いもみの日記

御朱印集めが趣味のOL(お芋好き女子)です。いろんな神社やグルメを紹介します!

『古事記』本文上巻55~禊(5)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻55~禊(5)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
穢れによって生まれた禍(わざわい)の2柱の神様に続いて、次にその禍を直す為に現れた神様が、神直毘(かむなほびの)神です。
(註:神直毘神の【毘】の字は音読みを用いて【び】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大直毘(おほなほびの)神が現れました。
次に伊豆能賣(いづのめ)が現れました。
(註:併せて3柱の神々です)
(註:伊豆能賣の【伊】以下の4字は音読みを用いて【いづのめ】と読んで下さい)

災いの神が現れれば、その災いを直す神が現れる...なんて合理的な展開なのでしょう。
ところで「災いを無くす」神ではなく、「災いを直す」神という事は、災いを無くすことは出来ないってことですよね?
もっと言えば、イザナギが禊をした事で災いを司る神が現れたわけですから、言い方を変えれば災いをこの世界に持ち込んだのはイザナギって事になるのでしょうか?
しかも先に述べたように、その災いを直すことは出来るが、無くすことは出来ないわけですから...。
冷静に考えると、オチが微妙な気がしました。


『古事記』本文上巻55~禊(5)~

【原文と読み方】
【原文】
次 於水底滌時所 成神名 底津綿(上)津見神
次 底筒之男命
於中滌時所 成神名 中津綿(上)津見神
次中筒之男命
於水上滌時所 成神名 上津綿(上)津見神(訓上云宇閇)
次上筒之男命

【読み方】
次に水底に滌(すす)ぎたまう時に成りませる神の名は、底津綿津見(そこつわたつみの)神
(【綿】は上声)
次に底筒之男命(そこづつのおのみこと)
中に滌(すす)ぎたまう時に成りませる神の名は、中津綿津見(なかつわたつみの)神
(【綿】は上声)
次に中筒之男命(なかづつのおのみこと)
水の上に滌(すす)ぎたまう時に成りませる神の名は、上津綿津見(うはつわたつみの)神
(【綿】は上声)
(【上】を訓(よ)み、【宇閇(うは)】と云(い)う)
次に上筒之男命(うはづつのおのみこと)

【訳】
次に水の底で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、底津綿津見(そこつわたつみの)神と言います。
(註:底津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
この時、底筒之男命(そこづつのおのみこと)も現れました。
次に水中で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、中津綿津見(なかつわたつみの)神と言います。
(註:中津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
この時、中筒之男命(なかづつのおのみこと)も現れました。
次に水面で身体をすすぎ洗った時に現れた神様の名前を、上津綿津見(うはつわたつみの)神と言います。
(註:上津綿津見神の【綿】は上声です。高く発音して下さい)
(註:上津綿津見神の【上】は【宇閇(うは)】と読みます)
この時、上筒之男命(うはづつのおのみこと)も現れました。


【アキちゃんのボヤキ】
イザナギ「上流は流れが速すぎるし、下流は遅すぎる」と言って中流(?)に入って禊した…「上流・下流」とあるので、私もこの時点で『川で禊を行ったのか...』と訳してて思ったのに、次に生まれたのはなんと「海の神」。
あれ~…?なんで?!
海に上流、下流ってあんの?
海流の速い、遅いってどうやって見分けるのよ??
やっぱり禊は川なの?だったら何故海の神が生まれるの??

あ~パニックッ!!
となりました<(_ _)>

【解説】
今回の訳は簡単です。
この禊の話は長くまだ続きがあるので、ここ等辺で一度話を整理してみようと思います。

ここまでの話をザックリ振り返ってみましょう。
①イザナミが亡くなり、イザナミが黄泉の国に迎えに行く
②しかしイザナミの変わり果てた姿に恐れて黄泉の国から逃げ帰る
③黄泉の国の穢れを落とすため、禊をしようと服を脱ぐ
➩脱ぎ捨てた服から12柱の神々が生まれる
④禊スタート。「上流は流れが速すぎ、下流は遅すぎ」ということで中流(?)に入る
⑤穢れを落としてたら、2柱の禍(わざわい)の神が生まれる
⑥禍を直す神も3柱生まれる
⑦浸かった場所の水面辺り・水中・底からそれぞれ神々が生まれる⇦今ココ
⑧明日以降に続く...

