こんばんは、いもみ🍠です。
今日、千葉県は雪でした!
TVでやっていたのですが、これだけの積雪は4年ぶりだったそうです!
通勤や通学に影響が出るのはむしろ明日かもしれませんね。
Aちゃんは車通勤していますが、さっき家に着いて雪かきしたみたいです。
皆様準備と余裕をもってお出かけくださいね。
さて本日は、人生~楽ありゃ、苦~もあるさ~♪や
この紋どころが目に入らぬか(*`Д´)ノ!!
でお馴染み!徳川光圀公を祀る茨城県水戸市の『常磐神社』のご紹介をしたいと思います!
見所が沢山ありますので、2部構成にしてお話したいと思います。
↓↓地図はコチラです。
駐車場ですが、常盤神社運営の駐車場と水戸の観光協会運営駐車場がありました。
前者の常磐神社駐車場ですが、段差が少ない経路で行くことができます。
なので車椅子の方はこの駐車場が便利です。
料金は普通車は20分100円で、駐車スペースは約100台です。
後者の水戸の観光協会運営の駐車場は、神社の真下にあり、駐車料金一台500円でした。
いずれの駐車場もお手洗いがありました。
それでは、助さん!
いや!Aちゃん、説明をお願いします( `・ω・´)ノ ヨロシクー
~創建~
⇒創建が近代で、藩祖を祀った比較的新しい神社です。
明治元年に徳川光圀公・徳川斉昭公を慕う人達によって偕楽園内に祠堂(しどう)が創立されたのが始まりです。
明治6年(1873年)に「常磐神社」の社号と、祭神の神号が勅旨により定められました。
翌年には社殿が造営されています。
~御祭神~
⇒いずれも神号で
高譲味道根之命(たかゆずるうましみちねのみこと・徳川光圀のことです)
押健男国之御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと・徳川斉昭のことです)
と言います。
~徳川光圀と徳川斉昭について~
⇒二人がどのような人物だったのか簡単に説明したいと思います。
・徳川光圀
→常陸水戸藩の第2代藩主。諡号は「義公」。
「水戸黄門」としても知られています。
儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくりました。
※『大日本史』の編纂は、光圀死後二百数十年かけて明治時代に完成しています('ω')ノ
少年時代の光圀は、卑猥なことや辻斬りを行うなどの蛮行をする不良だったと言われています。
しかし18歳の時に司馬遷の『史記』伯夷伝を読んで感銘を受け、これがきっかけで勉学に打ち込むようになりました。
学校建設を目的として朱舜水を招きますが、このことが結果的に儒学と実学を結びつけ、水戸藩の学風の特徴となりました。
光圀の面白い逸話を紹介したいと思います。
①当時の風習であった家臣の殉死を禁じています。
※幕府が殉死禁止令を出す2年前のことで、殉死禁止の初例とされています('ω')ノ
②最初に光圀が食べたとされるものとして、餃子、チーズ、牛乳酒、黒豆納豆があります。
③肉食が忌み嫌われていた時代でしたが、牛肉、豚肉、羊肉などを食べていました。
※光圀は第5代将軍徳川綱吉が制定した生類憐れみの令を無視して食べていたようです('ω')ノ
④日本最古のオランダ製靴下を使用、ワイン愛飲、朝鮮人参やインコを取り寄せをするなど海外のものに興味を示していました。
このように若いころは奇行も目立った徳川光圀ですが、一番のポイントは実理・実用を重んじる朱舜水を招き、儒学と実学を結びつける水戸藩の学風の特徴となったことでしょう('ω')ノ
この第2代水戸藩主の徳川光圀に形成された水戸学が、第9代藩主徳川斉昭のもとで尊王攘夷思想を発展させ、明治維新の思想的原動力となっていったのです。
では徳川斉昭の人物像をみていきましょう。
・徳川斉昭
→常陸水戸藩の第9代藩主。諡号は「烈公」。
