いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

日本で唯一の社名!千葉県流山市の天形星神社☆に行ってきました。

こんばんは、いもみ🍠です。


本日は千葉県流山市にある『天形星神社』のご紹介をしたいと思います。
「てんぎょうせいじんじゃ」と読みます。
天形星神社という社名は、全国でここしかないということです!

格好いい名前の神社ですよね!
ちなみに天形星とは天刑星(てんけいせい)ともいわれる道教の神で、木星を意味します。
星が付くだけで「格好いい...」と思ってしまうところが、まだまだ幼ない私です( ´∀`)テヘヘ

場所はこちらです↓

神社の前に専用駐車場が2か所あります。
両方合わせると10数台は停められると思いますが、私たちが訪れたときは、片側の駐車場は解放されていなくて使用できませんでした。
2、3台は駐車可能です。
こちらが駐車場です。

道はちょっと分かりずらいです。
日光東往環が混む上に、曲がる道は看板などの目印がありません。
また神社前の道路が狭いので、正直車での参拝はお勧め致しません💦
電車の場合は、豊四季駅から15分くらいでしょうか。
お手洗い、自販機はありません。

~創建~

1662年(寛文二年)とされています。

~御祭神~

素戔嗚尊
 岩見大明神(いわみだいみょうじん)
※岩見大明神については後述しています<(_ _)>

~ご利益~

厄除け、縁結び、開運など


では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
正面入り口、第一鳥居です。


鳥居の脇に小さく説明看板がありました。
第六天ってなんだろう…(;´д`)と軽い気持ちでアキちゃんに聞いたら、凄く長い説明が待っていました( ゚Д゚)エ~...
興味のある方は写真の下でアキちゃんが語っているので、そちらをご覧ください<(_ _)>

~第六天と神仏分離令について~

⇒皆様、こんばんは。アキです。
「第六天」の説明を簡単にしてみたいと思います。


「第六天」とは、仏界欲天の中の第六天に住む『他化自在天(たけじざいてん)』をさします('ω')ノ
他化自在天は魔王とも呼ばれます。
それは他化自在天が「人が快楽に溺れるほど自分自身が肥えていき、逆に人が仏心に目覚め快楽を求めなくなると萎んでいく」からで、そのため他化自在天(第六天)は仏教が広まるのを邪魔する仏敵、つまり魔王なのです('ω')ノ
「第六天魔王」と聞いたことはありませんか?
こう言えば織田信長を思い出す方もいらっしゃると思います。
織田信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしました。
これはある意味「仏教が広まるのを邪魔する仏敵=魔王」なので「第六天魔王」と呼ばれるように(或いは自称?)なったのではないでしょうか?('ω')ノ


こうして見ていくと「第六天」は悪い意味に捉えられがちですが、江戸時代において大流行します。
先に述べたように「第六天」は「人が快楽に溺れるほど自分自身が肥えていき...」なのですが、これは「第六天が人々の喜びを自分の喜び・糧にする」と解釈され「人の喜びを糧にして喜びを与えてくれる仏さま」として江戸時代に信仰が大流行した、のです。ちょっと邪教っぽいけど('ω')ノ


これだけの流行があったのに何故今「第六天」と聞かないのでしょうか?
それはこのブログでも度々ご紹介してきた神仏分離令(神仏習合を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをハッキリ区別すること。1868年)の影響なんですね('ω')ノ


神仏分離令によって影響があった代表的な神社の一つに八坂神社があります。
神仏分離令により祇園社は神社として再出発することとなり、元々の守護神であった牛頭天王を改め、スサノオを祭神とする八坂神社が誕生しました。
牛頭天王とスサノオが同一視されるのはこういう経緯があるのです('ω')ノ


また牛頭天王には「疫病退散」という一面があります。
そして実は天形星=天刑星(てんけいせい)にも「疫病退散」という共通点があるのです。
ですから上記で「天形星神社の御祭神は素戔嗚尊(スサノオ)」とご紹介しましたが、スサノオは牛頭天王と同一視され・天形星と牛頭天王に「疫病退散」という共通点があるというのは、天形星神社の社名の由来を考えるにあたって実に興味深い...と私は思うのです('ω')ノ
皆様はどう思われますか?
以上、アキでした<(_ _)>


参道を歩くと、周囲は木々に囲まれていました。
境内は広いです。


参道脇には、庚申塔、青面金剛×2がありました。

「見ざる🐵、聞かざる🐵、言わざる🐵」のお猿もいました。
珍しいですね。

第二鳥居です。

手水舎です。

拝殿です。昭和63年に改築したそうです。

神額がまだ新しいですね!心なしか光って見えます!

そして本殿です。

ちなみに、天形星神社の御朱印は無いようです...(´・ω・)ザンネン...
境内に綺麗な社務所らしき建物があるのですが、無人でした。
この後、徒歩で15分程にある兼務社の諏訪神社を訪れてみたのですが、こちらにも天形星神社の御朱印は無いようです。
もしご存じの方がいらっしゃったら教えて頂きたいです<(_ _)>


参拝後は境内散策しました。
石見社という神社がありました。
御祭神の岩見大明神を祀る神社ですね。


由来の石碑がありました。

~石見神社と岩見大明神について~

⇒この辺もアキちゃんに調べてもらいました。
アキちゃん「人使い荒くね?( ゚Д゚)マタ?!」


...岩見神社は諏訪神社の兼務社です。
御祭神の岩本大明神は、江戸時代の旗本岩本石見守正倫(まさのり)です。
私も岩本石見守正倫という人物は知らなかったのですが💦、調べてみたら大変興味深い人物でした。


まずは上の写真で「石見社の由来」があります。これは…
『「いわみさま」とは旗本・岩本正倫のことで、石見守だったので通称「いわみさま」です。
長崎・野々下は現在の千葉県流山市です。
当時の千葉は馬の産地であったことから、田畑に馬が入って荒らしてしまうことが田畑を耕す村人の悩みの種であったようです。
訴えによりこれを知った岩本石見守は、寛政6年(1794年)田畑を荒らす馬を遠くに離したり、野場入り新田を開拓することで農民にとって野馬から耕作物を守り、新田開拓という長年の願いを叶えました
これにより長崎・野々下の両村は豊かになりました。
村人は石見守の人徳に感謝し、報恩のため文化9年(1813年)「岩本大明神」の石碑を建て、明治元年にこの石碑を御神体としたのです』
...ということでしょう('ω')ノ
これらの善政によって、村人は岩本石見守を「岩本大明神」として祀ったのですね。
現在も流山市・野田市には報恩の石碑が建っている...。とても素敵なお話ですね(´ω`*)


ちなみにこの岩本正倫は他にもエピソードがあります('ω')ノ
正倫の姉の富子は十一代将軍家斉を生んでいる
岩本正倫はバターを作っていた
ビックリですね!
以上、アキでした<(_ _)>


昨日はブログをまとめきれなくて、アップすることが出来ませんでした。
ごめんなさい(;^ω^)
本日はアキちゃんの協力を得て、仕上げることが出来ました。
いもみ神社の御祭神、亜希愚痴之命(あきぐちのみこと)様様です。
今日もブツクサ愚痴を言っていましたが(*^▽^*)
長くなってしまい、読みづらくなってしまっていたらごめんなさい!
これからも、御祭神とともに頑張ります💻


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ
先日、カーリング女子の試合中継を観ていたのですが、的?みたいなのが、どうしてもあの国民的キャラクターに見えてしまって、集中して見ることができませんでした!

いもみ「ぼく、ドラ○もん!」
アキちゃん「実にくだらない」