今回誕生した底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神は…
底・中・上➩水面の高さ
津(つ) ➩「~の」の意味
綿(わた)➩「海」の古い言葉
見(み) ➩「神霊」の意味
直訳すると「海の神霊」です。
つまり「ワタツミ」は「海神」の意味です。
※ちなみに「わたつみ」を変換すると「海神」と出ますよ。

次に底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命ですが、「なんで綿津見神は『神』なのに、筒之男命は『命(みこと)』なんだ?」と思った方もいるでしょう。
この『神』と『命(みこと)』の呼び名が違う理由は昨日の記事で少し説明していますので、宜しければそちらをご覧ください<(_ _)>
フフフ...この展開を予想して昨日の記事に補足の説明文を書いておいたのです…フフ…フフフ...( ̄ー ̄)ニヤリ

この3神は後に重要な場面で再び登場します。
底・中・上➩水面の高さ
筒(つつ)➩日本書記では3神の名の「筒」が「土」になっているため、読み方としては「つち」でも良いと思います。
「つち」と読む場合、「つ」は「~の」の意味で、「ち」は神霊の意味であるので個人的にはシックリきます。
ただ「筒」の字の解釈については諸説あるようで、正解かは分かりません。
あくまで個人的にシックリ来た、というだけです<(_ _)>

3神は「航海の守護神」と考えられています。
これも後に再登場した時に「なるほど...!」と納得できると思いますので、覚えておいてくださいね?

以上で『古事記』本文上巻55~禊(5)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻56~安曇氏の祖先神~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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本日のオマケ

『古事記』本文上巻54~禊(4)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻54~禊(4)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられました。
なので最初は中瀬にお降りになられて、水に浸かられました。
禊で身体をすすぎ洗うと、八十禍津日(やそまがつびの)神が現われました。
(註:八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大禍津日(おほまがつひの)神が現われました。
この2柱の神々は、あの汚く穢れた国(黄泉の国の事)に訪れた時に、イザナギの身体に付いた汚れや垢によって誕生した神様です。

イザナギ『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』
...もし丁度いい流れが無かったらどうしてたんでしょうね?


『古事記』本文上巻54~禊(4)~

【原文と読み方】
【原文】
次 爲直其禍而所 成神名 神直毘神(毘字以音 下效此)
次 大直毘神
次 伊豆能賣(并三神也 伊以下四字以音)

【読み方】
次に其(そ)の禍(まが)を直さん爲(ため=為)、成りませる神の名は神直毘(かむなほびの)神
(【毘】の字は音を以いる 下も此れに效う)
次に大直毘(おほなほびの)神
次に伊豆能賣(いづのめ)
(并(あわ=併)せて三神也 【伊】以下の四字は音を以いる)

【訳】
穢れによって生まれた禍(わざわい)の2柱の神様に続いて、次にその禍を直す為に現れた神様が、神直毘(かむなほびの)神です。
(註:神直毘神の【毘】の字は音読みを用いて【び】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大直毘(おほなほびの)神が現れました。
次に伊豆能賣(いづのめ)が現れました。
(註:併せて3柱の神々です)
(註:伊豆能賣の【伊】以下の4字は音読みを用いて【いづのめ】と読んで下さい)

【解説】
次 爲直其禍而所 成神名 神直毘神(毘字以音 下效此)
難しい&ポイントは「爲直其禍而所 成神名」でしょう。
これは読めれば分かりやすいのですが、少し戸惑いますよね~。
私達も古事記を読み慣れてきた感がありますが、こういう文は「う~んと…」となります。

ちなみに私は「其(そ)の禍(まが)を直さん爲(ため=為)、成りませる神の名は」と読みました。
「爲」は「為(ため)」の旧字です。
「禍」は訓読みで「まが、わざわい」と読みます。
意味は「災難、不幸」といった感じでしょう。
当ブログの【読み方】では「禍(まが)」としていますが、【訳】では「禍(まが)」だと分かりずらいので「「禍(わざわい)」としています。

要するに前回紹介した【汚れた垢から八十禍津日神・大禍津日神という禍(わざわい)を司る神様が産まれた】ので、その【禍(わざわい)を直す(払拭する)神様が生まれた】というのが今回のお話なのです。
伏線回収が早いですね~。

【禍(わざわい)を司る神様】
➩八十禍津日神・大禍津日神

【禍(わざわい)を直す神様】
➩神直毘神・大直毘神・伊豆能賣
...というわけですね!

