いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻58~三貴子の誕生~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻58~三貴子の誕生~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
そして底筒之男命(そこづつのおのみこと)、中筒之男命(なかづつのおのみこと)、上筒之男命(うはづつのおのみこと)の3柱の神々は墨江之三前大神(すみのえのみまえのおおかみ=住吉神社の三座の神様)です。

イザナギの禊によって次々と神々が誕生しています。
そしてこの禊の最後に三貴子(「さんきし」若しくは、「みはしらのうずのみこ」)と呼ばれる神々が誕生します。
古事記を読んでなくてもアマテラス・ツクヨミ・スサノオの名を聞いたことがある方がほとんどだと思います。
古事記の上巻はとても長いですが、ここから暫くはこの三貴子を中心に(と言うかツクヨミは絡みがほぼ無いですが…)物語が続きます。



『古事記』本文上巻58~三貴子の誕生~

【原文と読み方】
【原文】
於是 洗左御目時所 成神名 天照大御神
次 洗右御目時所 成神名 月讀命
次 洗御鼻時所 成神名 建速須佐之男命(須佐二字以音)
右件 八十禍津日神以下 速須佐之男命 以前 十四柱神者 因滌御身所生者也

【読み方】
是(ここ)に於(お)いて左の御目を洗ひたまう時に成りませる神の名は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)
次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月讀命(つくよみのみこと)
次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐男命(たけはやすさのをのみこと)
右の件、八十禍津日(やそまがつびの)神より下、速須佐男命(はやすさのをのみこと)
より前の十四柱の神は御身を滌(すす)ぎたまいしに因(よ)りて生ませる神なり

【訳】
そしてイザナギが左の眼を洗った時に現れた神の名を天照大御神(あまてらすおおみかみ)と言います。
次に右の眼を洗った時に現れた神の名を月讀命(つくよみのみこと)と言います。
次にお鼻を洗った時に現れた神の名を建速須佐男命(たけはやすさのをのみこと)と言います。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、八十禍津日(やそまがつびの)神から速須佐男命(はやすさのをのみこと)までの14柱の神々は、イザナギがお身体をすすいだことで誕生した神様です。

【解説】
今回、訳は簡単なので三貴子について簡単に書こうと思います。

...とその前に、一旦イザナギの禊の流れを確認しておきましょう。

【イザナギの禊の流れ】

①服を脱ぐと、身に着けていた物から12柱の神々が誕生します…が古事記では「禊で生まれた神」としてはカウントされていません。
②『上流は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と細かいこだわりを見せる。
③禊スタート。黄泉の国の垢・汚れを落とすと【禍(わざわい)を司る神】八十禍津日神・大禍津日神が現れた。
つまり、イザナギが禊をしなければ禍を司る神は生まれなかった...?
④【禍(わざわい)を直す神様】神直毘神・大直毘神・伊豆能賣が現れた。
直すことは出来るが、禍そのものを無くすことが出来ない事が明確になる
⑤水中で禊を継続中。水面の高さによって6柱の神々が生まれる。
水底➩底津綿津見神・底筒之男命
水中➩中津綿津見神・中筒之男命
水面➩上津綿津見神・上筒之男命
⑥綿津見神(ワタツミ)は「海の神様」で安曇氏の祖先とされる。
⑦筒之男命は住吉神社の三座の神様であり、神功皇后の三韓征伐の経緯から王権と結びつきがある。
⑧禊の最後に三貴子(アマテラス・ツクヨミ・スサノオ)が誕生する⇦今ココ
以上、計14柱の神々がイザナギの禊によって生まれました。

【三貴子】について

「三貴子」は日本で最も重要な神様です。
意味はもうそのまんま「最も貴い神様」のこと。
イザナギ自身「私の生んだ神々の中で最も貴い」と言っているので...。
詳細を書くと今後の記事のネタバレになってしまうので、その辺は後述する物語を読んで頂くこととして、視点を変えて触れてみたいと思います。

性別について
➩「日本の太陽神は女神アマテラス」とされています。
太陽は世界各地で崇拝の対象となっているのですが、実は太陽神は男神であることがかなり多くなっていて、太陽神=女神というのは日本神話以外には北欧神話など少数派なのです。
以前も書いたと思うのですが、古事記成立時の8世紀頃の日本には陰陽五行説の思想が既に入っています。
この陰陽で言えば、陽=男性・陰=女性なので、この辺も「アマテラス=女神」に首をかしげる所ではあります。