藩校・弘道館を設立して藤田東湖・武田耕雲斎など、下士層から広く人材を登用し、藩政改革に成功した幕末期の名君の一人です。
藩政改革としては①大規模軍事訓練(追鳥狩)の実施、②農村救済、③国民皆兵・西洋近代兵器の国産化推進、④仏教抑圧・神道重視の政策、などが挙げられます。このうち④は明治初期の神仏分離・廃仏毀釈の先駆けとなっています('ω')ノ
ペリー来航の際には水戸学の立場から強硬な攘夷論を主張し、大砲74門を幕府に献上しています(このうち1門が水戸の常磐神社に現存しています)。その後の安政の大獄(1859年)により水戸での永蟄居を命じられ、政治生命を絶たれる形となりました。
斉昭の面白い逸話を紹介したいと思います。
①斉昭は生涯に37人の子供をもうけています。
②礼儀作法に厳しく、寝相が悪かった慶喜が寝る際には、枕の両脇に剃刀を立てて寝かせていました。
③幕府からの毎年の1万両(一般には約10億円だそうです!)の援助金を返上する、「食事などには金などかけることはない」など倹約家でした。
④大の肉好きとして知られています。肉好きは光圀と同じですね(^o^)
~ご利益~
⇒商売繁盛・交通安全・学業成就のご利益があります。
水戸に文化・学問を創始した二人を祀った神社なので、中でも学業についてのご利益があるとされています('ω')ノ
では境内のご紹介です(=゚ω゚)ノ
常磐神社の有料駐車場に車を停めて境内に向かいます。
私たちは神社下の観光協会の駐車場に車を停めました。
代金は1日500円になるので、用意していたほうが良いかもしれません。
駐車場自体は広く、約100台停められるそうです。
境内案内図です。左側には偕楽園がありますね!
駐車場から少し歩くと参道に直結します。
東鳥居からみた社殿です。
「偕楽園に入る前に、まず常磐神社でおまいりしましょう」と書かれていました。
「梅まつり」など行かれる方は、お忘れなく~φ(・ω・`)メモメモ
真っ直ぐな参道を進むと、左側には藤田東湖を祀る「東湖神社」がありました。
こちらが東湖神社です('ω')ノ
拝殿です。春になると左右の桜が咲いてとても綺麗だよ、とAちゃんが言っていました。
参拝し終え、境内脇の社務所で御朱印をいだだきました。
こちらが頂いた御朱印です。初穂料は500円でした。
水戸黄門の印籠に彫られている家紋の三つ葉葵の御紋が目立ちます🙇
今回常盤神社に訪れてみて、水戸市民の徳川光圀公や斉昭に対する気持ちが強く根付いているんだなと思いました。
その裏付けとして常盤神社は、初詣客水戸ナンバー1の数を誇っているそうです(約31万人)。
特に斉昭公は厳格なイメージがありましたが、若手の登用や水戸学の実利を反映させた当時としては斬新な政策などは、現代のベンチャー企業の社長のようなイメージに変わりました。
そしてその礎を築いた光圀公の先見の明や革新さは、ドラマのイメージとは異なる新たな一面を知れました(^-^)
今回の参拝で、水戸黄門や斉昭公についてより深く知ったいもみでした。
次回は、常盤神社内の神社などやグルメをご紹介したいと思います。
次回は境内の周辺やグルメなどをご紹介したいと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
※本日のおまけは一番下にあります。
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~本日のオマケ~
常盤神社の駐車場から参道までの道に釜を持った農民の銅像がありました。
「農人形」と言って、徳川斉昭が農民をとても大切にしていたのがわかる像です。
斉昭公が農民に対して感謝の気持ちを綴った句が、農人形の下に書いてありました。
「朝な夕な 飯くふごとに忘れじな めぐまぬ民に めぐまるる身は」
意味は「朝と夜に食事をするたびに忘れてはならない。恵まれていない農民によって、恵まれた生活をしているのだ殿様というものは」