なお、原文には伊豆能賣(いづのめ)には「神」が付いていません
これは「巫女であるから」とか「(他の写本には「伊豆能賣神」とあることから)書き忘れたから・後で書き足した」とか意見があるそうです。
いもみの日記では「伊豆能賣(いづのめの)神」と考えています。

理由は簡単で、太安万侶の注釈に「伊豆能賣(并三神也)」とあるからです。
思いっきり神じゃん!ということです。

神号について

「神号」か~。これ前にもやったよね!

どうせ殆ど覚えてないんでしょ?

失礼ね!むしろ全く覚えてないわよ!そもそも「神号」って何だっけ?

...神号は「神様の名・称号」よ。

そう言えば登場する神々の末尾には「〇〇神」とか「△△命(みこと)」が付いてるね。
同じ神様でも末尾が「神」だったり「命」だったり...この違いって何だっけ?

(...本当に何もかも覚えてねーな、コイツ)基本的には以下の事を覚えておけばいいんじゃないかしら?

【神・命(みこと)・尊(みこと)】の違い
全ての神様に「神」と「命」の呼び名が必ずある。
神話に登場する場合「〇〇命」だが、神社の御祭神の場合「〇〇神」という呼称になる場合が多い。
(例:スサノオは神話では【スサノオ命】で登場するが、スサノオが神社の御祭神として祀られる場合【スサノオ神】である場合が多い)
③古事記では「命」だけであり、「尊」の呼称は無い。
「命」は主に国津神(地上に住む神々)に用いられ、「尊」は天津神(天界に住む神々)に用いられる。
⑤「尊」は特に高貴な神々に用いられる。

う~ん...じゃあ大体のルールはあるけど、絶対じゃないってこと?

そうね…例えば上の④⑤あたりは、実は日本書記の解釈なのよ。
『「尊」は天津神・皇室の祖先の神々に対し使用する。「命」はそれ以外の神々(つまり国津神ですね)に対し使用する』と書かれているの

だから、日本書記の解釈が該当しない古事記には③の「尊」の呼称は無い...ってことになるんだね。

そうよ。
個人的には赤字でマークした①②④は覚えておいて欲しいかな。

うん!多分また聞くことになると思うけどね!!

...。あっそ...。

以上で『古事記』本文上巻54~禊(4)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻55~禊(5)~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

福島県いわき市に行って来ました~♪

こんばんは。
いもみ🍠です。
本日は古事記の更新はお休みです。
週末にいわき市に行って来ました。
とても良い所でした!

日曜日は朝8時にいわき駅前のホテルを出発。
14時に湯本インターから高速で帰るまで6時間、沢山回ることが出来ました!

①地元で人気の超大きいシュークリームのお店です。
8時半開店で、8時15分頃行ったら既に7~8人が並んでいました!
美味しい、安いだけでなく、大きさにビックリします。

②次に山が近いし紅葉見たいな~…と渓谷へ。
道は所々狭いですが、逆に駐車して紅葉を見られる場所もありました。
電車も走っていてアクセスも良かったです♪

あ~空気が美味しい...♥

平地でも紅葉は見れるけど、山で見るとまた違うんですよね~…。

③山を見たら今度は海が見たい!って欲張りプランでも大丈夫♪
ここから海(小名浜)までは車で1時間ちょい。
お昼は海が一望できる2階のレストランで新鮮な魚介を頂きました~♪

魚市場ででっかいホッケを買ったら、魚市場のおじさんがなんとアジの開き(1700円くらいの)もサービスで付けてくれました!!
私達が美人だからなのは分かるけど、おじさんありがとう~♪


④湯本インターへ向かう前に国宝も見れちゃいます。
もう終わっちゃったけど、夜はライトアップもしてたようです。
見たかったけど、前日の夜はお酒飲んじゃったからな~…💦

紅葉が綺麗ですね…

この他にも見所満載!
でもたった6時間で、人気のお菓子店➩渓谷で紅葉狩り➩海で海鮮に舌鼓➩国宝でウットリ!堪能できました。
勿論、前日は湯本の温泉や神社、足湯を満喫してきました♪
他にも行きたい場所沢山ありましたが、今回の旅ではここまで...また来年行く予定です。
素敵な休日をありがと~、いわき市。

ちなみに土曜日は湯本駅前でカレーフェスをやっていたのですが、凄く美味しかったです。
地元のお酒屋さん(湯本駅近くの金毘羅神社の側らしい?)が作るタイカレーと黒カレーが「何で酒屋さんが?」と思いましたが、美味しかったのでおススメです!