更に言うと古事記にはアマテラスの性別について記載はありません。

ただ「アマテラスが女神である」ことの根拠は幾つかあります。
・スサノオに「姉上」と呼ばれている
・髪型が男性のものではない、など女性と思わせる内容がチョイチョイ出てくる
などです。

ちなみにもっと謎なのはツクヨミです。
性別について記載が無いのはアマテラスと同じですが、エピソードもほぼ無い為根拠に乏しいのです。
でもまぁイメージは崩したくないので、いもみの日記では一応アマテラス=女神、ツクヨミ・スサノオ=男神でお話を進めて行こうと思います。

ツクヨミについて
➩折角ツクヨミの話が出たので、このままツクヨミについて触れておこうと思います。
と言うのも先ほど書いたように「ツクヨミについてはエピソードがほぼ無い」のです。
古事記ではイザナギに「夜の世界を治めよ」と命じられて「夜を司る神様」だとは分かるのですが、その後全く登場しなくなります。

さて、一般的に「ツクヨミ」と呼ばれますが、神社では「ツキヨミ」が多いです。
ツキヨミ、つまり「月を読む」訳ですがどういう意味なのでしょうか?
この「月を読む」というのは「月の満ち欠けを読む」という事の様です。
この月の満ち欠けを見ることによって、古代の人々は「あ~、今日は〇〇の日か~」みたいに暦を知ったのでしょう。
暦を知ることは、農業にとってとても重要な情報です。
その為「ツクヨミ(ツキヨミ)=月の満ち欠けを読む=農業を司る神」となった...とも言われています。

古事記に全く登場しないツクヨミ...日本書記でも僅かな登場シーンしかありません。
「最も貴い」神なのに、こんな扱いでいいんでしょうか…?

イザナギはこの後...について
➩ここまで古事記の主役とも言うべきイザナギですが、この後主役をアマテラスとスサノオに譲り全く登場しなくなります。
国産みと神産みを終えたイザナギは、どこへ行ったのか...?
この後の行動について日本書記にはこう記されています。
『構幽宮於淡路之洲』➩『淡路島に幽宮(かくれみや)を構えて住んだ』
イザナミとの間で最初に生んだ淡路島に帰って暮らした...と考えるとイザナギの妻に対する想いが伝わってくるようですね…。

以上、【三貴子】についてでした。
今回取り上げた項目は、本文には出てこない内容ばかりですので先に取り上げてみました。
読み終えた後に「あれ?」と思った内容・疑問点はこの他にもあるのですが、めんどくさいのでこの3点に絞りました<(_ _)>


以上で『古事記』本文上巻58~三貴子の誕生~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻59~三貴子の統治~をご紹介する予定です。

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『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
この3柱の綿津見神(海神)は、安曇氏の先祖とされる神で、大切に祀られてきたのです。
(註:【伊都久】の【伊】以下の3字は音読みを用いて【いつく】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
従って、安曇氏は綿津見神(海神)の子である宇都志日金拆命の子孫なのです。
(註:宇都志日金拆命の【宇都志】の三字は音読みを用いて【うつし】と読んで下さい)

イザナギの禊で綿津見神(海神)と筒之男命が現れました。
このうち綿津見神(海神)は安曇氏の祖先である...というお話が前回語られました。
という事は今回は話の流れとして筒之男命のことが語られます。


『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~

【原文と読み方】
【原文】
其 底筒之男命 中筒之男命 上筒之男命 三柱神者 墨江之
三前大神也

【読み方】
其(そ)の底筒之男命(そこづつのおのみこと)
中筒之男命(なかづつのおのみこと)
上筒之男命(うはづつのおのみこと)
三柱の神は、墨江之三前大神(すみのえのみまえのおおかみ)なり

【訳】
そして底筒之男命(そこづつのおのみこと)、中筒之男命(なかづつのおのみこと)、上筒之男命(うはづつのおのみこと)の3柱の神々は墨江之三前大神(すみのえのみまえのおおかみ=住吉神社の三座の神様)です。

