi:20220317130852j:plain

階段を上がりますと、周囲が良く見渡せる高台に出ました(=゚ω゚)オォ!
そこから、小野川がよく見えました!綺麗ですね♪
f:id:chibanoimomi:20220317131014j:plain

ご本堂は高台の上にあるんですね。
f:id:chibanoimomi:20220317130654j:plain

更に近くでも撮影させて頂きましたよ。
「1876年焼失➩1972年再建」とありましたから、モダンな造りですね。
f:id:chibanoimomi:20220317172239j:plain

左手には不動明王像、右手には吉祥妙童子(きっしょうみょうどうじ)
不動明王は三十六の童子(少年の姿をした神様)を従えていて、そのうちの一神です。
ちなみに私はアキちゃん(悪魔の姿をした悪魔)を従えています。
アキちゃん
「悪魔の姿をした悪魔...つまり悪魔じゃん!(゚Д゚)ノ」

f:id:chibanoimomi:20220317173614j:plainf:id:chibanoimomi:20220317173652j:plain

参拝後は御朱印を頂きに、ご本堂左手にある事務所へ。
こういう時私だと、遠慮がちで恐る恐るチャイムを鳴らすのですが…。
ピンポ~ン!「ごめんくださ~い」
アキちゃんは躊躇いがありません!(゚Д゚)!
f:id:chibanoimomi:20220317194234j:plain

頂いた御朱印がこちらです。
書置きです。
とても丁寧に対応して頂きました、ありがとうございます!<(_ _)>
f:id:chibanoimomi:20220317194335j:plain


以上『江戸崎不動尊院』のご紹介でした!
仁王門は想像以上に大きくて、とても迫力がある力強い印象の門でした。
私はこういう歴史ある建造物がとても好きなので興奮してしまいました(=゚ω゚)ムハー!

一方の相棒・アキちゃんは歴史オタク...歴史ファンなので、南海坊天海に所縁のある江戸崎不動尊院を調べるときに興奮していて、とても目が怖かったです( ゚Д゚)ウォォォ...←(´゚д゚`)コワッ!

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

お気に入りいただけたら、下のバナーをクリックしてもらえると嬉しいです。
応援よろしくお願いします📣

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅日記・旅の思い出へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村


↓↓読者登録お願いします<(_ _)>

本日のオマケ
江戸崎不動尊院の掲示板に貼ってありました。
稲敷市立歴史民俗資料館
会 期 令和4年2月18日(金)~令和4年3月28日(日)
開館時間 9時~17時(入館は16時30分まで)
不動院に遺(のこ)された寺宝と、天海ゆかりの資料写真、天台宗寺院の資料などから、往時の不動院と天海の姿に迫ります。
f:id:chibanoimomi:20220317194604j:plain