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本日のオマケ

『古事記』本文上巻53~禊(3)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
そこで、イザナギは水で清めるため身に着けていたものを次々に脱いで投げ捨てられました。
するとイザナギが身に付けていた物から、次々と神が現れました。
身に着けてた杖を投げ棄てると、衝立船戸(つきたつふなどの)神が現れました。
次に身に着けてた帯を投げ棄てると、道之長乳齒(みちのながちはの)神が現れました。
次に身に着けてた嚢(袋)を投げ棄てると、時量師(ときはかしの)神が現れました。
次に身に着けてた衣を投げ棄てると、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神が現れました。
(註:此の神の名は音読みを用いて「わづらひのうしの神」と読んで下さい)
次に身に着けてた褌(袴)を投げ棄てると、道俣(ちまたの)神が現れました。
次に身に着けてた冠を投げ棄てると、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神が現れました。
(註:飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい)
次に身に着けてた左手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、奧疎(おきざかるの)神が現れました。
(註:奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
(註:奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神が現れました。
(註:奧津那藝佐毘古神の【那】から以下の五字は音読みを用いて【なぎさびこ】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神が現れました。
(註:奧津甲斐辨羅神の【甲】から以下の四字は音読みを用いて【かひべら】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に身に着けてた右手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、邊疎(へざかるの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神が現れました。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、衝立船戸(つきたつふなどの)神から邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神までの12柱の神々は、イザナギが身に着けていた物を脱ぎ捨てて誕生した神様です。

ただただ、神様の誕生数が多い...多すぎます。
ちなみに古事記の成立後、数年して日本書記が成立します。
この2つの書は類似した内容ですが、異なる部分も多いです。
例えば昨日紹介した【禊でイザナギが身に着けたものを投げすてたら神が誕生した話】。
古事記では「8つのものを捨て、12柱の神々が生まれた」が、日本書記では「5つのものを捨て5柱の神々が生まれた」となっています。
この様に短縮したのは「やはり長すぎる...!」と思ったからなのか??…と想像してしまいます。


『古事記』本文上巻53~禊(3)~

【原文と読み方】
【原文】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
初於中瀨 墮迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)
次 大禍津日神
此二神者 所到 其穢繁國之時 因汚垢而所 成神之者也

【読み方】
是(ここ)に於(お)いて詔(の)りたまはく、上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」
初めて中瀬(なかつせ)に墮(お)り迦豆伎(かづき=潛)て、滌(すす)ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日(やそまがつびの)神
(【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
次に大禍津日(おほまがつひの)神
この二神は、其(そ)の穢(きたな)き繁しき國に到りたまひし時、汚垢(けがれ=穢れ)に因(よ)りて成りませる神也

【訳】
イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられました。
なので最初は中瀬にお降りになられて、水に浸かられました。
禊で身体をすすぎ洗うと、八十禍津日(やそまがつびの)神が現われました。
(註:八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に大禍津日(おほまがつひの)神が現われました。
この2柱の神々は、あの汚く穢れた国(黄泉の国の事)に訪れた時に、イザナギの身体に付いた汚れや垢によって誕生した神様です。

【解説】
於是詔之 上瀨者瀨速 下瀨者瀨弱而
「瀬(せ)」「川や海の浅い所(浅瀬)」と「流れのはやい所(急流)」という二つの意味があるので注意です。
読みとしては「上瀬(かみつせ)は瀬速、下瀬(しもつせ)は瀬弱し」となると思います。
「上瀬(かみつせ)」は「上の浅瀬」、要するに「上流」という事でしょう。
と、なれば「下瀬(しもつせ)」は「下流」でしょう。

相変わらず主語がありませんが、ここを訳すと「イザナギは身に着けていたものを次々に脱ぎ捨てた後『上流の浅瀬は流れが速すぎるし、下流は流れが弱すぎる』と仰せになられて...」になると思います。


初於中瀨 随迦豆伎而 滌時所 成坐神名 八十禍津日神
(訓禍云摩賀 下效此)次 大禍津日神

「初於中瀨」は上の文を読めば何となく察することが出来るでしょう。
「上流は流れが速すぎる」+「下流は流れが弱すぎる」=「なので最初に中瀬に(入った)」という事でしょう。
随分細かい描写迄書いていますね。

「墮迦豆伎而 滌時所」ですが、これに太安万侶が注釈付いていません。
...が、それだと「墮迦豆伎」が読めません(漢字自体に意味が無いので)。
本来ならこういう場合「迦以下三字以音(【墮迦豆伎】の【迦】以下の三字は音読みを用いて【かづき】と読んで下さい」)が付いている筈...忘れちゃったのでしょうかね??