【解説】
今回は何と言っても「墨江之三前大神(すみのえのみまえのおおかみ)」についてでしょう。

墨江之三前大神は、イザナギが黄泉の国から帰り禊で身体を清めた際に生まれた底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の3柱の神々のことです。
墨江(すみのえ)は古い地名で、現在の住吉(摂津国=大阪府)のことであり3神の鎮座地を指します。
つまり墨江之三前大神は、住吉神社の(御祭神の)三座の神様、となります。

ここで住吉神社のお話を少ししてみようと思います。
住吉3神を祀る神社は全国に約600あるそうで、その総本社は大阪府住吉にある住吉大社です。

上記の地図の様に海からは数キロ離れていますが、創建当時(神功皇后摂政11年と伝わっています)は海のすぐ側だったそうです。
遣唐使が派遣される時は住吉大社に祈願したという記述もあり、古くから外交にまつわる航海の守護神として国家的な祭祀を受けてきました。
何故このように住吉三神と王権との結びつきがあるのか?
気になりますよね。

それは神功皇后の新羅国遠征(三韓征伐)があったからです。
【神功皇后の新羅国遠征】
➩仲哀天皇の時代(192~200年頃)に大和朝廷に反抗する部族(熊襲)が現れました。
それに対し巫女でもあった仲哀天皇の妻である神功皇后が神がかりでご神託を得てどういう対応をするか、決めることにしました。
すると住吉三神から「熊襲(九州南部)より、西方(新羅国のこと)に豊かな国があるのでそれを服属させて与えよう。我ら三神(底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命のこと)を祀れば新羅も熊襲も平伏するだろう」というようなご神託を受けます。

このご神託に対し疑問を口にした仲哀天皇はなんと祟りで殺されてしまうのです。
一方神功皇后はご神託に従い軍船を率いて朝鮮半島へ出征し、新羅、高麗、百済の三韓を従わせました(三韓征伐)。
凱旋した神功皇后は住吉三神の働きに感謝し、摂津国(大阪府)の住吉に社を建てて祀ったとされています。

この様に、住吉三神は神功皇后とその子の応神天皇との関わりが深い神様なのです。
王権との結びつきが強いのも分かりますよね?

この辺のお話もいずれ登場します<(_ _)>

以上で『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻58~三貴子の誕生~をご紹介する予定です。

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『古事記』本文上巻56~安曇氏の祖先神~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻56~安曇氏の祖先神~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
次に水の底で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、底津綿津見(そこつわたつみの)神と言います。
(註:底津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
この時、底筒之男命(そこづつのおのみこと)も現れました。
次に水中で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、中津綿津見(なかつわたつみの)神と言います。
(註:中津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
この時、中筒之男命(なかづつのおのみこと)も現れました。
次に水面で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、上津綿津見(うはつわたつみの)神と言います。
(註:上津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
(註:上津綿津見神の【上】は【宇閇(うは)】と読みます)
この時、上筒之男命(うはづつのおのみこと)も現れました。

海の神が誕生しました。
そう言えばイザナギの禊で誕生した神様はかなり重要な神様ばかり…。
今回は海の神の子孫の話が語られます。



『古事記』本文上巻56~安曇氏の祖先神~

【原文と読み方】
【原文】
此三柱 綿津見神者 阿曇連等之祖神 以伊都久神也
(伊以下三字以音 下效此)
故 阿曇連等者 其綿津見神之子
宇都志日金拆命之子孫也(宇都志三字以音)

【読み方】
この三柱の綿津見(わたつみ)の神は阿曇(あづみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と伊都久(いつく=齋)神也
(【伊】以下の三字は音を以(もち)いる 下も此れに效(なら)う)
故(かれ)阿曇(あづみ)の連(むらじ)等はその綿津見(わたつみの)神の子
宇都志日金拆命(うつしひがなさくのみこと)の子孫なり
(【宇都志】の三字は音を以(もち)いる)

【訳】
この3柱の綿津見神(海神)は、安曇氏の先祖とされる神で、大切に祀られてきたのです。
(註:【伊都久】の【伊】以下の3字は音読みを用いて【いつく】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
従って、安曇氏は綿津見神(海神)の子である宇都志日金拆命の子孫なのです。
(註:宇都志日金拆命の【宇都志】の三字は音読みを用いて【うつし】と読んで下さい)

【解説】
此三柱 綿津見神者 阿曇連等之祖神 以伊都久神也(伊以下三字以音 下效此)
「阿曇連」は「あずみむらじ」です。
「安曇氏」と訳してみました。
「祖神」は「そしん、そじん、おやがみ」と読みます。
読み方は好きなので良いと思います。
意味は「(氏族などの)先祖とされる神」です。

