こんばんは、いもみ🍠です。
昨日のお話の続きになりますが、平家物語からとてもこの時代が気になりまして、ネットで「一ノ谷の戦い」や「壇ノ浦の戦い」のドラマ場面やその場所を検索していました( ´∀` )気になりだすと止まらない私です。
一の谷に関しては、源義経軍が崖から降りたと言われる場所を見てみたいですね!
行きたい所だらけでウズウズしている、いもみでした。
本日は『大生郷天満宮』の昨日の続きをご紹介したいと思います。
私たちは参拝後、本殿を見にいきました。
この道を下ると駐車場に着きます。
こちらの本殿は昭和4年(1929年)に造営されたものです。大変趣ある本殿でした。
そして拝殿脇の社務所へ行って御朱印を頂きました。
梅紋が目立ちます✨
社務所の近くに植えてある梅の木からは花がちらほらと咲いていました。
御朱印も頂いたので、社殿の周りを散策しました。
拝殿左前には「刀研石(かたなとぎいし)」がありました。
この石で刀を研ぐと長いが叶うと書いてありました。
本殿に行く途中には、「稲荷神社」がありました。
ひっそりと石仏が並んでいました。
他にもさざれ石などもあり、見所が多い神社でした。
そして私たちは散策を終え、次に少し離れた場所にある道真公のお墓に行きました。
昨日お話したように、大生郷天満宮は菅原道真の第3子影行が常陸の国に赴任した際に、遺骨を御神体として祀っています。
特筆すべきは遺骨を御神体とし、遺族によってお祀りされたのは大生郷天満宮だけと言う点でしょう('ω')ノ
田園が広がる景色の中に庭園の様な造りがあって、そこの一番高い山の上に道真公のお墓がありました。
池には鯉たちが気持ちよさげに泳いでいました。
水の音が心地良かったです(*´ω`)
道真公の遺骨が納められてることから、「御廟天神」とも呼ばれているそうです。
庭園の様な場所には様々な神社が鎮座していました。
恵比寿社
大国神社
厳島神社
のどかで朗らかな気分になりました。
このような造りにしたのは道真公のことを思って、春には大好きな梅を眺められる庭園のようにしたのではないか、と思いました(⌒∇⌒)
あくまで私の憶測にすぎませんが…とても素敵な造りでした!
私たちが訪問した時も、かなり多くの人がこちらを見学していましたよ(*^-^*)
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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~本日のオマケ~
アキちゃんが「これ読んでみ?」と薦めてくれた本です。
新選組諸士取調役篠原泰之進の言葉が共感できました。
いつの時代もそうなのかしら…。
「男というのは子供のころについたいろんな癖を大事に持ちかかえて、オトナになりきれずに生きている」
つい先日
「男っていつまでたっても子供だよね」
と知人とお話していたばかりでした(・∀・)タイムリー!←こいつが一番子供