とにかく「墮迦豆伎」は「墮(お)かづき」と読むと思います。
「墮」は「(中瀬の水の中に入るために)降りて...」という意味でしょう。
「かづき」ですが、文面から「潛」を指すと思います。
「潛」は「潜」の旧字ですが、訓読みで「かづく」と読みます。
意味は勿論「潜る」ですが、これだと「イザナギが中瀬に降りて潜った」と、まるで遊んでいる様なので禊のイメージが崩れてしまいます…。
そこでここは「中瀬に降りて水に浸かって」という具合に威厳を保つ訳にしてみます。
いや、実際水に潜ったのかもしれませんが…。

「滌」は「すす(ぐ)」と読みます。
「滌時」は「体を洗う(すすぐ)時に~」という事ですね。

「八十禍津日神(訓禍云摩賀 下效此)」は太安万侶の注釈(訓禍云摩賀 下效此)を先に訳して読みます。
(訓禍云摩賀 下效此)➩「【禍】を訓(よ)み、【摩賀(まが)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」➩「八十禍津日神の【禍】は【摩賀(まが)】と読みます。以下もこれに倣い読んで下さい」
なので八十禍津日神は「やそまがつびのかみ」と、大禍津日神は「おほまがつひのかみ」と読みます。

以上で『古事記』本文上巻53~禊(3)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻54~禊(4)~をご紹介する予定です。

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本日のオマケ

『古事記』本文上巻52~禊(2)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻52~禊(2)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
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【前回のあらすじ】
黄泉の国から帰ってきたイザナギは「私はなんという汚らわしい国に行っていたのだろうか…私の身体に付いた穢れを、禊によって洗い清めなければ」と仰せになられて...
(註:【米】は上声です。高く発音して下さい)
(註:【伊那志許米志許米岐】の9字は音読みを用いて【いなしこめしこめき】と読んで下さい)
(註:【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい)
竺紫(=筑紫=九州)の日向(陽が良く当たる場所?宮崎県の事?)の橘(=立花か?)にある阿波岐原(あわぎはら=宮崎県か?)という小さな湾口に行って、身体の穢れを洗い清められました。
(註:【阿波岐】の3字は音読みを用いて【あわぎ】と読んで下さい)

イザナギ「私はなんという汚らわしい国に行っていたのだろうか…」
いもみ「他の誰でもない、自分で決めて行ったんだよね?」
イザナギ「私の身体に付いた穢れを、禊によって洗い清めなければ」
いもみ「なんか普通の水浴?お風呂?なら私も毎日禊してるって事?」
...だそうです。
そうなんですけど…なんかこう...。


『古事記』本文上巻52~禊(2)~

【原文と読み方】
【原文】
故於投棄 御杖所 成神名 衝立船戶神
次於投棄 御帶所 成神名 道之長乳齒神
次於投棄 御裳所 成神名 時置師神
次於投棄 御衣所 成神名 和豆良比能宇斯能神(此神名以音)
次於投棄 御褌所 成神名 道俣神
次於投棄 御冠所 成神名 飽咋之宇斯能神(自宇以下三字以音)
次於投棄 左御手之手纒所 成神名 奧疎神(訓奧云於伎下效此 訓疎云奢加留下效此)
次 奧津那藝佐毘古神(自那以下五字以音下效此)
次 奧津甲斐辨羅神(自甲以下四字以音下效此)
次於投棄 右御手之手纒所 成神名 邊疎神
次 邊津那藝佐毘古神
次 邊津甲斐辨羅神
右件 自船戶神以下 邊津甲斐辨羅神以前 十二神者
因脫 著身之物所 生神也


【読み方】
故(かれ)投げ棄(う)つる御杖(みつえ)に成りませる神の名は、衝立船戸(つきたつふなどの)神
次に投げ棄(う)つる御帶(みおび=帯)に成りませる神の名は、道之長乳齒(みちのながちはの)神
次に投げ棄(う)つる御嚢(みふくろ)に成りませる神の名は、時量師(ときはかしの)神
次に投げ棄(う)つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの=煩累大人)神
(此の神の名は音を以いる)
次に投げ棄(う)つる御褌(みはかま=袴)に成りませる神の名は、道俣(ちまたの)神
次に投げ棄(う)つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの=飽咋之大人)神
(【宇】自(よ)り以下の三字は音を以いる)
次に投げ棄(う)つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奧疎(おきざかるの)神
(【奧】を訓(よ)み、【於伎(おき)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
(【疎】を訓(よ)み、【奢加留(ざかる)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う)
次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神
(【那】自(よ)り以下の五字は音を以いる 下も此れに效(なら)う)
次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神
(【甲】自(よ)り以下の四字は音を以いる 下も此れに效(なら)う)
次に投げ棄(う)つる右の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、邊疎(へざかるの)神
次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神
次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神
右の件(くだり)、船戸(ふなどの)神以下、邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神より前の十二神は身に著(つ=着)けたる物を
脱ぎたまひ因(よ)りて、生まれし神也