「以伊都久神也(伊以下三字以音 下效此)」
太安万侶の注釈(伊以下三字以音)➩「伊都久神の【伊】以下の3字は音読みを用いて【いつく】と読んで下さい」です。
この「いつく神」はどういう意味でしょうか?
「いつく」は「斎(いつ)く」で、「大切に祀る」という意味があるのです。

つまりこの文は「この3柱の綿津見神(海神)は、安曇氏の先祖とされる神で、大切に祀られてきたのです」という感じで良いと思います。


故 阿曇連等者 其綿津見神之子
宇都志日金拆命之子孫也(宇都志三字以音)

前半部の「故 阿曇連等者 其綿津見神之子」は上記したので分かると思います。
「従って、安曇氏は綿津見神(海神)の子である...」と訳しました。

難しいのは「宇都志日金拆命之子孫也(宇都志三字以音)」ですね。
まず太安万侶の注釈(宇都志三字以音)➩「宇都志日金拆命の【宇都志】の3字は音読みを用いて【うつし】と読んで下さい」なので、宇都志日金拆命は「うつしひがなさくのみこと」と読むことが分かりました。

でも「うつしひがなさくのみこと」って?となりませんか??
そんな訳で簡単に調べてみました。
【宇都志日金拆命(うつしひがなさくのみこと)】
海の国津神で、綿津見神(海神)達の子。安曇氏の祖神と言われる。

ということでこの文は「従って、安曇氏は綿津見神(海神)の子である宇都志日金拆命の子孫です」と訳せば良いと思います。

綿津見神(海神)の子が宇都志日金拆命で、その子孫が安曇氏という事ですね。
この安曇氏について少し触れてみようと思います(下記)。

【安曇氏について】

今回の訳でも触れましたが、綿津見神(海神)の子が宇都志日金拆命で、その子孫が安曇氏です。
逆に言えば安曇氏の祖先は綿津見神(海神)であり、つまり安曇氏は神系氏族であるという事です。

安曇氏は日本各地の海人(あま)族の長であったようです。
その歴史は大変古く、大和朝廷以前から重要な地位にあったと考えられています。
ちなみに「海人(あま)」とは「海で漁をする者の総称」です。
安曇氏はこうした「海人(あま)」と共に「海部(あまべ)」と呼ばれる水軍を支配する有力な豪族だったようです。

なお、本文で登場する「阿曇連(あずみむらじ)」の「連(むらじ)」は神別系の有力氏族に与えられた称号でした。
八色の姓の制度で「連(むらじ)」は上から七番目の位置付けであり、主に地方豪族の姓でした。

ポイントだけまとめますと、安曇氏は…
祖先は綿津見神(海神)であり、神系氏族である。
海に関係する有力豪族であった。
大和朝廷以前の弥生時代頃から重要な地位にあった。
神別系の有力氏族に与えられた称号「連(むらじ)」の姓をもつ。
...といったところでしょうか。

以上、【安曇氏について】でした<(_ _)>

以上で『古事記』本文上巻56~安曇氏の祖先神~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻57~住吉神社の三座の神様~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

『古事記』本文上巻55~禊(5)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻55~禊(5)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
穢れによって生まれた禍(わざわい)の2柱の神様に続いて、次にその禍を直す為に現れた神様が、神直毘(かむなほびの)神です。
(註:神直毘神の【毘】の字は音読みを用いて【び】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大直毘(おほなほびの)神が現れました。
次に伊豆能賣(いづのめ)が現れました。
(註:併せて3柱の神々です)
(註:伊豆能賣の【伊】以下の4字は音読みを用いて【いづのめ】と読んで下さい)

災いの神が現れれば、その災いを直す神が現れる...なんて合理的な展開なのでしょう。
ところで「災いを無くす」神ではなく、「災いを直す」神という事は、災いを無くすことは出来ないってことですよね?
もっと言えば、イザナギが禊をした事で災いを司る神が現れたわけですから、言い方を変えれば災いをこの世界に持ち込んだのはイザナギって事になるのでしょうか?
しかも先に述べたように、その災いを直すことは出来るが、無くすことは出来ないわけですから...。
冷静に考えると、オチが微妙な気がしました。


