いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

日本三天神の一社、大生郷天満宮🐂に行ってきました!

こんばんは、いもみ🍠です。

先日見逃してしまった「鬼滅の刃」をAmazonプライムで観た後に、他に面白そうな番組がないかな~と探していたら「平家物語」というタイトルが目に止まり、思わず観てしまいました。

youtu.be

初回を観た感想は、私的になかなか面白いです。絵のタッチは独特ですが美しく、流れている音楽も心地いいんです。
平家が滅ぶまでの激動の15年間を描いている物語です。
現在放送中の大河ドラマの「鎌倉殿の13人」に時代が近いので、これを機会に再び勉強しよう思います…💦💦
源義経も出てくるのかしら✨
「牛若丸」の牛だけに本日の話題は牛にちなんだ神社です!


さて本日は茨城県常総市にある『大生郷(おおのごう)天満宮』についてご紹介したいと思います。
ちょっと長くなってしまったので、二日間に分けてご紹介しますね('ω')ノ


ここからは「菅原道真については私、少々うるさいわよ?」というアキちゃんに説明してもらいましょう(゚Д゚)

~学問の神様・菅原道真~

天満宮は菅原道真をご祭神とする神社です。
菅原道真と言えば、学問の神様で有名ですよね!
では、なぜ学問の神様と言われるようになったのでしょうか?


それは道真公は代々学者の家系だったことや、道真公が秀才であったことが挙げられます。
幼い頃から詩歌を作ることに長けたり、今でいう全国トップの大学を首席で卒業したり、書家としても空海と並ぶ才能と言われるほど優れていたそうです。
このことから、道真公のように学問で功績が残せますようにと願ったことから来ているのではないかとされています。


ちょうど受験シーズンなので、私たちが訪れた時も受験生やその親御さんたちが次々にお参りに来られていましたよ。
...受験かぁ(´ω`*)←昔を思い出すいもみとアキちゃん

いもみ&アキちゃん
「二度とごめんだぜッ!(゚Д゚)ノ」
受験生、頑張れ~(´ω`*)


ちなみに「初天神祭」は毎年1月25日に行われます。
何故25日に行うのかと言うと、菅原道真が①「産まれた日」②「大宰府へ左遷の命令が宣告された日」③「亡くなった日」と、25日に縁が深いからですね('ω')ノ
もう間近ですね\(^^)/

~「天満」の名の由来~

⇒天満の名前はどうして付いたのでしょうか?
道真の死後、彼に送られた神号は「天満(そらみつ)大自在天神」です。


この「天満(そらみつ)」の由来ですが、次の二つの説があります。
『日本書紀』の「虚空見(そらみつ)」から由来した。
「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」から由来した。


この二つの説はいずれも分かりずらい為、簡単に説明してみたいと思います。
まず①の「虚空見(そらみつ)」ですが、この意味は「大空から見て、よい国だと選び定めた日本の国」という意味です。
この同じ読み方の「虚空見(そらみつ)」⇒「天満(そらみつ)」とした、という説です('ω')ノ


次に②の「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」についてですが、これは菅原道真の生涯がどのようなものであったか知る必要があります。
簡単にまとめてみますと、以下の通りになります('ω')ノ
【幼少期】11才で漢詩を読むなど頭角を現す
【青年期】22才で叙任されるなどエリートコース
【中年期】35才で朝廷内で文人の中心的存在に
【左遷①】41才で左遷される
【復権期】45才で帰京、宇多天皇の信任を得る
【全盛期】右大臣に。従二位に叙任される
【左遷②】宇多天皇譲位→醍醐天皇で左遷される
信任の厚かった宇多天皇が譲位し、醍醐天皇になると道真は大宰府に左遷されてしまいます。
また左遷と言っても、俸給や従者も与えられることもなく、政務にあたることも禁じられ、言わば刑罰の様な扱いでした(´・ω・`)


失意のうちに、道真は左遷から2年後の903年(延喜3年)2月25日に亡くなります…。
すると道真死後、908年の藤原菅根の病死から、道真左遷に関わったとされる者たちが相次いで亡くなっていきます( ゚Д゚)
平安京では雷や疫病などの天変地異が相次ぎ、人々はこれら一連の災禍を「道真の呪いではないか」と噂します。


930年、清涼殿落雷事件(雨乞いの実施をするかどうかで醍醐天皇がいる清涼殿において会議していたが、落雷があり大納言の藤原清貫らを始め多くの死傷者が出た事件)が起こります。この落雷で、道真左遷に深く関係していた大納言の藤原清貫が死亡、醍醐天皇もこの3か月後に崩御し、人々は「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」からではないかと恐れました


そして947年、菅原道真は北野社において神として祀られました
彼に送られた神号は、学問の神で雷神の『天満(そらみつ)大自在天神』('ω')ノ


以上、天満の由来を見てきましたが、個人的には①の「虚空見(そらみつ)」であってほしいと思いたいです…。
②の「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」説は悲しくも、恐ろしくもありますよね(´・ω・`)
以上、アキでした<(_ _)>

↓地図はこちらです↓

駐車場は神社裏手にありました。
とても広い敷地で、梅の木が植えてありました。
天満宮御祭神の菅原道真公が好きな花が梅の花ですよね。


~創建~

929年(延長7年)菅原道真公の第3子影行の創建といわれています。
日本三大天神のひとつとして知られています。
日本各地に道真公を祀る神社が一万余社あるといわれる中で、関東から東北にかけては最古の天満宮といわれ、又遺骨を御神体とし、遺族によってお祀りされたのは当天満宮だけであることなどから日本三天神の一社に数えられ、御廟天神ともいわれています。
※日本三大天神には諸説あります

~御祭神~

菅原道真を祀っています。

~ご利益~

学業成就、五穀豊穣、商売繁盛
菅原道真公は「学問の神様」として有名なので多くの受験生が参拝に訪れています。
参拝して筆を買うと受験に利益があるともいいます('ω')ノ


では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
鳥居です。
至るところに梅の木が植えてありました。

親鸞上人礼拝の杉です。
浄土真宗の宗祖である親鸞上人が大生郷天満宮に来られた際、お手植えされた杉と書いてありました。


狛犬さんです。
目の前に梅の木が植えているので、顔がよく撮れませんでした💦

天満宮といえば御神牛ですね!
なぜ牛が神?という疑問ですが、
①藤原道真公の誕生日が845年(承和12年)乙丑6月25日丑の日に生まれで、牛を可愛がっていたから。
②道長公は903年(延喜3年)2月25日丑の日に亡くなったから。
③道真公の御遺骸を近くの寺に葬ろうとした時に、その御遺骸を乗せた車を引いていた牛が、途中で倒れてその場から動かなくなった。
これは、道真公が「牛の赴くところにとどめよ」という遺言によるものだから。
いろんな説がありますが、③がとても有名なお話ですよね。
調べてみて、こんなに牛と接点があるなんて知りませんでした(°Д°)!

こちらにも説明されていました。

拝殿です。
梅紋が印象的でしたね✨

本日はここでおしまいですm(_ _)m
いかがでしたでしょうか?
道真公の牛との接点の多さには驚きました🐂
私も丑年ですので道真公と一緒だと思うと、少しだけ自慢したくなっちゃいました笑
そして生まれた日は辰でした🐉→これ初めて知りました!
下のサイトから知ることが出来ますので、気になる方はどうぞ(=゚ω゚)ノ

keisan.casio.jp


次回は御朱印や神社周辺などご紹介しようと思います。


ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
本日のおまけは一番下にあります。

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本日のオマケ
梅の木に無数のおみくじが結ばれていました!