【訳】
そこで、イザナギは水で清めるため身に着けていたものを次々に脱いで投げ捨てられました。
するとイザナギが身に付けていた物から、次々と神が現れました。
身に着けてた杖を投げ棄てると、衝立船戸(つきたつふなどの)神が現れました。
次に身に着けてた帯を投げ棄てると、道之長乳齒(みちのながちはの)神が現れました。
次に身に着けてた嚢(袋)を投げ棄てると、時量師(ときはかしの)神が現れました。
次に身に着けてた衣を投げ棄てると、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神が現れました。
(註:此の神の名は音読みを用いて「わづらひのうしの神」と読んで下さい)
次に身に着けてた褌(袴)を投げ棄てると、道俣(ちまたの)神が現れました。
次に身に着けてた冠を投げ棄てると、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神が現れました。
(註:飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい)
次に身に着けてた左手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、奧疎(おきざかるの)神が現れました。
(註:奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
(註:奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津那藝佐毘古(おきつなぎさびこの)神が現れました。
(註:奧津那藝佐毘古神の【那】から以下の五字は音読みを用いて【なぎさびこ】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
左手の手纏からは、次に奧津甲斐辨羅(おきつかひべらの)神が現れました。
(註:奧津甲斐辨羅神の【甲】から以下の四字は音読みを用いて【かひべら】と読んで下さい。以下もこれに倣い読んで下さい)
次に身に着けてた右手の手纏(たまき=腕輪)を投げ棄てると、邊疎(へざかるの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津那藝佐毘古(へつなぎさびこの)神が現れました。
右手の手纏からは、次に邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神が現れました。
右に記した(※ブログでは上から下に読んでいきますが、古事記は右から左に読んでいきます)様に、衝立船戸(つきたつふなどの)神から邊津甲斐辨羅(へつかひべらの)神までの12柱の神々は、イザナギが身に着けていた物を脱ぎ捨てて誕生した神様です。

【解説】
故於投棄 御杖所 成神名 衝立船戶神
今回はほぼ同じ構成の文が続きます。
そこで、3文だけ読み方や意味を抑えておきたいと思います。
①まず「投棄 〇〇所 成神名 〇〇神」➩「身に着けてた〇〇を投げ棄てたら○○神が現れました」です。

「棄」は「すてる」が普通の読み方ですが、古文では他の動詞と複合した場合「うつ」とも読みます。
この文では「投棄」➩「投げる」というもう一つの動詞が入るため「投げ棄(う)つ」が妥当でしょう。
意味は「捨てる」ですが「強く放り投げる」といったニュアンスもあります。
今回はこの構成の文の繰り返しになります。


飽咋之宇斯能神(自宇以下三字以音)
②次は太安万侶の注釈ですね。
これは注釈の前の漢文の読み方を説明しています。
(自宇以下三字以音)は…
読み方➩「【宇】自(よ)り以下の三字は音を以(もち=用)いる」
意味 ➩「飽咋之宇斯能神の【宇】から以下の三字は音読みを用いて【うしの】と読んで下さい」
...といった感じで良いと思います。

よって、飽咋之宇斯能神は「あきぐいのうしの神」と読むのです。
「宇斯能(うしの)」も難しいですけど、正直「飽咋之(あきぐいの)」の方も相当読むの難しいですね…。


奧疎神(訓奧云於伎下效此 訓疎云奢加留下效此)
③これも太安万侶の注釈です。
上同様、注釈の前の漢文の読み方を説明しています。
(訓奧云於伎下效此 訓疎云奢加留下效此)は…
読み方➩「【奧】を訓(よ)み、【於伎(おき)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」と、「【疎】を訓(よ)み、【奢加留(ざかる)】と云(い)う 下も此れに效(なら)う」です。
意味 ➩「奧疎神の【奥】の字の読み方は【於伎(おき)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい」と、「奧疎神の【疎】の字の読み方は【奢加留(ざかる)】と言います。以下もこれに倣い読んで下さい」です。
 