『古事記』本文上巻55~禊(5)~

【原文と読み方】
【原文】
次 於水底滌時所 成神名 底津綿(上)津見神
次 底筒之男命
於中滌時所 成神名 中津綿(上)津見神
次中筒之男命
於水上滌時所 成神名 上津綿(上)津見神(訓上云宇閇)
次上筒之男命

【読み方】
次に水底に滌(すす)ぎたまう時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみの)神
(【綿】は上声)
次に底筒之男命(そこづつのおのみこと)
中に滌(すす)ぎたまう時に成りませる神の名は、中津綿津見(なかつわたつみの)神
(【綿】は上声)
次に中筒之男命(なかづつのおのみこと)
水の上に滌(すす)ぎたまう時に成りませる神の名は、上津綿津見(うはつわたつみの)神
(【綿】は上声)
(【上】を訓(よ)み、【宇閇(うは)】と云(い)う)
次に上筒之男命(うはづつのおのみこと)

【訳】
次に水の底で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、底津綿津見(そこつわたつみの)神と言います。
(註:底津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
この時、底筒之男命(そこづつのおのみこと)も現れました。
次に水中で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、中津綿津見(なかつわたつみの)神と言います。
(註:中津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
この時、中筒之男命(なかづつのおのみこと)も現れました。
次に水面で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、上津綿津見(うはつわたつみの)神と言います。
(註:上津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
(註:上津綿津見神の【上】は【宇閇(うは)】と読みます)
この時、上筒之男命(うはづつのおのみこと)も現れました。


【アキちゃんのボヤキ】
イザナギ「上流は流れが速すぎるし、下流は遅すぎる」と言って中流(?)に入って禊した…「上流・下流」とあるので、私もこの時点で『川で禊を行ったのか...』と訳してて思ったのに、次に生まれたのはなんと「海の神」。
あれ~…?なんで?!
海に上流、下流ってあんの?
海流の速い、遅いってどうやって見分けるのよ??
やっぱり禊は川なの?だったら何故海の神が生まれるの??

あ~パニックッ!!
となりました<(_ _)>

【解説】
今回の訳は簡単です。
この禊の話は長くまだ続きがあるので、ここ等辺で一度話を整理してみようと思います。

ここまでの話をザックリ振り返ってみましょう。
①イザナミが亡くなり、イザナミが黄泉の国に迎えに行く
②しかしイザナミの変わり果てた姿に恐れて黄泉の国から逃げ帰る
③黄泉の国の穢れを落とすため、禊をしようと服を脱ぐ
➩脱ぎ捨てた服から12柱の神々が生まれる
④禊スタート。「上流は流れが速すぎ、下流は遅すぎ」ということで中流(?)に入る
⑤穢れを落としてたら、2柱の禍(わざわい)の神が生まれる
⑥禍を直す神も3柱生まれる
⑦浸かった場所の水面辺り・水中・底からそれぞれ神々が生まれる⇦今ココ
⑧明日以降に続く...

今回誕生した底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神は…
底・中・上➩水面の高さ
津(つ) ➩「~の」の意味
綿(わた)➩「海」の古い言葉
見(み) ➩「神霊」の意味
直訳すると「海の神霊」です。
つまり「ワタツミ」は「海神」の意味です。
※ちなみに「わたつみ」を変換すると「海神」と出ますよ。

次に底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命ですが、「なんで綿津見神は『神』なのに、筒之男命は『命(みこと)』なんだ?」と思った方もいるでしょう。
この『神』と『命(みこと)』の呼び名が違う理由は昨日の記事で少し説明していますので、宜しければそちらをご覧ください<(_ _)>
フフフ...この展開を予想して昨日の記事に補足の説明文を書いておいたのです…フフ…フフフ...( ̄ー ̄)ニヤリ

この3神は後に重要な場面で再び登場します。
底・中・上➩水面の高さ
筒(つつ)➩日本書記では3神の名の「筒」が「土」になっているため、読み方としては「つち」でも良いと思います。
「つち」と読む場合、「つ」は「~の」の意味で、「ち」は神霊の意味であるので個人的にはシックリきます。
ただ「筒」の字の解釈については諸説あるようで、正解かは分かりません。
あくまで個人的にシックリ来た、というだけです<(_ _)>

3神は「航海の守護神」と考えられています。
これも後に再登場した時に「なるほど...!」と納得できると思いますので、覚えておいてくださいね?

以上で『古事記』本文上巻55~禊(5)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻56~安曇氏の祖先神~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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『古事記』本文上巻54~禊(4)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻54~禊(4)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられました。
なので最初は中瀬にお降りになられて、水に浸かられました。
禊で身体をすすぎ洗うと、八十禍津日(やそまがつびの)神が現われました。
(註:八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大禍津日(おほまがつひの)神が現われました。
この2柱の神々は、あの汚く穢れた国(黄泉の国の事)に訪れた時に、イザナギの身体に付いた汚れや垢によって誕生した神様です。

イザナギ『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』
...もし丁度いい流れが無かったらどうしてたんでしょうね?


『古事記』本文上巻54~禊(4)~

【原文と読み方】
【原文】
次 爲直其禍而所 成神名 神直毘神(毘字以音 下效此)
次 大直毘神
次 伊豆能賣(并三神也 伊以下四字以音)

【読み方】
次に其(そ)の禍(まが)を直さん爲(ため=為)、成りませる神の名は神直毘(かむなほびの)神
(【毘】の字は音を以いる 下も此れに效う)
次に大直毘(おほなほびの)神
次に伊豆能賣(いづのめ)
(并(あわ=併)せて三神也 【伊】以下の四字は音を以いる)

【訳】
穢れによって生まれた禍(わざわい)の2柱の神様に続いて、次にその禍を直す為に現れた神様が、神直毘(かむなほびの)神です。
(註:神直毘神の【毘】の字は音読みを用いて【び】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大直毘(おほなほびの)神が現れました。
次に伊豆能賣(いづのめ)が現れました。
(註:併せて3柱の神々です)
(註:伊豆能賣の【伊】以下の4字は音読みを用いて【いづのめ】と読んで下さい)

【解説】
次 爲直其禍而所 成神名 神直毘神(毘字以音 下效此)
難しい&ポイントは「爲直其禍而所 成神名」でしょう。
これは読めれば分かりやすいのですが、少し戸惑いますよね~。
私達も古事記を読み慣れてきた感がありますが、こういう文は「う~んと…」となります。

ちなみに私は「其(そ)の禍(まが)を直さん爲(ため=為)、成りませる神の名は」と読みました。
「爲」は「為(ため)」の旧字です。
「禍」は訓読みで「まが、わざわい」と読みます。
意味は「災難、不幸」といった感じでしょう。
当ブログの【読み方】では「禍(まが)」としていますが、【訳】では「禍(まが)」だと分かりずらいので「「禍(わざわい)」としています。

要するに前回紹介した【汚れた垢から八十禍津日神・大禍津日神という禍(わざわい)を司る神様が産まれた】ので、その【禍(わざわい)を直す(払拭する)神様が生まれた】というのが今回のお話なのです。
伏線回収が早いですね~。

【禍(わざわい)を司る神様】
➩八十禍津日神・大禍津日神

【禍(わざわい)を直す神様】
➩神直毘神・大直毘神・伊豆能賣
...というわけですね!

なお、原文には伊豆能賣(いづのめ)には「神」が付いていません
これは「巫女であるから」とか「(他の写本には「伊豆能賣神」とあることから)書き忘れたから・後で書き足した」とか意見があるそうです。
いもみの日記では「伊豆能賣(いづのめの)神」と考えています。

理由は簡単で、太安万侶の注釈に「伊豆能賣(并三神也)」とあるからです。
思いっきり神じゃん!ということです。

神号について

「神号」か~。これ前にもやったよね!

どうせ殆ど覚えてないんでしょ?

失礼ね!むしろ全く覚えてないわよ!そもそも「神号」って何だっけ?

...神号は「神様の名・称号」よ。

そう言えば登場する神々の末尾には「〇〇神」とか「△△命(みこと)」が付いてるね。
同じ神様でも末尾が「神」だったり「命」だったり...この違いって何だっけ?

(...本当に何もかも覚えてねーな、コイツ)基本的には以下の事を覚えておけばいいんじゃないかしら?