よって奧疎神は「おきざかる神」と読むのです。
注釈が凄く長い文ですね…疲れました。

以上①~③を押さえればこの文はほぼ読むことが出来ると思います<(_ _)>

以上で『古事記』本文上巻52~禊(2)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻53~禊(3)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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本日のオマケ

『古事記』本文上巻51~禊(1)~

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介です。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。

【前回のあらすじ】
イザナミに追われたイザナギが、この世とあの世の境目である黃泉比良坂の入り口を塞いだ千引石は道反大神(ちがえしのおおかみ)と呼びます。
この千引石は、またの名を塞坐黃泉戶大神(ふさがりますよもつとのおおかみ)とも言います。
この黃泉比良坂とは出雲國(いずものくに・現島根県松江市)にある伊賦夜坂(いぶやさか)のことです。

イザナギが黄泉の国へと通じる黃泉比良坂の入り口を塞いだ...というのが前回のお話でした。
ちなみにこの入り口を塞がなかった場合、どうなっていたのでしょう?
「黄泉の国には穢れがある」と古代の人々は考えていたようです。
この穢れが溜まると人は死ぬ、というように考えられていたようで穢れはとても恐れられていたのです。
イザナギが千引石で塞いだという話は、神話の辻褄を合わせる意味もあると思いますが、人々が恐れ忌み嫌う穢れは石で塞いだから安心してねと言っているようにも感じます。
では、穢れが付いてしまったらどうやって落とすのか?…というのが本日のお話です。

『古事記』本文上巻51~禊(1)~

【原文と読み方】
【原文】
是以 伊邪那伎大神詔
吾者到於 伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)穢國而在祁理(此二字以音)
故吾者爲 御身之禊而 
到坐 竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而
禊祓也


【読み方】
是(これ)を以(も)って伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)の詔(の)りたまひしく
「吾(われ)は、伊那志許米志許米岐(いなしこめしこめき)穢(きたな)き國に到りて在(あ)り祁理(けり)
(【米】は上声)
(【伊那志許米志許米岐】の此の九字は音を以(もち)いる)
(【祁理】の此の二字は音を以(もち)いる)
故(かれ)吾(われ)は御身(おおんみ)の禊(みそぎ・はらえ)せむ」とのりたまひて
竺紫日向(つくしのひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐(あわぎ)原に到りまして禊(みそぎ)祓(はら)いたまいき
(【阿波岐】の此の三字は音を以(もち)いる)

【訳】
黄泉の国から帰ってきたイザナギは「私はなんという汚らわしい国に行っていたのだろうか…私の身体に付いた穢れを、禊によって洗い清めなければ」と仰せになられて...
(註:【米】は上声です。高く発音して下さい)
(註:【伊那志許米志許米岐】の9字は音読みを用いて【いなしこめしこめき】と読んで下さい)
(註:【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい)
竺紫(=筑紫=九州)の日向(陽が良く当たる場所?宮崎県の事?)の橘(=立花か?)にある阿波岐原(あわぎはら=宮崎県か?)という小さな湾口に行って、身体の穢れを洗い清められました。
(註:【阿波岐】の3字は音読みを用いて【あわぎ】と読んで下さい)

【解説】
是以 伊邪那伎大神詔
「是以 伊邪那伎大神詔」ですが、「是(これ)を以って伊耶那岐大神詔(の)りたまひしく」と読みました。
この「是」は、イザナギが「黄泉の国から帰ってきたこと」を指しています。
なのでここは「黄泉の国から帰ってきたイザナギは~と言いました」で良いと思います。


吾者到於 伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)穢國而在祁理(此二字以音)故吾者爲 御身之禊而
「伊那志許米(上)志許米岐(此九字以音)」は太安万侶の注釈の(此九字以音)➩「此の9字は音を以(もち)いる」とあるので、「伊那志許米志許米岐」は音読みで「いなしこめしこめき」と読みます。

ちなみに(上)は「上声の略」です。
意味は「高く発音して下さい」と言った意味です。
まぁ訳すうえではあまり意味がありませんね。

話を戻して「伊那志許米志許米岐」➩「いなしこめしこめき」とは何でしょう?
これは「伊那志許...」の漢字自体に意味はありません。
「いなしこめしこめき」を分解するとこんな感じだと思います。

「いな」➩嫌悪を表わす言葉。
「しこめ」➩醜(しこ)め。「けがらわしい」の意味か。
「しこめき」➩醜(しこ)めき。「醜め醜め」と2回繰り返しているのは、汚らわしさを強調しているのでしょう。