【神・命(みこと)・尊(みこと)】の違い
全ての神様に「神」と「命」の呼び名が必ずある。
神話に登場する場合「〇〇命」だが、神社の御祭神の場合「〇〇神」という呼称になる場合が多い。
(例:スサノオは神話では【スサノオ命】で登場するが、スサノオが神社の御祭神として祀られる場合【スサノオ神】である場合が多い)
③古事記では「命」だけであり、「尊」の呼称は無い。
「命」は主に国津神(地上に住む神々)に用いられ、「尊」は天津神(天界に住む神々)に用いられる。
⑤「尊」は特に高貴な神々に用いられる。

う~ん...じゃあ大体のルールはあるけど、絶対じゃないってこと?

そうね…例えば上の④⑤あたりは、実は日本書記の解釈なのよ。
『「尊」は天津神・皇室の祖先の神々に対し使用する。「命」はそれ以外の神々(つまり国津神ですね)に対し使用する』と書かれているの

だから、日本書記の解釈が該当しない古事記には③の「尊」の呼称は無い...ってことになるんだね。

そうよ。
個人的には赤字でマークした①②④は覚えておいて欲しいかな。

うん!多分また聞くことになると思うけどね!!

...。あっそ...。

以上で『古事記』本文上巻54~禊(4)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻55~禊(5)~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

福島県いわき市に行って来ました~♪

こんばんは。
いもみ🍠です。
本日は古事記の更新はお休みです。
週末にいわき市に行って来ました。
とても良い所でした!

日曜日は朝8時にいわき駅前のホテルを出発。
14時に湯本インターから高速で帰るまで6時間、沢山回ることが出来ました!

①地元で人気の超大きいシュークリームのお店です。
8時半開店で、8時15分頃行ったら既に7~8人が並んでいました!
美味しい、安いだけでなく、大きさにビックリします。

②次に山が近いし紅葉見たいな~…と渓谷へ。
道は所々狭いですが、逆に駐車して紅葉を見られる場所もありました。
電車も走っていてアクセスも良かったです♪

あ~空気が美味しい...♥

平地でも紅葉は見れるけど、山で見るとまた違うんですよね~…。

③山を見たら今度は海が見たい!って欲張りプランでも大丈夫♪
ここから海(小名浜)までは車で1時間ちょい。
お昼は海が一望できる2階のレストランで新鮮な魚介を頂きました~♪

魚市場ででっかいホッケを買ったら、魚市場のおじさんがなんとアジの開き(1700円くらいの)もサービスで付けてくれました!!
私達が美人だからなのは分かるけど、おじさんありがとう~♪


④湯本インターへ向かう前に国宝も見れちゃいます。
もう終わっちゃったけど、夜はライトアップもしてたようです。
見たかったけど、前日の夜はお酒飲んじゃったからな~…💦

紅葉が綺麗ですね…

この他にも見所満載!
でもたった6時間で、人気のお菓子店➩渓谷で紅葉狩り➩海で海鮮に舌鼓➩国宝でウットリ!堪能できました。
勿論、前日は湯本の温泉や神社、足湯を満喫してきました♪
他にも行きたい場所沢山ありましたが、今回の旅ではここまで...また来年行く予定です。
素敵な休日をありがと~、いわき市。

ちなみに土曜日は湯本駅前でカレーフェスをやっていたのですが、凄く美味しかったです。
地元のお酒屋さん(湯本駅近くの金毘羅神社の側らしい?)が作るタイカレーと黒カレーが「何で酒屋さんが?」と思いましたが、美味しかったのでおススメです!


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本日のオマケ

『古事記』本文上巻53~禊(3)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
そこで、イザナギは水で清めるため身に着けていたものを次々に脱いで投げ捨てられました。
するとイザナギが身に付けていた物から、次々と神が現れました。
身に着けてた杖を投げ棄てると、衝立船戸(つきたつふなどの)神が現れました。
次に身に着けてた帯を投げ棄てると、道之長乳齒(みちのながちはの)神が現れました。
次に身に着けてた嚢(袋)を投げ棄てると、時量師(ときはかしの)神が現れました。
次に身に着けてた衣を投げ棄てると、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神が現れました。
(註:此の神の名は音読みを用いて「わづらひのうしの神」と読んで下さい)
次に身に着けてた褌(袴)を投げ棄てると、道俣(ちまたの)神が現れました。
次に身に着けてた冠を投げ棄てると、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神が現れました。
(註:飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい)
次に身に着けてた左手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、奧疎(おきざかるの)神が現れました。
(註:奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
(註:奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神が現れました。
(註:奧津那藝佐毘古神の【那】から以下の五字は音読みを用いて【なぎさびこ】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神が現れました。
(註:奧津甲斐辨羅神の【甲】から以下の四字は音読みを用いて【かひべら】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に身に着けてた右手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、邊疎(へざかるの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神が現れました。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、衝立船戸(つきたつふなどの)神から邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神までの12柱の神々は、イザナギが身に着けていた物を脱ぎ捨てて誕生した神様です。

ただただ、神様の誕生数が多い...多すぎます。
ちなみに古事記の成立後、数年して日本書記が成立します。
この2つの書は類似した内容ですが、異なる部分も多いです。
例えば昨日紹介した【禊でイザナギが身に着けたものを投げすてたら神が誕生した話】。
古事記では「8つのものを捨て、12柱の神々が生まれた」が、日本書記では「5つのものを捨て5柱の神々が生まれた」となっています。
この様に短縮したのは「やはり長すぎる...!」と思ったからなのか??…と想像してしまいます。


『古事記』本文上巻53~禊(3)~

【原文と読み方】
【原文】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
初於中瀨 墮迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)
次 大禍津日神
此二神者 所到 其穢繁國之時 因汚垢而所 成神之者也

【読み方】
是(ここ)に於(お)いて詔(の)りたまはく、上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」
初めて中瀬(なかつせ)に墮(お)り迦豆伎(かづき=潛)て、滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつびの)神
(【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
次に大禍津日(おほまがつひの)神
この二神は、其(そ)の穢(きたな)き繁しき國に到りたまひし時、汚垢(けがれ=穢れ)に因(よ)りて成りませる神也

【訳】
イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられました。
なので最初は中瀬にお降りになられて、水に浸かられました。
禊で身体をすすぎ洗うと、八十禍津日(やそまがつびの)神が現われました。
(註:八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大禍津日(おほまがつひの)神が現われました。
この2柱の神々は、あの汚く穢れた国(黄泉の国の事)に訪れた時に、イザナギの身体に付いた汚れや垢によって誕生した神様です。

【解説】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
「瀬(せ)」「川や海の浅い所(浅瀬)」と「流れのはやい所(急流)」という二つの意味があるので注意です。
読みとしては「上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」となると思います。
「上瀬(かみつせ)」は「上の浅瀬」、要するに「上流」という事でしょう。
と、なれば「下瀬(しもつせ)」は「下流」でしょう。

相変わらず主語がありませんが、ここを訳すと「イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられて...」になると思います。


初於中瀨 随迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)次 大禍津日神

「初於中瀨」は上の文を読めば何となく察することが出来るでしょう。
「上流は流れが速すぎる」+「下流は流れが弱すぎる」=「なので最初に中瀬に(入った)」という事でしょう。
随分細かい描写迄書いていますね。

「墮迦豆伎而 滌時所」ですが、これに太安万侶が注釈付いていません。
...が、それだと「墮迦豆伎」が読めません(漢字自体に意味が無いので)。
本来ならこういう場合「迦以下三字以音(【墮迦豆伎】の【迦】以下の三字は音読みを用いて【かづき】と読んで下さい」)が付いている筈...忘れちゃったのでしょうかね??

とにかく「墮迦豆伎」は「墮(お)かづき」と読むと思います。
「墮」は「(中瀬の水の中に入るために)降りて...」という意味でしょう。
「かづき」ですが、文面から「潛」を指すと思います。
「潛」は「潜」の旧字ですが、訓読みで「かづく」と読みます。
意味は勿論「潜る」ですが、これだと「イザナギが中瀬に降りて潜った」と、まるで遊んでいる様なので禊のイメージが崩れてしまいます…。
そこでここは「中瀬に降りて水に浸かって」という具合に威厳を保つ訳にしてみます。
いや、実際水に潜ったのかもしれませんが…。

「滌」は「すす(ぐ)」と読みます。
「滌時」は「体を洗う(すすぐ)時に~」という事ですね。

「八十禍津日神(訓禍云摩賀 下效此)」は太安万侶の注釈(訓禍云摩賀 下效此)を先に訳して読みます。
(訓禍云摩賀 下效此)➩「【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」➩「八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい」
なので八十禍津日神は「やそまがつびのかみ」と、大禍津日神は「おほまがつひのかみ」と読みます。

以上で『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻54~禊(4)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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