なので「とても醜悪だ、酷く汚れている」のような意味だと思います。

「穢國而在祁理(此二字以音)」も太安万侶の注釈(此二字以音)が付いていますね。
これは「祁理(此二字以音)」➩「祁理の2字は音を以(もち)いる」➩「【祁理】の2字は音読みを用いて【けり】と読んで下さい」です。
ですからこの文は「穢(きたな)き國に到りて在(あ)り祁理(けり)」と読みました。

意味としては「穢れた国を訪れてしまった」辺りが妥当でしょうか。

「故吾者爲 御身之禊而」ですが…。
「御身」は読み方がポイントです。
私は最初「おみ」か「おんみ」だろう…と思って調べた所、①「おみ」は近世になってから現われた武士言葉で、②「おんみ」が用いられたのは中世以降だ、と分かりました。
じゃあ、古事記の時代は何て読むんだ?と更に調べたら、ピッタリの意味を持つ読み方が。
③「おおんみ(おほむみ)」 高貴な人の「身」を敬っていう言葉。これでしょう。
訳としては「お姿」辺りが妥当な所だと思います。

「禊」は「みそぎ」と読みます。
「海や川に浸かって身体を洗い、罪や穢れを落とし祓(はら)い清めること」の意味です。
古事記の『イザナギが黄泉の国から戻って、その身体についた汚れ(汚穢=おえ)を祓い清めた』というのが「禊」の始まりとされています。

ちなみに「みそぎ」の語源は、「水滌(みずそそぎ)」「身清(みすすぎ)」の様ですが、【罪や穢れを落とす】➩【体から取り除く】➩「身削(みそぎ)」という説もあるようです。
最後のは嫌だなぁ…。


到坐 竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而 禊祓也
「竺紫日向之橘小門之阿波岐(此三字以音)原而」は文面からも地名であることは間違いないのですが、九州のどこかではないか?ということ位しか分かりません。
一応バラバラにして考えてみました。
①竺紫
➩これは「つくし(=筑紫)」です。
九州全体の事ですが、狭い範囲ですと福岡県筑紫市があります。
②日向
➩「ひなた」つまり「陽の良く当たる場所」かと思います。
若しくは宮崎県を「日向(ひゅうが)の国」と言っていたのでこれかも?
③橘
➩ここからはほとんど想像でしかありません。
グーグルマップで『九州 たちばな』で検索すると福岡県にある「立花山」が出てきます。
④小門
➩これは「小さな水門」、つまり「湾口、港」の意味であると思われます。
⑤阿波岐原(あわぎはら)
➩宮崎県宮崎市に阿波岐原町があります。

...以上から「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」というのは【福岡県】か【宮崎県】のいずれかではないでしょうか??
一応グーグルマップ貼ってみましたので宜しければご覧ください<(_ _)>
※『九州 たちばな』『九州 阿波岐原』で私は検索してみました。
※下は『九州 阿波岐原』の検索結果です。

以上で『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介はおしまいです。

次回は『古事記』本文上巻52~禊(2)~をご紹介する予定です。

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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本日のオマケ

『古事記』今夜は更新できませんでした~💦

こんばんは、いもみ🍠です。
本日は、『古事記』本文上巻51~禊(1)~のご紹介...の予定でしたが…。

こんばんは、アキです。
主に翻訳と解説を担当しています。
ですが、今夜は…。

なので本日はお休みです!すいません!!

今夜はアキちゃんの失敗談をご覧ください...

会社から帰宅途中に上司から着信がありました。
「嫌だなぁ~…」と思いつつ、出ないわけにはいかないので電話に出ると、案の定仕事のお話でした。
電話を切った後、数分後歩きながら腹が立ってきたので声に出してボヤキたくなりました。
家に帰ってから声出しボヤキをするべきなのですが、我慢できません。
なので「周りに誰もいないよな...?」と後ろを振り返り、誰もいないのを確認して「あのタヌキ親父が…!」と割と大きめの声でボヤいた瞬間、前でも後ろでもなく...
隣の公園の中から、子犬の散歩をしていたタヌキっぽい感じのおじ様が!!
お互い固まり、目を見開いて見つめあう...2秒くらい。
慌ててその場からそそくさと離れました💦
おじ様、あなたの事ではありません...。
ごめんなさい…💦
おしまい<(_ _)>

ここまで読んで頂きありがとうございました_(..)_
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